クローバーとワタリガラス
満天の夜空の下で燃え盛る王都の街並み。夥しい兵とモンスターの死体。 …そして血の染みが拡がっていく純白のドレス。
薄れ行く意識の中、自分を抱え起こした最愛の人を見上げた。 ずっと…ずっと前から想い続けてきた顔…若く精悍な騎士の姿があった。
男が「死ぬな」と叫ぶが、それは叶えてあげられそうになかった。 もう自分の命は尽きるだけだ。
男に声を掛けようとして…それすら叶わず、女は目を閉じた。
…酷い夢だ。 少女は不機嫌な顔でベッドから身を起こし、汗で微かに湿った金髪を搔き上げた。窓から差し込む月明かりに気付いて満月を見上げた。
そうでなくともこの世界に来てしまってから必死に身の振り方を周囲に合わせているのだ。心労と意識外の強迫観念が自分に見せた悪い夢に違いない。
――どうせなら、貴族令嬢かお姫様にでもなる夢でも見せてくれればよかったのに…
明るすぎる月を睨みつけ、少女は再び布団の中に潜り込んだ。
◇◇◇
三つ葉…また三つ葉かよ…
四つ葉のクローバーを探し続けているが、中々みつからない。
少年は群生地を転々と渡り鳥のように捜し歩いていた。そうしている内に、周りの景色がいつもの遊び場とは違う風景に変わっている事にも気づかない。
そうして何度目かの「飛び地」に降り立つと、そこでようやくワタリガラスは先客の存在に気付いた。
「あっ」
自分から近づいておいて、先に驚いて声を上げたのも自分だった。クローバーの中に腰を下ろし、不思議そうにこちらを見上げる少女。
透き通った肌に腰まで伸ばした金髪。
そして…何より特徴的な真紅と蒼の瞳に目を奪われる。 そのオッドアイの瞳は少年を無感動に見上げていた。
同年代の少女にしては無邪気さの欠片も無い、疲れて物憂いを帯びた顔だった。一緒にままごとに付き合った同年代の女友達でさえ、こんな大人びた演技はしなかった。
そんな大人びた表情に反し、服装はその年代の少女にとってごく一般的な水色のエプロンドレス。白地のエプロンは葉の汁を幾らか吸って緑色の擦れ跡がついていた。
それにしても不思議な…綺麗な少女だった。 …ふと、大人達や子供たちが口にする不吉な「言い伝え」を思い出しかけたが、生憎と自分はそういった迷信を信じなかった。
同年代の少女達ともしばしば仲良く遊んだが、彼女達とはどこか違った雰囲気があった。だが、それを言葉にするだけの語彙力…言葉のパレットを、少年は持ち合わせていなかった。
自分から少女に話しかけるのは、なんだか気後れした。男友達に囃されるのを気にして周囲を見回し、誰の目も無い事を確認して、思い切って口を開いた。
「あの…四葉のクローバー持ってない? もし、あったら欲しいんだけど」
少女は少し逡巡した表情を見せたが、少年を見上げたまま静かに口を開いた。
「何に使うの?」
透き通るような声だった。 どうしてか、その声をもっと聴きたいと思ってしまって…素直に答えず、少し意地の悪い言葉が口をついて出た。
「言わなきゃダメ?」
「…」
少女は特に表情も変えず、おもむろに無言のままエプロンのポケットを探ると、一本のクローバーをつまみ上げ、少年に差し出してくれた。
「…ありがとう。 父さんが遠征中でさ。母さんにあげようと思って探してたんだけど、見つからなくて」
少女に対して申し訳ない事をした、と気まずく思いながらも、そのクローバーを受け取った。ポケットに突っ込んでいた聖書…普段は決して熱心に読まない聖書に挟んで保管した。
「あなたのお父さんも、早く帰ってくるといいね」
「ありがとう。 おれ、レイヴン。…変な名前だろ?」
「私はエレザ。…良いと思うよ、レイヴン」
エレザか、良い名前だな… そう喉に出かかったが、何故か気恥しくなって、レイヴンは言葉を飲み込んだ。
「レイって呼んでいいよ。 …エレザはここで何してるんだ?」
「花冠。 四葉も偶然見つけたから、取っておいたの。 もし、今日か明日帰ってきたら、お父さんにあげるんだ」
「…センソー、早く終わってほしいよな」
「うん…」
少女の隣に座り込み、春の穏やかな青空を見上げた。こんな気持ちのいい日に、どこかでは人と人が殺し合っている。…モンスターと殺し合うなら分かるけど、どうして人同士で殺し合いなんてするのだろう? 大人は、自分が思うよりも馬鹿なのだろうか?
何を話していたかは覚えていない。取り留めも無い会話を交わしていたと思う。
少女と居るのは心の慰めになった。
他の遊び友達とは、なんとなく会い辛かった。他の子は皆、兵役を終えた父親たちが家に帰っていて、彼ら彼女らは父親に遊んでもらっていたから、一緒に居るといたたまれない気持ちになったから。
父親が帰ってくるときは、エレザの父も一緒に帰ってきて欲しい…いや、一日だけエレザの方が早くても構わない。 そうしたらきっと、エレザを誘って他の遊び友達に彼女を紹介して、皆と一緒に遊ぼう。
それはきっと楽しいに違いない。
「…ねぇ、私が嫌じゃないの?」
三度目に遊んだ時、奇異な生物を見るように、エレザはレイを見た。
一緒に遊ぶと言っても、たった二人に出来る遊びなど殆ど無く、何をするでもなく隣り合って座り、レイヴンからその日あった事などを話しかける事が殆どだった。
「なんで?」
「この目だから」
「なんだ、そんな事か。おれ、メーシンとか信じないから」
「…クローバーは信じるのに?」
「ああ。母さん、喜んでたよ。 ありがとな。 それに、人の幸せを願うメーシンは良いメーシンなんだよ。俺がそう決めた」
「なにそれ」
エレザが悪戯っぽく笑った。
「それにその目、宝石みたいで綺麗だ。初めて見た」
「…ありがと。そんな風に言われたのも初めてだよ」
いつの間にかすっかり日が落ちていた。…時間の流れが惜しいと思えたのは、それぞれにとって久方ぶりの事だった。
「…そろそろ暗くなる。モンスターが出たらいけないから、帰ろうぜ」
「うん」
「送るよ。…父さんから特訓付けてもらったから俺、結構強いんだぜ? ワーウルフが出てもやっつけてやるから」
そんな見え透いた見栄を張ってしまう。 クッ、と少女が微かに噴いた。…こんな子供がどうやったって、屈強なワーウルフに敵う訳がない。
「あっ、笑いやがったな!?」
笑われても良かった。 エレザが少しでも元気を取り戻してくれれば。クローバーをくれたささやかなお礼だ。
「…笑ってないよ」
「いーや、笑った!」
変顔気味にあからさまな大股で迫ると、エレザが無表情を堪えきれずに笑いながら逃げ出した。殊更ムキになって追いかけた。
楽しかった。
二人で笑っている間は、嫌な事を忘れられた。 家に帰ればきっとまた、母が暗い顔で塞ぎ込んでいるいるであろうことも。
春が過ぎた。
最初はせいぜい一週間おきに会う程度だったレイは、今ではほぼ毎日のように少女と出会ったあの林に出向いた。古くからの友人たちに誘われるのは嬉しかったが、程々にきり良く遊ぶと「用事があるから」と言って必ずあの林へと向かった。
そして一日の大半をエレザと共に過ごした。
彼女と居ると、その間だけでも不幸がどこかへ消えていった。
「また見つけたから、あげる」
エレザがまた四葉のクローバーをくれた。レイはそれをまた聖書に挟み、今度は自分の為に大事に仕舞っておいた。
「ありがとう」
夏が涼しさと共に終わって…ある日帰ると、一枚の紙きれを前に母が子供のように大泣きしていた。
それで、分かりたくない事が分かってしまった。
父さんがもう二度と帰ってこない事。
いつものように二人の遊び場に行くと、変わらずにエレザが居た。クローバーは無くなってしまったが、その代わりに暗く紅葉した落ち葉の上に腰を下ろし、自分を待っていてくれた。
エレザの隣に自分も腰を下ろした。雑木林に囲まれた草地。
彼女とこの場所だけが自分に残された変わらないものかと思うと、それがひどく愛おしい聖域のように思えた。 …でもいつか、こんな残されたものさえも奪われていくのでは無いか…
…そんな事を考えたからか、視界が潤み、ぼやけていく。
「本当に辛い時は、泣いたっていいんだよ」
大好きな声にそう言われ、我慢できなかった。
よりによって、決して見せまいと決めていた相手に。
母親同様、幼子のように泣きじゃくった。エレザは黙ってただ寄り添ってくれた。
「…俺が泣いた事、秘密にしてくれよ?」
「うん。誰にも言わないよ」
落ち葉が延々と二人に舞い落ちた。
「約束だぞ?」
「うん。約束。…でも、もしかしたら私も泣く事があるかもしれない。…その時はレイが私に寄り添ってね?…約束」
「…分かった。約束する」
…それから程なくして、エレザも泣いた。自分よりよっぽど静かだったが。
それでも約束通り、レイは同じように黙ってエレザに寄り添った。
寄り添う二人を慰めるように淡雪が舞い落ちてきた。
「俺、戦争なんて大ッ嫌いだ」
ある冬の日。二人はいつもの場所で雪洞を作り、その中で寄り添っていた。
レイが自宅からくすねてきた尽きかけの蝋燭の火。 頼りない灯りの中でエレザの金色の髪が反射して雪洞内を淡く照らす。
滅多に強い言葉を口にしないレイを見つめ、エレザは困惑したように首を傾げた。
「…でも俺、馬鹿だし特別な力も無いし、金も無いから…そのうち軍に入らなきゃいけなくなる。…だから俺、滅茶苦茶強くなって、誰も殺さない最強の剣士になってやる」
「…そんな無茶なこと、できるの?」
世界がそんなに優しくない事はエレザにも分かっていた。
もし、世界がそんなに優しいのならばあの時…大好きだった父を私達の元に帰してくれたはずだ。
そして、自分だって…
「できる。いや…やる!」
レイの瞳は今までにない決意に満ちていた。 勢いそのままにエレザをキッと見つめてきて、エレザは僅かにたじろいだ。
「…それで、俺が最強の剣士になったら…エレザを迎えに来る」
「え…」
「そしたら俺のお嫁さんになってくれ、エレザ」
レイの真剣で一途な眼差しが向けられた。
…そんな絵本の王子様とお姫様みたいに上手く行くはずない…そう笑い飛ばす事は出来なかった。
それに、自分の心をどう見渡してみても、その申し出を断る理由が見当たらなかったから。
何より…断るには、少年の眼差しがあまりに眩しくて真剣だったから。
そしてそれは、この世界で恐らく最も孤独であろう自分に差し込んだ一筋の光のように思えた。
「初めて会った時…あのクローバーをくれた時から好きだった」
蝋燭の火が燃え尽き、降りしきる雪が雪洞以外の世界を掻き消した。
…答えはもう決まっていた。




