光を奪われて
「おーい、レイ。いつまでそんな怖い顔してんだよ? いい加減、お前も目ぇ覚まして切り替えろよ」
対席で頬杖をつくアレスタが呆れ顔で自分の顔を覗き込んでいる。アレスタは何杯目かの蒸留酒を呷った。
今日も酒場は賑わっていた。 どの顔も笑ってはいるが、心からの笑いでは無い。ごまかしの笑いだった。 ヤケ酒だ。
暗い時代、或いは退廃を前にした世界では酒や快楽物質が良く売れる…と政治経済の講義で講師が持論を展開していたのを思い出した。
「まさかお前も、幾ら幼馴染だからって一騎士如きが聖女サマとどうにかなれるなんて本気で思ってた訳じゃないだろ? ガキの将来結婚のお約束じゃあるまいし」
「…終わった事だ。 それにお前には関係ない」
「それにしちゃー、終わった…って顔もしてないね。 俺はお前さんが変な方向に拗れないか、それだけを心配してるのだよ、レイくん。 ホラ、俺って面倒見がよくて優しいだろ?」
「おい…そう絡むなアレスタ。 …俺も、あのお優しいエレザ様の護衛の任は本当に光栄だった。それはこの先も変わらないだろう。…今はそれが叶わず、あの分け隔てのない、慈愛に満ちた笑顔が見られないのが心から無念でならない。 レイの痛みも幾らかは分かるつもりだ」
今にも泣きだしそうな沈鬱な顔でヴォルトが割って入る。
「そう? でもエレザちゃん、お前の事涙脆くて暑苦しくて鬱陶しいっていつも言ってたぜ?「アイツチョーキモいんですケド!」ってな」
「なッ、何とッ…そ、そんなバカな…!?」
「…こんな安っぽい嘘に騙される程度の信頼と無念だったんだな、お前さん?」
「アレスタ…き、貴様、謀ったな…!? 戦友とはいえ今日という今日は赦せーん! 表に出ろッ!このヴォルト・レドーガが…」
わなわなと身を震わせながらヴォルトがアレスタに詰め寄るが、アレスタは器用に椅子ごとレイの方へと移動してヴォルトから距離を取り、「しっしっ」と手を払う。
「やなこったね、暑苦しい。俺は野郎とは得物アリでしかやらないって決めてんの。触るのも触られるのも御免被るね」
「ぐぬぬ…貴様ぁ…それでも騎士か!?」
「こんな下らない喧嘩するのが騎士か?」
「けどよ、アイツが連れ去られてから最近、俺らを見る町人の目が何かウジウジしてて鬱陶しく感じるぜ。…言いたいことがあるんだろうが、何かムカつく」
「そりゃそうさ。税で飯を食わせてやってる兵隊どもが、我ら愛しの聖女サマを敵国にまんまと連れ去られちまったんだから。 「無能、無駄飯喰らい」の一言くらい言いたくもなるだろうね」
いかにも他人事だと言わんばかりに愉しげに笑うアレスタ。
「…フォルタス将軍は自ら退任を望まれたそうだな」
落ち着きを取り戻したヴォルトが気の毒そうに呟いた。
「後任が見つかるまでは流石に許可されないけどな。 こういう時、上に立ってる人は大変だね~。勝てば名将、負ければ敗軍の将。 あぁ、俺らも晴れて近々辺境の部隊にそれぞれ散り散りに配属されるだろうね。聖女サマが不在になって、主命も無効になったからな。寂しくなるよ、ホント」
どこが寂しいのか、お代わりの蒸留酒を再び一気に煽り、満足げに溜息を吐くアレスタ。
…あの聖奪戦以来、唯一変わらないモノがコイツだ。
どういう神経と価値観をしているか知らないが、この飄々と…というより、たちの悪いつむじ風のような掴み所の無さと主体性の無さ…それでいて他者をおちょくるような鬱陶しさは、正直にある種の尊敬すら覚える。
「ホレ、お前さんたちももっと飲み食いしないと、払い敗けしちまうぜ?いやー、やっぱ持つべきは割り勘のできる友だな、うん」
「…悪い。俺はそろそろ帰る」
レイは蒸留酒を飲み干し、多めの代金をテーブルに残して席を立った。
「お、おい、レイ…」
ヴォルトが引き留めかけた。
「まーた剣の特訓かい? 精が出るねぇ」
アレスタの冷やかしには答えず、そのまま酒場を出て夜のヴィントランド王都を歩いた。
ほんの数週間前を国を挙げた晴れやかな結婚式とするなら、今は葬儀の最中だ。
空は晴れ渡っているのに、世界が灰色のモノトーンに見える日々。 人々もいつも通りに日々の営みを回そうとしているようだが、どこか身が入っていないように見える。
…人々の心の拠り所であった聖女が居なくなったから。
…それでも、人々はいつか聖女を失った事も乗り越え、またいつも通りの日々を取り戻して行くのだろうか? …そんな日々が俺にも来るのか? …だとしたら、それは何と無価値な日々だろうか。
案外、最初から持たない者で居る方が幸せなのかもしれない、とレイヴンは思い始めていた。
一度与えられて、その尊さを知ってから奪われるのと、最初から無縁のまま交わる事無く過ごし続けるのとでは、結果が同じでも痛みは全く違う。
聖女が現れなければこの国も今まで通り、平凡な他だの一国であり続けた筈だ。
自分とて…偶然あの森で彼女に出会わなければ、こんな喪失感を味わう事も無ければ、彼女で無ければダメだ、などと固執する事も無かった筈だ。 きっと今頃は、平凡な兵として生きていたか…自分に見合った女性と共に慎ましやかな生活をしていたか…或いはどこかで死んでいたかもしれない。
そうだ。エレザに出会って、互いの父親の戦死を経験し合って…それで俺は、誰も殺さない最強の剣士になってやろうと決意し、それなりの実力を手にしたつもりだった。
…結局、エレザを守る事は出来なかったが。
制服の胸ポケットから小さな聖書を取り出した。 福音の章を開くと、そこには幼き日にエレザが自分にくれた四葉のクローバーが押し花となって残っていた。
…これだけは軍学校時代も離さず持っていた。 現状、唯一彼女と自分を繋ぐ品だった。
君は聖女であるべきだ、相応しいなどと言っておきながら、またも後悔している。あの言葉に嘘偽りは無いが、聖女であるが故にこんな風に社会によって引き離され、強大国によって翻弄され、自分達の自由な意思決定すらままならない。
…それでも。
そう簡単に…いや、絶対に諦められない。…エレザを取り戻せる可能性がある限り、自分にできる事を何でもやってやる。
その為なら、学校で習った騎士道精神に反する戦い方をしても…どんな卑怯未練な手段を使うことも厭わない。
夜風に当たりながら、遥か彼方…エレザが連れ去られた地平を睨み、決意を新たにした。




