蹂躙
「聖奪戦を一週間後に控えた。 我らヴィントランド王国軍はエールゲート王国軍を全力で迎え撃ち、断固として聖奪を阻止する。 …どの戦にも言える事だが、この戦いだけは絶対に失敗が許されん。心してかかれ」
フォルタス将軍は城の大ホールに集めた全軍の主要幹部を前に、厳めしい顔を向けた。 その末席に聖女の主命によって警護任務につくレイヴンも立っていた。
…だが警護任務は軍から正式に下された命ではなく、軍事に関しては素人であるエレザによる要望…という、微妙な立場であった。
「基本防衛配置は事前に通達した通り、最大の敵圧力が予想される正門を金獅子騎士団が防御。左右を猛牛騎士団、黒豹騎士団が固める。 そして城の周囲は…」
各騎士団の配置が読み上げられる。 レイヴンらの配置は特に通達されていなかった。そのため、当然聖女の警護に当たるものだと考えた。
そうであればレイ自身はアレスタと共に上記の最精鋭騎士団らと共に正門側の警備につき、防備が比較的薄い城の北側にヴォルトとレドを配置するつもりだった。
「レイヴン一等騎士及びその部下は当日、赤狼騎士団と共に北側外郭の防衛にあたれ」
耳を疑った。 一瞬の間を置いて、乾いた唇を動かした。
「ハッ。 …恐れながら、聖女様の警護は…?」
「心配は要らぬ。 我ら聖竜騎士団が城内、及び聖女様の身辺警護を請け負う」
こう言われては一軍人として返す言葉も無かった。
「…はっ」
平静を装い、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「…当日はエレザの警護から外される事になってしまった。 …すまない」
沈痛な面持ちで謝るレイを前に、エレザは引きつった顔のまま言葉を失いかけた。
「レイが謝る事じゃないよ。 …でも大丈夫、だよね?」
「聖竜騎士団は最精鋭だ。 他の騎士団も強い。 きっと守り切ってくれる」
レイは自身に言い聞かせるような、どこか頼りない語気だった。
とはいえ、軍で決まってしまった事を自分達がどうにかすることはできない。
二人は昔のように執務室で寄り添って座り、互いの不安を紛らわした。
一抹以上の不安を抱えたまま、聖奪戦当日を迎えた。
エレザは城のバルコニーから、朝霧の合間から城を取り囲むように並ぶ相手兵団の威容を見渡した。
強そう…
貧しい語彙ではあるが、軍事に素人である自分にはそうとしか言い表せない。 ただ、敵兵団から漂ってくる旺盛な士気と洗練された騎士達の動き、騎兵の操馬技術…そうしたものをエレザなりにひしひしと肌感覚で感じた上での、最大限の表現だった。
そしてそれは、素朴ながら正確な評だった。
「聖女一人の為にこんな大袈裟な事をされても困るんだけど…」
「元は時の権力者…力のあった侯爵が言い出して始まった事でして。その侯爵はキレ者で、教会や他の野心を持つ諸侯と結託してこの制度を作り上げたのです」
思わずこぼした独り言を聞かれ、エレザは慌てて振り返った。
…いつも傍に立ってくれていたレイ達の姿は無く、温厚な笑みを浮かべた無骨な大男の将軍…フォルタスが深々と頭を下げた。これまた慌てて辞儀を返す。
「お久しぶりでございます、聖女様。 薬の試飲会以来ですな」
「お、お久しぶりです、フォルタス将軍。 …でも、どうか敵も味方も怪我人をなるべく出さないよう願うばかりです」
「御心労をお掛けすること、軍人として心苦しい限りです。 しかし、聖女様を奪われるような事があれば陛下は勿論、我が王国や近隣の民は皆落胆します。我が軍への信頼も地に落ちる事でしょう。 …こればかりは血を流さぬ戦いとはいえ命をも賭し、軍人の意地を持って応じなければなりません。 …なに、一日も経たずに決着はつきます。どうかそれまで御辛抱を」
「はい。 …あの、レイ…レイヴン一等騎士らグリフォンズはどこに?」
「ご心配なく。 防備が薄い城の背面、外郭陣地を守っております。彼らは《《腕利き》》との事ですから」
「…ありがとうございます。 ご武運を」
「はっ。 それでは失礼致します」
敵陣から軽快なラッパの音が戦場に響き渡った。 こちらからも応じるように勇壮なラッパが吹き鳴らされる。
敵軍から喚声が上がり、フルプレートアーマーに頑強な盾を装備した装甲歩兵が城を目指して殺到してくる。
塀の上に陣取った味方が投石で阻止を試みるが、装甲歩兵を止めるには至らなかった。装甲歩兵が城門破砕槌や巨大な丸太の先端に鉄の覆いを被せた杭を数人掛かりで持ち上げて城門に打ち付ける。 木が軋み、金具がひしゃげる悲鳴が城の上階まで聞こえてきた。
「金獅子騎士団、交戦!黒豹騎士団も加勢しました!」
「猛牛騎士団、正門前へ移動中!」
将軍の元に次々と届けられる情報を聞きながら、エレザは不安そうに眼下で喚声を上げながら鉄剣を叩きつけ合う敵味方を見下ろした。
(せめて…どうか誰も死なないで)
怪我なら自分の力で癒す事ができる。
(…レイ…)
「正門の方で戦闘が始まったみたいだねぇ。 まぁ、こっちも同じくらい忙しいけど」
北側は塀の老朽化による修繕作業が未完のままだった。自分達が突破されれば城内に更なる敵が侵入することになる。
赤狼騎士団も必死に防戦しているが…エールゲート軍の練度と士気は尋常では無かった。
(防衛側がこうも圧倒される事など、あり得るのか…? フォルタス将軍の配置は的確だというのに…)
「それにしてもやけに強いねぇ、敵さん。 ここと正門以外はどうも旗色が悪そうだ」
迫って来た敵兵をいなして、レッグアーマーの関節部を狙って鉄剣を軽く薙ぐアレスタ。 敵兵が悲鳴を上げ、地面を這いつくばった。
「…どうしてそんなに他人事で居られるんだ?」
二人の兵を同時に叩きのめし、背後から迫った装甲歩兵の足を払って転倒させ、腕を固めて降伏させてから、レイは怒気と焦燥を抑えながら問い返した。 …旗色が悪い、どころでは無かった。 目に見える友軍は全線に渡って押されている。
「そりゃ他人事だからねぇ。 こりゃダメだ。勝ち負けは見えてるよ。 …残念だけど、エレザちゃんの事は諦めるんだな」
(…ッ)
「ば、馬鹿者! 滅多な事を言うな! エレザ様が奪われる事などあってたまるかッ!」
ヴォルトがスキンヘッドを汗に光らせながら丸太をアレスタに向けて突き付けた。アレスタは涼しい顔で肩を竦める。
「でも実際ヤバいぜ。味方の旗が見えなくなってきてやがる。 クソ、銃が使えたらな…!」
レドが石礫を味方に向かう敵兵に向けて投げつける。見事に兜に当たった敵兵はよろけ、その隙に味方が敵兵を滅多打ちにする。
「城内に侵入されたぞ! 四竜騎士団が来るッ!」
城内から悲鳴じみた声が上がった。 城を見上げ、レイは歯噛みした。
「そんじゃレイ、お前達が行けばいいじゃん」
「何…?」
「俺は残るからさ。そうすりゃとりあえず任務を放棄した事にはならないだろ。戦力の25パーセントを残して救援に向かう、ってコトで」
「アレスタ、お前…」
「まぁ、無駄だと思うけど。 …俺は適当にやってるからさ」
「…すまん。恩に着る。 …だが、くれぐれも気を付けろよ?」
「《《前みたいなことをしでかさないように》》?」
アレスタは皮肉るように返した。 レイ、ヴォルト、レドは気まずそうに目を逸らす。
「…なんてな。心配ご無用。 アレは俺の仕業じゃないんだから。 けど、これだけクソ強い連中を相手にするなら、確かにそれくらいの力が欲しくもなるけどね。 …敵さん、幾らなんでも圧倒的すぎると思わない?」
「…ああ。確かに。 だから無理はするな、アレスタ。 行くぞヴォルト、レド!」
アレスタを残し、レイは王城へと向けて走った。
「…やれやれ、恋して目が盲目になるのは乙女だけじゃないってコトか」
目前に無数の敵兵が押し寄せる。
「既に勝敗は決したようなものだ。 大人しく投降せよ!」
装甲歩兵が鉄剣を向けて言い放つ。 隣の陣地の赤狼騎士団は…ほぼ壊滅。確かに勝敗は決している。 …自分の予言通り、レイ達の行動も無駄になるだろう。
「ああ、俺はやる気ないから通りたい人はどーぞどーぞ。 投降はしないよ。 俺は極度の男嫌いでね。 見ず知らずの野郎に触られるなんて考えただけで鳥肌モノだよ」
「何をふざけた事を…」
およそ騎士らしくないアレスタの飄々とした態度に呆れながらも装甲歩兵が武器を取り上げようと近づく。
「あー、聞いてなかった? …俺に近づかない方が良いよ?」
微かな風音がして、構わずに手を伸ばした装甲歩兵の腕が、重厚なガントレットごと飛ぶ。
「えっ? …てッ…ぐあぁあアアッ!?」
周囲の敵兵が殺気立って鉄剣を構える。
「こ、コイツ真剣をッ!? 聖奪戦違反だぞ!?」
「あーあ、だから言ったのに。 いや、見てよコレ。種も仕掛けも無い、正真正銘の訓練用鉄剣だから」
頭を掻きながら鉄剣を敵中に放り込み、足元に落ちていた他人の鉄剣をおもむろに足先で蹴り上げて拾い上げるアレスタ。
「…嘘だろ…こんなもので装甲歩兵のガントレットごと…どんな奇術を使った…!?」
「さぁ? やる気ゼロの俺、実は剣聖でした…とか? なんちゃって。 奇術と言えば、そちらさんこそやけに強いじゃん。何か《《や》》ってんの?」
「…」
「ふーん。 ま、奇術は飯の種だからね。お互い種明かしはナシってことで。 引き続き、通りたい人はどうぞ。体重を軽くしたい人は俺の方へどーぞ。歓迎はしないけどね」
殺気を感じさせない、無気力で鷹揚な態度を一貫させる一人の騎士を前に、侵攻部隊は身動きを封じられたように動けなくなってしまった。
それでも、事情を知らない他の敵部隊は続々と城へと向かって行く。 アレスタはそれを横目で見ながら自嘲気味に笑った。
「…まっ、何事も諦めが肝心だぜ、レイ。 …俺を見習うんだな」
圧倒的だった。 精鋭である金獅子騎士団、黒豹騎士団、白銀騎士団は敵主力を城外に圧し出そうと圧力をかけたが、三軍団による戦線は城門へ集約する筈が、城門を中心に徐々に広がっていき、敵による浸透を許していた。
「お、押し返せ!なんとしても城内には一兵たりとも入れるな!」
バルコニーに飛び出したフォルタス将軍が顔面蒼白になりながらも唾を飛ばして兵に檄を飛ばす。 しかし大洪水を前にしたように味方は為すすべなく押しやられ、とうとう城内に侵入する兵も現れ始めた。
「敵は崩れた! 押せッ! 蹂躙突破せよ!」
純白のコートを纏った全身鎧の騎士…敵将軍が全軍に号令を掛けながら進み出てきた。その背後から煌びやかな装飾を施された、見るからに最精鋭部隊と分かる騎士団が突進してくる。
「四竜騎士団だァッ!」
「え、援軍が来るまで持ちこたえろ! 粘れ!」
四竜騎士団の強さは圧倒的だった。 …オーバーキル。 そんな言葉が思い浮かんだ。
味方は息切れし、這いつくばりながら剣を構えているようなものだった。そこへ満を持して投入された四竜騎士団が蹂躙していく。
鉄槍の一振りで三人の兵を吹き飛ばし、剣を打ち合えば味方の兵は打たれずともその剛剣に腕を痺れさせ、その怯んだ所へ追い打ちの一撃を叩き込まれて地に伏せる。
無力な子供を筋骨隆々の大人が数人ごと抱え込んで蹴散らすような、一方的な暴力。 …これが通常の戦場だったなら、凄惨な虐殺現場となっていただろう事はエレザにとっても想像に難しくなかった。
――敗ける…
有り得てはならない結末が厳然と迫ってくる。
「もはや勝敗は決したも同然! 我に続け!」
「オオオオォッ!!」
純白のコートを靡かせた将軍が剣を抜き払い、城の入り口へと駆け込んでくる。抵抗する兵は例外なく打ち据えられ、誰一人としてその勢いを止める事はできなかった。
広間の中を警護する聖竜騎士団の兵は平静を保っていたが、その顔には冷や汗と緊張がありありと見て取れた。
敵が、自分を連れさらおうと雪崩れ込んでくる。
(レイ…!)
バルコニーから戦場を見渡すが、視界の中に見えるのは敵軍の旗と兵ばかりだった。
城門は完全に破壊され、殆どの味方が無力化されるか武装解除され、意気消沈して広場に座り込んでいた。圧倒的多数の敵に圧され、取り囲まれながら微かに抵抗を続ける騎士達も風前の灯に過ぎなかった。
「クソッ…これではもう…」
城内から鉄剣を打ち合う音と悲鳴、怒声が喧しく響いてくる。
「何だ、貴様らは!? えぇい、無駄な事を。ここは通さんぞ! 貴様らごときで四竜騎士団に敵うと思うな!」
数百人の騎士が城の出入り口を封鎖していた。
「おいレイ、エレザの奴を助けてーんだろ? …雑魚共は俺とヴォルトで何とかしてやるから、先に行けよ」
「そうだ!このヴォルト・レドーガ、戦友としてお前の道を支えるぞッ!」
「レド、ヴォルト…」
それぞれの武器を構えた二人が数百人の騎士を前に身構える。
「すまない…!」
「さぁ行け、戦友よ!」
ヴォルトが膝をついて肩を示す。
迷わず駆け、その肩に飛び乗って足場とした。 ヴォルトが呼吸を合わせて立ち上がり、レイヴンは敵軍団の頭上を跳んだ。
「なっ…!?」
すんなりと着地したレイは既に城内へと掻き消えていた。
「…フン。 だが、無駄な事だ。一人援軍が来たところでどうなりもしない。お前達も武器を置け! 特にそこのチビ。お前など一撃で死んでしまうぞ。 いや、吹き飛ばされて海にまで飛んで行くかもな」
敵兵から哄笑が上がった。
「…あ? …ンだと、クソノッポの木偶の坊共が…!?」
レドの鉄剣がチリ、と音を鳴らした。
「おいお前達、コイツに背の話はやめろ!」
ヴォルトが慌てて叫ぶ。
「うるせぇッ、ヴォルト! 背なんか気にしてねーんだよッ!!」
「なんだこいつらは…? まぁいい、命知らずなチビめ、死んでも後悔…」
鉄剣が一閃し、兵のプレート腹部がべコリと凹んだ。
嘔吐しながら崩れ落ちる兵。 笑っていた兵達が絶句して仲間を見下ろす。
「てめぇ…ぐあ…ぁああッ!」
もう一人も腕の関節部を打たれ、骨折した手を力なくぶら下げながら悲鳴を上げる。レドがその通り名に違わず、小型犬のようにすばしっこく敵中を駆け回りながら自分を笑った敵兵を次々と凶悪な太刀筋で打ち据えていく。
まさに殺人チワワ。
「てめーら皆殺しだ、コラぁッ!」
「待てぇレド! 殺しはいかーんッ!」
ヴォルトも丸太で複数の敵兵を叩きのめしながら声を上げた。
二階ホールは激戦となっていた。警備の聖竜騎士団が押しまくられ、今にも上階への階段に敵が殺到しようとしていた。
「まずい…!」
見れば四竜騎士団各隊の精鋭ばかりだ。聖竜騎士団はよく持ちこたえているが…相手が悪すぎた。
(エールゲート軍に四竜騎士団…ここまでとは…!)
ここから敵を押し返せる未来は…全く見えなかった。外の味方もほぼ全滅し、城内はこの有様だ。 …残存戦力数は贔屓目に見ても…せいぜい味方1に対して敵…20以上。
聖奪戦は敵の勝利に終わる。 …それはもう覆し様の無い未来だった。
(エレザ…!)
こんな強大国に奪われてしまえば、もう誰も取り戻せなくなるだろう。…そうなるくらいなら…彼女を連れて城から逃げ出す。
国家を巻き込んだ聖奪戦の重大な規約違反。個人の重罪だ。
(…俺は死刑になるが…)
死が二人を分かつその時までは二人で居られる。
…そうするにも、まずはこのホールを切り抜けなければならない。
「…どけぇッ!!」
鉄剣を薙ぐ。 アーマーを砕かれた四竜騎士団の兵が泡を吐きながら倒れる。
「な、なんだコイツはッ…!?」
「気を付けろッ、とんでもない奴が一人いるぞ!」
「落ち着け、囲んで叩き潰せ!」
敵が口々に叫ぶ言葉をろくに理解する暇もない。
レイは自身の勘の赴くままに最速の剣を振るった。 敵の攻撃は当たらず、一人、また一人、更に二人、と敵を次々倒していく。
一騎当千。獅子奮迅の凄まじい剣捌き。 ホールの中が、たった一人の剣士によって…限定的に戦況が覆されつつあった。そうして無数の敵を薙ぎ払って進む先に階段が見えてきた。
(エレザ…今いく…ッ!?)
他と異なる気配を察して振り向いた時には既に遅かった。
純白のコートを靡かせて迫る白銀の騎士。その手に握ったサーベル状の鉄剣が一閃し、レイの首を打った。
「グッ…!!」
息が詰まりかける。
最精鋭部隊しか居ないこのホールで、よろめいた自分の一瞬の隙を逃してくれる敵は居なかった。
即座に取り囲まれ、次々に鉄剣が叩き下ろされ、自分を打ち据える。鉄の塊が豪雨のように自分に降り注ぐ。 抵抗など許されず、徹底的に叩きのめされた。
「…よし、これ以上は死んでしまう。 武器を取り上げて拘束しろ」
その声をボンヤリと聞きながら朦朧とした意識の中で、ただ一つの目的の為だけに体は動く。
――何を、するんだったか…
そうだ、階段を上って…
エレザを…迎えに…
「こ、コイツ、まだ立ちやがった…!」
「油断するな!コイツは只者じゃない!」
あの白銀の騎士が前に立ち塞がる。
「もう止めろ。 本当に死ぬぞ。 聖女様の前で血を流す訳にはいかん」
「…邪魔だ…どけ…」
レイは瀕死の体で鉄剣を身構え、白銀の騎士に突進した。
敵襲を知らせる声が廊下に響き渡り、エレザは逃げ場も無いのに部屋の隅へと下がった。 金属の鋭い音と悲鳴が廊下から響き渡り、やがて広間の中に敵兵が雪崩れ込んで、護衛の騎士と最後の攻防を繰り広げた。
「な、何としても持ちこたえろッ!」
フォルタス自身も鉄剣を抜き、侵入してきた兵の一人を打ち据えた。
室内の味方が次々と倒されていく中、優雅に歩いて室内に入ってくる純白の騎士の姿があった。
「潔く剣をお引き下さい、フォルタス殿。 最早勝敗は決しております。これ以上は無益」
騎士はドラゴンを模したフェイスガードの奥から涼やかな声で宣言した。
「クッ…!」
フォルタスは逡巡したが、室内を見回し…それから沈痛な目でエレザを見た。
「…申し訳ございません、聖女様…私は…我が軍は敗北しました」
鉄剣が床に転がり、虚しく音を立てた。
「う、嘘…」
純白の騎士が部屋の隅で小動物のように震えるエレザに体を向け、ゆっくりとその前に進み出た。
「…お迎えに上がりました、聖女様。 エールゲート王国第一王子、リカルド・フォン・エールゲートです。 聖奪戦の誓約に基づき我が王国へとお越し頂きます。 …どうぞこちらへ」
頭が真っ白になる。 …負けた? …このままレイと離れ離れに?
必死に抵抗する手段を考えた。 …そんなものが無いと分かっていても。
「…あ、あの、私この国がとても好きで…離れたくないのですが…これは神託…かも…」
足元に跪いたままの騎士は首を振った。
「…聖女様の御心に添えない事、大変心苦しくは思いますが、これも聖女様にまつわる由緒ある伝統であり決まりなのです。 …どうかお手を」
騎士が手を差し上げる。
もう逃げられない… 頭は真っ白のまま、震える手でその手に触れた。
「出立の前に双方の負傷者を診て頂けますか。 …特段、危険な状態の者がヴィントランド側に一人、腕を切られた者がこちらに一人おりまして」
何故か、すぐにレイだと直感した。
「い、急いで案内を!」
ホールへの階段まで駆けつけて、思わず悲鳴を上げた。
階段下にレイが倒れていた。 瀕死の負傷者であるにも関わらず、両手両足にはし
っかりと拘束が施されていた。
「レイ!? レイッ!」
転びかけながら駆けつけ、その体を揺すって名を呼びかける。 意識は無い。すぐに手をかざし、癒しの力で救命に取り掛かった。
「…なんて…酷い事をッ!!」
振り返って白銀の騎士を睨みつける。
「…申し訳ございません。どれだけ打ち据え、降伏を促しても狂戦士の如く立ち上がり続け、剣を振るい続けたので」
「ッ…あなたがッ…!」
――生まれて初めて、殺意を覚えた。
いじめっ子たちや自分を襲おうとした暴漢、自分を陥れ、無関係な人々さえも巻き込もうとしたグレイスにさえも辛うじて湧かなかった、許し難い激しい憎悪の感情。
エレザの殺気を感じ取ったか、騎士はますます恐縮し、その兜に手を掛け、ヘルムを脱いだ。
「…え?」
兜の下に思わぬ顔を前に、全ての思考が途切れた。
見知った顔だった。 …この世界ではなく、もう一つの世界…自分の元居た世界で。
「エレ…ザ…」
手元から聞えた声に再び思考が戻り、レイを見た。
「レ、レイ! 良かった… もう大丈夫だから…! 大丈夫だからね…!」
「お…俺は…」
レイは力なく体を動かし…手枷をはめられた自身の手を見た。
「…君を…守れなかった…」
「…大丈夫…大丈夫だから…生きていれば、きっとまた会えるから…」
…例えそれが願った形でないとしても…
周囲の目もかまわず、レイの体に縋りついて嗚咽を堪えた。
自分を言い聞かせるように大丈夫、繰り返しながら…
レイと離され、エレザは用意された王族専用の馬車に向かってゆっくりと歩いた。
エールゲートの兵らに監視されながらエレザを見送りに立つ兵達の顔は、誰もが無力感に打ちひしがれ、その眼には絶望が浮かんでいた。
…その中にこの世界でレイ以外に唯一、友と呼べる存在を見つけ、エレザは足を止めて彼らの前で無理に笑顔を作ってみせた。
「…皆、短い間だったけど今までありがとう。 元気でね」
「え、エレザ様ぁ… 面目ないッ!自分に…自分にもっと力があればこんな事には…このヴォルト、己が不甲斐ない!! ウォオオオッ!!」
「あぁ…泣かないで、ヴォルトさん。ほら、これで…」
「ウォオオオ、なんとお優しい…! なのに自分はこの慈悲に報いる事が… オオオオゥオゥオゥ!」
ハンカチを渡してから、逆効果だった事に気付いて後悔する。
男泣きを始めたヴォルトからスッと離れ、レドが不機嫌に見上げて来る。
「暑苦しい奴…どーせ俺達の事なんかすぐ忘れるっての。 …これからまた大忙しなんだもんな、お前」
「忘れたりなんかしないよ。 そうだ、手紙なら書ける筈だから、手紙を書くよ。…クッキーとかサンドイッチとかのレシピも」
「…フン。 …それもいいけど、レイの奴に書いてやった方がいい」
「…うん。そうする。 ありがとうね、レド君」
「チッ……じゃーな…」
他の二人や兵達に比べて悲壮感の欠片も無い、腕を組んでニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべる長身の騎士。
「いやぁ、寂しくなるね。 でもまぁ、結果的には良かったんじゃない? 一番の悩み事は強制的に解決された訳だし」
「…さて、何のことでしょうか?」
「とぼけちゃって。 …まぁ、レイの奴は…これを乗り越えて前を向いて生きていけるよう祈ってあげるのが君の仕事か」
「はい。 …勲章の事、レイから聞きました。 私は何も知らないけど、アレスタさんと一緒に過ごしてあなたを良い人だと思っていますし、何か理由があったんだと信じてます。 …お世話になりました」
アレスタの軽薄な笑みが消え、自嘲するような…どこか儚い笑みに変わった。
「…別に君が何を信じようが俺には関係ないし、君の自由さ。 こっちこそ、色々楽しかったよ。もう会う事は無いだろうけど、末永くお幸せに」
三人と別れ、馬車に乗り込む。
窓から城を見た。 …出入り口に見慣れた黒い影が立つ。
友軍の兵に支えられて立つレイの姿があった。
…あれほど打ちのめされたにも拘らず、その眼に絶望や無力感など無かった。
――何としても迎えに行く。
そう目で語ってくれた気がした。
馬車が走り出し、見慣れた全ての景色が流れ去っていく。エレザは馬車の中で一人、流れゆく景色を見上げた。




