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死んだことにした闇の女神、男子高校生として生きていたら勇者召喚で帰還した  作者: 胡麻味噌
1章

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5/7

戦場の勇者候補



土の匂いがした。


天野陽菜は、最初それが何なのかわからなかった。頬に触れているものが床ではない。手をついた指先に、細かい砂が入り込む。


「……律?」


返事はない。


陽菜は顔を上げた。黒板も机もない。窓も、蛍光灯も、昨日の係決めの文字も消えていた。


代わりに、知らない空があった。


「全員、動くな!」


榊原修の声が響いた。


陽菜はその声で、ようやく周りを見た。佐伯蓮司が咳き込みながら起き上がっている。桐生真琴は白石紬の肩に手を回し、何か声をかけていた。新海奏太は座り込んだまま、口を半開きにしている。


「何、ここ」


誰かが言った。


「学校じゃない」


別の誰かが答えた。


そんなことは見ればわかるのに、言わずにはいられなかった。


榊原は土の上に膝をついた生徒の腕を取り、立てる者を一か所に集めていく。


「怪我をしている者は手を上げろ。動けない者は声を出せ。桐生、人数を数えられるか」


「……はい」


桐生の声は震えていた。それでも返事をした。


「白石さん、立てる?」


「ごめ、足が」


「そのままでいい。無理しないで」


陽菜は立ち上がった。


足がふらつく。けれど、それどころではなかった。


「律は?」


佐伯が顔を上げた。


「影森?」


「律がいない」


陽菜の声は、自分でも驚くほど細かった。


佐伯が周囲を見回す。すぐに立ち上がり、近くの岩陰を覗き込んだ。


「影森! おい、どこだ!」


返事はない。


「ふざけんなよ、こんな時に隠れてんじゃねえぞ!」


それでも返事はなかった。


陽菜はもう一度名前を呼ぼうとして、喉が詰まった。さっきまで手を握っていた。たしかに握っていたのに、最後の感触だけが抜け落ちている。


「天野さん」


桐生が近づいてきた。


「今、数えてる。まだ、まだ決めつけない方が」


「でも、いない」


「……うん」


桐生はそれ以上言えなかった。


遠くで、金属がぶつかる音がした。


全員がそちらを向いた。


丘の向こう、少し低くなった場所で、人が戦っていた。鎧を着た兵士たちが、黒い群れを押し返そうとしている。叫び声が聞こえる。言葉はわからないのに、必死なのはわかった。


新海が小さく呟いた。


「異世界……?」


誰も反応しなかった。


新海はすぐに口を閉じた。昨日までなら、その言葉は冗談になった。ゲームの話にも、診断の続きにもできた。


今は違った。


「こんなの、知らない」


新海の声が掠れる。


「俺、こんなのがいいなんて言ってない」


黒い群れの一部が、こちらへ向きを変えた。


獣のように低く走るもの。人に似た形で、腕だけが長いもの。どれも土を蹴る音が軽すぎた。


「下がれ!」


榊原が生徒たちの前に出た。


佐伯も一歩前に出る。大河内隼人が隣に並んだ。二人とも何か武器を持っているわけではない。ただ、後ろに下がることができなかっただけだ。


「佐伯くん、大河内くん、戻って!」


桐生が叫ぶ。


大河内は歯を食いしばった。


「でも、何かしないと」


「何をするの!」


その言葉に、大河内の足が止まった。


誰も答えられなかった。


白石が小さく泣き出した。座ったまま、立ち上がろうとして、できない。


「ごめんなさい、足が、動かなくて」


「白石、いい。動くな」


榊原が振り返らずに言う。


「立てる者は、動けない者のそばにいろ。走るな。ばらけるな」


陽菜は白石の方へ行こうとして、足元に黒いものが揺れたのを見た。


久我玲央の周りだった。


本人も気づいたらしい。久我は自分の手を見た。指の影が、地面に落ちた影より濃くなっている。


「……何だよ、これ」


月村沙耶が息を呑んだ。


「それ、触って大丈夫なの?」


久我の顔が強張った。


「俺が知るわけないだろ」


「ごめん、そういう意味じゃ」


月村の声も震えていた。悪意ではなかった。けれど、その一言は確かに落ちた。


陽菜は二人の間に入るように一歩動いた。


「今は、それどころじゃない」


自分で言って、自分に言い聞かせる。


律を探したい。探さなきゃいけない。なのに、黒い群れはもう近い。兵士たちの怒鳴り声も近づいている。誰かがこちらを指して叫んでいるが、意味がわからない。


「来るぞ!」


佐伯が叫んだ。


最初の一体が跳んだ。


榊原が近くに落ちていた木片を拾い、振り上げる。間に合わない。


陽菜は息を吸った。


何を考えたのか、自分でもわからなかった。


ただ、もう誰にも近づいてほしくなかった。


「来ないで!」


声が出た瞬間、白い光が広がった。


陽菜の足元から、円を描くように光が走る。土の上に線が浮かび、クラスメイトたちを包んだ。跳びかかってきた黒いものが、その光にぶつかって弾かれる。


音がした。


硝子を叩いたような、硬い音だった。


「え」


陽菜は自分の手を見た。


何も持っていない。何もしていない。けれど、白い光はそこにあった。


黒いものがもう一度ぶつかってくる。光が揺れる。陽菜の膝から力が抜けた。


「天野!」


佐伯が振り返る。


陽菜は倒れなかった。倒れたら終わる気がした。


「私、何を」


声が続かなかった。


結界の外で、鎧の兵士がこちらを見ていた。血と泥で顔は汚れている。けれど、その目だけが大きく見開かれていた。


「聖魔法……」


その言葉は、陽菜にはわからなかった。


でも、周りの兵士たちがざわめいたことだけはわかった。


黒い群れが動きを止める。


一体、二体ではない。もっと奥にいたものまで、白い光に気づいたように向きを変える。


桐生が息を呑んだ。


「天野さん、これ、どれくらい」


「わからない」


陽菜は歯を食いしばる。


光はまだある。けれど、内側から何かが削られていく。胸の奥を掴まれているようで、息が浅くなる。


白石が泣きながら陽菜の袖を掴んだ。


「ごめん、ごめんね」


「謝らないで」


陽菜はそう言って、結界の向こうを見た。


黒い群れが、増えていた。


遠くで、また何かが吠える。


佐伯が小さく言った。


「影森……早く来いよ」


陽菜は答えなかった。


答えたら、立っていられなくなりそうだった。

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