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死んだことにした闇の女神、男子高校生として生きていたら勇者召喚で帰還した  作者: 胡麻味噌
1章

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4/7

勇者召喚、失敗



「影森、逃げるなよ」


朝の教室で、佐伯蓮司が言った。


影森律は鞄を机に置きながら、心外そうに振り返る。


「何もしてないのに疑われるの、そろそろ問題にした方がいいと思う」


「昨日、展示準備から逃げるルート確認してただろ」


「確認は大事だろ。災害時にも役立つ」


「係から逃げる災害って何?」


天野陽菜が隣で言う。律は一瞬だけ考えた。


「俺の精神が被災する」


「じゃあ復興しようね」


「陽菜さん、支援が厳しい」


黒板には、昨日決まった係の名前がまだ残っていた。展示準備の欄に、影森律、天野陽菜、佐伯蓮司、久我玲央。誰かが消し忘れたらしい。


律はそれを見て、ため息をついた。


「俺の自由、まだ固定されてる」


「消しても係は変わらないよ」


「黒板から消えたら、ワンチャン記憶も消えない?」


「消えない」


陽菜が即答したところで、久我玲央が教室に入ってきた。黒板の名前を見て、少しだけ足を止める。


律は手を上げた。


「おはよう、勝たない強キャラ」


「まだそれ言うのか」


「呼び名は定着が大事だからな」


「定着させるな」


久我はそう言って席に向かった。声は相変わらず低いが、昨日よりは返事が早い。


佐伯がにやにやしながら律を見る。


「お前、変なあだ名つけるの好きだよな」


「人聞きが悪い。これは交流だ」


「交流された側の顔見ろよ」


久我は席で教科書を出しながら、こちらを見ずに言った。


「聞こえてる」


「ほら、交流できてる」


「できてるかなあ」


陽菜が首を傾げた。


チャイムが鳴り、教室の声が少しずつ落ちていく。榊原修が入ってきて、いつものように出席簿を開いた。


「席につけ。今日の連絡は短い」


「先生の短いは信じていいやつですか?」


律が小声で言うと、榊原は出席簿から目を上げた。


「影森」


「はい」


「信じる前に黙れ」


教室に小さな笑いが起きた。榊原はそれ以上は拾わず、連絡を始める。


「放課後、展示準備の班は一度残れ。長くはかからん。必要なものを確認するだけだ」


律は静かに顔を伏せた。


陽菜が横から言う。


「逃げない」


「まだ何も言ってない」


「顔」


「俺の顔、情報漏洩しすぎじゃない?」


その時、照明が一度だけちらついた。


昨日と同じだった。


教室の何人かが天井を見る。新海奏太が少し嬉しそうに声を上げた。


「また? 学校、限界近くない?」


「新海、それ昨日俺が言いたかったやつ」


律が悔しそうに言う。


「早い者勝ち」


「成長するな、俺の領域で」


笑いが戻る。榊原も天井を見上げたが、すぐに出席簿へ視線を戻した。


「あとで事務室に伝えておく。騒ぐな」


「はーい」


誰かが気の抜けた返事をした。


陽菜だけが、床を見ていた。


「陽菜?」


律が呼ぶと、陽菜は少し遅れて顔を上げた。


「今、下も光らなかった?」


「床?」


「うん。気のせいかも」


律は自分の足元を見た。何もない。机の脚、鞄、誰かが落とした消しゴムのかけら。それだけだった。


「小テスト前に見る幻覚じゃない?」


「今日は小テストないよ」


「じゃあ俺のせいじゃないな」


「何でも自分に寄せなくていいよ」


陽菜はそう言ったが、まだ少しだけ気にしている顔だった。


その頃、ヴェルセリアの召喚神殿では、床の光が消えなくなっていた。


「押さえて!」


ミリアの声が飛ぶ。


魔法陣の外周にいた神官が杖を突き立てる。だが、光の線は杖を避けるように揺れ、閉じたはずの円がまた歪んだ。


若い神官が叫ぶ。


「座標、固定できません!」


「候補世界は?」


「複数。いえ、違います、引っかかっているのは一つです。ただ、対象が広すぎる」


ロディスは魔法陣の縁に立ったまま、目を細めた。


「広すぎる?」


「一人ではありません。群れ……いえ、集団です」


「勇者候補の集団か」


「判定できません!」


触媒の一つが割れた。破片が床を滑り、神官の足元で止まる。


ミリアが唇を噛む。


「接続を切りなさい」


ロディスが振り返る。


「何?」


「この揺れ方は危険です。呼ぶのではなく、落とします」


「それでも来るなら同じだ」


「同じではありません!」


ミリアの声が、広間に鋭く響いた。


「召喚先を守れません。到着地点も選べない。最悪、戦場に落ちます」


ロディスは答えなかった。


外では鐘が鳴っている。王都の鐘ではない。もっと遠く、防壁から伝わってくる警鐘だった。


若い神官が震えた声を出す。


「接続、強まります!」


現代の教室で、床に薄い円が浮かんだ。


最初に気づいたのは新海だった。


「……え」


声があまりに小さくて、誰もすぐには反応しなかった。次に、桐生真琴が椅子を引いた。


「何、これ」


机の脚の下を、白い線が走っている。チョークの線に似ていた。けれど、それは床の上に描かれているのではなく、床そのものが光っているように見えた。


新海が半笑いで言う。


「魔法陣、みたいな」


誰も笑わなかった。


光が強くなる。机が揺れ、窓ガラスが細かく震えた。白石紬が短く悲鳴を上げる。月村沙耶が立ち上がりかけ、椅子にぶつかった。


榊原が教卓を離れた。


「全員、机から離れろ。走るな、押すな!」


その声で、生徒たちが動き出した。だが、どこへ逃げればいいのか誰にもわからない。円は教室全体を囲んでいる。扉の前にも、窓際にも、同じ光が伸びていた。


律は陽菜の手首を掴んだ。


「陽菜、こっち」


「律、これ」


「わからん。わからんけど、床がやる気出してるのはまずい」


「ふざけてる場合じゃない」


「ふざけてないと、ちょっと無理」


陽菜が律を見た。


律は笑っていた。けれど、声が少しだけ遅れていた。


佐伯が近くの机を蹴ってどかす。


「先生、扉!」


「開けるな!」


榊原が叫んだ。


扉の隙間からも光が漏れていた。向こう側が廊下なのか、もう誰にもわからない。


久我が窓へ走りかけて、止まった。


「外が……」


窓の向こうは、白かった。


空も校庭も見えない。昼間のはずなのに、教室の外だけが塗りつぶされたように消えている。


新海の顔から血の気が引いた。


「いや、待って。こういうの、冗談で言ってただけで」


「新海、下がって!」


桐生が腕を引く。次の瞬間、床の光が跳ねた。


陽菜の手に力が入った。


「律」


「大丈夫」


律はそう言った。


言った直後、自分の指先が透けていることに気づいた。


「……は?」


陽菜の目が大きく開く。


「律、手」


律は自分の手を見た。輪郭が崩れている。光に溶けるのとは違う。紙を水に落とした時みたいに、端からほどけていた。


陽菜が両手で律の腕を掴む。


「やだ、待って。律、何これ」


「俺に聞かれても」


軽口で返そうとして、息が詰まった。


痛みはない。けれど、何かが奥から引っ張っている。教室の光とは別の、もっと深い場所へ。落ちるのではなく、戻されるような感覚だった。


律は陽菜の手を握り返した。


「陽菜、手、離すなよ」


「離さない!」


律は頷こうとした。


その動きすら、途中でずれた。


「悪い」


「何で謝るの」


「これ、ちょっと」


律は笑おうとした。


うまくいかなかった。


「冗談にできない」


陽菜が律の名前を呼んだ。


声は聞こえた。ちゃんと聞こえているのに、遠かった。佐伯が何か叫んでいる。榊原がこちらへ手を伸ばしている。白石が泣いている。桐生が誰かの肩を押さえている。


全部が、白くにじんでいく。


「律!」


陽菜の手が離れた。


いや、離れたのは律の方だった。


ヴェルセリアの神殿で、魔法陣が砕けるように光った。


「接続、成立!」


「座標は!」


「駄目です、神殿に固定できません!」


ミリアが叫ぶ。


「落下先は!」


若い神官の顔が青ざめた。


「第三防壁、外縁……戦場です!」


ロディスが目を閉じた。


ほんの一瞬だけだった。


「回収班を出せ」


「今からでは」


「出せ!」


次の瞬間、光が神殿の天井まで伸びた。


現代の教室は、音ごと消えた。


陽菜は膝から落ちた。


床が硬くない。土だった。鼻の奥に、焦げた匂いが入ってくる。さっきまで教室にいたはずなのに、机も黒板も窓もなかった。


誰かが咳き込んでいる。


「全員、動くな!」


榊原の声がした。


その声に、陽菜は顔を上げた。周りにクラスメイトがいる。佐伯が起き上がり、桐生が白石の肩を支えている。新海は呆然と座り込んでいた。久我は少し離れた場所で、手についた土を見ている。


でも。


「律?」


返事はない。


陽菜は立ち上がろうとして、足が震えた。


「律!」


佐伯が周りを見回す。


「影森は?」


榊原の顔が変わった。


「人数確認! 桐生、手伝え!」


「はい!」


桐生の声も震えていた。それでも彼女は動いた。名前を呼ぶ声が、戦場の音に混ざっていく。


遠くで、何かが吠えた。


獣の声ではなかった。地面の底を擦るような音。クラスの何人かが身をすくめる。


陽菜はもう一度、名前を呼んだ。


「律!」


返事はなかった。


代わりに、陽菜の足元で白い光が一瞬だけ灯った。


本人は、それに気づかなかった。


戦場の向こうから、黒い群れが近づいていた。

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