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死んだことにした闇の女神、男子高校生として生きていたら勇者召喚で帰還した  作者: 胡麻味噌
1章

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3/7

大規模侵攻



「右、抜かれます!」


「抜かれるな。そこが抜けたら、後ろは村だ」


「隊長、村はもう空です!」


「なら畑だ。井戸だ。墓だ。何でもいい、あいつらに渡すな!」


ヴェルセリア国境防衛線、第三防壁。


石を積んだだけの古い壁に、黒いものが群がっていた。獣に似ているが、獣ではない。人の形に近いものもいる。どれも目がなく、口だけが裂けていた。


兵士の一人が槍を突き出す。穂先が黒い体を貫いたはずなのに、手応えが薄い。


「くそ、また戻った!」


「火を使え!」


「油がもうない!」


怒鳴り声が重なった。どこかで鐘が鳴っている。撤退の鐘ではない。鳴らす者が間違えたのか、それとも鐘楼まで敵が迫っているのか、誰にもわからなかった。


防壁の上で、指揮官ヴァイスは剣を抜いたまま戦場を見ていた。


「第二隊は?」


副官が答えるより早く、遠くで土煙が上がった。


副官の喉が動く。


「……合流できません」


「死んだか」


「わかりません」


「わからない時は、生きている前提で動け」


「はい!」


ヴァイスは壁の下へ目を向けた。黒い魔法生物の群れの奥に、鎧を着た魔族が見える。こちらを急いで崩すつもりはない。押しつぶせると知っている顔だった。


「いやな余裕だな」


「隊長?」


「敵の話だ。褒めてはいない」


その時、壁の左端で叫び声が上がった。


「闇だ!」


誰かが言った。


「魔王の闇だ、触れるな!」


その一言で、兵士たちの足が鈍った。黒い獣が影のように伸び、盾の隙間へ潜る。兵士が後ろへ下がり、そこに穴ができた。


ヴァイスは防壁を蹴るように走った。


「見るな!」


剣が黒い獣の首を落とす。首は地面に落ちる前にほどけ、泥のように崩れた。


「闇だろうが水だろうが、噛まれれば死ぬ。怖がる順番を間違えるな!」


兵士たちが息を呑んだ。副官がすぐに声を張る。


「左、盾を詰めろ! 隊長に穴を塞がせるな!」


「はい!」


壁の上で、誰かが笑った。ほんの一瞬だけだったが、声は戻った。


だが、数は減らない。


魔王軍は、倒しても倒しても黒い波のように押し寄せてきた。ヴェルセリアの兵はよく粘っていた。粘っているだけだった。


伝令が泥まみれで駆け上がってくる。


「王都へ、急報は?」


副官が聞く。


伝令は息を切らしながら頷いた。


「出しました。ですが、途中で二騎が落ちました」


「残りは」


「一騎だけ」


ヴァイスは短く舌打ちした。


「届けばいい」


「隊長、持ちますか」


副官の声は低かった。兵たちには聞こえないようにしている。


ヴァイスは少しだけ黙った。


「夕刻までは持たせる」


「夕刻以降は?」


「その頃には、俺たちが考えなくていい話になっている」


副官は何も言わなかった。


壁の下から、また黒いものが這い上がってくる。ヴァイスは剣を構え直した。


「王都が間に合えば、だがな」


王都ヴェルセリア。


その日の鐘は、一度鳴り始めてから止まらなかった。


神殿へ駆け込んだ伝令は、扉の前で膝をついた。靴は片方なく、肩には矢が刺さったままだった。控えていた衛士が支えようとしたが、伝令はそれを振り払う。


「第三防壁、交戦中……第二防壁、連絡途絶。第一防壁は、すでに」


言葉が止まった。


神官長ミリアは、白い衣の裾を握った。


「すでに?」


「ありません」


神殿の中が静まり返った。


誰かが小さく息を吸う。誰かが祈りの言葉を口にしかけて、やめた。


宰相ロディスが伝令の前に膝をついた。


「よく戻った。医療班へ」


「まだ、言うことが」


「もう十分だ」


「魔王軍は、止まりません。あれは、軍というより」


伝令の目が揺れる。


「穴です。全部、飲まれます」


その言葉だけ残して、伝令は倒れた。


ロディスは目を閉じる。ほんの短い間だった。開いた時には、もう顔が戻っていた。


「召喚陣の準備は」


ミリアが答える。


「整っていません」


「何が足りない」


「座標固定。異界接続の安定。触媒も本来の三分の二です」


「成功率は」


「今、数字を聞きますか」


「聞いておきたい。失敗した時、誰の責任かを決めやすい」


ミリアはロディスを睨んだ。


「冗談を言う場面ではありません」


「冗談で済むならよかった」


ロディスは立ち上がった。神殿の奥にある広間では、床一面に魔法陣が刻まれている。光はまだ弱い。完成している、とはとても言えなかった。


若い神官が震える声で口を開いた。


「今つなげば、対象を選べません」


「勇者ではない者が来ると?」


「それ以前です。どこにつながるかも」


「この国ではないどこかだな」


「そういう話では」


「この国は、もう落ちかけている」


若い神官は黙った。


ミリアが一歩前へ出る。


「異界人を巻き込むのです。本人たちの意思もなく」


「ならばこのまま待つか」


ロディスの声は荒くなかった。だから余計に、神殿に響いた。


「第三防壁が落ちれば、王都まで半日です。避難民はまだ街道に残っている。兵は足りない。女神方へ祈っても、答えが届く前に門が破られる」


「中立国が、最後に異界へ縋るのですか」


「中立だからだ」


ロディスは魔法陣を見た。


「どの女神の名でも兵を集めなかった。どの国の庇護にも入りきらなかった。誇りだったよ。今日までは」


ミリアは唇を噛んだ。


外で鐘がまた鳴った。今度は一つではない。王都の東、南、中央。ばらばらに鳴って、重なっていく。


衛士が駆け込んできた。


「第三防壁より追加急報!」


「読め」


「防壁、半壊。指揮官ヴァイスより――夕刻までは持たせる。夕刻以降は、王都の仕事だ、と」


ロディスは一瞬だけ笑った。疲れたような、苦い笑いだった。


「昔から口の悪い男だ」


ミリアは目を伏せる。


「神官長」


若い神官が呼んだ。


「魔法陣、まだ揺れています。このままでは、召喚先に負荷が」


「わかっています」


「では」


「準備を続けなさい」


若い神官は言葉を失った。


ミリアはロディスを見た。


「私は、この儀式に反対です」


「記録に残そう」


「それでも、止められないことも理解しています」


「それも残してくれ」


「恨まれますよ」


「生きていれば、恨まれることもできる」


ロディスは魔法陣の中央へ歩いた。神官たちがそれぞれの位置につく。触媒の石が置かれ、古い銀杯に光が宿る。薄い線が床を走り、まだ閉じ切っていない円を無理やり結んでいく。


若い神官の声が震えた。


「座標、定まりません」


「探せ」


「広すぎます。世界の層がずれています」


「生きている世界を探せ」


「適性判定もできません」


「息をしていればいい」


ミリアが目を閉じた。


「それは、勇者召喚ではありません」


ロディスは答えなかった。


広間の外で、また足音が増える。負傷者のうめき声。避難民を誘導する兵の声。泣き出した子どもの声。神殿は祈りの場所だったはずなのに、今はどこも戦場の端のようだった。


魔法陣の光が強くなる。


神官の一人が叫んだ。


「接続、開きます!」


「座標は!」


「まだです!」


「固定しろ!」


「無理です、流されます!」


床の線が白く焼ける。触媒の一つが割れ、破片が跳ねた。若い神官が腕で顔を庇う。


「やめてください! このままでは、どこに繋がるか」


ロディスは魔法陣の光を見つめていた。


防壁で戦う兵の顔が浮かんだ。街道に残る馬車の列が浮かんだ。何も知らずに泣いている子どもの声が、まだ耳に残っていた。


「繋げ」


「宰相!」


「どこでもいい」


ミリアが振り返る。


ロディスは、祈るようには言わなかった。


「生きている世界へ」

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