表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだことにした闇の女神、男子高校生として生きていたら勇者召喚で帰還した  作者: 胡麻味噌
1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

何でもない教室



「影森、アウト」


教室に入った瞬間、佐伯蓮司がそう言った。


影森律は片足を教室に入れた姿勢のまま止まった。まだ朝のチャイムまでは少しある。遅刻ではない。寝癖も、たぶん昨日よりはましだ。


「待て。何に対するアウトだ」


「顔」


「顔は生まれつきだろ。人権侵害だぞ」


「違う。課題忘れた顔してる」


律は黙った。


蓮司は机に頬杖をついたまま、にやっと笑う。


「当たりか」


「人の顔で提出状況を読むな。怖いだろ」


「お前、忘れた時だけ鞄の持ち方が軽いんだよ」


律は自分の鞄を見下ろした。確かに軽い。原因はわかっている。家の机の上に置いてきた英語のワークだ。


「これはあれだ。身軽さを追求した結果」


「課題を捨てるな」


「置いてきただけだ」


「もっと悪いわ」


蓮司が笑う。その笑いにつられて、近くにいた新海奏太が顔を上げた。


「また課題?」


「またって言うな。人にはそれぞれ歴史がある」


「影森の歴史、提出物でだいたい負けてるじゃん」


「歴史の教科書に載らないだけで、勝ってる日もある」


「いつ?」


律が答える前に、前の席から桐生真琴が振り返った。手には回収用のクリアファイルを持っている。


「影森くん、英語ワーク」


「桐生さん。人は時に、過去と向き合う勇気が必要で」


「忘れたんだね」


「はい」


「昼休みに職員室。先生に言っておいた方がいいよ」


「委員長、処理が早い」


「早くしないと、影森くんが話をそらすから」


「俺への理解が深いな」


「浅くてもわかるよ」


蓮司が机を叩いて笑った。律は胸に手を当て、わざとらしくよろめく。そこへ、天野陽菜が教室に入ってきた。


「朝から何してるの」


「傷ついてる」


「何を忘れたの?」


「どうして忘れ物前提なんだ」


陽菜は律の顔を見た。


「英語?」


「怖い」


「当たり?」


「怖い」


陽菜は小さくため息をつき、自分の席に鞄を置いた。律の席はすぐ近くだ。昔からそうだったような顔で、陽菜は何も言わずに筆箱を出す。


新海がスマホをしまいながら、律を見た。


「でもさ、異世界だったら課題とかないんじゃね?」


「新海、朝から逃げ道のスケールが大きい」


「いや、もし召喚されたらって話」


「またそれ?」


蓮司が呆れた声を出す。新海は気にせず続けた。


「昨日の属性診断の続き。異世界行ったら、まずステータス確認だろ。で、職業見て、スキル見て」


「まず言葉通じるか確認じゃない?」


陽菜が言うと、新海は少し止まった。


「……たしかに」


「あと水と食べ物」


桐生が淡々と付け足す。


「委員長、異世界でも現実的すぎる」


「必要でしょ」


「夢がない」


「新海くんの想像、だいたいゲーム寄りだから」


「そうだけどさあ」


新海は不満そうにしながらも、楽しそうだった。律は席に鞄を置き、椅子に座る。


「俺なら最初に帰り方を探すな」


「え、つまんな」


「知らん土地で魔物と戦うより、コンビニと布団のある生活を選ぶ」


「影森、主人公向いてないな」


「主人公は佐伯に譲る。火属性だし」


「俺も嫌だよ」


「えー、じゃあ誰がやるんだよ」


新海が教室を見渡した。視線が月村沙耶で止まる。月村はちょうど席に着いたところで、急に見られて眉を上げた。


「何?」


「月村さん、光属性だったじゃん。勇者っぽくない?」


「勝手に勇者にしないで」


月村は少し笑って、それから真面目な顔をした。


「でも、もし本当にそういうのがあったら、誰かを守れる力の方がいいよね」


「おお、正統派」


新海が感心したように言う。蓮司も「確かに」と頷いた。


律は机に頬杖をついた。


「じゃあ俺は後方で応援する係で」


「律は逃げる係でしょ」


陽菜が言った。


「ひどい。応援も立派な仕事だぞ」


「本当に危ない時は?」


「……危なくない方向に全員で逃げる」


「それはちょっといい判断かも」


桐生が真顔で言ったせいで、律は逆に困った。


「そこは突っ込んでくれないと、俺がただ堅実な人になる」


「堅実ではないよ」


陽菜の返しが早かった。


その時、教室の端で椅子が小さく鳴った。久我玲央が席に座った音だった。誰かに遅れてきたわけでもない。ただ、輪の外から会話を聞いていたらしい。


新海が久我に気づいて、軽く手を上げた。


「久我は? 属性なら何がいい?」


久我は少しだけ間を置いた。


「……別に」


「えー、そこは乗ろうぜ」


「何でもいい」


そう言って、久我は机の中に教科書をしまった。会話はそこで切れそうになった。悪い空気というほどではない。けれど、誰も次の言葉を探す前に、律が口を開いた。


「何でもいいは強キャラの台詞だぞ」


久我が律を見る。


「何それ」


「属性にこだわらない。武器にもこだわらない。最終的に素手で勝つタイプ」


「勝たないけど」


「じゃあ勝たない強キャラだ」


「弱いだろ」


久我が小さく言った。笑ったわけではないが、声の端が少しだけ緩んだ。


新海が勢いを取り戻す。


「じゃあ久我は闇とか? なんか雰囲気あるし」


その言葉に、月村が少しだけ眉を寄せた。


「闇って、また?」


「いや、かっこいいじゃん。影から助ける感じで」


「でも、普通はあんまりいい印象ないよね」


月村の言い方は強くなかった。責めるつもりもない。ただ、そういうものだと思っている声だった。


久我は何も言わなかった。


律は机の上の消しゴムを転がした。ころん、と陽菜のノートに当たって止まる。


「闇は便利だぞ」


「また始まった」


蓮司が言う。


律は構わず続けた。


「夜道で隠れられる。映画館で雰囲気が出る。あと寝坊した時、部屋が暗いとまだ朝じゃない気がする」


「最後は現実逃避だよ」


陽菜が消しゴムを律へ返す。


「闇への偏見をなくそうとしてるんだ」


「律の生活習慣への偏見は増えたよ」


「犠牲はつきものだな」


月村は少し困った顔をした。


「私は別に、悪く言ったつもりじゃ」


「わかってる」


律は軽く言った。


「だからこそ、俺が代表して闇と和解しておいた」


「律が代表なの?」


「朝に弱いからな」


蓮司が吹き出した。新海も笑い、空気はすぐに戻った。月村も肩の力を抜く。久我は窓の方を向いたままだったが、さっきよりは少しだけ表情が柔らかく見えた。


陽菜は律を見ていた。


律は気づいていたが、気づかないふりをした。


ホームルームのチャイムが鳴り、榊原が教室に入ってきた。新海が慌てて席に戻る。律も姿勢だけはまっすぐにした。


榊原は教卓にプリントを置く。


「今日の放課後、文化祭準備の係決めをする。部活のある者も、少し残るように」


教室のあちこちで小さな声が上がった。


「えー、今日?」


「部活前に終わるかな」


「係って何あったっけ」


桐生がすぐに黒板へ向かった。榊原にチョークを渡され、係の候補を書き出していく。装飾、買い出し、会計、当日受付、展示準備。文字が増えるたびに、新海の顔がわかりやすく沈んだ。


「俺、買い出しがいい」


蓮司が言う。


「買い食いする気だ」


律が返す。


「しねえよ」


「目がしてる」


「お前に言われたくない」


陽菜は黒板を見ながら、律に聞いた。


「律は?」


「俺はそうだな。精神的支柱」


「係にないよ」


「新設しよう」


「仕事しない係でしょ」


「言い方」


桐生が黒板の前から振り返る。


「影森くんは展示準備ね」


「まだ希望出してない」


「人手が足りないから」


「民主主義は?」


「今は多数決の前段階」


「前段階で負けることある?」


蓮司が笑いながら手を挙げた。


「俺も展示でいいよ。こいつ一人だと絶対サボるし」


「佐伯、お前は俺の保護者か」


「監視員」


「言い直して悪化した」


陽菜も少し考えてから言った。


「私も展示でいいよ」


律は陽菜を見た。


「え、陽菜さんまで監視側?」


「律が逃げないように」


「信頼がない」


「あるよ」


陽菜はさらっと言った。


「逃げるっていう信頼」


「最悪の信頼だな」


教室がまた笑う。桐生は黒板に名前を書きながら、少しだけ口元を緩めた。


「じゃあ展示準備、影森くん、佐伯くん、天野さん。あと久我くんもお願いできる?」


急に名前を呼ばれて、久我が顔を上げた。


「俺?」


「うん。細かい作業、前に手伝ってくれたでしょ。助かったから」


久我はすぐには返事をしなかった。


新海が横から言う。


「いいじゃん。久我、手先器用そう」


「そういう決め方?」


久我の声は少し低い。でも、完全に嫌そうではなかった。


律は椅子の背にもたれたまま、片手を上げる。


「歓迎するぞ、勝たない強キャラ」


「それ、まだ続いてたのか」


「設定は大事だからな」


久我は小さく息を吐いた。


「……別に、いいけど」


桐生が黒板に久我の名前を書いた。


その日の授業は、いつも通りに進んだ。律は途中で一度寝かけ、陽菜にシャーペンの頭でつつかれた。蓮司は体育の移動で律の上履きを隠そうとして失敗し、逆に榊原に見つかった。新海は昼休みにまだ異世界の話をしていて、桐生に「午後の準備」と言われて渋々ノートを出した。


何でもないことばかりだった。


放課後前の短い時間、教室は係決めの続きで少しざわついていた。黒板には名前が並び、誰かが消し忘れた落書きの端に、チョークの粉がついている。


律は展示準備の欄に自分の名前があるのを見て、深いため息をついた。


「俺の自由が、黒板に固定されている」


「係くらいやろうね」


陽菜が言う。


「逃げたら?」


蓮司が聞く。


「逃げない」


律は即答した。


陽菜が目を細める。


「今、ちょっと迷ったでしょ」


「迷ってない。逃走経路を確認しただけ」


「それを迷ったって言うんだよ」


久我が近くでプリントを揃えていた。律たちの会話を聞いていたのか、ぼそっと言う。


「窓は無理だろ」


律は久我を見た。


「まさかの逃走経路アドバイス?」


「二階だし」


「現実的な止め方やめてくれ。ちょっと助かる」


久我は返事をせず、プリントを桐生に渡した。桐生は「ありがとう」と普通に受け取る。久我は小さく頷いただけだった。


その時、教室の照明が一瞬だけちらついた。


誰かが「あれ」と言った。けれど、それだけだった。すぐに明るさは戻り、黒板も机も、いつも通りそこにあった。


新海が天井を見上げる。


「学校も小テストに耐えられなかったか」


律が先に言おうとしていた言葉を取られ、悔しそうに顔をしかめた。


「新海、それ俺の台詞」


「早い者勝ち」


「くそ、成長したな」


蓮司が笑い、教室のざわめきも戻った。誰かが蛍光灯の寿命じゃないかと言い、誰かが事務室に言うかと話している。


陽菜だけが、窓の外を見ていた。


「陽菜?」


律が呼ぶ。


陽菜は少し遅れて振り返った。


「今、何か変じゃなかった?」


「照明?」


「うん……それだけかな」


律は天井を見上げた。何もない。いつもの白い照明が、何食わぬ顔で光っている。


「まあ、学校も疲れてるんだろ」


「学校が?」


「俺たちを毎日受け止めてるんだぞ。そりゃ疲れる」


陽菜は呆れたように笑った。


「律って、何でもそうやって流すよね」


「流せるものは流した方がいい。詰まると大変だし」


「排水口みたいに言わないで」


「生活に密着した例えだろ」


陽菜はもう一度、窓の外を見た。律もつられてそちらを見る。校庭では部活の準備をしている生徒が走っていて、遠くから笛の音が聞こえた。


何も変わっていない。


だから律は、いつものように笑った。


「ほら。今日も世界は平常運転」


陽菜は少しだけ間を置いてから頷いた。


「……うん」


黒板の前で、桐生が手を叩いた。


「係、これで決定でいい?」


教室からばらばらに返事が上がる。新海が「異議なし」とふざけて言い、蓮司が「お前、何の係だっけ」と突っ込む。久我は黙って自分の名前を見ていた。


律は机に頬杖をつき、黒板の文字を眺めた。


展示準備。影森律、天野陽菜、佐伯蓮司、久我玲央。


それが明日以降も続く予定みたいに、白いチョークで書かれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ