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死んだことにした闇の女神、男子高校生として生きていたら勇者召喚で帰還した  作者: 胡麻味噌
1章

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1/7

影森律の日常



「律」


返事はなかった。


「律」


二度目で、机に伏せていた影森律の指がぴくりと動いた。起きている、と言いたいらしい。天野陽菜はその指を見下ろして、律の机に置かれていたプリントを一枚抜き取った。


「これ、今日だよ」


律は片目だけ開けた。


「……何が?」


「小テスト」


「人類はなぜ同じ過ちを繰り返すんだろうな」


「昨日、言ったよ」


「昨日の俺と今日の俺は別人なんだ」


「じゃあ昨日の律に謝って」


「ごめん、昨日の俺。お前の犠牲は無駄になった」


「まだ何も犠牲になってないよ」


陽菜はプリントを律の額に軽く乗せた。律はそのまま動かない。額の上でプリントが少しずれ、鼻にかかったところで、隣の席から佐伯蓮司が笑った。


「朝から死んでんな」


「違う。社会に擬態してる」


「失敗してるぞ」


「佐伯、お前はいつも現実側だな」


「現実にいるからな」


律は渋々体を起こした。髪は少し跳ねていて、目はまだ半分しか開いていない。陽菜は何も言わずに、自分のノートを開いて律の机へ寄せた。


律が一瞬だけ目を輝かせる。


「陽菜さん」


「写していいとは言ってない」


「人の希望を見せてから奪うタイプ?」


「まず自分で解いて。詰まったら見るのはいい」


「その条件、ほぼ絶望じゃん」


「じゃあ寝る?」


「起きます」


律はシャーペンを持った。数式を一行書いて、すぐに止まる。


陽菜が覗き込む。


「そこ、符号逆」


「俺の中の数学が反抗期」


「律はずっと反抗期だよね」


「そこまで言う?」


陽菜は笑わなかった。ただ、口元だけ少し緩んだ。律はそれを見て、わざとらしくため息をつく。


「いいよな、陽菜は。朝から人間として完成してる」


「寝癖ついてるけど」


「えっ」


陽菜が自分の横髪を押さえる。律は笑った。


「嘘」


「律」


「今の顔、ちょっとレアだった」


「ノート閉じるね」


「ごめんなさい」


律が即座に頭を下げたところで、教室の扉が開いた。担任の榊原が出席簿を片手に入ってくる。立ち歩いていた生徒が席へ戻り、少しだけ空気が整った。


榊原は黒板の前に立つと、教室を見渡した。


「六時間目、小テスト。忘れていた者はいないな」


律はそっと視線を窓へ逃がした。


「影森」


「はい」


「逃げるな」


「まだ視線だけです」


「体も逃げそうな顔をしている」


教室の何人かが笑った。榊原は怒鳴らない。けれど、律が調子に乗る前に出席簿を軽く叩いた。


「昼休み、少しは見直しておけ」


「先生、それは俺個人への愛ですか?」


「忠告だ」


「愛がない」


「点もないぞ」


「痛い」


陽菜が隣で小さく肩を揺らした。律はそれに気づいたが、何も言わなかった。代わりに、ノートの端に小さく「小テスト討伐作戦」と書いた。


陽菜がそれを見て、横に一言だけ足す。


――まず勉強。


律はその文字を見て、無言で机に額を落とした。


昼休み。


律の弁当箱には、米と肉が入っていた。以上、という感じだった。


陽菜はそれを見て、自分の弁当からブロッコリーを一つ移した。


「出たな」


「食べて」


「緑の刺客」


「食べて」


「俺は闇の住人だから、太陽を浴びて育った者とは相性が」


「食べて」


「はい」


律がブロッコリーを口に入れると、蓮司が横で笑った。


「弱いな」


「違う。戦略的撤退だ」


「口の中に撤退してるぞ」


「それはもう敗北では?」


陽菜が言うと、律は箸を止めた。


「陽菜、たまに容赦ないよな」


「律限定だよ」


「限定なら嬉しい……のか?」


「嬉しくはないと思う」


三人で机を寄せていると、新海奏太がスマホを持って近づいてきた。


「なあ、これやろうぜ。属性診断」


蓮司が顔を上げた。


「またそういうやつか」


「いいだろ。俺、木だった」


「新海っぽいじゃん」


「どこが?」


律は少し考えたふりをした。


「話題が枝分かれするところ」


「うまいようで雑!」


新海が笑い、近くにいた白石紬もつられて少し笑った。桐生真琴は弁当を片づけながら、「授業始まる前にはスマホしまってね」とだけ言う。


律はスマホを渡され、適当に質問を押していった。


「はい、出た」


「何?」


陽菜が覗き込む。


律は画面を見る前に、胸を張った。


「闇だな」


「見てから言って」


「見るまでもない。朝に弱い。課題に弱い。日差しに弱い。これはもう闇」


蓮司がスマホを取り上げる。


「結果、風だって」


「俺の闇、軽いな」


「ただの寝不足じゃん」


「佐伯、真実は時に人を傷つける」


その流れで、何人かが自分の結果を言い合った。月村沙耶は光だったらしく、少しだけ嬉しそうにしていた。


「光って、なんか正統派だよね」


新海が言う。


月村は照れたように笑って、それから何気なく続けた。


「闇って、ちょっと悪役っぽいし」


席の端で、久我玲央の箸が止まった。


本当に一瞬だった。誰かが気づくほどでもない。月村にも悪気はない。ただ、よくある言葉がそのまま落ちただけだった。


律は水筒に手を伸ばしながら言った。


「闇に謝れ、月村」


「え?」


「夜がなかったら寝られないだろ。映画館も困る。花火も困る。あと俺が休日の朝にカーテン閉めて現実を拒否できない」


「最後のは知らないけど」


陽菜が即座に返す。


蓮司も笑った。


「お前の闇、だいたい生活習慣だな」


「生活を支える闇。偉大だろ」


「偉大かなあ」


月村は少し戸惑ったあと、「まあ、たしかに夜は必要か」と笑った。話題はすぐ別の方へ流れていく。新海が今度は蓮司に診断をやらせ、蓮司が火属性だったと騒ぎ始めた。


律は何もなかったように唐揚げを食べた。


少し離れた席で、久我もまた箸を動かしていた。


陽菜だけが律を見ていた。


「何?」


「別に」


「俺の顔に米粒?」


「ついてない」


「じゃあ惚れた?」


「調子に乗らない」


「ですよね」


陽菜は箸で卵焼きを切りながら、小さく言った。


「また、笑って流した」


律は聞こえなかったふりをした。


「え、何? 卵焼きくれるって?」


「言ってない」


「聞き間違いか。残念」


「律」


名前を呼ばれて、律はようやく陽菜を見た。


陽菜は怒ってはいなかった。呆れてもいない。ただ、昔から知っているものを見つけたような目をしていた。


「そういうところ、変わらないね」


律は少しだけ黙った。


それから、いつもの顔に戻る。


「成長期、終わったからな」


「そういう意味じゃない」


「知ってる」


陽菜の箸が止まった。


律は唐揚げを一つ、陽菜の弁当箱へ置いた。


「ブロッコリーの礼」


「唐揚げ一個で?」


「俺の中では国宝級」


「大げさ」


「だから大事に食べて」


陽菜は少しだけ迷ってから、その唐揚げを食べた。


午後の授業は、律にとって長かった。


小テストはもっと長かった。


終わった瞬間、律は答案用紙を裏返して机に置いた。まるで封印でもしたような手つきだった。


陽菜が横から覗こうとする。


「見せて」


「だめだ」


「何点くらい?」


「今はまだ、数字にすると悲しみが具体化する」


「悪かったんだ」


「陽菜、察しがよすぎる人間は長生きしないぞ」


「律よりはすると思う」


「強い」


放課後、教室は少しずつばらけていった。部活に行く者、残って話す者、すぐ帰る者。律は鞄を肩にかけ、陽菜と一緒に廊下へ出た。


「コンビニ寄る?」


陽菜が聞いた。


「寄る。小テストで削られた精神を糖分で補修する」


「補修できる点数だった?」


「陽菜さん、傷口に塩どころかレモン絞ってる」


「自分で勉強しないから」


「正論は人を追い詰めるんだぞ」


「じゃあ勉強しようね」


「逃げ道がない」


階段を下りる途中、窓の外に夕方の色が差していた。律は一度だけ足を止める。何かを見たわけではない。ただ、教室の方が少し静かになった気がした。


「律?」


陽菜が数段下から振り返る。


律はすぐに歩き出した。


「いや。今日も世界は平和だなって」


「急に何?」


「たまには壮大なこと言いたい年頃なんだよ」


「そのあとコンビニ行くのに?」


「世界平和と新作スイーツは両立する」


「安い世界だね」


「三百円台で救えるなら優しいだろ」


陽菜は呆れたように笑った。


律も笑った。


廊下の向こうで、誰かが部活の集合を急かしている。教室からはまだ少し話し声が聞こえる。何も変わらない、いつもの放課後だった。


それが最後になるなんて、思う理由もなかった。

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