第62話 焦燥のプログレス
元々、秘密の施設だけあって、思ったよりも警備の人数は多くなかった。
もちろん重火器を装備した巡回のサイボーグはあちこちにいたが、そのいずれもが今のビャッコとアイリスの敵ではない。
速やかに無力化しつつ、3人は慎重に歩を進め、ついに施設の奥深くにある区画まで到着した。
分厚い隔壁が背後で重々しい音を立てて閉ざされると、それまで鼻を突いていた血と腐肉の臭いが、ふっと途絶えた。
「……着いた。ここが、この工場のメインフレーム区画だ」
ビャッコの低い声が、ひんやりとした無機質な空間に吸い込まれていく。
つい先程まで三人で通り抜けてきた、人間を「部品」として扱う地獄のような解体ラインや冷凍庫の惨状が嘘のように、そこは塵一つ落ちていない無菌の空間だった。
ただの「部屋」ではない。見上げるほど高い天井まで続く、巨大な円筒形のデータ・サイロだ。
バスケットコートほどの広さがある中央エリアを囲むように、漆黒の巨大なサーバー群が、まるで墓標の列のごとくそびえ立っている。
遥か頭上には、メンテナンス用のキャットウォークや太い冷却パイプが網の目のように入り組んでおり、上層部は濃い暗闇に沈んでいた。
空間を支配しているのは、足元から這い上がってくるような冷却ファンの低い駆動音と、微かなオゾンの匂いだけだ。
「よし、やるよ……!」
広場の中央に鎮座するメインコンソールに駆け寄り、ルミナが息を呑んだ。
背負っていたバックパックから自身のカスタム端末を取り出し、コンソールの下部パネルを手際よくこじ開ける。
迷いなく物理ケーブルを引き出すと、自分の端末へと直結させた。
黒い画面に、血のような赤い文字列が滝のように流れ始める。
「うわ、暗号化がエグい……! さすがに最深部だね」
ルミナが額に冷汗を滲ませながら、コンソールに張り付くようにしてキーを叩く。
「ごめん、私、ネオンちゃんみたいに本職じゃないから……ダウンロードに少し時間がかかるかも」
「気にしないでいいから確実にお願い。途中で切断してデータが飛んだら、ここまで来た意味がないから」
「……うんっ!」
ネオンが頷きながら作業に集中するところを見届けると、ビャッコは愛用の火器を構え直す。
その後ろでは、『アイアン・メイデン』を纏ったアイリスが、長大なランスを握り締め、頭上の入り組んだ暗闇へ無言で鋭い視線を向けていた。
ルミナの指先が、自身の端末の仮想キーボードを叩き続ける。
彼女の瞳には、とめどなく流れる文字列の反射光が映り込んでいた。
「……よし、メインディレクトリのプロテクト突破。さっすがネオンちゃん謹製の金庫破りプログラムだね。全取引ログと通信記録のダウンロードができそう……!」
コンソールに繋がれた端末の画面中央に、一本のプログレスバーが浮かび上がった。
しかし、その青い帯は【2%】の数字を表示したまま、微動だにしない。
「嘘でしょ……」
ルミナが思わず呻き声を漏らした。
数秒の沈黙の後、ようやく数字が【3%】へと切り替わる。
「何重にもブロックがかかってる。これを解凍しながら抜き出すには……今のペースだと、最低でも数分はかかるよ」
コンソールに張り付くルミナは、ケーブルを接続したポートから両手を離すことができない。
「途中で切断したら、ダウンロードがそこで止まっちゃう。全部の証拠を抜き切るまで、私、ここから一歩も動けないからね!」
焦りとプレッシャーで声が上擦るルミナに対し、ビャッコの返答は極めて平坦だった。
「了解。ルミナはダウンロードに集中して。私とアイリスで警戒しとくから」
ビャッコはそう言い捨てると、コンソールを背にして広場への入り口側に銃口を向けた。
「アイリス、私の死角のカバーよろしく。ただし、周囲のサーバー群には絶対に傷つけないように気を付けてね」
『承知しておりますわ。……この無骨な槍を振り回すには、少々窮屈な舞台のようですけれど』
アイアン・メイデンが、重々しい駆動音を鳴らしてルミナの背後に陣取る。
4mの巨体が動き回るだけの広い空間ではあるが、この精密機器に囲まれた状況では、どこか居心地が悪そうにその機体を揺らした。
静寂。
一定の周期で鳴り続ける冷却ファンの低周波だけが、やけに鼓膜を叩く。
道中の警備は全て排除してきたとはいえ、この状況で待つしかないという緊張感に、鼓動の音が大きく聞こえる。
端末の画面では、プログレスバーがじりじりと【9%】……【10%】……と、もどかしい速度で数字を刻んでいた。
「……早く。早く、早く……っ」
ルミナが祈るように呟く。ビャッコは無言のまま、グリップを握る手に力を込めた。
異常なまでの静けさが、逆に彼らの神経をヤスリのように削り取っていく。
進捗が【15%】を超えた、その時だった。
『――キィィィ……』
不意に、頭上の入り組んだ暗闇から、金属同士が微かに擦れ合うような音が鼓膜を打った。
ビャッコが即座に銃口を上へ向ける。
「アイリス」
『ええ。ですが……』
アイリスを乗せたアイアン・メイデンの頭部センサーが、赤い光を瞬かせて暗闇を舐め回す。しかし、スピーカーから響いた彼女の声には、珍しく困惑が混じっていた。
『熱源、動体、ともに反応ゼロ。……私のセンサーには、『何も映っていませんわ』』
ゴクリ、とルミナが唾を呑み込む。
最新鋭の軍用センサーを積んでいるアイアン・メイデンの目をごまかせる存在など、そうそういるはずがない。ただのネズミか、配管の軋み音か。
そう思いかけた直後だった。
ポタッ。
ルミナのすぐ横、コンソールのパネルに「何か」が滴り落ちた。
水ではない。粘り気のある、透明な液体。かすかに機械油と冷却液の混ざったような化学的な匂いが鼻を突く。
「……え?」
ルミナがそれを見つめ、ゆっくりと顔を上げようとした瞬間。
ビャッコの脳内に埋め込まれたA.R.E.S.が、視界の端で唐突に【WARNING】の赤い文字を乱舞させた。
理屈ではない。数多の死線を潜り抜けてきたビャッコの生存本能が、頭上の暗闇に「決定的な死の気配」を嗅ぎ取ったのだ。
「ルミナ、伏せて!!」
ビャッコの怒声が響いた直後だった。
バンッ!!
メインフレーム区画を照らしていた無機質な純白の照明が、一斉に断たれた。
完全な暗闇が訪れたのは、ほんの数秒。直後、鼓膜を劈くような警報音と共に、禍々しい血のような赤色の非常灯が空間全体を染め上げる。
『――警告。メインコンソールへの未登録のダイレクト・リンクを検知』
広大なデータ・サイロに、感情の欠片もない冷徹なシステム音声が反響した。
『排除プロトコルへ移行。防衛兵器【スクラッパー】を起動します』
『……上ですわ!!』
アイアン・メイデンのセンサーが、ついに頭上の『それ』をはっきりと捉えた。
アイリスの緊迫した叫びと同時に、ビャッコは銃口を天井の暗がりへと向ける。
赤い光に照らし出された入り組んだ配管網。そこに、逆さにへばりつく異形の姿があった。
鈍色の流線型装甲に包まれた、四足歩行の獣のようなシルエット。
その足先は鋭利なブレード状になっており、太い鋼鉄の冷却パイプに深々と突き刺さって巨体を支えている。先程ルミナのそばに滴り落ちたのは、あの鋭利な刃から滴る冷却液か潤滑油か。
ギョロッ、と。
頭部と思しき装甲の隙間から、単眼の赤いセンサーレンズが不気味に明滅した。
その視線の先は、ビャッコでも重装甲のアイアン・メイデンでもない。
――コンソールに繋がれ、身動きの取れないルミナへと真っ直ぐに向けられていた。
端末の画面で、もどかしいプログレスバーがようやく【20%】に到達する。
『キシャァァァァァッ!!』
金属を削り合わせるような身の毛のよだつ咆哮とともに、鈍色の怪物が、遥か頭上のパイプからルミナを狙って一直線に跳躍した。




