第57話 素材のサプライチェーン
サクラデバイスコーポレーションが管理する、上位クリアランス保持者専用の高級居住区画。
そこへ向かうなだらかなスロープを、治安維持部隊の黒い大型装甲車が滑るように走っていた。
窓の外に広がる景色は、見慣れた中層地区のそれとはまるで別世界だ。
視界を埋め尽くすような天を突く摩天楼や、けばけばしいネオンの森はここにはない。
あるのは、都市の土地を規格外の広さで贅沢に陣取った豪邸の数々と、ディストピアには似つかわしくないほど豊かな「自然」だった。
完璧に手入れされた緑の芝生と街路樹がどこまでも続き、広々とした歩道に生身の人間の姿はほとんど見当たらない。すれ違うのは、清掃や荷物の運搬作業を黙々とこなす業務用のヒューマロットたちばかりだ。
美しく、清潔で、そしてひどく無機質な富裕層の箱庭。
そんな景色の中を進む車内には、運転席のアイリスと助手席のビャッコ、そして後部座席にはネオンとルミナの姿があった。
「今回の護衛対象であるVIP、ヴァレリオ氏のデータは確認したわね? 彼はサクラデバイスにとって非常に重要な大口の顧客よ。粗相のないように」
後部座席で足を組みながら、ネオンが淡々とブリーフィングを行う。
ビャッコは手元のタブレットに表示された、けばけばしい男のデータに視線を落としながら怪訝そうに眉をひそめた。
「重要な顧客って……この『生体パーツのバイヤー』っていうのは、文字通りの意味?」
「うん、そうだよ! 人間の腕とか脚とか、内臓なんかのフレッシュな生体素材を大量に買い付けて、各所の病院や富裕層に卸してる卸売業者のトップだね」
ネオンの隣からルミナが、さも当然のように明るい声で補足する。
その物騒すぎる内容に、ビャッコは内心で盛大にドン引きしていた。
(いやいや、人のパーツを売買するって、それ完全に裏社会の連中がやるシノギだろ……!)
前世で平和な日本のサラリーマンだったビャッコからすれば、臓器や生体パーツの売買など非合法の極みである。
そんなヤバい商売のトップを、なぜ企業の正規部隊である自分たちが直々に護衛しなければならないのか。
「ビャッコ、勘違いしているようだけど」
ビャッコの無言からなにか感じ取ったのか、ネオンが静かにたしなめるように言った。
「彼のやっている取引は、完全に『合法』よ」
「……合法?」
「ええ。サクラデバイスが認可した正規のビジネスルート。例えば、日々の生活に行き詰まった下層地区の住人が、少しでも金に換えるために自分の腕や臓器を企業に『切り売り』する。あるいは、重犯罪で処刑された死刑囚から有用なパーツを摘出する……それらはすべて、都市の法に基づいた正当な素材調達の一環なの」
ネオンの冷徹な説明を聞き、ビャッコはハッと思い出した。
(そういえば……いつぞやの食事会に向かう道中で、『強制ドネーション・キッチン』って店があったな)
生きるために自分の体を切り売りするスラムの貧困層と、死んだ罪人を文字通り「素材」として再利用するシステム。それがこの狂ったディストピア都市の、日常的な経済活動として完全に組み込まれているというのだ。
「私個人としては、あまり好ましい職業だとは思いませんけどね」
ハンドルを握るアイリスが、忌々しそうにポツリとこぼす。
彼女の生真面目な性格からすれば、人間をパーツ単位で値踏みするようなビジネスは、たとえ合法であっても生理的に受け付けないのだろう。
「好き嫌いの問題じゃないわ。ヴァレリオ氏は、その合法ルートで集められた生体パーツを大量に買い上げてくれる太客。彼のおかげで都市の経済圏が回っているのも事実よ。だからこそ、上位クリアランスを持つ彼の視察を、私たち治安維持部隊が直々に護衛するの」
「……了解。仕事はちゃんとやる」
ビャッコは小さくため息をつき、タブレットの電源を落とした。
どんなに胸糞の悪い相手だろうと、上からの命令には逆らえない。
それこそが、企業という名の巨大なシステムに組み込まれた社畜の悲しい性である。
やがて装甲車は、周囲の豪邸の中でもひときわ悪趣味で巨大な門構えをしたエントランスへと滑り込んでいった。
その巨大な門が開き、豪華なエントランスから一人の男が現れた。
今回護衛するVIP、ヴァレリオだ。
助手席のルームミラー越しにその姿を確認したビャッコは、内心で深くため息をついた。
(うわぁ……見るからに面倒くさそうな輩系だ……)
ヴァレリオはいかついオラオラ系の細マッチョだった。
さらに、ツーブロックに刈り上げられた髪をピンク色に染め、趣味の悪いサングラスをかけている。
ディストピア都市の冷たく無機質な空気感とは対極に位置するような、暑苦しいまでの自己顕示欲の塊。
上半身は鍛え上げられた素肌をひけらかすように裸で、その上から最高級の天然毛皮で作られたノースリーブのコートを直接羽織っている。
後部座席のドアが開き、ヴァレリオが乗り込んでくる。
ネオンとルミナが同乗しているため車内は手狭なはずだが、彼はそんなことはお構いなしにふんぞり返った。
彼の両腕は、サイバネティクスの義手ではなく生身だった。
しかし、それが彼自身の元々の腕ではないことは、一目でわかる。
日に焼けた屈強な胴体に対し、その両腕だけが不自然なほど透き通るような白い肌をしており、傷一つないのだ。肩の接合部には、高級な生体パーツの証明である企業認可のタトゥーと、神経を繋ぐための銀色の癒着ラインが、あえて隠すことなく見せびらかすように残されている。
サイバネ全盛期のこの時代に「他人の極上の生体パーツ」を移植し、それをステータスとして誇示する特注品。その腕には、これ見よがしにジャラジャラと下品な宝石のブレスレットが何重にも巻き付けられていた。
(……悪趣味すぎる)
ビャッコだけでなく、アイリスも無言でハンドルを強く握りしめ、ネオンは冷ややかな視線を向け、ルミナでさえ微かに顔を引きつらせていた。
「出せ。行き先は下層の中央刑務所だ」
ヴァレリオの横柄な命令で、装甲車が静かに発進する。
車が目的地へと向かう道中、ビャッコはずっと背中にねっとりとした視線を感じていた。
ルームミラー越しに目が合うと、ヴァレリオが品定めするような、舐め回すような視線を向けてきている。
「……お前、ノアのライブの時にステージに上がってた奴だな」
不意に、ヴァレリオが低い声でビャッコに話しかけてきた。
「……はい、そうですが」
「わざわざお前のいる小隊を指名してやったんだ。あの映像を見た時から気になってたんだよ。生で見ると、なかなかいいねぇ」
ヴァレリオは前のめりになり、ビャッコの顔を覗き込むようにして言った。
「お前、俺のものにならないか?」
それは、ショーケースに並んだ高級なオモチャを買い叩くような、傲慢でねっとりとした口調だった。
その瞬間、ビャッコの背筋に尋常ではない悪寒が走る。
(うわぁ……輩系細マッチョに口説かれるとか、前世含めて一番ゾッとする……!)
前世はしがない中年サラリーマンだ。
いくら今は美少女ヒューマロットのガワを被っているとはいえ、中身のおっさんからすれば、これほど気味の悪い誘いはない。
しかも相手は生体パーツのバイヤーだ。下手に対応して「パーツに解体してコレクションしてやる」なんて言われたら最悪すぎる。
ビャッコは必死に顔の引きつりを抑え、小隊長としての営業スマイル――つまりは無感情な表情を張り付けた。
「ご指名いただき光栄ですが、私は企業の所有であり、治安維持部隊の任務を気に入ってますので」
やんわりと、しかしキッパリと拒絶する。
すると、ヴァレリオの顔からスッと熱が消え去った。
「あっ、そっ」
さっきまでの執着が嘘のように、ヴァレリオはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「まあせいぜい働くんだな」
彼はそれきり窓の外へ視線を逸らし、ビャッコへの関心を完全に失ってしまった。
金と権力で手に入らないものはないと思い込んでいる男にとって、一度手に入らないとわかった「モノ」は、路傍の石以下の価値しかないらしい。
人間を、いや、ヒューマロットすらも、ただのパーツや所有物としか見ていない。
そのあまりにもサイコパスな掌返しに、車内には冷え冷えとした不気味な沈黙が落ちた。
やがて装甲車は、どんよりとした薄暗い空気が立ち込める下層地区へと降り立った。
目的地は、下層地区の端に建造された中層地区管轄の刑務所である。
分厚いコンクリートと有刺鉄線、そして無数の監視カメラに囲まれたその施設は、都市の掃き溜めから生み出された罪人たちを収容する、巨大な檻だった。
厳重なセキュリティゲートを抜け、ヴァレリオを護衛しながら所長室へと足を踏み入れる。
室内では、恰幅のいい刑務所長が滝のように冷や汗を流しながら、揉み手をしてVIPの到着を待ち構えていた。
「お、お待ちしておりました、ヴァレリオ様! 本日もわざわざ足をお運びいただき……」
「挨拶はいい。さっさと『リスト』を出せ」
ヴァレリオは所長の愛想笑いを冷たく遮り、革張りのソファにどっかりと腰を下ろした。
所長は慌ててタブレット端末を取り出し、恭しくヴァレリオへと差し出す。
ビャッコは斜め後ろに立ち、周囲を警戒するふりをしながらそのタブレットの画面を盗み見た。
そこに表示されていたのは、近日中に処刑が予定されている死刑囚たちのリストだ。
しかし、それは罪状や経歴を記したものではない。年齢、血液型、健康状態、そして『どの臓器や部位が良質な状態で摘出可能か』という、完全に「素材の在庫目録」としてのデータだった。
画面をスクロールしていたヴァレリオの指が止まり、不機嫌そうに舌打ちが漏れる。
「……おい。なんだこれは」
「ひっ。な、何でしょうか……?」
「数が少ねえな。この程度の在庫じゃあ、俺が抱えてる大口のオーダーに全然足りねえよ。極上の『天然モノ』を待ってる上客がどれだけいると思ってんだ」
ヴァレリオが苛立ちに任せてタブレットを机に放り投げると、ガシャンという乾いた音が響いた。
所長はビクッと肩を震わせ、ハンカチで額の汗をぬぐいながら必死に弁明する。
「も、申し訳ございません! しかし、さ、最近は下層も比較的落ち着いているものでして……死刑相当の重犯罪者がなかなか入ってこない状況で……」
人が平和に暮らしていることを、まるで不作の年の農家のように嘆く異常な光景。
ビャッコは顔をしかめたくなる気持ちを必死に堪え、無表情の仮面を維持した。
しかし、ヴァレリオの狂気はさらにその上を行っていた。
「チッ。使えねえな」
ヴァレリオは忌々しそうに腕の宝石を鳴らすと、冷酷な目で鼻を鳴らした。
「治安維持部隊や統合監査局にハッパかけて、クリアランス違反の取り締まりをもっと徹底させないとな。些細な罪でもガンガン検挙して死刑に回させりゃ、在庫なんていくらでも潤うだろうが」
人間の命を、ただの『在庫補充』としか見ていない。
少しでも自分たちの商品を増やすために、法と権力を都合よく捻じ曲げて死刑囚を量産しようというのだ。
その底知れぬ身勝手さと、人命を塵芥とも思わない言葉に、ビャッコの中で明確な怒りと嫌悪感が渦巻いた。
隣に立つアイリスからは、今にも武器に手が伸びそうなほどピリピリとした殺気が漏れ出している。
「……もういい、帰るぞ。こんなシケたリスト見てたら気分が悪くなってきた」
ヴァレリオは乱暴に立ち上がると、所長を一瞥もせずに部屋を出ていく。
ビャッコたちは無言でその後を追った。
刑務所の重苦しい鉄扉が背後で閉ざされ、一行は再び下層地区の澱んだ空気の中へと出た。
上層区画の透き通るような風とは対極にある、排気ガスと泥水が入り混じったような灰色のスラム街。
その入り口付近に停められた黒い装甲車へ向かうヴァレリオは、露骨に顔をしかめ、毛皮の襟元で鼻を覆った。
「チッ、どいつもこいつも小汚えネズミどもが。息をするだけでパーツが腐りそうだぜ」
周囲の薄暗い路地や崩れかけた建物の陰からは、無数の視線がこちらに向けられていた。
その目はどれも暗く澱み、治安維持部隊への恐怖と、見せつけるように歩く富裕層への隠しきれない憎悪に満ちている。
ビャッコは周囲への警戒レベルを最大に引き上げ、アイリスと共にヴァレリオの両サイドを固めながら車へと歩みを進めた。
(……嫌な空気だ。いつ暴動が起きてもおかしくない)
肌を刺すような敵意の波。
だが、それはあくまでスラムにおける『日常的な怨嗟』の範疇だと思っていた。
アイリスが装甲車のドアに手を掛けようとした、その瞬間までは。
――ピピッ!
【警告。後方4時方向より、駆け寄ってくる足音多数】
脳内にアレスからのアラートが鳴り響くと同時だった。
周囲を取り囲むスラムの群衆の中から、一つの影が弾かれたように飛び出してきたのだ。
「俺の兄貴を返せぇぇっ!!」
血を吐くような悲痛な叫び声だった。
ボロボロの衣服に身を包んだ痩せぎすの若者が、血走った目を大きく見開き、一直線にヴァレリオへと突進してくる。
その手には、先端から青白い火花を散らす違法改造されたヒートナイフが握られていた。
標的は間違いなく、ヴァレリオだ。
若者の怨念が籠もった凶刃が、呆然と立ち尽くすVIPの首筋へと容赦なく振り下ろされる。
「チィッ……!」
相手の事情がどうあれ、今は護衛任務中だ。
ビャッコは内心の同情と吐き気を一瞬で戦闘思考へと切り替え、咄嗟に腰のセラフィムへと手を伸ばしたのだった。




