第39話 生身のア・カペラ
ここは、芸能特別区の中心にある巨大テレビ局の第1スタジオ。
今日はノアが出演する音楽番組の収録日だ。
「うわー、すごいセット! 本物のテレビ局だ!」
ルミナが目を輝かせてキョロキョロしている。
天井には無数の照明機材が吊るされ、ステージにはドライアイスのスモークが焚かれている。
スタッフたちが怒号を飛ばしながら走り回る光景は、まさに「戦場」だ。
「ルミナ、はしゃがない。不審者がいないかチェックしないと」
「はーい。でもさ、ここセキュリティ厳重だし、変な人なんて……」
ルミナが言いかけたその時、頭上の照明用通路で何かがキラリと光った。
「……ん?」
ネオンが鋭く反応し、視線を上げる。
そこには、作業着を着た男が、照明機材の近くで屈む姿があった。
「おい、そこのあなた! 何をしているの!」
ネオンが声を張り上げる。
男はビクリと肩を震わせ、こちらを見下ろした。
首からIDパスをぶら下げており、服装からしてスタッフのようだった。
深く帽子を被っていて顔は見えないが、その手にはレンチが握られている。
「あ、いや……照明の角度調整です! 本番前に少し緩んでいる箇所がありまして!」
「調整? ……ごめんなさい、こちらも気が張ってて。大声出しちゃったわね」
「いえ、こちらこそすみません。急遽ディレクターから指示がありまして……! すぐに終わります!」
男はペコペコと頭を下げると、慌ただしく作業を再開した。
ネオンはしばらくその様子を睨みつけていたが、やがてフンと鼻を鳴らして視線を外した。
「ネオンちゃん、どうかした?」
「いいえ、ただのメンテナンスよ。……でも、なんか手際が悪かったわね。新人かしら」
ネオンは僅かな違和感を覚えたものの、それ以上追求することはなかった。
まさかそれが、数時間後に起きる「惨劇」の準備だとは知らずに。
一方その頃、ノアの専用楽屋。
「…………」
重苦しい沈黙の中、ノアはメイク台の前に座り、手元のタブレット端末を凝視していた。
画面に表示されているのは、何度も読み返し、そのたびに胃が痛くなる契約更新の書類データだ。
『第9条:身体機能の恒久的な維持に関する同意事項』
『甲(事務所)は乙に対し、加齢および疲労によるパフォーマンス低下を防ぐため、以下の身体改造手術を推奨し、乙はこれに同意するものとする』
『ドームツアー最終日までに回答すること』
「……あと、3日……」
ノアの声が震える。
推奨、と書いてはあるが、実質的な強制だ。
昨日の社長の言葉が蘇る。
『鮮度が命』『使い潰す』。
社長は以前から言っていた。
「今の生身の体では限界がある。喉も、体力も、いずれ衰える。だが、この手術を受ければ永遠だ。完璧な商品になれる」と。
事実、昨日の握手会でも足が震えていた。
喉の調子も、薬で無理やり抑えているだけで、限界が近いのは自分でも分かっている。
「サインすれば……楽になれる……」
ノアは自分の喉に手を当てた。
今はまだ温かい、生身の肌。
心臓の鼓動。呼吸のリズム。
それら全てを捨てて、ただの「歌う機械」になること。
それが、この華やかな世界のトップに居続けるための条件。
「でも……これじゃあ、私はもう『人間』じゃなくなる……」
ノアは画面を閉じようとしたが、指が止まった。
脳裏に浮かぶのは、かつていた薄暗い孤児院の光景。
冷たい食事。薄汚れた服。
誰にも見向きもされず、ただ朽ちていく日々。
(あそこに戻るの? 嫌……それだけは嫌!)
「選ばれた」というプライド。
一度知ってしまったスポットライトの快感。
そして何より、自分を捨てた世界を見返したいという執念。
「……私が、証明してやるわ。生身でも、機械なんかに負けないって……!」
ノアは決意を込めてタブレットを伏せた。
だが、その指先はまだ微かに震えていた。
コンコン。
「――ノアさん、そろそろ本番の準備をお願いします」
スタッフの声で、ノアは弾かれたように顔を上げた。
鏡に向かって「アイドルの笑顔」を作る。
「……はい、今行くわ」
その笑顔は完璧だったが、鏡に映る瞳だけは、怯えた小動物のように揺れていた。
「……よし」
ノアは深呼吸をし、震える足で立ち上がった。
楽屋のドアを開けると、そこには警備担当のビャッコたちが待機していた。
「移動します。足元に気をつけて」
「……分かってるわよ。いちいちうるさいわね」
ノアは努めて傲慢に振る舞い、廊下を歩き出す。
だが、その先にある自動販売機の影に、見覚えのある少女が立っているのに気づき、足を止めた。
「……あら。まだいたの?」
そこにいたのは、アイリスだった。
ノアは不機嫌そうに鼻を鳴らし、自動販売機の前に立っていたアイリスを睨みつけた。
アイリスは手に持っていた紙コップ(甘ったるいココアだ)を一瞬だけ見て、すぐに視線をノアへ戻した。
「……休憩中です。次のシフトまで待機しています」
「ふん。休憩? ずいぶんと暇そうね。あんたみたいな役立たずでも、治安維持部隊みたいな汚れ仕事では給料がもらえるわけ?」
ノアの言葉には棘があった。
だが、アイリスは自分の足元――無骨なコンバットブーツに視線を落とし、静かに口を開いた。
「……ええ、汚れ仕事です。暴走した機械を破壊し、テロリストを鎮圧する。泥とオイルにまみれる、野蛮な仕事です」
「根暗なあなたにお似合いね。ステージで歌う私とは大違い」
「そうですね。でも……このブーツは頑丈です。どんな瓦礫の上でも、泥沼の中でも歩けます。あなたのその……綺麗だけど今にも砕けそうなハイヒールとは違って」
「なっ……!?」
アイリスの指摘に、ノアは思わず自分の足元を見た。
無理な姿勢を強いる高いヒール。
それは彼女の「危うい立場」そのものを象徴しているようだった。
ノアは憎々しげにアイリスに睨みつけた。
「昔に比べて喋るようになったじゃない。どうせ、あのヒューマロット……ビャッコとかいうのに言われるがまま、思考停止で従ってるだけのくせに。昔からそう。あんたには自分の意志がない。ただ誰かに命令されるのを待っている、空っぽの人形」
ノアは一歩近づき、アイリスの顔を覗き込んだ。
その瞳には、侮蔑と、そして隠しきれない羨望が入り混じっていた。
「……羨ましいわね。何も考えずに生きていられて。私は違う。私は自分で勝ち取ってきたの。誰かの言いなりになんてならない」
「…………」
アイリスは無表情のまま、ノアの言葉を受け止めた。
反論もしない。怒りもしない。
ただ静かに、少しだけ悲しそうな目でノアを見つめ返した。
「……何よ、その目」
「いえ。ただ……あなたは昔から強がりですね」
「はぁ!?」
ノアが声を荒らげる。
だが、アイリスは淡々と続けた。
「私は確かに、小隊長の命令に従うだけの存在かもしれません。でも、私はそれを自分で選びました。あなたは……ノアは本当に、自分で選んでいるんですか?」
「っ――!」
図星だったのか、ノアの顔が赤く染まった。
彼女が今、契約書と自身のプライドの間で揺れ動いていることを、アイリスは見抜いているかのようだった。
「うるさい……! あんたなんかに、私の何が分かるのよ! ゴミ捨て場で一生を終えるはずだった負け犬のくせに!」
ノアはアイリスを突き飛ばすようにして、足早に通り過ぎていった。
その背中は、怒りで震えているようにも、泣くのを堪えているようにも見えた。
「……大丈夫? アイリス」
声を聞きつけて後ろからビャッコがトコトコと歩いてくる。
その表情はいつもどおりの無表情だが、声色から伝わってくる心配の気配。
その小さな小隊長に、アイリスは少し困ったような表情で返す。
「問題ありません。……ただ、少し昔を思い出しただけです」
「昔?」
「はい。彼女は昔から、私を見るとイライラしていましたから。……光が強ければ強いほど、影が濃くなるのと同じです」
アイリスは飲みかけのココアを飲み干し、ゴミ箱に捨てた。
その横顔は、以前よりも少しだけ大人びて見えた。
「さあ、行きましょう小隊長。任務の時間です」
その言葉で二人はノアの後を追い、スタジオへと向かった。
スタジオ内は、本番直前の熱気に包まれていた。
色とりどりのレーザー照明が飛び交い、大音量のBGMが流れている。
観覧席には、抽選で選ばれた数百人のファンが詰めかけ、サイリウムを振ってノアの登場を待っていた。
「――本番1分前! スタンバイお願いします!」
スタッフの怒号が飛ぶ。
ノアはステージ中央に立ち、マイクを握りしめた。
その表情は、先ほどの動揺を微塵も感じさせない「完璧なアイドル」のものだった。
(……すごいな)
ビャッコはステージ袖からその姿を見て、素直に感心していた。
彼女の性格には難があるが、そのプロ意識は本物だ。
先ほどあんなにアイリスと口喧嘩していたのに、その影響が欠片もパフォーマンスに影響している様子がない。
その時だ。頭上の照明が、不自然に明滅した、気がした。
(…………?)
ビャッコの眼、正確に言うと、左目の高性能義眼が僅かな照明の揺れを感じ取っていた。
ビャッコは眉をひそめ、天井を見上げる。
さっきネオンが気にしていた場所だ。
(ボルトが緩んでいる? いや、それにしては……)
「――5秒前! 4、3、2……」
カウントダウンが始まる。
ノアが息を吸い込み、最初のフレーズを歌おうとした、その瞬間。
キリキリキリ……ッ!
金属が悲鳴を上げるような音が響き渡った。
「――え?」
ノアが呆然と見上げた先。
数トンはある巨大な照明ユニットが、支えを失って落下を始めていた。
「ノアッ!!」
ビャッコは大声を上げると考えるよりも先に、ステージへと飛び出していた。
スポットライトの中、「悪意」の塊が彼女へと降り注ぐ。




