第38話 舞台裏のディソナンス
すみません。投稿時間ミスってました
「全く信じられないわ!」
警備室へと続く道すがら、ネオンの怒りは収まらない様子だった。
彼女は拳を震わせ、今にも壁を殴りつけそうな勢いだ。
「『薄汚い』ですって!? それにアイリスに対するあの暴言! いくら国民的アイドルだか何だか知らないけど、許せないわ!」
「まあまあ、ネオンちゃん落ち着いてー。壁殴ったら器物破損だよー」
ルミナがなだめるが、ネオンの怒りは山よりも高く海よりも深い様子。
普段は冷静だが、実はこういう時の沸点が一番低いのが彼女である。
まあ、今回に関しては無理もない。初対面であそこまで侮辱されれば、ネオンじゃなくても腹が立つ。
アイアン・メイデンに乗ったアイリスだってもうちょっとマシな言い方をしていた気がする。
俺だって、もしこれが任務でなければ「教育的指導」と称してデコピンの一つくらいお見舞いしてやりたいところだ。
「……アイリス、大丈夫?」
俺が声を掛けると、アイリスは帽子を目深に被ったまま、小さく頷いた。
「……問題ありません。慣れてますから」
「慣れてるって……あんなこと言われ慣れてたの?」
「施設にいた頃は、あんな感じでした。ノアは、いつも自分が特別だと思っていて、私たちを見下していましたから」
淡々とした口調だったが、そこには諦めのような色が混じっていた。
同じ孤児院出身で、瓜二つの容姿を持ちながら、光と影のように別れた二人。
その背景には、俺たちが想像する以上に深い溝があるのかもしれない。
「とりあえず警備室に行こう。まずは状況整理が必要」
俺たちは気を取り直し、あてがわれた警備室へと移動した。
そこはモニターがずらりと並んだ無機質な部屋で、ステージや通路の様子が一望できるようになっていた。
「ネオン、監視カメラのチェックはできる?」
「あとでこっちの端末に共有できるように設定しておくわ」
「よし。じゃあ、改めて今回の脅迫状について確認する」
俺は端末を操作し、モニターに脅迫状のデータを映し出した。
『偽りの天使に死を。企業に飼い慣らされた操り人形が、愚かな大衆を扇動することを我々は許さない。ドームツアー最終日、その歌声と共に貴様を断罪する』
文面は過激かつ、企業の支配構造を批判するものだ。
「差出人は、過激派の反企業組織『リベリオン』を名乗っている。最近、各地の軍事施設を襲撃している武闘派集団」
「……リベリオン、ね」
その名前が出た瞬間、ネオンがピクリと眉を寄せた。
「どうした?」
「……いえ。ただ、少し違和感があって」
「違和感?」
「ええ。リベリオンは確かに過激な組織だけど、その標的は常に『軍事施設』や『生産工場』といった、企業の武力を削ぐための場所ばかり。特定の個人、それもアイドルなんていう、言わば『文化的な象徴』を狙うなんて……彼らの思想とは少しズレている気がするわ」
ネオンは顎に手を当て、ブツブツと独り言のように呟いている。
「詳しいね」
「……そうかしら? これくらいのことニュースを見ていれば誰でも気づくことじゃない? 情報収集も私の仕事だから」
そう言ってネオンはフンと息をついた。
まあ、優秀な副官のことだ。俺が知らない裏社会の情勢にも通じているのだろう。
だが、その指摘は的確だ。
確かに、武力組織がいきなりアイドルを狙うというのは、いささか唐突な印象を受ける。
そもそも企業が自治区を作って支配している現状を憂うとは言っても、アイドルを攻撃することで何が変わるというのか。
「失礼するよ」
そんな考察をしていると、警備室のドアが開き、ゴルド社長が入ってきた。
先ほどまでの慇懃無礼な態度は崩さず、手にはタブレットを持っている。
「皆様、警備体制の構築は済みましたかな?」
「ええ、一通りは。これからシフトを組むところです」
「結構。では、これからのノアのスケジュールを送ります。これに合わせて、万全の警護をお願いしたい」
社長が端末を操作すると、俺の手元のタブレットにデータが転送された。
俺はそれを一目見て、絶句した。
「……社長。これは何かの間違い?」
「何か?」
「今日のスケジュール、朝6時からボイストレーニング、取材が3件、握手会が4時間、その後にダンスレッスン、深夜ラジオの収録……終了予定が26時?」
文字通り、分刻みのスケジュールだった。
しかも、その間に「休憩」の文字が見当たらない。
「食事の時間は? 睡眠時間は?」
「食事なら移動中に標準食の支給がある。睡眠? 移動中の車内で仮眠が取れるでしょう? 十分です」
社長は涼しい顔で言い放った。
「いくらなんでもこれじゃ……」
「甘やかさないでください。彼女は商品なんですよ? 彼女の役目は企業に所属する市民のストレスを吸い上げ、支払った給与を再び会社へ還流させる……ただの高効率な集金装置です。鮮度の短い消耗品なのですから、稼げるうちに骨の髄まで使い潰す。それが経営というものでしょう?」
「…………」
俺は言葉を失った。
ブラック企業には慣れているつもりだったが、ここは俺たちの職場以上に劣悪かもしれない。
使い潰す。
その言葉が、比喩ではなく物理的な意味で聞こえた。
「社長。いくら何でも……」
「口出し無用です、警備員さん。貴方たちは黙って、外部の敵から彼女を守ればいい。内部のマネジメントには一切関与しないでいただきたい」
それは正論ではあるが、あまりにも冷たい理屈だった。
社長は冷たく言い放つと、踵を返して部屋を出て行く。
残された俺たちは、呆然とスケジュール表を見つめることしかできなかった。
「……うわぁ。これ、死ぬって」
ルミナがドン引きした声で呟く。
俺も深く同意した。
殺害予告なんてなくても、このままだと過労死するぞ。
「……小隊長」
アイリスが、不安げな目で俺を上目遣いで見てくる。
俺は小動物のような目を見つめ返しながら尋ねてみた。
「アイリスはノアにあれだけ言われてたけど、やっぱり心配?」
「……そんなことはないですけど。ううん、いや、ちょっとだけ、ちょっとだけ心配、かもです」
そう言って黙り込むアイリス。
気弱モードの彼女がここまで言うということは、直訳すると「とっても心配。なんとかできないか」ということだろう。
俺は小さく息を吐き、覚悟を決めた。
自身と部下の精神衛生を保つのも俺の役目だ。
「……分かってる。契約外だけど、私たちのやり方で守らせてもらう」
俺は、かつてブラック企業で培った「サボり……いや、効率化スキル」を総動員することを心に誓うのだった。
◆
「――ありがとうございます! 応援よろしくお願いします!」
煌びやかな特設会場に、ノアの完璧なアイドルスマイルが弾ける。
握手会が始まってから、既に4時間が経過していた。
「剥がし」と呼ばれるスタッフが、ファンを次々とベルトコンベアのように流していく。
ノアはその一人一人に対し、瞬時に表情を作り、手を握り、感謝の言葉を述べている。
プロだ。
だが、俺の強化された多機能義眼は誤魔化せない。
(……ふくらはぎが痙攣してる。ヒールの重心もブレてるな)
笑顔の裏で、彼女の体力は限界に近かった。
ミニライブ終了後、休憩なしの4時間立ちっぱなし。しかも高いヒール。
普通の人間ならとっくに倒れていてもおかしくない。
だが、背後のスタッフエリアにいるゴルド社長は、腕時計を見ながら「ペースを上げろ」と無言の圧力をかけている。
(……ったく、これだからブラック経営者は)
俺はインカムのスイッチを入れた。
「――こちらアルファ1。不審物を検知。一時中断を要請する」
『なっ!? おい、本当か!?』
スタッフの慌てた声がインカムに響く。
もちろん嘘だ。ただのゴミくずを「不審物」と言い張るつもりだ。
「列を止めて。安全確認が済むまでノアを控え室へ」
俺は強引に列を遮り、ノアの前に立った。
会場がざわつくが、警備上の理由と言われればファンも納得せざるを得ない。
「ちょ、ちょっと! 何やってるのよ!」
バックステージに戻るなり、ノアが食って掛かってきた。
その顔は蒼白で、脂汗が滲んでいる。
「あんたのせいで時間が押すじゃない! 社長に怒られるのは私なのよ!」
「安全確認で必要。マニュアル通り」
「嘘おっしゃい! 何もないって分かっててやったでしょ!」
「……それより座ったら? 5分くらいは稼げる」
俺はパイプ椅子を蹴って彼女の方へ寄せた。
ノアは何か言い返そうとして、しかし言葉にならず、ガクンと膝を折って椅子に座り込んだ。
「……はぁ、はぁ……っ」
荒い呼吸を繰り返す彼女に、俺は自分のポケットからワークサポートミールとペットボトルの水を手渡した。
虎の子のプレミアム抹茶味だけど仕方ない。
このブツも今を時めくアイドルに食べられるなら本望だろう。
「どうぞ。車内でインタビューを受けててご飯食べてないでしょ?」
「……誰が、あんたなんかの施しを……」
ノアは悪態をつきながらも、震える手でボトルのキャップを開け、一気に飲み干した。
そして緑色で真四角の物体を口に含み、少しだけ人心地ついたようだった。
「……ふん。不味い。安っぽい合成食の味ね」
「最近のマイブームなんだけどね」
俺が肩をすくめると、ノアは初めてまじまじと俺の顔を見た。
その瞳から、少しだけ侮蔑の色が薄れていた。
「……あんたヒューマロットにしては人間くさいわね。治安維持部隊にいるやつはみんなそうなの?」
「どうだろう。私以外に治安維持部隊にいるヒューマロットは見たことない」
俺がそう返すと、ノアは「ふーん」と興味なさげに頷く。
「あんた、変な奴ね。社長の命令より、現場の判断を優先するなんて。とても人間様の便利な道具とは思えないじゃない」
それは目一杯の嫌味が込められていたが、俺はそんな嫌味に対してなんでもない顔をして返した。
「私の雇い主は社長じゃなくて、治安維持部隊の上層部。それに、道具扱いの仕方が下手糞なやつを見てると我慢できない」
俺の言葉に、ノアは自嘲気味に笑った。
「道具、か。……そうね、私もあんたたちも、所詮は道具よ。煌びやかな衣装を着せられても、中身はただの消耗品」
彼女は自分の細い手首を握りしめた。
そこには、過密スケジュールによるストレスか、それとも自傷行為か、うっすらと爪の痕が残っていた。
「……でも、壊れるわけにはいかないの。私が止まったら、代わりなんていくらでもいる。あそこに戻るくらいなら、死ぬまで歌い続けてやるわ。……なんて、そんな決意も最近揺らいでるんだけどね」
そう言うノアの瞳には10代の少女とは思えないほどの疲れが見え隠れしていた。
だが、それでもなお、彼女のプライドがそれを許さない。
孤児院出身という出自。
「選ばれた」というプライドと、捨てられる恐怖。
それが彼女をこの過酷な戦場に縛り付けている鎖なのだろう。
「――安全確認終了! 再開します!」
スタッフの声が響く。
ノアは弾かれたように顔を上げ、瞬時に「アイドルの仮面」を被り直した。
「……行くわよ。まあ、今回のことは感謝してあげるわ」
捨て台詞を残し、彼女は光の当たるステージへと戻っていった。
その背中は、先ほどよりも少しだけ伸びているように見えた。
「……やれやれ」
俺は半分くらいになったペットボトルと食べかけのワークサポートミールをゴミ箱に投げ捨てた。
勿体ない気もするが、流石にアイドルの食べかけ飲みかけを口にするわけにはいくまい。
ギルティにもほどがある。
少なくとも「ただの敵」からは昇格した様子なのでそれでよしとしておこう。
「小隊長、優しいですね」
そう言いながらアイリスがバックステージに入ってきて、ボソリと呟く。
その表情は嬉しそうな、そうでもないような複雑な表情だった。
そんなアイリスに俺は言葉を投げ返す。
「優しくなんかないよ。ただ、同じ『社畜』として、ちょっと同情しただけ」
「シャチク? よく分からないけど、やっぱり小隊長は優しいです」
そう言ってアイリスは珍しく小さく笑った。
彼女もまた、かつて地下の奥深くで過酷な労働をしていた身だ。
ノアの境遇に、思うところがあるのかもしれない。
だが、この時の俺たちはまだ楽観視していた。
この過酷な労働環境こそが最大の敵だと思っていたのだ。
まさか、その背後に潜む『本当の悪意』が、すぐそこまで迫っているとも知らずに。
数日後。
テレビ局での収録中、その「事故」は起きた。




