第40話 謀略のエチュード
キリキリキリ……ッ!
金属が悲鳴を上げるような音が響き渡った。
ノアが呆然と見上げた先。
数トンはある巨大な照明ユニットが、支えを失って落下を始めていた。
「ノアッ!!」
ビャッコは大声を上げると考えるよりも先に、ステージへと飛び出していた。
スポットライトの中、「悪意」の塊が彼女へと降り注ぐ。
ガシャアアアアァァン!!
轟音と共に、ステージ上が閃光と粉塵に包まれた。
悲鳴を上げる観客。パニックになるスタッフ。
重厚な鉄骨が床を砕き、高価な機材が火花を散らす。
「……う、うぅ……」
濛々と立ち込める煙の中、ノアは小さく呻き声を上げた。
彼女は床にへたり込み、震えていた。
だが、痛みはない。
「……怪我はない?」
すぐ耳元で、冷静な声がした。
ノアが恐る恐る顔を上げると、そこにはビャッコの姿があった。
彼女はノアに覆いかぶさるようにしており、その身を挺して庇っている。
「あ、あんた……」
「よかった。大きな怪我はないね」
ビャッコは短く安堵の息を吐くと、立ち上がって服についた埃をパンパンと払うようにする。
「……小隊長!」
「ビャッコ、無事!?」
ステージ袖からアイリスとネオンが駆け寄ってくる。
そして、ビャッコの背中を見て小さく息を飲む。
割れたスポットライトの破片が服を切り裂き、いくつも突き刺さっているのが目に入ったからだった。
「その背中、急いで救護室へ――!」
「いい、大丈夫。ナノスキンアーマーのおかげで出血はないから」
一見すると華奢な少女の肌だが、その表面は鋭利な刃物や拳銃弾をも弾く特殊なナノ被膜で覆われている。
その言葉のとおり、ビャッコが体をブルリと震わせてガラス片を落とすと、服の隙間から見える白磁のような肌には傷一つついている様子はなかった。
「このとおり、私は問題ない。それより、ノアの保護を」
「わ、分かりました! ノア、立てる?」
アイリスが手を差し伸べるが、ノアは腰が抜けて動けないようだった。
顔色は蒼白で、目には涙が溜まっている。
頬に一筋、飛んできた破片で切ったのか、赤い線が走っていた。
「……あ、あぁ……」
「救護班! 急いで!」
スタッフたちがようやく我に返り、ステージ上へ雪崩れ込んでくる。
収録は中止。現場は騒然とした空気に包まれた。
だが、そんな混乱を切り裂くように、怒鳴り声が響いた。
「――何をやっているんだ!!」
現れたのは、ゴルド社長だった。
彼は心配する様子もなく、倒れ込んだノアを見下ろして激昂した。
「大切な商品に傷がついただろうが! 明日のスケジュールはどうするつもりだ!これだから生身は脆くて困る!」
「……は?」
耳を疑うような言葉に、ネオンが顔をしかめる。
普通なら「無事でよかった」と言う場面だ。
だが、社長の目は血走り、まるで故障した機械を見るような目でノアを睨みつけていた。
「社長。そういうことは本人に言うべきではない」
ビャッコが低い声で割って入る。
しかし、社長は鼻で笑い飛ばした。
「事実でしょう? 見てみなさい、そのザマを」
社長はノアの頬の傷を指差した。
「たかが機材が落ちてきた程度で、顔に傷を作り、腰を抜かして動けなくなる。これではプロ失格だ。もし彼女が『全身義体』なら、こんな事故などものともせず、歌い続けられたはずだ!」
「……っ!」
ノアがビクリと肩を震わせる。
その言葉は、彼女が一番恐れていたことだった。
ビャッコは「全身義体……?」と呟きながら眉を顰める。
「いい機会だ、ノア。思い知っただろう? お前のその柔な体では、ファンを満足させることも、自分を守ることもできない。この事故は天啓だよ。さっさと契約書にサインしなさい。
そうすれば、二度とこんな恐怖を味わわずに済む」
社長は悪魔のような甘い声で囁き、ノアの肩に手を置いた。
「……いや……やめて……」
「まだ分からないのか? 代わりはいくらでもいるんだぞ? それとも、またあのゴミ捨て場に戻りたいのかね?」
「――そこまでにしてほしい」
ビャッコが社長の手を乱暴に振り払った。
その義眼が、冷ややかな光を放っている。
「彼女はショック状態。これ以上は、警備担当として許可できない」
「……チッ。企業の犬風情が」
社長は忌々しげに舌打ちをすると、背を向けた。
「いいだろう。今日のところはホテルへ戻す。だが、逃げられると思うなよ。ドームツアー最終日まであと3日……それまでによく考えることだ」
捨て台詞を残し、社長は去っていった。
残されたノアは、震える手で自分の頬の傷に触れ、絶望的な表情で呟いた。
「……もう、逃げられない……」
事故から数時間後。
場所は、芸能特別区の最高級ホテル。
こんな時でもなければ贅を尽くしたその内装を興味深く眺めるところだろうが、今はそんな空気ではなかった。
「……ここから一歩も出すな」
ゴルド社長は、ノアを最上階のスイートルームに押し込むと、ビャッコたちに冷たく命じた。
「うちの警備員もいるから、お前たちも余計なことはしないことだ。外部との連絡も一切禁止。彼女は今、精神的に不安定だからな。変な情報が入れば、自殺しかねん」
「……了解しました」
ビャッコは表情を変えずに敬礼した。
だが、その心中は穏やかではない。
この警備体制は人を通さないと同時に、ノアも表に出さないと言っているに等しい。
あるいは、自殺するほど追い詰めている自覚があるのか。
「頼んだぞ。明日の移動まで、決して目を離すなよ」
社長は念を押すと、部下を引き連れてエレベーターホールへと消えていった。
「……行ったわね」
ネオンが小さく呟き、周囲を見回す。
「みんな集まって。作戦会議」
ビャッコたちは、隣接する警備用の部屋に入った。
そこには、先ほどの事故現場の映像や、回収した機材のデータが表示されている。
「ルミナ、解析結果は?」
「うん。やっぱりだよー。見てこれ」
ルミナがホログラムウィンドウを拡大する。
そこに映っていたのは、落下した照明ユニットの接続ボルトの断面図だ。
「これ、自然に緩んだんじゃないよ。誰かが事前に、切断用の酸かレーザーカッターで工作してる痕跡がある」
「……やっぱり」
ビャッコは溜息をついた。
あの時、ネオンが見かけた「メンテナンス業者」と称する男。
あれが実行犯で間違いないだろう。
「タイミングも出来すぎているわ。ノアが歌い出した瞬間に落下するように、遠隔操作でトリガーを引いた形跡もある」
ネオンが補足して、悔しそうに拳を握りしめた。
「ごめんなさい。私がもう少し調べておけばこんなことには……」
「ネオンのせいじゃない。私も油断した」
「でも、ビャッコがいなかったらノアは死んでたかもしれないのに――」
「いや、殺す気はなかったみたい」
ビャッコは首を横に振った。
「A.R.E.S.の解析だと、あの落下軌道、ノアの頭上じゃなく、前方にズレていた。私の介入がなくても、直撃は避けていた可能性が高い。……破片で大怪我していたかもしれないけど」
「脅し、ということですか?」
アイリスが不安そうに尋ねる。
「そう。……問題は誰からの脅しかということだけど」
「誰って、反企業組織からじゃないってこと?」
ルミナの言葉にビャッコは頷く。
「手口が陰湿で地味すぎる。反企業組織『リベリオン』を名乗るなら、わざわざ脅す意図が見えない」
「確かに……。殺すというより、精神的に追い詰めるようなやり口ね」
ネオンが同意する。
「それに、社長の態度も気にかかる。自分の商品が傷ついたのに、彼は怒るどころか、どこか『勝ち誇って』いたように見えた」
ビャッコの左目が小さくキュィンと音を立てた。
「社長の精神状態は、興奮と怒り。逆に恐怖といったものがない」
ビャッコの脳裏に、先ほどの社長の言葉が蘇る。
『これだから生身は脆くて困る』
『完全義体なら、こんな事故などものともしなかった』
まるで、最初からこうなることを予期していたかのような口ぶり。
あるいは、こうなることを望んでいたかのような……。
「……まさか、ね」
ビャッコの中に、一つの嫌な予感が芽生えた。
だが、それを確信に変えるには情報が足りない。
彼女が何を恐れ、何を隠しているのか。
「ネオン、監視カメラにループ映像を流しておいて。アイリスは廊下の警備員の見張りを頼む」
「え? 小隊長、どこへ行くんですか?」
ビャッコは窓の外、最上階のバルコニーを見上げた。
「ノアの部屋。お行儀は悪いけど、閉じ込められている彼女に、直接『答え合わせ』をしてくる」




