第36話 三者三葉のグラビティ(後編)
ルミナの変態的なスキンシップに耐え、アイリスとの買い物デートを終えた俺は、ようやく自室のベッドに倒れ込んだ。
「はぁ……疲れた……」
これなら仕事をしている方がまだマシだったかもしれない。
そう思った矢先、インターホンが鳴った。
最後の訪問者、ネオンだ。
結果的に見れば、ルミナもアイリスの用事も大した内容ではなかったし、ネオンの用事もどうせ「アイリスとうまく会話できない」とか「ルミナがまた変な装備を作ってる」とかあたりだろうと当たりをつけながら、俺は体を起こした。
「……入っていいよ。鍵は開いてる」
ドアが開くと、そこには深刻な表情をしたネオンが立っていた。
俺の部屋を見回すと少し眉を顰めて、「ここがビャッコの部屋……」と呟きながら入ってくる。
普段の勝気な態度はどこへやら、どこか思い詰めたような表情。
「お疲れ様、ビャッコ。……夜分遅くにごめんね」
「別にいい。で、話って?」
俺はベッドの端に腰掛けてスペースを空けてあげた。
俺の部屋に来客用の椅子なんて気の利いたものはないのだ。
しかし、ネオンは俺の正面に立ち、意を決したように口を開いた。
「……単刀直入に言うわ。私にも、強化手術、A.R.E.S.装着の許可をください」
「は?」
予想外の言葉に、俺は目を丸くした。
ネオンは生粋のナチュラルだ。
どこも怪我していないし、つける必要性はないと思うのだが。
「どうして急に? 今のままでも十分優秀なのに」
「……足りないわ」
ネオンがギリッと唇を噛む。
「アイリスのような圧倒的な戦闘力も、ルミナのような技術力もない。私は……中途半端よ」
「ネオン?」
「それに……貴女が傷つくのを、これ以上見ていられないのよ! なんで自分ばかり犠牲にするのよ! 私たちをかばって今回は目や肌まで……!」
悲痛な叫びだった。
彼女の目には涙が滲んでいる。俺が体を張って部隊を守っていることへの自責の念。
それが彼女を追い詰めていたのか。
(…………思ったよりもガチな悩み相談が来てしまった)
その表情は真剣そのもので、俺の部屋に押しかけて来るぐらいだから並大抵の覚悟ではあるまい。
しかし、安易に首を縦に振れない事情がある。
「……まず、A.R.E.S.はヒューマロット以外に手術の許可は下りないと聞いた。それに生存率が10%以下の危険な手術らしいから許可はできない」
「じゃあ私もナノスキンアーマーの装着はどう? それなら庇ってもらう必要もなくなる」
それは考慮の余地はあるかもしれないけど、若い女の子の肌にメスを入れてもらうというのも抵抗がある。
どうせ戦闘になれば俺が前に飛び出すことに変わりはないだろうし。
「……それもちょっと。ネオンは優秀だから気にする必要ない」
「でも、戦闘では役に立ってないし。射撃だって、下手だし」
「う、うーん」
「ほら! やっぱりそう思ってるでしょ!」
つい口ごもってしまうのは仕方ない。
ベネディクトとの戦闘の際もしれっと撃墜0だったしね。
でも、ネオンの価値はそんなことではないのだ。
俺は深く溜め息をついた。
言葉でいくら「お前は優秀だ」と言っても、今の彼女には届かないだろう。
こういう時は、客観的なデータを見せるに限る。
「……言葉で言うより、直接データを見せた方が早い」
「え?」
「『直結』しよう。君のデバイスと、私の脳内領域」
俺は耳裏にある接続ポートを指差した。
◆
現代の電脳化社会において、有線接続は最も確実かつ高速なデータ転送手段だ。
「は、はいっ!?」
だがしかし、私、ことネオンは素っ頓狂な声を上げて後退る。
顔が一瞬で真っ赤になったのを感じた。
「直結!? 本気!?」
「? うん」
ビャッコが頷きながら枕元から接続コードを取り出している。
私も一応電脳化しているし、ビャッコが取り出したコードは適合しているから接続は問題ないだろう。
だがそういう問題ではないのだ。
直結。
それはお互いの電脳を繋げて全てをさらけ出す行為。
実際はブレインウォールの設定もできるので、本当に内心まで晒さないようにもできるのだが、直結すればウイルスを流すといった悪質な行為も可能になることから、基本的にはよほど信頼できる相手としかしないとされている。
親子とか夫婦とか、――恋人とか。
(いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。落ち着きなさい、私! 何かの間違いかもしれないわ! きっと! 直結の意味を分かってないのかもしれないし!)
思いっきり動揺してしまったが、私は少し深呼吸ののち、改めてビャッコに聞きなおすことにした。
「ちょ、直結って、そのコードで私とビャッコの電脳コネクタを繋げる行為以外のなにかですよね?」
「その行為だと思うけど、他になにかあるの?」
ビャッコはそう言うと、狭いシングルベッドにころりと横たわり、無防備に背中を向けた。
さらりとした銀髪をかき上げ、白く華奢なうなじを露わにする。
長い耳に並ぶ無機質な接続ポートが、妙に艶かしく見えて、私は思わず息を呑んだ。
「一応、部外秘の情報もあるからね」
「で、でも……心の準備が……! うぅ……!」
(ベッドに寝ころんで直結なんて、そんなの完全に、セ、セ、セッ――。いや、ビャッコはそんなことは考えていない! 本当に何も考えずにやっているだけよ! 落ち着きなさいネオン)
私だってお年頃の女子だ。
男性の一人や二人から、ちょっと直結してみないと誘われたことくらいある。
でも、その時はサラリとお断りできたはずなのに、なんでこんな年下の女の子から誘われたことで動揺してしまっているのか。
「ほら、早く」
ビャッコが少し潤んだ瞳で見上げながら、ケーブルの先端を私に差し出してくる。
それはまるで、「私の中に入ってきて」と誘っているようで。
「……分かりました。……覚悟、決めます」
私は震える指先でそれを受け取ると、自身の後頭部にあるポートへ、ゆっくりと、しかし確実に押し込んだ。
カチリ、と音が鳴る。
(顔が近い。この子、ヒューマロットだから当然だけど純粋に顔がいいのよね。でも、他のヒューマロットと違って小さいせいか、完璧すぎて近寄りがたいという感じもなくて、どこかあどけなさがあるというか未完成な危うさがあるというか。触ったら壊れそうだけど、触ってみたくなる魔性を感じるというか。というか私はさっきから何を考えているんだ――)
『接続確立』
視界が明滅し、私とビャッコの意識が電脳空間で共有される。
何もない空間に電脳上のアバターとして立つ私とビャッコ。
私はいつもの癖で空間構成や相手のウォールの強度を確認してしまった。
そして、そこで気づく。
(この子、ほぼノーガードで共有してる!)
まるで電脳化した後、初期設定のままでいるかのような構成に頭を抱えてしまう。
少なくとも私が思う直結していい状況ではない。
私の目から見れば、ビャッコは電脳上で全裸でいるに等しい。
「……聞こえる? ネオン」
「っ! ……はい……!」
直接脳内にビャッコの声が流れ込んでくる感覚にゾクリとする。
私の返事に満足したのか、ビャッコはコンソールを叩くと、手早く部隊の運用データと、ネオン個人の評価ログを展開してきた。
(見て。これがネオンの指揮官補佐としてのスコア。情報処理、部隊連携、事務処理能力……すべてにおいて『Sランク』。アイリスは戦闘力に寄りすぎてるし、ルミナは癖が強すぎる。この部隊をまともに回せているのは、ネオンという要がいるから)
そのスコア情報に乗って、ビャッコの感情データまでが伝わってくる。
信頼、尊敬、好意、……そして僅かな愛情。
それは表情が動かないので分かりにくい、ビャッコの確かな感情だった
特に最後の感情をダイレクトに受け取ってしまい、体が熱くなるのを感じる。
ちなみに私の方がプロテクトをガチガチに設定しているので、ビャッコの方には感情値は伝わっていないはずだが、心臓の高鳴りが伝わってしまっていないかと不安になる。
そんな私の様子に、ビャッコが小首を傾げてこちらを見る。
そのピクリと揺れる長い耳がかわいらしく感じてしまう。
「? どうしたの? データ見れてる?」
「み、見てます! 全部!」
「よかった。私の言いたいこと分かってくれた?」
自分の精神波が激しく揺れるのを感じた。
ビャッコからの全幅の信頼は、この上ない愛の告白に等しいのではないだろうか?
ましてや、物理的に脳と脳を繋げているのだ。
その快感と高揚感は、言葉を遥かに超えていた。
(……分かりました。……私、間違ってました)
私の意識が、熱っぽくビャッコに絡みついていくような感覚に陥る。
「私は……貴女の『要』……。貴女の役に立てているんですよね……?」
「まあ、そういうこと」
「……はい。……これからも頑張ります」
『切断』
プシュウ……と、甘い蒸気が漏れ出す。
強制的に引き剥がされた喪失感に、私はガクガクと震えていた。
視界がチカチカする。息が整わない。
汗ばんだシャツが肌に張り付いて気持ち悪いのに、体の芯だけがカッカと火照っている。
ビャッコはいつものような無表情でコネクタを抜くと、その視線をこちらに向けてきた。
「ふぅ……伝わってよかった」
「……はい。もう迷いません」
「うん」
「……責任、取ってくださいね?」
「うん?」
どうせ意味は分かっていないだろうが、その言質をとったところで、私はおぼつかない足取りでビャッコの部屋を後にしたのだった。
帰り道の記憶はあまりない。
ただ熱に浮かされたように歩いて帰ってきたのは分かっている。
私はベッドまでたどり着くとボスンと勢いよく倒れこむように寝転がる。
「………………………やってしまった」
私が端末を叩くと、目の前に浮かび上がるディスプレイ。
そこには光点がヒューマロット寮の一室で点滅し、その矢印には、『ビャッコ:心拍数45/分』と書かれている。
「あはははは……ストーカーか私は」
試しにできるかもと思って仕掛けてみた追跡アプリはあっさり仕込むことができてしまった。
切断した後、「不用心にしているとこんなことされるんですよ」と言おうと思っていたのに、言い出せないまま帰ってきてしまった。
いや、そもそも本当に言う気はあったのか?
危険性を伝えるだけなら本当に仕込む必要はなかったのではないか?
「最低だ、私。5歳の女の子になにしてんだろ」
言葉にすると本当にヤバさしか感じない。
そのことに激しい自己嫌悪を感じながら、私はアプリのアンインストールを押そうとして、少し迷って強制停止の方を押してしまう。
見ようと思えばいつでも動かせる状態にして。
「私、どうしちゃったんだろう……。どうしたらいいんだろう」
その言葉は深い夜の闇に吸い込まれて、誰にも届くことなく消えていくのだった。
書いててめっちゃ楽しい回でした。
次回から新章です




