第35話 三者三葉のグラビティ(前編)
息抜き回
久しぶりの休日だった。
空は突き抜けるような快晴。太陽の光が、無機質な企業の高層ビル群を柔らかく照らしている。
俺こと、ビャッコは、コーヒー片手に、ヒューマロット寮の食堂で優雅に寛いでいた。
コーヒーは苦いので相変わらずミルクをたっぷり使用しているが。
「おはようございます、ビャッコ。機嫌がよさそうですね」
「おはよう、ナナミさん。わかります?」
顔なじみの女性ヒューマロットのナナミさんの挨拶に俺は(内心は笑顔で)返事する。
いや、よく考えると表情変わらないのによく機嫌がいいなんて分かるな。
恐るべし、保育士さんといったところか。
「耳がピコピコしていましたので」
「? 今、何か言いましたか?」
「……いえ、大したことではありません」
そう言ってナナミさんは首を振った。
俺は小首をかしげながらコーヒーを一飲みする。
「最近、部下たちともうまくいってるし、大きな仕事も無事に乗り切れたし、調子がいいなと思ってたんです」
「つまりは、企業に貢献する喜びを噛み締めていたということですね」
「んー、まあそういうことになりますか?」
なんか微妙にずれている気がするけど、ヒューマロット風に解釈するとそういうことになるか。
仕事が楽しいことで生活に潤いが出るなんて前世では考えられなかった感覚だ。
やっぱり、なんでも一生懸命やってみるもんだね。
そんなことを思いながらナナミさんとの雑談に興じていると、脳内にピロロンと軽い通知音がなる。
何事かと思っていると、それに続くように更に通知音が2つ。
【チャットが3件到着しています】
(チャット? 誰から?)
【アイリス、ネオン、ルミナの3名からです】
こちらが非番なのに突然の部下からの連絡。
仲良くなったとはいえ、まだ職場の同僚以上の関係ではないので、休日に連絡があるなんて珍しいことだ。
俺はどうしたことだろうと思いつつ、チャットを視界に映してもらうことにした。
そして、その内容を見て思わず、コーヒーを落としそうになるのだった。
『件名:至急の相談』 本文:ねえねえビャッコちゃん! 今日の予定空いてる? ちょっと個人的に伝えたいことがあるんだけど。詰所まで来てくれない?
『件名:お願いがあります(アイリス)』 本文:小隊長。あの、もしお時間があれば……二人だけでお話したいことが……。待ってます。
『件名:重要案件について(ネオン)』 本文:お疲れ様です。今後の部隊運営に関わる重要な話があります。今夜、時間をいただけませんか。二人きりで。
俺はそっと天を仰いだ。
愛の告白? まさかな。
パワハラかセクハラの被害報告? ありえる。
それとも、まさかの全員一斉に退職願の提出?
「……あ、胃が痛くなってきた」
さっきまでの平和な気分はどこへやら。
俺の「安息の休日」は、開始わずかで崩壊したのだった。
◆
とりあえず時間をずらして約束を取り付けた俺は、まずは一番「緊急性が高そう(に見えた)」ルミナに会いに詰所まで来た。
今日はルミナとネオンの当番のはずだが、事前に来ることを伝えたところ、その時間帯はネオンには巡回に出てもらうということになった。
……どうしてこんな浮気みたいな真似をして休日に職場に来ているんだろうと疑問が湧くが、まあ仕方ない。
それが中間管理職の役割なのだ。
「いらっしゃーい! お休みの日にごめんねー!」
ルミナは満面の笑みで、俺が詰所に入ってくるなり、いきなり俺との距離を詰めてきた。
「相談ってなに? 装備品の陳情?」
「ちがうちがう! そんな堅苦しい話じゃないよー」
ルミナは部屋の鍵をカチャリと閉めると、ニタニタと笑いながら俺の顔を覗き込んだ。
「ねえ、表立って言いにくかったんだけどさ……。 ビャッコちゃんのその『ナノスキンアーマー』と『最新の義眼』、じっくり見させて!」
「……は?」
俺は思わずポカンと口を開けて疑問の声を上げてしまった。
予想の斜め上でどう反応すべきか、あるいは退職願じゃなくてよかったというべきか。
そんな俺の思いをよそにルミナは手を組んですり寄ってきた。
「だってさー! それ最新型でしょ? アイリスちゃんが気にしてそうだったから触れられなかったんだけど、もう確認したくてたまらなくて!」
ルミナの瞳が、獲物を狙う肉食獣のようにギラついている。
アイリスはたまに俺の目を見ながら悲しそうな顔をしているので、事を荒立てないだけの分別があったことはよかったが、普通、人の義眼や人工皮膚を見たがるものだろうか。
未来の感覚を未だに掴めないところはあるが、少なくとも俺は大して気にしてないので、首を縦に振ることにした。
「い、いいけど……見るだけね?」
「やったー! じゃあ失礼しまーす!」
許可を出した瞬間、ルミナの手が俺の頬に伸びてきた。
「わー、すべすべ! すごい、これ本当に人工皮膚!? 触り心地が完全に人肌じゃん!」
「あ、あんまり撫で回さないで」
ルミナの温かい指先が遠慮なく俺の頬を撫でまわす感覚がくすぐったくて身を捻ろうとするが、がっしりとホールドして離れそうにない。
「目は? 義眼はどうなってるの? ……うわ、精巧だなぁ。虹彩の動きとか、ズーム機能の駆動音とか……ゾクゾクするぅ……」
ルミナの吐息が鼻にかかるほどの至近距離。
彼女は俺の顔を両手で挟み込み、うっとりとした表情で観察している。
潤んだ瞳が至近距離で俺の目をのぞき込んでおり、ちょっと唇を突き出せば当たってしまいそうな距離感だった。
……そんな状況だというのに、なんだろう、この悪寒は。
まるで解剖される前のカエルになった気分だ。
「はぁ……はぁ……いいなぁ、これ。 ……ねえ、最近さ。ビャッコちゃん、だんだん可愛くなってきた気がする」
「!?」
なんだって?
「いや、最初から可愛かったよ? 可愛かったんだけど、最近ビャッコちゃんの横顔を見ているとなんか胸がドキドキするんだよね。なんだろうこの感情。……じゅるり」
ルミナが口元を拭う。
俺は戦慄した。
ルミナの「可愛い」は、人間に対するそれじゃない。
「高性能な機械へのフェティシズム」だ。
俺はルミナを振り払うと一歩距離を置いた。
「もう満足したよね。もう帰る」
「えー、もうちょっとだけ! 服の下のナノスキンがどうなってるのかな?」
「!? !!! !?!?」
ルミナの手が俺の服の隙間に潜り込んで撫でまわそうとするのを振り払って、俺は声にならない声を上げつつ、詰所から逃走した。
背後から響く「ああ、また今度見させてねー!」という声を聞きながら俺は思うのだった。
(助けてお巡りさん! いや、お巡りさん的な存在は俺だったわ)
ルミナと極力二人きりにならないように気を付けようと心に誓う俺なのだった。
◆
ルミナに襲われかけたことでどっと疲れた俺だったが、休む間もなく次の約束の時間が来た。
場所は、居住区にあるショッピングモールの入り口だ。
「……小隊長。お待たせしました」
柱の影から現れたのは、いつものジャージを着たアイリスだった。
だが、その様子がどこかおかしい。
モジモジとジャージの裾を掴み、上目遣いで俺を見ている。
「どうしたの? 改まって『二人きりで話したい』なんて」
「あの……その……」
アイリスは言い淀んでいたが、意を決したように俺の腕にギュッと抱き着いてきた。
「こ、これからは……『お姉さま』と呼んでいいですか?」
その言葉に俺は固まる。
またもや斜め上の相談だった。
「……………なんで?」
「小隊長の温かさに触れて私は感動したのです。小隊長は私を守ってくれたし、これからは私が小隊長を守ります。だからここは二人の関係を一段進めるべく! お姉さまと呼ばせてもらいたいのです!」
えーと。ちょっと何言ってるかわからないぞ。
というか、ただでさえ俺は『企業の猟犬』だの何だの訳の分からない呼び名が増えて困ってるのに、『お姉さま』とか増えるのはちょっと勘弁願いたい。
なにより、最近慣れつつあるとはいえ、心の底から女の子になったのを受け入れ切れていないのだ。
そこで常日頃からお姉さま呼びされたら身もだえしてしまって仕事にならない。
「……それはちょっと」
「……ちぇ。冗談です」
「冗談に聞こえなかったけど」
「冗談はともかく……本題は、これです」
アイリスが、自分の着ているボロボロのジャージを指差す。
「私が小隊長の横にいるのに、この服装は……恥ずかしいでしょうか?」
「え?」
「ネオンに言われたんです。『あんたがそんな薄汚れた格好じゃ、ビャッコの品位が下がる』って。 ……私、小隊長の恥にはなりたくないです」
しょんぼりと肩を落とすアイリス。
俺は苦笑して、彼女の頭をポンと撫でた。
「そんなことはないけど……まあ、確かにそのジャージは限界だね。せっかくだから、服、買いに行く?」
「! はいっ!」
アイリスの表情がパァッと明るくなる。
俺たちはそのままモールへと繰り出した。
買い物中のアイリスは、まるで初めて外の世界に出た小動物のようだった。
エスカレーターに驚き、自動ドアに警戒し、試着室では「狭すぎて落ち着きます……」と立て籠もろうとしたり。
それでも、最終的に俺が選んだシンプルな白いワンピースに着替えると、彼女は鏡の前で何度もくるくると回ってみせた。
「……どうですか? 小隊長」
「うん、似合ってるよ。見違えた」
「へへ……。これなら、隣を歩いても恥ずかしくないですね」
嬉しそうに微笑む彼女を見て、俺は思った。
この笑顔を守れたなら、あの地獄のような地下での戦いも、無駄じゃなかったな、と。
補足しておくと、白いワンピース1着に対し、色んなジャージを7着ほど買っていたので、当面はジャージで出勤することは変わらないようだ。
帰り道。
俺たちは並んで歩きながら、他愛もない会話をして歩いていた。
「アイリスはアイアン・メイデンの中にいたときはどんな過ごし方してたの? 本当にじっとしてたわけじゃないよね?」
「それはまあ、ネットとかしてました。動画見たり、ゲームしたり。あ、もちろん休憩中とか業務時間外ですよ?」
「そこは心配してないよ。動画ってどんなやつ?」
「ん-っと、アイドルのMVとか見ますよ?」
この時代でもやっぱりアイドルとか人気あるんだな。
そういえば最初の頃に、「アイドルはトイレに行かない」とかネオンと言い争っていたのもその影響だろうかと思ったりする。
そんな時、ふと街頭の大型ビジョンを見上げると、ちょうどアイドルらしき女の子が歌っている映像が流れているのが見えた。
映像のテロップには『今をときめくアイドル、ノアが新曲を発表!』の文字が流れている。
そういった方面の娯楽に詳しくないが、街頭映像に流れるくらいだから人気があるんだろう。
アイドルという存在は嫌いではないが、残念ながらおじさんになってからは、若いアイドルグループの顔の区別がつかなくなってすっかりご無沙汰になっていたなあと切ない気持ちになる。
『みんなー! 今日も笑顔で、ハッピーに!』
画面の中で歌い踊る、天使のような少女。
その顔立ちは、隣にいるアイリスによく似ていた、気がするけど、それもおじさんの目によるものかは分からなかった。
「アイリスはあの子知ってる?」
試しに話題を振ってみたが、アイリスはその映像を眺めると、露骨に興味もなさそうに「……ふーん」と呟いただけだった。
「別に、知ってますけど、特に好きなアイドルではないです」
「? そうなんだ」
好きではない以上の何かを感じた気がするけど、気のせいだろうか。
しかし、そんな俺の疑問はアイリスが「早くいきましょう」と言って、俺の腕をさらに強く抱きしめたことで霧散してしまった。
だが、俺はまだ知らなかった。
この何気ない日常の光景が、次の激動の予兆であることを。




