第32話 極夜を貫く朝日
「……チェックメイトよ、ベネディクト」
アイリスの声は、燃え盛る周囲の轟音の中でも、冷たく、はっきりと響いた。
突きつけられたのは、右腕のパイルバンカー。
巨大な鉄の杭が、ベネディクトの眉間――わずか数センチの距離で静止している。
崩れ落ちた制御室の瓦礫の上。
ベネディクトは、死神の鎌を突きつけられながらも、震える手で自身の顔を覆った。
それは恐怖ではない。 歓喜だった。
「あぁ……素晴らしい……! 素晴らしいよ、アイリス!」
彼は恍惚とした表情で、真紅に輝く『アイアン・メイデン』を見上げた。
装甲を捨て、内部フレームを剥き出しにし、過剰なエネルギーで陽炎を纏ったその姿。
それは彼が追い求めた「熱」の化身そのものに見えたのだろう。
「その赤! その熱量! そうか、君もようやく理解したんだね! 冷たい世界なんて必要ない。人は熱の中でこそ一つになれるんだ!」
ベネディクトは白衣のポケットから、古びたリモコンのような装置を取り出した。
中央には、厳重なカバーが外された赤いボタン。
炉心の安全装置を物理的に破壊し、プラントごと自爆するための起爆スイッチだ。
「さあ、おいでアイリス。パパと、みんなと、一つになろう。このスイッチを押せば、僕たちは永遠の熱の中で溶け合える!」
彼の指が、ボタンにかかる。
その目には、一点の曇りもない狂気と、歪んだ愛が満ちていた。
彼は本気で、心中こそが娘への救済だと信じているのだ。
だが。
「……お断りよ」
アイリスの答えは、そっけないほど短かった。
「君はまだ分からないのかい!? 外の世界は寒いだけだ! 誰も君を愛さない!」
「いいえ。……知ってしまったの」
アイリスは、脳裏に浮かぶ「あの人」の顔を思い浮かべた。
自分をかばって焼け爛れた背中。
不器用で、お人よしで、無茶ばかりする、誰よりも温かい上司。
「あんたの熱は、暑苦しくて、痛いだけ」
アイリスの瞳に、強い光が宿る。
「私は、あの人のくれる『ぬるま湯』が気に入ってるのよ!!」
「な――」
ベネディクトが目を見開いた、その瞬間。
彼がスイッチを押すよりも速く、アイリスがトリガーを引いた。
ドチュンッ!!!
破砕音が響く。
火薬式カートリッジによって撃ち出された超硬度の杭が、音速を超えて射出された。
それはベネディクトの持つスイッチを、腕を、そして彼という存在そのものを、背後の制御コンソールごと貫き、粉砕した。
「あっ、た、か……い……」
最後に残ったのは、満足げな呟きだけ。
爆炎が広がり、狂気の科学者は自身の愛した熱の一部となって消滅した。
『警告。中枢制御システム、完全沈黙。炉心圧力、低下。……エラー。地盤支持区画に深刻なダメージを確認』
無機質なアナウンスが響くと同時、世界が揺れた。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
地鳴りではない。崩壊の音だ。
ベネディクトと制御室が吹き飛んだことで、この巨大な地下空洞を支えていた柱がバランスを失ったのだ。
天井から巨大な岩盤が雨のように降り注ぎ、足元の床が裂けていく。
『緊急警報。本区画は崩落します。総員、直ちに退避してください』
「……ッ! 最後まで迷惑な親父!」
アイリスは舌打ちをすると、感傷に浸る間もなく機体を反転させた。
ベネディクトの死などどうでもいい。 大事なのは、生きている仲間だ。
「待ってて、今行くッ!!」
深紅の陽炎を纏った機体が、再び加速する。
目指すは、ビャッコたちを避難させた瓦礫の影。
「アイリスちゃん!」
現場に到着すると、ネオンとルミナが大きく手を振っていた。
二人とも無事だ。そして、その足元には横たわるビャッコの姿。
『乗って! 掴まれる場所ならどこでもいいわ!』
アイリスは機体を屈ませ、マニピュレーターと肩のフレームを差し出した。
本来なら人を乗せる場所ではないが、今は緊急事態だ。
「無茶苦茶ね! でも、仕方ないわ!」
ネオンがビャッコを背負い、器用に機体の肩部フレームにしがみつく。
ルミナは剝き出しになった胸部フレームの縁に飛び乗った。
「準備OK! 出して!」
『舌噛まないでよ! フルスロットルでいくわ!』
ズドォォォォンッ!!
アイアン・メイデンが、爆発的なロケットスタートを切った。
背後で地面が崩れ落ち、灼熱のマグマだまりへと飲まれていく。
その崩壊の波よりも速く、アイリスは駆ける。
目指すは頭上。 遥か彼方に見える、搬入用のシャフト。
そこだけが、唯一の地上への道。
『うおおおおおおおッ!!』
アイリスは叫びながら、垂直に近い壁面をブースト全開で駆け上がっていった。
熱でセンサーが焼き切れそうだ。
フレームが悲鳴を上げている。 それでも、彼女は止まらない。
暗い、暗い、極夜の世界から。 あの人と一緒にいられる、白夜の世界へ。
背後からは、地獄の釜の底が開いたような轟音が迫ってくる。 ベネディクトの自爆によって支えを失った最下層エリアが、ドミノ倒しのように崩壊し、猛烈な土煙と衝撃波が津波となって押し寄せてきていた。
「ひぃぃぃッ! 崩れる! 足元崩れてるわよ!」
「前を見てネオンちゃん! 舌噛むよ!」
肩にしがみつくネオンが悲鳴を上げ、コクピットハッチの縁に乗ったルミナが必死に耐える。
通常の機体重量なら、とっくにレールが破断して落下していただろう。
だが、今のアイリスは「軽い」。
装甲を捨て、武器を捨て、己の身一つになった彼女は、風よりも速かった。
ガギンッ!!
頭上から、建物の瓦礫が雨のように降ってくる。 数百キロはあるコンクリート塊が、直撃コースで落下してくる。
『邪魔ぁぁぁッ!!』
アイリスは減速しない。
右腕のマニピュレーターを一閃。
残像が見えるほどの超反応で、落下してくる瓦礫を空中で殴り飛ばし、粉砕した。
(熱い……!)
コクピット内の温度計は、既にエラーを表示している。
リミッター解除の代償。 機体から噴き出す深紅のエネルギーは限界を超え、アイリス自身の意識を焼き切ろうとしていた。
視界が白く霞む。 手足の感覚がない。
油断すれば、そのまま意識を手放してしまいそうだ。
(……駄目。ここで眠ったら、あの人に怒られる)
アイリスは、己の舌を噛んで意識を繋ぎ止めた。
脳裏に浮かぶのは、瓦礫の影で横たわっていたビャッコの、焼け爛れた寝顔。
あんなになるまで守ってくれた。
「居場所」をくれた。 なら、今度は私が連れて行く番だ。
「……あった! あれだッ!」
頭上に、巨大な構造物が見えた。
かつて地下鉄車両や重機を地上へ搬入するために使われていた、巨大貨物用エレベーターのプラットホームだ。
『間に合えぇぇぇぇぇッ!!』
アイリスはフットペダルを限界まで踏み抜いた。
機体の全スラスターが火を噴く。
迫りくる崩落の波。
『とぉぉぉぉぉッ!!!』
ドガァァァンッ!!!
機体は放物線を描き、エレベーターの広大な床面へと着地した。
衝撃で太いワイヤーが揺れ、火花が散る。
「ルミナ、起動してッ!!」
「やってる! 緊急浮上!!」
ルミナがコンソールに飛びつき、非常用レバーを叩き込んだ。
ゴゥンッ……!!
古びたモーターが唸りを上げ、巨大なエレベーターが上昇を開始する。
直後。
ゴオオオオオオオオッ!!!
足元から、凄まじい熱風が吹き荒れた。
このエレベーターの床は、空気抵抗を減らすために頑丈なグレーチング状になっている。
その網目の隙間から、見えた。
「う、嘘でしょ……!?」
ネオンが絶句する。 眼下の暗闇――遥か底にある「廃熱処理プラント」があった場所から、紅蓮の爆炎が龍のように鎌首をもたげ、シャフトを駆け上がってきていたのだ。
崩壊したプラントの噴煙と爆発が、逃げるエレベーターを飲み込もうと追いかけてくる。
「熱い熱い熱いッ! お尻焼けるぅぅッ!」
網目を通り抜けてくる熱波に、ルミナが飛び跳ねる。
エレベーターの上昇速度よりも、爆炎の上昇速度の方が速い。
金網越しに見える地獄の赤色が、みるみる大きくなっていく。
『……させないッ!』
アイリスは機体の足裏にあるアンカーを金網に突き刺し、固定した。そして、下半身のスラスターを噴射――下方向へ向けて全開にした。
『吹っ飛べぇぇぇぇぇッ!!』
バシュゥゥゥゥッ!!!
機体から放たれる深紅の噴射炎が、迫りくる爆炎を上から押さえつける。
その反動がエレベーターに加わり、上昇速度が強引に加速された。
ガガガガガガッ!!
ガイドレールが火花を散らす。
エレベーターはロケットのような勢いで縦穴を急上昇し――
ドォンッ!!!
一瞬の浮遊感の後、強烈な衝撃と共に停止した。
下層地区との境界にある、緊急閉鎖ブロックだ。
ズズズズズズン……!!
足元の遥か下方から、重く、鈍い音が響いてくる。
耐圧隔壁が閉じられ、その向こう側で爆炎と崩落が衝突した音だ。
廃熱プラントの崩壊は、分厚い岩盤と隔壁によって、地下深くだけに封じ込められたのだ。
「……た、助かった……?」
ネオンが恐る恐る金網の下を覗き込む。
そこにあるのは、閉じられた隔壁の闇だけ。
地獄の火は、分厚い岩盤と隔壁によって、地下深くだけに封じ込められたのだ。
だが、エレベーターは止まらない。
ゴウン、ゴウン……と重苦しい駆動音を響かせながら、長い長い縦穴を上昇し続ける。
「……ここ、下層地区ね」
横を流れる景色が変わった。
剥き出しの岩肌だった壁面が、錆びついた金属とコンクリートの人工物へと変わる。
金網越しに、スラム街特有の、毒々しいネオンサインや薄汚れた街灯が流れていくのが見えた。
かつてアイリスが戦い、這いつくばって生きてきた場所。
湿っぽく、薄暗く、決して太陽の届かない街。
アイリスは、その景色をモニター越しに見つめた。
(……さよなら)
もう、ここも私の居場所じゃない。 彼女は視線を上げ、頭上を仰いだ。
遥か彼方。
長いシャフトの頂点に、針の穴のような「白い点」が見えた。
地上への出口だ。
「……光だ」
エレベーターが上昇するにつれて、その点はみるみる大きくなっていく。
スラムの人工的な光とは違う。
もっと鋭く、純粋で、圧倒的な輝き。
「うわ、まっぶし……」
ルミナが手で顔を覆う。
暗闇に慣れきった彼女たちの目には、その光は刺激が強すぎた。
機体のセンサーすらも、光量オーバーで警告を出している。
それでも、アイリスは目を逸らせなかった。
白んでいく視界。
薄暗いグレーの世界が、鮮烈なホワイトへと塗り替えられていく。
熱い空気は冷たく澄んだものへ変わり、腐敗臭は朝露の匂いへ。
「……行こう、小隊長」
アイリスは呟いた。 貴方が教えてくれた世界へ。
ガコンッ!!
エレベーターが最上階に到達し、ロックが掛かる音。
同時に、頭上の巨大なゲートが左右に開き――
バッ!!
視界の全てが、光に包まれた。
◆
「……っ、はぁ、はぁ……」
機体はゆっくりと前進し、近くの廃工場跡地――かつての搬入ドックへと足を踏み出した。
ドサッ、と膝をつく。
同時に、プスン、と気の抜けた音がして、機体の全システムがダウンした。
深紅に輝いていたエネルギー光が消え、ただの鉄塊へと戻る。
静寂。 聞こえるのは、風の音と、鳥のさえずりだけ。
「……あ……」
アイリスは震える手で、ハッチの開閉レバーを引いた。
プシューッ……。
焼き付いたヒンジが悲鳴を上げながら、ハッチが開く。
そこにあったのは、暴力的なまでの朝日だった。
東の空から差し込む光が、ボロボロになった機体と、煤けた彼女たちを容赦なく照らし出す。
地下の淀んだ闇など、一瞬で消し去ってしまうほどの陽光。
アイリスは目をしばたたかせ、這い出した。
機体の肩部フレームには、ネオンに背負われたままぐったりとしている、ビャッコの姿があった。
「小隊長……! 小隊長……!」
アイリスは転がり落ちるようにして駆け寄り、ビャッコの体を抱き起した。
冷たい。 あんなに熱かった体が、今は冷え切っている。 左半身の火傷は痛々しく、服はボロボロだ。
「嫌……嫌です……! 起きてくださいよぉ……! 帰るんでしょう!? 私たちの家に帰るんでしょう!?」
アイリスの目から、大粒の涙が溢れ出し、ビャッコの頬を濡らす。
パニックになりかけた、その時だった。
「……アイリス、ちゃんと、生きてる」
掠れた、けれど聞き慣れた声。
「え……?」
ビャッコの瞼が、うっすらと開いた。
白く濁った視線が、朝日を浴びてキラキラと光る涙の粒を捉える。
彼女は眩しそうに目を細め、ひどく乾燥した唇で、呟くように言った。
「……がんばったね、アイリス。ありがとう」
「しょ、小隊長……ッ!?」
「それにしても……眩しい」
ビャッコは、ゆっくりと空を見上げた。 澄み渡る青空。
地下の淀んだ空気とは違う、冷たくて美味しい風。
「……あー、死ぬかと思った」
彼女は残った右手を持ち上げ、アイリスの頭をポン、と軽く叩いた。
「帰ったら、報告書、書かないと、ね」
そのいつもの「業務連絡」を聞いた瞬間。
アイリスの中で、張り詰めていた何かがプツンと切れた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁんッ!!」
彼女はビャッコの胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。
安堵と、感謝と、喜びがない交ぜになった、大音量の泣き声。
「よかったぁ……! よかったですぅぅぅ……!」
「痛い痛い、傷に響くってば」
ビャッコは苦笑しながら、泣き止まない部下の背中を、優しく撫で続けた。
その横で、ネオンとルミナも、涙を浮かべて抱き合っている。
朝日が、4人を包み込む。 長く、熱かった夜が明けた。
小隊の、新しい一日が始まろうとしていた。




