第31話 太陽の子守歌
ふっ、と。 世界を焼き尽くしていた轟音が、唐突に途切れた。
『あぁ、もう! これだから急ごしらえの設備は!』
スピーカーから、ベネディクトの苛立った声が響く。
炉心直結のプラズマ噴流は強力無比だが、それを放出する排熱ベント自体が熱に耐え切れなくなったのだ。
赤熱した砲口から黒煙が上がり、強制冷却のための白い蒸気が盛大に噴き出す。
「……あぁ、止まった……」
ハッチの上に立っていたビャッコが、安堵の息を漏らす。
その瞬間。
パキィッ……。
彼女の左腕で必死にプラズマを受け流していたシールドに、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
限界だった。
シールドの発生器がショートし、青白い光の障壁がガラス細工のように砕け散る。
「……ごめん。ここまで、か」
支えを失ったビャッコの体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
意識が途切れ、ハッチの傾斜に沿って地面へと滑り落ちていく。
「小隊長ッ!!」
アイリスは叫ぶと同時に、操縦桿を叩き込んだ。
『アイアン・メイデン』の巨大なマニピュレーターが、人間を掴むにはあまりにも無骨なその鋼鉄の指が、落下するビャッコを空中で優しくすくい上げる。
それは、奇跡のような繊細さだった。
卵一つ割らないような力加減で、アイリスはビャッコを包み込み、そのまま機体を旋回させた。
ズシン。
瓦礫の山の影。 敵の射線が通らず、熱源からも死角になる場所に、アイリスはビャッコをそっと横たえた。
モニターがズームアップする。 映し出されたビャッコの姿に、アイリスは息を飲んだ。
「……っ」
酷い状態だった。
白いジャケットはボロボロに炭化し、肌に張り付いている。
美しい銀髪はチリチリに焼け、露出した左半身は赤黒く焼け爛れていた。
それでも、その寝顔は穏やかだった。
まるで、大仕事を終えて満足した子供のように。
「……馬鹿。大馬鹿よ」
アイリスは涙をぬぐった。 もう、泣いている場合じゃない。
この人が命を削って作ってくれた「時間」を、無駄にするわけにはいかない。
カメラのモニターに慌てて駆け寄ってくるネオンとルミナの姿が映る。
「おやすみなさい、小隊長。……いい夢を」
小隊長のことは仲間に任せ、私は私にしかできないことをやる。
アイリスはマニピュレーターを戻し、ベネディクトがいる中枢制御室に体を向ける。
聞こえるのは、自分の荒い呼吸音と、機体の駆動音だけ。
「……子守歌がうるさいかもしれませんが、我慢してくださいね」
彼女の瞳から、怯えの色が消えた。
代わりに宿ったのは、氷のような静けさと、灼熱の怒り。
『冷却完了! さあ、第二ラウンドだ! 今度こそ消し炭にしてやるよ、愛しい娘!』
ベネディクトの狂気じみた声と共に、再び排熱ベントが赤く輝き始める。
周囲の防衛砲台も再起動し、無数の銃口がこちらを向く。
通常の機体状態なら、もう耐えられない。
装甲は溶解寸前、武装も熱で使い物にならない。 詰んでいる。
「……いいえ、まだ踊れるわ」
アイリスは震える指で、コンソールカバーを力任せに引き剥がした。
その下にある、赤い警告色が塗られたレバーとキーボード。
実装はしたものの使う必要のなかった、禁断の領域。
「システム・オーバーライド。安全装置、強制解除」
カタカタカタッ! 彼女の指がキーボードを叩く。
『警告。リミッター解除は機体の自壊を招きます。パイロットの生命保護を保証できません』
無機質な警告音。 アイリスは鼻で笑った。
「知ったことよ。……私が保証するわ」
彼女は最後に、エンターキーを拳で叩き込んだ。
「起動――『紅蓮の舞踏会』!!」
ドクンッ!!
機体が脈打ったような音がした。 直後。
バシュゥゥゥゥッ!!!
『アイアン・メイデン』の全身から、爆発的な蒸気が噴き出した。
ボロボロに溶けかけていた外部装甲が、留め金を外されて一斉にパージされる。
ドレスのような外装が地面に落ち、土煙を上げる。
中から現れたのは、無骨なシルエットとは程遠い、細身で凶悪な内部フレームだった。
装甲を捨て、放熱フィンを全開にしたその姿。
隙間から漏れ出す余剰エネルギーは、冷却液と混ざり合い、深紅の霧となって機体を包み込む。
ボゥッ!!
大気が歪む。 機体の周囲の空気が、高熱で陽炎のように揺らめいた。
それはまるで、血で濡れた真紅のドレスを纏っているかのような、禍々しくも美しい姿。
コクピット内の温度計が、一気にレッドゾーンを振り切った。
サウナなんて生温い。ここは灼熱地獄だ。 汗が噴き出し、喉が張り付く。
「あぁ……熱い……」
アイリスはうっとりと呟いた。 意識が朦朧とする。 でも、不思議と苦しくはない。
「でも、もう怖くない」
彼女は操縦桿を握りしめた。 背中には、あの人がいる。
この熱さは、あの人が耐えてくれた熱さに比べれば、心地よい微熱みたいなものだ。
アイリスは操縦桿のトリガーを引いた。
左腕のガトリング砲と、背中のミサイルランチャー。
通常の彼女なら、これで敵陣をハチの巣にしているところだ。
しかし。
ガガガッ……!
鈍い金属音が響くだけで、弾丸は発射されない。
モニターに無慈悲なエラーメッセージが表示される。
『警告。砲身溶解。弾薬装填機構、熱変形により作動不能』
「……チッ」
やはり、さっきの熱波で武装は全滅か。
これでは、ただの案山子だ。 ベネディクトの高笑いが聞こえる。
『あははは! どうしたんだい? おもちゃが壊れちゃったのかな? なら、パパが壊してあげるよ!』
ダダダダダダッ!!
敵の砲台が一斉に火を噴く。 さらに、中央の排熱ベントから、再びあの忌まわしいプラズマの光が凝縮され始めた。
詰んでいる。 誰もがそう思う状況。
だが、今のアイリスは違った。
「……動かない武器なんて」
彼女は操縦桿を強引にねじり、マニピュレーターを背中へと回した。
自身の背負っている、巨大なミサイルコンテナを掴む。
「ただの重りよッ!!」
ギギギギギッ!!!
金属が悲鳴を上げる。
アイリスは、数トンあるミサイルコンテナを、機体の怪力だけで強引に引きちぎった。
接続ボルトが弾け飛び、火花が散る。
「飛んでけぇぇぇぇッ!!」
ブンッ!!!
アイアン・メイデンの豪腕が唸りを上げる。
彼女は引きちぎったコンテナを、まるでボールのように敵の砲台群へ向かって全力投球した。
鉄塊が空気を切り裂き、放物線を描いて敵陣のど真ん中へ落下する。
ドォォォォォンッ!!!
着弾の衝撃に加え、コンテナ内部に残っていた弾頭が一斉に誘爆した。
凄まじい爆風と炎が巻き起こり、並んでいた砲台群を根こそぎ吹き飛ばす。
『な、なにィッ!?』
ベネディクトの悲鳴。 物理と爆発の暴力が、緻密な防衛ラインを粉砕したのだ。
「道は開けた……!」
アイリスはフットペダルを限界まで踏み込んだ。
装甲をパージし、重い武器も捨てた今の機体は、戦闘機もかくやという加速力を手に入れていた。
ドオォォォンッ!!
爆発的な加速。 残像が見えるほどの速度で、深紅の陽炎が戦場を疾走する。
『させるかぁッ!!』
ベネディクトが叫び、排熱ベントからプラズマの奔流が放たれる。
だが、遅い。 アイリスはジグザグにステップを踏み、光の帯を紙一重でかわしていく。
「見えてる……! 全部、止まって見えるわ!」
コクピット内の熱気で、意識はもうろうとしている。
視界の端が白く霞み、手足の感覚がない。
だが、不思議と恐怖はない。
(熱い。体が溶けそう。……でも、私の心臓は冷たいくらいに落ち着いている)
だって、私には一番近くに――背中の安全地帯に、最強の味方がいてくれるから。
あの人がくれた命。あの人が守ってくれた時間。 一秒たりとも無駄にはできない。
「そこぉッ!!」
アイリスは噴き出すプラズマの隙間を縫うように、一気に距離を詰めた。
敵の予測演算を遥かに超える機動力。
気が付けば、彼女はもう目の前――崩れ落ちた制御室の瓦礫の上、ベネディクトがしがみついている排熱ベントの目前にいた。
『ひっ……!?』
ベネディクトが息をのむ音が聞こえた。 目の前に立つのは、装甲を剥ぎ取り、骨組みだけになった血濡れの巨人。
その姿は、かつて彼が愛した「娘」ではなく、彼を断罪しに来た死神そのものだった。
「……チェックメイトよ、ベネディクト」
アイリスの声は、静かだった。 彼女は唯一残った右腕の武装――パイルバンカーを、無防備な排熱ベントへ突きつけた。
リミッター解除は男のロマン




