第30話 灼熱の雨、たった一枚の傘
ズゴォォォォォォォォッ!!!
プラズマの奔流が、『アイアン・メイデン』を包み込む。
機体は真正面からその熱量を受け止め、悲鳴を上げた。
『警告。外部温度、計測不能。装甲融解率、危険域を突破』
コクピット内は、瞬く間に蒸し風呂と化した。
断熱材が焦げる臭いと、電子回路がショートする火花が散る。
「熱い……熱い、熱い……ッ!」
アイリスは操縦桿にしがみついたまま、うわ言のように繰り返した。
視界が赤く染まり、意識が遠のいていく。 その熱さが、思考を溶かし、封じ込めていた記憶の蓋をこじ開けた。
――ここはお前の家だ。パパの元へお帰り。
狂った男の声が、脳裏に響く。
……そうだ。最初は、優しかった。
7年前、身寄りのない私に温かいスープをくれて、頭を撫でてくれた。
「今日からここが君たちの家だよ」と笑ってくれた。
それが嬉しくて、私は一生懸命働いた。
だが、現実はそんなに優しくない。
毒素を含んだ空気と襲い来る熱が、子供たちの体力を容赦なく奪い去っていった。
パパは精一杯カバーしてくれようとしていたが、仲間が一人、また一人と倒れていく。
一瞬の油断で高熱は皮膚をただれさせ、毒素に耐え切れなくなった者は息ができなくなって死んでいく。
その度にパパは泣き、傷ついているようだった。
だが、いつの頃からだっただろうか。
パパの様子が変わっていったのは。
「あはは、見てごらん。あの子は熱に愛されて、あんなに赤くなってる」
楽しそうな鼻歌が聞こえる。 作業場の通路。 パパが台車を押している。
その上には、黒く焼け焦げた炭のような塊が、山積みになっていた。
昨日まで一緒に笑っていた友達だったもの。
それを、まるでゴミ出しの日みたいに、ニコニコしながら運んでいた。
『次は、アイリスの番だよ』
「……いやぁぁぁッ!!」
私は逃げた。
パパに煮えたぎる廃液を浴びせて、転げまわる彼を背に、泣きながら走った。
生きるために『アイアン・メイデン』を奪い、その中に閉じこもった。
逃げた後も、戦いの連続だった。
下層地区の用心棒や地下闘技場で戦い続ける日々。
小隊長たちに言えないような汚い仕事もあった。
その力に喜ぶ者もいたが、中身はいつだって震えていた。
誰も信用できない。近づく奴は全員敵だ。
ふと気まぐれで、治安維持部隊に入った。
ここなら、合法的に「殻」の中にいられると思ったから。
「君の希望通り、夜勤を一人でするようにシフトを決めておいたよ」
前の小隊長は、困ったような顔でそう言った。
腫れ物に触るような、怯えた目。
「でも、気が変わったらいつでも言っていいからね」
「……ふん、そんな日は来ませんわ」
私は彼を拒絶した。
どうせあなたも、私が邪魔なんでしょう?
化け物を見るような目で見ないで。放っておいて。
そんな小隊長がいなくなったと聞いても特に感じることはなかった。
そして、この一週間、新たな部隊のメンバーと一緒に働くことになった。
どうせここも同じだと思っていた。
ドックの隅で、私は膝を抱える。
黒髪の女――ネオンは、たまにこちらを睨みつけて、舌打ちをして去っていく。
メカニックのルミナは、「ねえ、整備させてよ~」と毎日騒ぐが、私が無視を決め込むと、つまらなそうに肩を落として立ち去る。
みんな、私を嫌っている。 扱いに困っている。
それでいい。期待なんてしない。されたくもない。
なのに。
「……お疲れ様」
白いジャケットを着た、新しい小隊長。
ビャッコ。
あの人だけは違った。
毎日、私が寝ている機体の前に、サンドイッチや温かい飲み物を置いていく。
嫌味も言わない。無理に話しかけようともしない。
ただ、書類仕事だけは完璧にチェックされていた。
ある朝、私が提出した報告書に、返信が来ていた。
『報告書、ありがとう。要点がちゃんとまとまってた。助かる』
「……変な人」
私はそのメールを眺めて、少し悩んで削除した。
私はこんなに性格が悪いのに。
挨拶もしないし、ブリーフィングにも出ないし、ずっと殻に閉じこもっているのに。
どうして仕事を褒めるの? どうして見捨てないの?
『関係ない。私はアイリスが大切』
先ほどの、ビャッコの言葉が蘇る。 あの時の体温。 涙を拭ってくれた指の感触。
(あ……)
意識の底で、何かが繋がった。
私は、一人じゃなかった。居場所なんてないと思っていたけれど、あの人がくれた。
「……んぅ……」
アイリスは重い瞼を開けた。 熱い。まだ体は焼けるように熱い。
でも、さっきまでの「死」を感じさせるほどの激熱は、引いていた。
「……あれ?」
機体温度が、下がっている?
直撃を受けていたはずのプラズマの奔流が、コクピットを避けている?
アイリスは霞む目で、メインモニターを見た。 そこには、信じられない光景が映し出されていた。
機体のハッチの上。 そこに、小さな人影が立っていた。
白いジャケットを着た、華奢な背中。 左腕に展開した、今にも壊れそうな青白い光の盾を掲げ、奔流のようなプラズマを左右へ受け流している。
「……ッ、ぐぅ……ッ!!」
苦悶の声が、マイク越しに聞こえる。
生身の人間が。 あんな華奢な体で。 私の巨大な機体を守るために、火の粉を浴びながら仁王立ちしている。
「し、小隊長……?」
その姿を見た瞬間、アイリスの背筋が凍り付いた。
シールドは、確かに直撃を防ぎ、熱線を左右に割っている。
だが、その隙間から漏れ出す強烈な「輻射熱」は防げていない。
ビャッコの着ている白いジャケットが、見る見るうちに茶色く焦げ、炭化していく。
露出した首筋や、シールドを支える左手が、熱で焼かれていくのが見えた。
ジジッ……ジジジッ……。
肉が焼ける音が、マイクノイズに混じって聞こえてくるようだ。
白く透き通るようだった肌が、赤く腫れあがり、水泡ができ、そして黒く焼け爛れていく。 髪の毛がチリチリと燃え縮み、美しい顔が苦痛に歪む。
(あ、あぁ……)
その光景が、重なる。 7年前の悪夢。
台車に乗せられていた、黒く焼け焦げた友達の姿と。
(嫌だ……嫌だ……!)
私のせいで、また人が死ぬ。 私を守るために、あの人が燃えていく。
「なにやって……なにやっているんですか! 小隊長!」
アイリスは絶叫した。 操縦席から身を乗り出し、モニターに向かって手を伸ばす。
「……気が付いた? アイリス」
ビャッコが、ゆっくりと振り返った。 その顔半分は、既に酷い火傷を負っていた。
呼吸をするたびに、焼けた喉がヒューヒューと音を立てているのが分かる。
立っているのが奇跡のような状態だ。
それなのに、彼女の表情はどこまでも冷静だ。
とても苦しいはずなのに、まるでぐずる子供をあやすように、優しくこちらに視線を向けている。
「やめてください! 死んでしまいます! 降りて! 早く降りてください!!」
アイリスは泣き叫んだ。 こんなこと、望んでいない。
私が溶けるのはいい。7年前にそうなるはずだった命だ。
でも、あなたが溶けるのは嫌だ。
だが、ビャッコは首を横に振った。
「……私は小隊長だから」
その声は、掠れていて、震えていた。 でも、鋼のような意志が宿っていた。
「部下をカバーするのは、上司の役目。……それに、アイリスのことは私が守るって言ったでしょ?」
バヂヂッ!!
シールド発生器から火花が散り、ビャッコの左腕がガクンと下がる。 熱波が彼女の頬を舐め、新たな火傷を刻む。 それでも、彼女はシールドを構え直した。
「こんな熱なんて、へっちゃらだよ」
「嘘だ! 嘘つき! 焼けてるじゃないですか! 死んじゃうじゃないですかぁぁッ!!」
「大丈夫。……だから、力を貸して、アイリス」
ビャッコは、焼け爛れた手で拳を握り、機体の装甲をドン、と叩いた。
「ここから先は、君の番だ」




