第29話 再演される悪夢
ブォンッ!!
爆発的なスラスター音と共に、黒鉄の塊が宙を舞った。 それは優雅なダンスではない。
数百キロの鋼鉄が、純粋な運動エネルギーの暴力となって敵陣に叩きつけられる、破壊の跳躍だ。
ズドォォォン!!
着地と同時、衝撃波が広場を揺らす。
『アイアン・メイデン』の足元にいた数体のトイ・ソルジャーが、それだけでプレス機にかけられた空き缶のようにひしゃげた。
『さあ、ダンスの時間よ。 ――ステップの刻み方は、私が教えてあげる』
外部スピーカーから響くアイリスの声は、氷のように冷たく、澄んでいた。
さっきまでの、泣き叫んでいた子供の声ではない。
恐怖を理性でねじ伏せ、怒りを操縦桿へ変換する、戦士の声だ。
「……よかった、間に合った」
俺は瓦礫に背を預けながら口元を緩めた。
血を流しすぎて視界がチカチカするが、その光景だけは鮮明に焼き付いている。
『パパヲ守レ。侵入者ヲ排除セヨ』
生き残ったトイ・ソルジャーたちが、一斉にアイアン・メイデンへ銃口を向ける。
数百発の銃弾が黒い装甲を叩く。
だが、環境保全用の極厚装甲は、小銃程度では揺るぎもしない。
『硬い殻でごめんなさいね。――お返しよ』
アイリスが操縦桿を引き絞る。 右腕の20mmガトリング砲が回転を始めた。
ブブブブブブッ!!!
重低音が響き渡る。
劣化ウラン芯を含んだ対装甲徹甲弾の嵐が、扇状に広場の敵を薙ぎ払う。
おもちゃのような丸っこいロボットたちが、次々と紙吹雪のように弾け飛び、火花とオイルを撒き散らしてスクラップへと還っていく。
『次』
アイリスは破壊された残骸に見向きもしない。
スラスターを吹かし、滑るように敵の懐へ潜り込む。
左腕のパイルバンカーが、獲物を求めて唸りを上げる。
『遅いわよっ!』
ドチュンッ!!
太い杭が、大型ドローンの装甲を豆腐のように貫いた。
内部の動力炉ごと破壊されたドローンが、断末魔の爆発を起こす。
だが、爆風が晴れた時には、アイアン・メイデンは既に次の標的を捉えていた。
速い。そして、無駄がない。
以前の彼女の戦い方は、華麗だが必要以上に相手を痛めつける様子があった。
だが今は、敵の射線を読み、最小限の動きで回避し、確実に急所を潰している。
(……よく見えてる)
俺は感心した。
その戦い方はどことなく、A.R.E.S.の誘導に従っている時の俺の戦い方を彷彿とさせるような無駄のない華麗な動きだった。
『そっちに行かせないわよ』
ビャッコたちの元へ回り込もうとした敵小隊を、アイリスはブーストタックルで強引に割り込んで阻止した。 自らが壁となり、俺たちへの射線を完全に遮断する。
『私の小隊長は、今、休憩中なの。……起こさないでくれる?』
ガシャァァァン!!
巨大なマニピュレーターが敵兵を鷲掴みにし、握りつぶす。
圧倒的だった。
「殻のないカタツムリ」は、殻を取り戻した瞬間、難攻不落の要塞へと変貌していた。
「……すっご。アイリスちゃん、本当にあの子?」
俺に駆け寄ってきたルミナが俺の肩に包帯を巻きながら、呆然と呟く。
「きっとあれがアイリスの本来の姿なんだよ」
俺はネオンに肩を貸してもらい、立ち上がった。
広場の敵戦力は、既に半壊している。
『馬鹿な……。私の可愛い兵隊たちが……!』
スピーカーから、ベネディクトの狼狽した声が響く。
シナリオが狂ったことに、彼は初めて焦りを露わにしていた。
『どうしてだ、アイリス! なぜだ! あんなに震えていたのに! あんなに弱かったのに! なぜパパのところへ帰ってこない!』
『……帰る?』
アイリスの機体が、最後の敵兵を踏み潰して停止した。
真紅のカメラアイが、頭上の中枢制御室を睨みつける。
中央制御室の窓越しにベネディクトの姿が見えた。
『私が帰る場所はすでにある。……あんたの元じゃない』
彼女の声には、もう迷いも甘えもなかった。
『私は弱くて、泣き虫で、一人じゃ何もできない。……それを認めるわ。だから、私には支えてくれる人が必要なの』
機体のマニピュレーターが、胸の前で拳を握る。
『私を見てくれる人。私を必要としてくれる人。……私の「上司」がいる場所が、私の居場所よ!』
その宣言と共に、アイリスはガトリング砲を制御室へ向けた。
『覚悟しなさい、ベネディクト。……死んでいった子達の分まで償わせてあげるわ!』
ダダダダダダダッ!!
ガトリング砲の斉射が、制御室の防弾ガラスを叩く。
強化ガラスに無数の亀裂が走り、ベネディクトが悲鳴を上げて奥へ引っ込むのが見えた。
「やったか!?」
ネオンが叫ぶ。
だが、制御室の防壁は厚かった。ガラスはひび割れこそすれ、崩壊には至らない。
『クソッ……クソッ……! 生意気だ、生意気だ、生意気だぁッ!!』
スピーカーから、子供のような金切り声が響く。
ベネディクトの顔がモニター越しに歪んでいるのが見えた。 愛おしさと憎悪が入り混じった、狂気そのものの表情。
『せっかく優しくしてあげたのに! 最高の死に場所を用意してあげたのに! どうしてパパの愛を分かってくれないんだ!』
『愛だなんて反吐が出るわ! あんたが愛してるのは「熱」だけでしょ!』
アイリスが叫び返す。 だが、ベネディクトはもう彼女の言葉を聞いてはいなかった。
彼は制御卓にしがみつき、血走った目でキーボードを叩き始めた。
『……そうか。なら仕方ない。分からないなら、教えてあげないとね』
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
突如、プラント全体が地鳴りを上げて振動し始めた。
足元のグレーチングがガタガタと震え、周囲の配管からシューッ!という不気味な蒸気が噴き出す。
「な、なにごと!?」
「地震!? いや、違う!」
ルミナが携帯端末を見て顔色を変えた。
「炉心のリミッターが外されてる! ベネディクトの奴、炉内の高圧プラズマを『排気』じゃなくて、指向性の『奔流』としてぶっ放す気だよ!」
『反抗期の娘には、少しきつい「お仕置き」が必要だねぇ……』
ベネディクトの声が、今までで一番低く、冷たく響いた。
制御室の下部。 本来は炉心の余剰熱を逃がすための巨大な緊急排熱ベントが、ゆっくりと装甲を開き始めた。
その奥で、太陽の欠片を閉じ込めたような、ドロドロとした眩い光が凝縮されていくのが見える。
「まさか……ここを丸ごと焼く気か!?」
俺が叫ぶと同時に、ベネディクトが笑った。
『暖かくしてあげるよ、アイリスゥッ!!』
カッ!!!!
視界が白一色に染まる。 放たれたのは、鋭利なレーザーではない。
炉心直結、数千度の高密度プラズマ噴流。 電気を帯びた超高熱のガスが、濁流となってアイリスへ、そしてその背後にいる俺たちをも一瞬で蒸発させる軌道で放たれた。
「――ッ!!」
アイリスの脳裏に、最大級の警報が鳴り響く。
(避けなきゃ) (避けなきゃ死ぬ) (避けなきゃ溶ける)
生物としての本能が、全細胞が、今すぐその場から飛び退くように叫んでいる。
彼女の反射神経と機体の機動性があれば、避けることは可能だった。
彼女が避ければ、彼女自身は助かる。 だがその代わり、後ろにいる生身のビャッコたちは消滅する。
悪夢の再来。 圧倒的な熱量が、再び彼女を襲う。
だが。
『……退かないッ!!』
アイリスは操縦桿を逆に押し込んだ。 回避ではない。
彼女は機体の両腕をクロスさせ、踵を地面に深く突き刺し、真正面からその光を受け止める体勢を取った。
「アイリス!!」
俺の叫びは、轟音にかき消された。
ズゴォォォォォォォォッ!!!
光の奔流が、『アイアン・メイデン』に直撃する。 空気が一瞬で電離し、衝撃波が広場を薙ぎ払う。
『ぐぅぅぅぅぅぅッ!!!』
機体が悲鳴を上げる。
環境保全用の対熱装甲が、瞬く間に赤熱し、オレンジ色に輝き始める。
表面の耐熱コーティングが自ら気化し、熱を奪い去ろうとするが、供給される熱量が桁違いだ。
装甲板が飴細工のように溶け、ボロボロと剥がれ落ちていく。
『警告。装甲アブレーション、限界。冷却液、沸騰。排熱が追いつきません』
コクピット内は、地獄のような赤色灯に染まっていた。
無感情なシステム音声が、死へのカウントダウンを告げる。
「熱い……熱い熱い熱いッ!!」
アイリスは歯を食いしばり、必死に耐えていた。
だが、物理的な熱は容赦なく機体内部へと浸透してくる。
空調システムは既に悲鳴を上げ、送られてくる風は熱風へと変わっていた。
『あはははは! どうだいアイリス! パパの愛は暖かいだろう!?』
スピーカーから、ベネディクトの狂喜の声が響く。
『逃げてもいいんだよ? 一歩横に退けば、君は助かる。……その代わり、後ろのネズミたちが消し炭になるけどねぇ!』
そう。彼は分かっていてやっているのだ。 アイリスが仲間を見捨てられないことを。
かつて仲間を見捨てて生き残った彼女に、再び同じ選択を突きつけているのだ。
「退く……もんですか……ッ!」
アイリスは汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら、操縦桿にしがみついた。
(小隊長は……逃げなかった)
(私を守るために、生身で弾丸を受け止めてくれた)
(なら……私が退けるわけがないッ!)
『装甲融解率、40%。コクピット内温度、60度を超過』
「う、あぁぁぁ……ッ!」
意識が朦朧とする。 視界が揺らぐ。 熱気が肺を焼き、思考を焦がしていく。
その熱さが、7年前の記憶を呼び覚ます。
――助けて、熱いよぅ。 ――アイリス、行かないで。 ――みんな溶けちゃうよ。
死んでいった仲間たちの声。 ドロドロに溶けた作業服。 剥がれ落ちる皮膚。
「いやぁぁぁッ!! 熱いぃぃッ!!」
トラウマがフラッシュバックする。 強気な「女王」の仮面が、熱で溶かされていく。
そこに残るのは、ただの怯える子供。
『あらら、泣いちゃったかい? よしよし、もうすぐ楽になるよ』
ベネディクトがコンソールの出力をさらに上げる。
熱線の輝きが増し、アイアン・メイデンの装甲がボロボロと崩れ落ち始めた。
「アイリスちゃん!! もうダメ、逃げて!!」
ルミナが叫ぶ。 だが、アイリスは動かない。
いや、恐怖で体が硬直し、動けなくなっていた。
「あ、あぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
うわ言のように謝罪を繰り返す。 パニック状態だ。限界が来ている。
機体の膝がガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだ。 もし彼女が膝をつけば、熱線は機体を乗り越え、俺たちを焼くだろう。
(……くそッ、ここまでか……!)
俺は血まみれの体を引きずりながら、歯噛みした。
アイリスはよくやった。
トラウマを乗り越え、ここまで耐えた。 だが、相手が悪すぎた。施設そのものを武器にする狂人相手に、一機のロボットでは分が悪すぎる。
「……ネオン、ルミナ」
俺は震える足で立ち上がった。
「え……?」
「私がシールドを展開して突っ込む。一瞬だけ熱線が逸れるはずだから、その隙に、逃げて」
「はぁ!? 死ぬわよ!? さっきの傷で立つのもやっとなのに!」
ネオンが俺の腕を掴む。 だが、俺はその手を優しくほどいた。
「これは上司命令。……部下を助けるのは小隊長の役目」
俺は壊れかけた簡易シールド発生器を、再び左腕に装着した。
バッテリー残量は残りわずか。 防げるのは何秒あるのか。 だが、それで十分だ。
「ビャッコ……!」
「行くよ」
俺は深く息を吸い込んだ。 灼熱の空気が肺を満たす。
目の前では、アイアン・メイデンが今にも溶解しそうになりながら、それでも立ち続けている。 中からは、アイリスの悲痛な叫び声が聞こえる。
「助けて……パパ……熱いよぉ……」
もう限界だ。 彼女の心が壊れる前に、終わらせる。
俺は地面を蹴った。 痛む体が悲鳴を上げるが、知ったことか。
「アイリスッ!! 待ってて!」
俺は熱風を切り裂き、赤熱する鋼鉄の巨体へと飛び乗った。




