11・《絶無空間》
「困ったな……」
レックスの剣技を回避しながら、俺はこれからのプランを考えていた。
「ちくしょおおおおおお! どうして当たらないんだよおおおおお!」
レックスは必死の形相で剣を振るっている。うん、どう見ても本気だ。
これだけ遅かったら、わざと負けるのも難しいな。どうしても八百長っぽくなってしまう。
「うーん、どうしたものか……」
やがてレックスの動きが止まり、彼は膝の上に両手を置きながら息を整えていた。
「はあっ、はあっ……やるね。僕の千殺剣をくらっても無事でいられるとは。だが、何発かは当たった……はずだ。うん、そのはずだ。全てを回避するなんて有り得ない……」
なにを言っている。こんな児戯みたいな剣ごっこでは俺に一発すら擦りもしない。
「レックス。その……神速剣ってのはこれで終わりか?」
「な、なにを言っている」
「なにか奥の手を隠してたりしないか? 聞いた話によると、ボスには第二形態、第三形態は当たり前だ。そういうの、やれないか? 姿とか変わったりしないか?」
魔神ムギュロスも第八形態まで隠し持っていた。
あの時は面倒臭かった。特段強いとは一度も思わなかったが、戦う時間が長引いたのだ。いっそのこと「第二、第三……をすっ飛ばして第八形態になってくれないか?」と言いそうになったが、魔神が落ち込みそうだったので止めておいた。まあ今から殺す相手のことを考える俺も変な話だが……。
「だから君はなにを言っている!」
しまった。
気遣いのつもりで言ったが、さらにレックスは声を荒らげる。
「こんなにコケにされたのは久しぶりだよ……やはり君は殺さなければならないようだね」
「殺す……か」
「さっきの攻防で君も疲労したはずだ。僕は後一回、千殺剣を放つことが出来る。無論僕の体も無事ではすまないが、君を倒すのには使わなければならないようだね」
レックスは再度剣を構えた。
「謝るなら今のうちだよ?」
「俺、なにも悪いことしてないし」
「本当に今のうちだよ!? 死んじゃうかもしれないよ? 謝れ! というか早く謝ってくれ!」
「謝らねえよ。俺を怖がっているようにしか思えない」
「……! し、死んでから後悔しても遅いからな! はあああああ!」
最後の力を振り絞って、レックスは剣を振り上げる。
疲れのためか、先ほどよりも遅い。やっぱりこりゃダメだ。
「仕方ない」
これはあんまり使いたくなかったがな。しかしこの場を切り抜けるためなら仕方がなかろう。
俺は集中し、空間を隔離したのであった。
「こ、ここはどこだ……?」
レックスは戸惑っている。
さっきまでいた中央広場の光景ではない。
周囲は黒いもやみたいなものがかかり、地面もまるで雲の上に立っているかのように不安定だ。
もちろん、観客は誰もいない。この空間に俺とレックスだけが対峙していた。
「《絶無空間》だ」
「絶無……空間……?」
レックスの剣を持つ手が震えている。
「まあさっきまでとはまた違う次元に連れてこられた、そう思っていいかな。ここだったら思う存分、お前に攻撃出来るものでな」
「君は一体なにを——」
彼が口を開くよりも早く、俺は動いていた。
俺はレックスの背後に回り込む。動きが速すぎて、彼の目では捉えきれなかっただろう。
「動くな」
「……!」
「俺は普通の生活をしたかったからな。街に出掛けるのに、お前みたいに武器を持ち歩いていない。だが、暗殺者というものは手ぶらでも相手を殺す術を持っているものだ」
俺はレックスの首筋に人差し指を当てる。
鋭利に変化した爪がレックスの肉に食い込んでいた。つーっと細い血が滴り落ちる。
「ぼ、僕をバカにするなあああああ——ぐっっっっっ!」
こいつは相手との実力差も理解出来ないのだろうか。
動いたので、俺は指を離し、代わりに彼の腕を後ろから捻り上げた。
折れてはいないが、十分痛めたはずだ。とてもじゃないが、しばらくは剣を握ることすら出来ないだろう。
「さっき『殺す』って言ったよな?」
「痛い……痛い……っ」
「殺すってのを軽々しく口にするな。殺すってのは相手の人生を背負うってことだ。お前がその重圧に耐えられると思うのか?」
俺は今まで何人もの人を、そして魔物を殺してきた。
そのことについて目を逸らすつもりもない。いや、逸らしてはいけないと思っている。
一番最初、人を殺した時は眠れなかった。目を瞑れば、殺した人の顔が浮かんできて「お前は絶対に許さない」と声を投げかけてきたからだ。
感覚が麻痺してきたのかもしれない。俺はいつしか人を殺しても、夢で相手が出てこなくなったし、美味しくご飯も食べられるようになっていた。
しかし殺した相手のことは、一人たりとも忘れたことはない。
殺した相手の分まで生きてやる。俺はそう誓った。
「お前に人を殺すことは出来ない」
「ぐああああああ!」
もう片方の腕も捻り上げる。
これで完全にレックスは戦う術がなくなった。
「それでも誰かを殺したくなった時は……いい暗殺者を紹介してやる。もっとも、暗殺者に依頼するなんて度胸もなさそうだがな」
結局こいつは魔物を殺すことくらいしか出来ないのだ。
人の『命』をやり合うことに慣れていないし、そもそも向いていない。
「だからもう俺達には関わるな。もしまたなにかちょっかいを出してきた時は——今度は全力で相手をしよう」
瞳から涙を流すレックスは、何度もこくこくと頷くのであった。
《絶無空間》を解除する。
「「ラウル!」」
するといきなりアイリスとエノーラが駆け寄ってきた。
「いきなり消えたように思ったけど……大丈夫だったの? レックスの魔法かなにか?」
「そなたはもう二度と戻ってこないと思っていたぞ!」
ああ……周りから見ると、そういう風に見えるのか。俺達が急にいなくなったようにな。
視線を移すと、レックスは地面でうずくまっていた。
無論《絶無空間》で被ったダメージは、それを解除したとしても受け継がれることになる。
「ああ、どうやらレックスが使った魔法が暴発したみたいだな。そのせいで、一瞬だけだが別次元に転移させられてしまった」
「そ、そんなことが!? あんた、平気なの?」
「俺はな。だが……」
レックスの周りにも人が寄っていた。
「お、おい! レックス、大丈夫か!」
「大変だ……腕が変な方向に曲がってやがるぞ!」
「いや、それよりも精神的ダメージの方が深刻だ。レックス、レックス! 正気を保て!」
「あの少年の言葉を信じるなら、一瞬だけだが別次元にいってたみたいだからな。こうなってもおかしくない……!」
レックスは「はは、ははは! 殺される、殺されるっ!」と叫び、なにかに怯えているようであった。目の焦点も合っていない。
「勝負はお預けだな」
負けることも難しかった。とはいえ勝つなんて真似もしたくなかった。
《絶無空間》を使って引き分けに持ち込む。それが今回の俺の企みである。それはまんまと成功した。
レックスがもう少し強ければ、わざと負けてやれたんだが……弱すぎたからこうなったのも仕方ない。
「じゃあアイリス、エノ……じゃなくてエレノア。今のうちに行くとするか」
「え、ええ」
「あの調子じゃったら、もう妾達にちょっかいを出してくることはなさそうじゃな」
俺達は騒ぎに紛れて、そっとその場から去るのであった。




