*遠見のモノ*
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紫炎 ロア・ティシード・ディバインは面倒事が嫌いである。
大抵の人間がそうだと言われてしまえば、その通りであろう。けれども彼の気質は、幼少からその気質が際立っていた。
下手に関わろうとした者たちは、大抵がその舌尖によって少なくない傷を負う。
合理性を好み、不合理を疎んだ。
その身分故に遠巻きにするか、あるいは卒の無い自信家ほど過剰にすり寄ろうとする傾向に分かれてゆく。
だがその両者とも、彼は疎む姿勢を隠しもしなかった。
結果として生まれる孤高。
しかしながら物事には例外がつきものである。
「大佐、先ほど送られて来た定期報告です。今ご覧になりますか?」
「あぁ。一応目を通しておく」
副官である女性仕官――コーデリア・エルノートは手渡した書簡と、すぐさま広げて文面を流し見する上司をじっと見守る。
「今のところシェーナ橋における四名の高位魔物たちとの戦闘以外、特別な接敵は無いらしいな……」
「それにしても初日から引き当てるなんて……。やはり彼女だからということでしょうか」
「ふん、飛んで火にいる夏の虫といったところか」
読み終えた書簡を丸め、机に放るロア。その横顔には何とも言い表しようのない笑みがあった。
コーデリアはそれを目にしても、敢えて無言を貫く。
「アレの実力のほどは追々明らかにはなっていくだろうが、これまで見せてきた分は精々一端に過ぎないだろう」
「味方と考えれば心強いばかりですね。しかしただそれを幸運と捉えていいものでしょうか」
「そこは直属の上官である自分の手腕次第ということだ。アレを使い潰すか、それとも最大限に生かしきれるか……ふん、いずれにせよ面倒極まりないが」
だが、面白い。
あえて言葉にしなかった部分までも読み取り、コーデリアは苦笑を隠しきれなかった。
直属の上官をして、この人よりも面倒事を嫌う人はいないだろう。
少なくない期間を共に仕事をしてきただけに、その実感は確実なものとして心の内にいつもある。
けれども、ここに来て例外は生じた。
あの面倒事をこの上なく嫌悪する『紫炎』が、海街で偶然出会った少女にこれほどまでの関心と期待を覗かせる。
彼女が積み重ねた成果を省みれば、不思議でも何でもないことだ。
それでも拭いきれぬ、違和感。
もやもやする胸の内。
初めの内こそ、気付かずにいられた諸々。それが表面化しつつあると気付いた時には、遅きに失した。
畏怖の二言では到底片付けられない。
恐らくこれは、嫉妬の類だろう。
自覚した分、コーデリアは自虐することを止められずにいた。
「大佐、明日には副都へ到着予定です。『漆黒』との事前の繋ぎはどうされますか?」
「考えるだけ無駄だろう。『八翼』の中でも、あれは殊更気儘に動いているからな。到着次第、探査術式で探し出す。事前準備だけ進めておけ」
「承知しました」
短く返し、深く叩頭する。
誰が好き好んで、密かに慕う相手に醜いと分かっている感情を悟られる愚を犯すだろう。
サラリと揺れる髪の奥、唇を引き結び、コーデリアは小さく溜息を殺した。
*
あれは、星だろうか。それとも太陽だろうか。
遠目に見えてきた巨大な木製の門に対し、まず思ったことはそれだった。
ゆらゆらと馬の形を模した氷竜の背に揺られながら、進むことおよそ二日。
あの朝から、それ程経たずして霊峰セレストの南端――天雲の種族が拓いたとされる村の門が見えてきた。
「ねぇ、あれは星だろうか」
「いや、確か天雲の種族は太陽を祀る部族だと聞いたことがある。多分、太陽だろう」
馬の首を並べながら、飄々と返すオルク。
彼の巨体を支える馬は、若干疲れ気味の様子である。
「太陽信仰は彼らに限った話ではありませんが、特に霊峰の周囲にはその傾向が強いといえますね」
「それは何故?」
「恐らく神話の影響かと」
補足するように、斜め後ろからウルディス青年の声が届く。
すぐさま疑問を呈したイーリアに対し、辟易とする訳でもなく微笑んで返した彼。
全くもって、人としての出来が良いと言えよう。
「霊峰セレストを母体とし、天より階を降りて地へ参じた太陽神オークス。彼らが交わり、裾野へと生まれ出でた様々はここを起点に広がっていったとする神話の序詞があります。故に、ここら一帯には神の始祖を謳う幾つもの部族が点在しているのです」
「ふーむ。なるほど神話の地か。もめ事を起こすとなかなか厄介そうだなぁ」
「ええ。この辺りの部族は殊更矜持が高いのです。その懸念は尤もかと」
前を往く『紺碧』と彼を囲う一糸乱れぬ統制された国軍の猛者たち。
彼ら越しに再び見仰いだ先には『太陽』を象る大門と、天辺が霞んで見えぬ霊峰の威容。
なかなかどうして、滅多なことでは見られぬ光景である。
「ここは通り過ぎるだけ? それとも一旦天幕を張るのかな?」
「山の様子次第ですね。まずは遠見のモノを呼び、天候を聴いた上で判断することとなります」
ぽつぽつと疑問をそのまま口にすれば、前方からトープ青年の淀みのない返答が返ってくる。
ウルディスといい、トープ青年といい、返す返すも頼もしい面々であった。
「遠見のモノ?」
「部族の中でも特に山に近しく、山の空気を読むのに秀でたものを『遠見』と呼ぶのだそうです。彼らからここ数日の気候と今後の予測を聴き、その上でどの道をどのようなペースで進むか判断するのが習わしでして。それは国軍と言えど変わりません」
「郷に入っては郷に従え、というやつだね」
「はい。まさにその通りです」
生真面目な様子で告げられた返答に、なるほどとイーリアは頷く。
とは言えほんの少し、頭の中で引っかかるものがあったのも事実であった。
「あれがそうかな?」
遠目にも巨体といえるその姿は、一種異様でもあった。
だんだんとこちらに向かって近づいてくる。
体全体に巻き付けているのは、色とりどりの布であろうか。奇妙な色彩のフクロウのようだった。
性別はもちろん体格すら覆い隠されており、分かるのは唯一その長身くらいだろうか。
パタパタと音を立てて翻る幾重もの布の奥、ほんのわずか覗く隙間には二つの眼。
空の色をそのまま溶かしたかのように澄んだ色をたたえている。
それは確かに視線を巡らせ、ほんの一瞬見開かれたように見えた。
――ふいに、吹きすさぶ山風。
思わず多くが反射的に身をかがめる中、イーリアは泰然として見返していた。
その双眸にうっすらと既知感を覚え、自然とわずかな記憶を浚うも掴み切れぬままに諦める。
とはいえ、あまりいい記憶ではないだろうと本能が囁く。
ほんの僅か、口元に苦笑。
少女は独り言ちる。
「あぁ、面倒くさいことになりそうだ」と。
風はいつしか止み、ゆっくりとした足どりで軍の前にたどり着いた遠見のモノはその場に膝をつき、軽く一礼してみせた。
一団の中から進み出たサウロは、同じく礼を返し、端的に問う。
「今回も世話になる。直近の山の様子はどうだろうか?」
「……風が鳴いている。出立するならば明日以降を勧める」
呟くなり、背を向けて戻っていく遠見のモノ。
国軍の面々は告げられた言葉に、そのまま従うようだ。めいめいに馬を降り、手綱を引いて今夜の野営地となるであろう平原へ歩み始めた。
「どうやら天幕を張って明日に備えるようですね」
「一見するといい天気にしか見えんのだがなぁ……まぁ。山の民がそう言うなら従うまでか」
ウルディス青年の言葉に、首をひねりつつ答えるオルク。
確かに見上げた空はどこまでも青く、雲一つ見えないほど。
イーリアはするりと氷竜の背から降りて、ポンポンと労う意味をこめてその背を撫でた。
『今日はここで止まるの?』
「うん、どうやらそうなりそうだ」
人型へ戻った少年は、じゃれつくように少女の腰にしがみつく。
「水都までもう少し、がんばれるかい?」
『だいじょうぶ。がんばる!』
平原のあちこちで天幕の設置、炊き出しの準備などが始まり、あっという間に賑やかになる。
ざわざわと再び吹き始めた山風に、木々の葉が戦慄くように揺れた。
☽
――それは周囲が寝静まる夜半。
ちらほらと天幕の外に立つ見張りの目を、まるで子供だましと嘲笑うかの如く『それ』はただ一つの天幕を目指して駆けていた。
ヤマネコのごとくしなやかさで音もなくたどり着き、ほんの僅か乱れた呼吸を整えて、そっと指先で布をめくる。
「君、こんな夜半に何の用?」
びくりと跳ね上がった肩に、そっと刃を添わせてイーリアは囁くように問いかけた。
長い沈黙を挟み、ゆっくりと振り返るその背は想定よりか小さい。
小柄な影は、しかし見覚えのある双眸をしていた。
「……やっぱり昼間の君か。でも、ずいぶんと小柄になったな。夜になると縮むのかい?」
「いいえ。もともと自分はこの里で一番小さいのです。遠見のモノの家系では、時折僕のようなものが産まれるので」
「つまり昼間に合った時は、なにかしらの手段で体格をごまかしていたんだね」
「はい。兄が僕を肩車していました」
刃を背にしながらも、紡がれる言葉に大きな動揺は見られない。
何かしらの覚悟を決めたような眼差しで、遠見のモノは膝をつき、その場で向き直って首を垂れた。
「……『星』の方とお見受けしました。かつての一族の非礼、いまだにお忘れではないのでしょう」
かつての非礼。
彼の言葉に、今一度記憶の底を浚ってみるも中々どうして該当するようなことは思い出せそうにない。
イーリアが沈黙している間も、彼の言葉は続いていく。
「かつて、一族のモノが貴女の美しさに我を忘れ、約定をたがえて襲い掛かったがゆえにこの里は滅亡寸前となりましたが、他ならぬ貴女の一声で一部は救い上げて頂きました。その御恩、今もまだ忘れてはおりません」
「……ふむ」
「しかしながら、里は今も昔も一枚岩ではなく……お恥ずかしい話ではありますが生き残った者たちの中には、お門違いにも貴女を恨むものも少数いたのです。ゆえに、夜半ではありますが自分は警告のために参りました」
「……なるほどね」
正直な話、全くもって覚えがない。とはいえ、おおよその事情はつかめた。
過去の云々はさておき、目を見れば偽りかどうかくらいのことは判別できる。
どうやら敵ではないと察した時点で、刃を鞘に戻した。
「少数派は貴方の身柄を今夜中に押さえ、魔物との交渉手段に使おうと考えているようです。……浅慮なことですが、かつての恐ろしさを忘れた若い世代には、そうした考えを持つものもおりまして」
「交渉手段ねぇ……」
ということは、少なくとも『彼ら』魔物とのコンタクトを取ることができる者がいると考えた方が自然か。
イーリアはうっすら口元に笑みを刷き、いっそのこと捕らえられてみるのも一つかと思案する。
しかしながら目の前の双眸があまりに懸命な色を湛えているのが、躊躇の気持ちを生む。
初対面に近い間柄であるにもかかわらず、こうして警告に参じたのは集落を守るためだけとも考えづらい。
おそらく、もともと根が素直か純粋であるのだろう。
『イーリア、どうする?』
「さて、どうしたものかな」
背後に隠れているように言い聞かせていた氷竜がひょっこりと顔を出す。
目を合わせて問うてくる彼に呟いて返しつつ、とりあえず自分たちだけで話し合うのも不毛だという結論に至った。
「場所を変えて話そうか。何人か信頼のおける面々を呼んでも構わない?」
「ご随意に。お任せいたします」
――ならばお言葉に甘えさせてもらうとしよう。
夜半の月を仰ぎ、まず隣の天幕へ向かうことにする。
ウルディス青年とオルク、そしてサウロとトープ青年。
とりあえずはそんなところになるだろう。
ふんふんと鼻歌を口ずさみつつ、イーリアは動き始めた。




