初めから、一人だった
ナーン。
不細工な猫の声がここまで聴こえた。
チャッピーが今日は、いる。
足が速くなる。
門を曲がるとそこに……、
——いた。
彼女とチャッピー。
彼女の膝には、小さな弁当箱。
それを欲しがって、不細工な猫がしつこく強請る。
「チャッピー、だめ」
何度か手でチャッピーを押しかえす。
「これは、ダメよ」
「あとでササミ、あげるから」
どうやら、昼食を邪魔されているらしい。
足早に近づくき、そのまま隣に座る。
「チャッピー、これだろ?」
カツオ風味のチュールを差し出す。
猫は、一度だけ尻尾で地面を叩く。
不機嫌に面白くない、という仕草。
それでも、こちらへ寄ってくる。
視線が、彼女の弁当に落ちる。
小さなおにぎりがいくつか。
食べかけの少し欠けた卵焼き。
根菜類の煮物と彩りのミニトマト。
思わず、じっくり見てしまう。
⸻その間にチャッピーはチュールを食べ終え、いつの間にか俺の靴に乗っている。
何故かそこから動かない。
「……あの?」
小さな声で呼ばれ、我に返る。
弁当を凝視され、彼女の少し困惑した表情。
「ああ、ごめん。俺は、これを……」
そう言って、コンビニのおにぎりを取り出す。
説明どおりにフィルムを剥がす。
だが——
うまくいかない。
海苔が、出てこない。
彼女が、小さく笑う。
「貸してください」
差し出された手に、不恰好なおにぎりを渡す。
「ごめんね」
「いえ……コツが要りますから」
一度フィルムを外し手際よく、包み直す。
そして——
「はい」
一拍。
「あーん」
今日は、大安吉日だ。
昼休みが終わる頃、自席へ戻る。
先程の事を思い出し、
——笑う。
それを見ていた部内の人間が、一斉に息を呑む。
「……今だ」
誰からともなく呟きが漏れる。
「部長の機嫌がいいうちに稟議書を出せ」
「急げ」
空気が変わる。
一気に、慌ただしくなる。
そして……。
「お願い、します!」
部下が、元気に提出しに来る。
書類に目をとおす。
「……ここ」
指で指し、
「数字の根拠が甘い。却下」
即座に、突き返す。
だが——
「ちょっと待て……」
机の中から取り出した資料を指で叩く。
「共有に入れておく」
「考えなさい」
とアドバイスもする。
※※※
それは、偶然だった。
乗り込んだエレベーターの中に、彼女がいた。
だが、満員の中では、遠い。
一階に着く。
扉が開く。
吐き出される人、人。
その中に紛れ、すぐに見失った。
彼女は、俺より先に乗っていた。
フロアマップを思い出す。
推定出来る所属。
……無理だ。
上階には庶務・総務部がある。
子会社のフロアもある。
決定的なものが、ない。
考えながらも足が向く、通い慣れたコンビニ。
そして、公園と不細工な猫。
「チャッピー」
呼ぶが返事はない。
だが、植え込みの奥から出てくる。
「今日は来ないのか?」
猫に聞いても仕方ない事を聞く。
案の定知らん顔で、尻尾をパタンと振る。
対価なしに、応える事はない。
慣れた手つきで封を開け、差し出す。
チュールに齧り付くように貪る。
「チャッピー」
猫を呼ぶ声。
顔を上げると彼女がいた。
「最近、よく会いますね。猫、好きなんですか?」
彼女は俺に笑いかけながら、聞いた。
「まぁ…」
適当に答える。
嘘だ。
この猫以外は興味がない。
「そうですか」
とニコニコしながら、自然にベンチの隣に座り弁当を広げる。
俺はコンビニで買った、サンドイッチとコーヒー。
何気なく、視線が落ちる。
ご飯、梅干し、卵焼き。
簡素だ。
彼女は少し恥ずかしそうに、
「給料日前なんで……」
と笑う。
「会社、そこ?」
何気なさを装いながら聞く。
一瞬、視線が合う。
少し警戒するような彼女の目線に、
「首のストラップが一緒だから」
と自分のストラップを見せる。
「俺、そこの総括部なんだ」
と探るように言う。
社内の人間で、俺が総括部である事を知らない者はいない。
「そうなんですか?」
まるで、初めて知ったと言う反応。
認識がズレる。
外部か、派遣か、子会社か。
「君は?」
「私は、色々です」
「色々?」
「所属が、よく変わるんです」
薄く、笑う。
「時間なので……」
彼女は立ち上がり、
「先、行きますね」
振り返らずに去る。
また、掴めない。
午後。
手の空いた時間に呼び出した。
「朝比奈、少しいいか」
視線だけで、会議室を示す。
言葉はいらない。
朝比奈は、手元の仕事を止める。
何も聞かず、立ち上がる。
空きの会議室。
扉を開け、使用中に変える。
閉まる音。
外が、切れる。
「おい。最近、部署異動があったところを出せ」
「……急ぎですか?」
「ああ。早急に欲しい」
手がかりが、欲しい。
「……無茶を言う。先日の件で、異動者は相当数いますよ」
「女性に絞れ」
「また、ですか……」
ため息が聞こえる。
「いい加減、公私を分けてください」
朝比奈は眉間に皺を寄せ、首を振る。
「検索に、条件を重ねろ」
いくつかのワードを出す。
「……はい」
朝比奈は画面を見ながら、軽く息を吐く。
「これで、見られる数にはなりましたね」
「派遣は出るか?」
「一部は出ますが、完全ではありません」
検索結果。
該当者——複数。
表示名。
UNKNOWN
「統括部と営業部は外せ」
「……理由は?」
「顔を見ている。該当しない」
「……了解」
画面を更新する。
残る一覧。
かなり減った。
だが—ーまだ、いる。
UNKNOWN。
複数。
「……そこまで見てるんですね」
朝比奈が、引いたように呟く。
「お前が、見ろと言っただろう」
沈黙が落ちる。
「……ええ」
朝比奈は目線を外す。
「貴方、そこまでやりますか……」
「必要だ。」
短く返す。
「……仰る通りで」
「部署は?」
「……だめです。追えません」
画面に表示される文字。
ERROR
「何故だ?出入りは、しているだろう」
「しています。ですが——今、その出入り自体が多すぎるんです」
「人員整理の影響で、流動が激しい。ログが、追いきれない」
「……不可能です」
期待した分、落ち込みは深い。
するりと、手から零れる感覚。
——既視感。
そこまで、迫っているのに。
手応えが、まるでない。
こんなことは——今まで、なかった。
深くため息を吐く。
その様子を見ながら朝比奈が口を開く。
「……そう言えば公園のあの女性、誰ですか?」
「何がだ?」
視線を上げる。
朝比奈が、こちらを見ている。
探るように、逃がさない目だ。
「最近、ランチタイムは外に出る」
「戻ると、機嫌がいい」
「雨の日は、行かない」
「そして、コンビニのチュール」
視線が落ちる。
「——まだ、ありますよ」
「それに——足元」
「動物の毛」
何も言えない。
朝比奈の追求が続く。
「そもそも、貴方はそういうものに興味はない」
重い沈黙。
「……まだ、続けますか?」
また一拍間が開く。
「それを、今、探している」
視線は外さない。
「……何だそれ」
呆れとも、引きともつかない声。
朝比奈の口から、取り繕いのない言葉が落ちる。
「チッ。やってられるか!」
「ただでさえ、忙しい所に、“貴方の不思議ちゃん“の経歴をアラってるっつうーのにアンタ、もう二人目ですか!」
勢いが止まらない。
「どっちかでいいでしょ!?それなら、アナタの婚約者にも言い訳が立つ!こっちの苦労も分かれよ!全くっ!!」
言うだけ、言うと。
黙る。
沈黙する。
重い空気。
その中で——
「……いや」
息を吐く。
「初めから、一人だ」
一息の沈黙。
「一人、だったんだ…」
お読みくださって、ありがとうございます。
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