鷹司景は探す
「ふふ、なんか匂いする?」
ベンチに座る女の膝に乗り、チャッピーが一心不乱に嗅いでいる姿が見えた。
フンフンと音を鳴らしながら、何かを確かめるように。
執拗に……。
明るい時間に、初めて近くで見る。
声は——、間違えようがない。
彼女はユリだ。
だが、違う。
昨日まで隣にいた、彼女ではない。
纏っている空気がまるで違う。
何故か輪郭が、合わない。
同じはずなのに——、何故だ?
よく言えば、十人並み。
印象に残らない顔。
髪を巻いてはいるが、どこにでもいる女。
そして野暮ったい服。
——同じ声。
確かに彼女のはずなのに……。
どう見ても昨日のユリではない。
じっと見ていると、女がこちらに気づいた。
「あっ……す、すみません」
少し慌てて、立ち上がりかける。
「座りますか?」
景を一度だけ見てから伏し目がちに言う。
「いや、その……」
言葉が続かない。
何故か気まずい。
チャッピーが、女の膝から降りる。
そのまま、こちらへ歩いてくる。
スラックスに、身体を擦りつける。
まるで自分の毛を残すように。
「ナーン」
不細工な顔で、鳴いた。
何故か笑って見える顔。
「ダメだよ、チャッピー」
女が慌ててこちらへ近づく。
「お高いズボンに、毛が付いちゃう」
抱き上げようとするが、猫はさらに強く擦り寄る。
「あ……」
「ああ、これか」
手の中にある袋から、先程のチュールを取り出す。
「あの……それ、よかったら私が…」
「……ああ、お願いできるかい?」
何故かいつもの口調をわずかに変えてしまう。
だが、女は気にした様子もなくチュールを受け取り、
猫に差し出す。
景は隣に腰を下ろす。
並んで、その様子を眺める。
馴染んだような静けさだった。
チャッピーはこちらの事などお構いなしで夢中で貪っている。
「この猫、キミが飼っているのか?」
「さあ……多分、地域猫だと思います。ウチ、アパートなんで飼えなくて」
また、静かになる。
チャッピーがチュールを食べ終わる。
「あ……もう、こんな時間」
女が慌てて立ち上がる。
「行かなきゃ。失礼します」
足早に、去っていく。
——その首元にかかるストラップ。
見間違いでなければ——
ウチの会社のものだ。
手がかりは、掴んだ。
女は去ったがチャッピーは、まだ去らない。
なにかを探るように、こちらをじっと見ている。
「……もう一本、食べるか?」
問いかけると、一度だけゆっくりと目を閉じる。
そして——
去っていった。
会社に戻ると真っ直ぐ、朝比奈のところへ向かう。
「貴方ね……」
ブルーライトカット用の伊達眼鏡を外しながら、朝比奈は眉間を揉む。
「ウチの女性社員、何人いると思ってるんですか?」
「派遣や外部も含めたら、相当数ですよ」
「そうだな……」
と頷く。
朝比奈は呆れた口調のまま、
「何か絞り込めるワード、ないんですか?」
と聞いてくる。
先程の女の特徴を思い出す。
「……巻き髪」
沈黙が落ちた。
「貴方……。馬鹿ですか?」
「ええ、知っていますけど……、」
ため息混じりに、こちらを見る。
「ちょっと見回して下さい」
「巻き髪、何人います?」
「すぐ数えられませんよね?この馬鹿」
疲れているところに、こんな依頼を出せば——
こうなる。
週末の休みに、ある女と小田原で会う予定にした。
普段入る事のない、明るい店内。
流れ作業で注文を熟す、店員。
人が多い、声が重なる。
場違いだと分かる。
「すみません、お待たせしました」
さゆりが来た。
普段の様子とは違う、年相応の装い。
カジュアルなファッション。
「問題ない」
飲んでいたコーヒーを、置く。
「お兄さんって、こういう所来るんですね…」
「来ないな」
「……ですよね」
さゆりが笑う。
「で、どうしたんですか?」
と切り返してくる。
本題に入る。
「先日の件だが……」
どう問いかけるべきか……。
一瞬、間があく。
解っている。
誤魔化しても益はない。
さゆりがゆっくりと瞬きをする。
「ユリだ」
さゆりが、少しだけ笑う。
「珍しいですね」
「何がだ?」
「お兄さんのような方が姉さんの名前、出すんだなって」
否定はしない。
普段ならしない事だ。
「少し、確認したい」
さゆりの表情に僅かに警戒が、滲む。
「確認って?」
同じ言葉を、なぞる。
「キミは、いつもユリと一緒にいた」
「ええ、いましたよ」
軽く答える。
「彼女は、どういう人間だ?昼は何をしている?」
言葉は選ばない。
さゆりはゆっくりと、ストローを回す。
「どういうって、……普通ですよ。昼は稽古か挨拶……」
嘘だ。
「アレ、が普通か?そんな通り一遍の事を聞きたいんじゃない」
さらに問う。
「通り一遍って……。そういう人、いるじゃないですか」
「違う。昼はここにはいないし、普通ではない」
「どうして?」
さゆりは質問に質問を返し答えを逃す。
答えを曖昧にしようとする。
ユリについて知っているはずなのに答えない。
そして、
「お兄さんって、そうやって全部分けるんですね」
視線が合う。
さゆりは真っ向から逸らさない。
俺を相手に珍しい。
「必要なことだ」
「ふーん?」
さゆりがまた、ゆっくりとストローを回す。
ため息を吐く。
そして、
「……あの人、中途半端ならやめた方が、いいですよ」
「何故だ?」
「お兄さんには合わないです。姉さん面倒だし……。他のご常連様たちみたいに、姉さん指名して通えばいいじゃないですか、ユリ姉さんを観たいんでしょ?」
「これまでどおり。それでいいじゃないですか……」
なんだそれは。
未来が見えるように、確信した答え。
だが、やめる理由になっていない。
「だが、キミは側にいるだろう?何を基準に言っている?」
さゆりには何が見えているのか、詰める。
さゆりが嘲るように、少しだけ笑う。
「基準とか、じゃないんですよ。そういうの……。解るでしょ?お兄さんの方が、大人なんだし……」
「私たちは、一応夢を売ってるんですよ。昼は昼。お客さんに話すことじゃありません。これ以上何を聞きたいんですか?」
解らない。
だから……。
「解らないから、聞いている」
初めて、認める。
さゆりが、視線を落とす。
「……。じゃあ、余計にやめた方がいいです」
彼女は断言する。
「何故だ?」
同じ問い。
さゆりは答えない。
店内の雑音だけが、残る。
「世の中には好きにならない方がいい人って、いるんですよ」
空気が、少しだけ冷える。
「俺は、そういう話はしていない」
「ですよね」
にこりと笑う。
それ以上、踏み込めない。
沈黙の後、
「お兄さん、今回も花代ありがとうございます」
そう言って、さゆりは席を立ちあがる。
振り返らない。
そのまま、去っていく。
飲みかけのコーヒーが、冷める。
名前だけが、残る。
ユリ
お読みくださって、ありがとうございます。
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