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彼のたいせつな、…。  作者: あぐり りょう


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6/30

見つけた

 昼間の気温の高さから、一変する。

 肌寒い。

 半身が濡れただけで、はっきりと分かる。


 車内に、暖房を入れる。

 乾いた空気が、ゆっくりと回る。

 間もなく、宿に着く。


 コンシェルジュの案内は、断る。

 そのまま、指定されたスイートへ向かう。


 部屋の扉を開く。

 リビングと二つのベッドルーム。

 個室露天風呂も、二つ。


 整っている広い空間に、人の気配が消える。

 朝比奈が、

「二人とも、先に身体を温めてください。風邪を引く」

と淡々と告げる。


 間を置かず、

「我々は、あちらを使います。ゆっくりしてください」

 余計な言葉はない。

 それだけで、十分だった。


「行きますよ」

 朝比奈は軽く言う。

 声は穏やかだが、視線は違う。

——早く来い。

 仕方なく、そちらへ向かう。

「貴方も軽く汗を流して、着替えて下さい」

 手際よく、着替えを並べていく。

「お前は?」

「俺は後で…。貴方と混浴なんて、何の罰ゲームですか……」

 呆れたように言う。

「そうか」

 そのまま、バスルームへ入る。


 扉が閉まると音が遮断される。

 身体が冷えていたのか、シャワーの温度がいつもより高く感じる。

 肌に、刺さる。

 だが、入浴を手早く済ませる。

 それ以上、中にいる理由がない。


 リビングへ戻ると入れ替わるように、朝比奈が席を立つ。

「……」

 言葉はない。

 そのまま浴室へ向かい、暫くして戻ってくる。

 向かいに座る。

 視線は、自然とユリ達が消えた方へ向く。


——音は、まだない。

 静かすぎる。

 待っているだけなのに、やけに長く感じる。


 少ししてから、賑やかな声が漏れてくる。

「姉さん!もう!それは置いて、コッチ!」

 さゆりの声が明るく響く。

 遠慮がない。


「……、……」

 小さい声で何か言うのはユリだろう。

 内容までは、拾えない。

「だからね、白、レース、優勝なんですって!」

「……?」

「コチラが良いですか?上級者向けですよ?」

「……」

「ダメ。ダメ!どっちかです!」

 何かを押し通すように、強い口調だ。

「清楚?妖艶?」

「……」

 カタ、そして布が擦れる音。

「……」

 コト、何かが、置かれる音。

「コンタクト、取ればいいじゃないですか。あの二人、気にしないと思いますよ?」


——違う。

 思わず、視線が動く。

 朝比奈と、一瞬だけ目が合う。

 気まずいと逸らす。

 しばらく、静かになる。

ふぅ——

 吐息はどちらか、あるいは両方。

「清楚と妖艶ですって。どちらでしょうね」

 ニヤニヤと朝比奈が告げる。

「あぁ」

 どちらがいいとは言わない。

「さゆりちゃんに、ファイトマネー。追加しますか?」

「あぁ。俺からも追加してくれ」

 

 カチャリと、扉が開く音がやけに大きく聞こえた。

 ユリが、出てくきた。

 片目を押さえながら、ゆっくりと歩く。

 そして、リビングの奥にある自分の荷物を探る。


 様子がおかしい。


 片目を押さえたまま、その場に蹲る。

 背中が、小さく見える。


——違和感が遅れて、繋がる。

 さっきの言葉。

 『コンタクト』

——そういうことか。

 

 ユリは目的のものを手に、来た道を戻る。

 足取りは、自然と速くなる。


 脳裏に浮かんだ、これまでの日常風景。

 だが、少しの違和感が引っかかっていた。

 それは、大型書店の棚で同じ本を取ろうとした女。

 チャッピーを呼ぶ小さな声。

 ドラッグストアの薬棚で蹲る女。

 

 点だったものが、繋がる。

 偶然のようで——

 今、必然に変わる。


「朝比奈……」

 少し声を落とし、呼びかける。

「ユリの素性は、わかるか?」

 朝比奈は珍しく即答せずに一拍の間があった後、

「いえ」

 と返す。

「検番にも、置き屋の女将さんにも、探りは入れましたが……」

 軽く、肩を竦め、

「子どもの使いのように、あしらわれました」

 表情は、変わらない。

 だが、意味は重い。

「そうか」

 短く返す。

 それだけで、十分だった。


「『ウチ』が聴いているのに、答えない」

 朝比奈が、小さく息を吐く。

「やはり、花街の方はやり難い」

 遠回しだが、明確だ。

 意図的に、

——隠している。



「……」

 立ち上がる。

 足を止めない。

 確かめるために。

 もう、ただの偶然ではない。


 ドアを、容赦なく開ける。

 音が、強く響く。


 鏡の前にいたユリが、弾かれたように振り向き、一瞬止まる。

 ユリとの距離を詰める。

 そのまま、頬に手を添える。

 小さな顎を掴み、上から覗き込む。


——違和感がない。


 それが、違和感だ。

 線が、繋がる。


 やっと……。


「ちょ、貴方何して……」

 ユリの声が揺れる。

 それでも、拒まない。

 目が、合う。

 逸れない。


——もう、遠慮はいらない。

 言葉にならないまま、思考だけが先に行く。

——これは、やっと、見つけた。


「いいから!全員、一度外出て!」

 さゆりの声が、空気を裂く。


 振り向くと彼女はバスタオル一枚。

 真顔だ。

 冗談ではない。


 遅れて、朝比奈が入ってくる。

 状況を見て、一瞬だけ止まる。


「……すまない」

 そう言いながらもユリの手は離さない。

 そのまま、ユリの手を引き脱衣所の外へ出る。

 ユリから抵抗はなく、ただついてくる。


 そのまま隣りの部屋の主寝室へ。

 ガチャリと開ける扉の音が、やけに重い。


——近い。

 さっきよりもずっと。

 それでも、ユリにはまだ触れていない。


 もう、先に繋いでもいいだろう。

 止める理由もない。

 ユリの小さな顔に、指を滑らせる。


 意味を持たせるように、輪郭をなぞる。

 滑らかな肌の質感が指先に残る。


「殿方は、女性の支度を覗いては、いけませんよ?」

 少し頬を赤らめて、

「メッ」

 と言う。

 可愛いとしか、思わない。

 叱るようで、軽い遊びのような…。


——違う。

 ユリは分かっていない。

 その距離も、この空気も。

 俺の気持ちも何も。


 ベッドの縁。

 中央当たりに、腰を下ろす。

 軽く、隣を叩く。

 来いと言わなくても伝わる。

 ユリは、何の疑問も持たずそのまま隣に座る。


「ママに、異性と気軽にベッドに座るな。と習わなかったか?」

 軽く押し倒す。

 抵抗はない。

 だからこそ止まれない。

 指先は迷うことなく、背中のファスナーへ伸びた。

 そして、逃げ場を塞ぐように体重をかける。


 完全にユリをベッドの上で固定する。

「俺が怖いか?」

 揺れない瞳。

 逸らさない。

 ただ、俺を見ている。


「仕事、ですから」

 ユリから発せられた冷えた言葉。


——仕事


 その一言で、何かが外れる。

 理屈も、我慢も、どうでもよくなる。

「……仕事だと言うなら、その仮面は俺が剥がす」


 まずは指の先から順番に口付けていく。

 軽く漏れる、彼女の吐息に気分が昂ってくる。

 だんだんと上に移す。

 拒否はない。

 彼女の鎖骨に吸い付く。

 残る跡。

「嫌だと言わないなら、いいんだな?」

 最終確認をする。

 否定の言葉は返ってこない。


「失礼。終わりです!」

 扉が、勢いよく開く。

 音が、空気を裂く。


「出ていけ!」

 低く、唸る。


 そこで初めて逃げようとするユリの身体を、もう一度押さえ込む。

 離さない。

 ユリの身に纏うものは、何もない。


「出来ません!今日は終わりです!」

 朝比奈が強く言い切り、俺の背中を叩く。


「下がっていろ」

 もう一度。

 低く、唸る。


「聞けません!」

 朝比奈は全く引かない。


「御前会議、召集です」

 一瞬、止まる。

 何を言われたか理解したくなかった。


「……なんだと?」

 空気が、変わる。


「今日は終わりです。帰京します。支度して下さい」

 朝比奈は全く揺らがない。

 

 せっかくの空気を、——切られた。


 さゆりが、無言で動く。

 ユリに、シーツをかけて包む。


 男たちから視線を遮る。


 俺は大きく、舌打ちする。


「……チッ」

 俺はベッドから身体離し、そのまま浴室へ向かう。

 昂った熱が、抜けない。


 あと少しだった。

 やっと、ユリが俺を見るはずだった。

 

——止められた。

 低い温度に設定したシャワーの水滴が身体の熱を冷ます。

「今日は厄日か……」

 思わず吐き捨てる。


 帰りの支度は早い。

 誰も、無駄に動かない。

 全てを片付け、そのまま出発する。


 帰りの車内は、静かだ。

 後部座席で、さゆりが小さく鼻をスンスン鳴らしている。


 泣いている。

「大丈夫、大丈夫だから」

 ユリが、優しく声をかける。


「でも、姉さん……」

「ほら、泣かないの」


少しだけ、笑う。


「よくあることよ。猫の甘噛み、ね?」


——分かっていない。

その言葉だけが、やけに軽く響く。

 俺はまだ猫程度なのか……

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