止まらない理由
偶然に出会う。
そんなドラマじみたことなど、ある訳がない。
冷静に考えて、ありえない。
何を期待していたのかわからない。
早々にこうすることが最善だったはずだ。
「朝比奈」
「はい」
「次の箱根の件だ」
声は、平静だった。
「前回と同じ座敷を用意しろ。花もだ」
朝比奈は、すぐには返事をしなかった。
冷静に、二人分のカップをテーブルに置く。
「社用の件を併せて頂けると、助かります」
社用…。
接待を含めると、彼女との時間がとれない。
自然と眉間にシワが寄る。
「貴方の状況を考えると…。今、個人的に訪問されると困ります」
「ストッパーは多い程、いい」
朝比奈が、わずかに視線を落とす。
「わかった、来週だ。いいな」
一度は、引いた。
次は、引かない。
二人の思惑が交差する。
朝比奈が大きく息を吐き、
「どうぞ、お好きに」
と投げやりな返答を寄越した。
数時間後、営業部の高橋がおずおずと近寄り告げる。
「来週だと、芸妓のユリさんだけ揃わないそうで、再来週なら全員揃うようです。どちらで進めていいですか?」
「再来週だ」
一言告げる。
深いため息が出た。
一度だけ、一瞬だけ気になっただけの花。
そのあたりにいるモノと何が違う?
これは確認だ。
一瞬だけ目にしたあの多色の目。
見間違いのただの、石。
いや、ポスターを見た今の価値はガラス以上か。
タイミングが合わない。
見られないから、見たい。
見れば、終わる。
納得する。
いつものように、たまに思い出し会う。
そんな距離になるだろう。
——そのはずだ。
カレンダーに、視線を落とす。
日付を追う。
予定を埋める。
隙間はない。
それでいい。
それが、正しい。
何度目か…日付に指先が、止まる。
箱根へ向かう。
運転手が出迎え、車に乗り込む。
朝比奈も、何事もないように隣へ入る。
そして、
「いい加減、そのやに下がった顔をどうにかしてくれませんか?」
視線も寄越さずに淡々と言ってくる。
二人になるとコイツは急に辛辣になる。
「なってない」
言いながら、窓の外を見る。
「そうですか」
否定しない。
肯定もしない。
「先方の資料です」
極秘ファイルを差し出してくる。
「読み込んで下さい」
移動中も容赦なく、仕事を押し付けてくる。
文字を追うが頭に入らない。
それでも、目だけは動く。
「……」
朝比奈は気づいているはずだが、何も言わない。
車は、一定の速度で進む。
仕事だけが、正常に流れている。
「そう言えば…」
一度、資料から目を上げる。
「この間、お前にしては親密な距離だったな」
「何がですか?」
視線は落としたまま、聞き返す。
「花。…さゆりだったか?」
「あぁ…。貴方がこんなですからね。便利ですよ」
興味がないように、淡々と答えてくる。
「そうなのか?」
「ええ、まだ学生みたいな歳でしょう?」
せこで、初めて眉間にシワを寄せる。
「子どもじゃないですか…」
先日のさゆりの言葉が、遅れて浮かぶ。
——黒子。
場所はどこか……。
一瞬、思考が逸れる。
すぐに切り替え、資料を読み込む。
「ここ、数字が違う」
指で示す。
「読みが甘い。訂正」
間を置かない。
ただ、そうすると不自然な箇所が出てくる。
「……コレは切り時だな」
ページをめくる。
「延命しても利がない」
誰かがトンネルにした会社か?利益率が低すぎる。
添付資料を読む。
腐った箇所がよく見える。
やはり、これは早々に処理しなければ…。
隣から、朝比奈がファイルを覗き込む。
「一部、残しますか?」
「そう見えるだろう?」
「コレが腐っている場所だ」
内容が美し過ぎて不自然な決算書のファイルと添付資料を見比べさせる。
即答する。
迷いはない。
「週明け、一気にやる」
「かしこまりました」
短く返る。
会話は、それで終わる。
視線が、一瞬だけ止まる。
添付資料の資料作成者。
知らない名前だ。
経理部の担当者だろう。
事の重大さに気づいている。
内部告発のつもりか…。
考えるのは今日じゃなくていい。
すぐに、目を閉じる。
何もなかったように。
車は、車寄せで滑らかに止まる。
外で待っていた支配人が一礼し、軽く頷く。
そのまま奥へ案内される。
広い個室露天風呂がついた、先日の部屋より明らかにグレードが高い。
見慣れた造り。
本来なら、いつもこちらを使う。
前回は、面倒で相手側に譲った。
一歩、中に入る。
静かで、広い空間。
人の気配がしない事にようやく息を吐く。
小さく、では済まない。
ため息になる。
そのまま、消えない。
朝比奈が、部下たちを引き連れて部屋に入ってくる。
各自部屋に荷物を置いてからこちらの部屋で打ち合わせする事になっていた。
「……チュール待ちの猫ですか?」
朝比奈達の会話が聞こえてくる。
「……何がだ?」
視線だけ向ける。
営業部の若手社員の高橋が言う。
「部長、会社の側の喫煙所の奥に、公園あるのご存知ですか?」
「あぁ、あるな…」
「そこに、とんでもなく不細工な猫がいて…、」
高橋は猫の姿を思い出したように、
「面白いんですよ」
と、笑う。
一瞬、止まる。
——猫。
思考が、引っかかる。
「チュール持ってる人にだけ、寄ってくるんです」
軽い、ただの雑談。
そのはずなのに、残る。
「名前とか、あるのか?」
自分でも、意図しない問いが出る。
「さぁ?呼んでる人はいましたけど……」
曖昧に笑う。
「なんて?」
少し間を置き、
「……チャッピー、とか?」
静かに、音だけが落ちる。
誰も気にしていない。
だが、それだけで十分だった。
「猫にチャッピーって名付けるのは多いのか?」
何でもないように聞く。
「いえ、それぞれでしょう」
高橋は軽く答える。
「俺の実家には、白い猫が二匹いて、シロさんとガルンドルフ、
通称ガルちゃんって名前のがいます」
「そうか」
「部長も機会があれば、チュール持って行ってください。ホント、笑えるんで」
軽い、ただの冗談。
知っている。
内心呟く。
それからはガラリと空気を変えて互いに、先方の情報を共有する。
仕事は進み、予定も埋まる。
問題はない。
それでいい。
空が昼と夜の狭間に入る。
いよいよだ。
開始時間に花が揃う。
色とりどりの着物を纏った花達の美しい所作で始まる、口上。
前回は、記憶にも残らなかった。
だが——
「本日は、箱根湯本にお越しいただきありがとうございます」
三つ指。
無駄のない姿勢と淀みのない口調。
空気が、静かに整う。
視線が、止まる。
——違う。
中心にいる人物は同じはずなのに、違う。
ようやく会えたユリの空気が前回とどこか違った。
上座は先方。
隣りにユリが座る。
酌をして、笑う。
どうしても、目で追いかけてしまう。
自覚はあるが、止めない。
奥の席から、
「カオリん、いないの?」
若手部下の落胆した声が聞こえる。
全て同じ花にはならなかったが、些細な違いだ。
ユリを見れれば今回来た意味はある。
「えぇー、お兄さん、ワタシじゃ駄目ですかぁ?」
「いや、ダメじゃないけど目の保養が…」
軽い笑い声。
何やら他の花と話しているのが聞こえる。
どこにでもあるやりとり。
見回すとさゆりも、愛想笑いを貼り付けたまま。
何があったか。
どうでもいい。
聞く気もない。
彼女が見れたら、それで良い。
花が次々と回る。
正面に座り、他愛のない話をし、酌をして去る。
ようやく、ユリが来た。
「お兄さん、本日はありがとうございます」
薄い笑み。
張り付けたような、それ。
これが見たかったのか?
期待し過ぎて、妄想か肥大化したのか…
彼女が正面に来ると、あれほど上下していた感情が嘘のように静まる。
コップに注がれる、ビールの音だけが残る。
「キミも飲むか?」
瓶を傾ける。
「いただきます」
伏し目にがちに、コップに口付ける。
飲み干し、こちらを見る。
「ありがとうございます」
煌めく瞳。
一瞬で登ってくる熱。
「この後は如何しますか?」
予定の確認、仕事の声。
それだけのはずだが、
「もちろん、全て持ち帰る」
言葉が、先に出る。
「え?」
僅かにユリの瞳が揺れる。
「なんでもない」
「人数を絞って部屋で飲みたいが…。どうだ?」
「もちろん、ありがとうございます…。誰か希望の方はいらっしゃって?」
「キミと…、」
他に出てこない。
「朝比奈、お前は?」
「さゆりちゃん、お願いします」
爽やかに、自分の希望だけ通す。
「承知しました」
そう言って、音も無く立ち去る。
裏へ回って見えなくなった。
「部長、見過ぎです」
朝比奈が、中身の詰まった瓶を渡してくる。
「先方に、よろしくお願いします」
「私は、忙しいので」
自分は、席から立とうとしない。
「わかった」
ようやく、彼女との時間が手に入ると思えば挨拶など些事だった。
二次会の会場に宿泊する部屋を開放する。
「わぁ。私ここの離れ、初めてです」
さゆりが、明るい声で入ってくる。
「ユリ…、さんは?」
「直ぐに来ます。手配と連絡中です」
「キミはいいのか?」
「いや?ホントは私がしますよ?」
さゆりが軽く笑う。
「分かっています。でもね、姉さんに大丈夫って押し切られて…。勝てますか?」
「わかった」
小さく、ため息をつく。
「お兄さん、その顔。チュールに飛びつく前の猫の顔、エサの前のライオンみたいですよ?」
声を顰めて話かけてくる。
「チュール…」
最近よく聞く単語だ。
「猫さんの話ですか?」
声が重なる。
振り返るとユリが首を傾げながら入ってきた。
「姉さん!前に動画でライオンにチュールあげてるのあったでしょ?」
さゆりが、慌ててユリにそれらしい話をする。
「ライオンも猫みたいだなって話してたんですよ!」
自然に会話の流れを上手くズラす。
「そうなの…」
と言いながら新しいグラスに水割りを作っていく。
「普通、薄め、濃いめ」
呟きながら、各人の場所にグラスを配る。
迷いがない。
一回の宴会で覚えていたのか。
見事に我々の好みに合わせてある。
「ユリさん達も自由に呑んで」
「ありがとうございます」
「私、おつまみとカシスオレンジ頼んでも良いですか?」
「さゆりちゃん……」
ユリは少し、嗜める声を出す。
朝比奈が手を振って、
「彼に遠慮は、要りません。好きなものを頼んで下さい。ストッパーは多い程、いいんで……」
小声で呟くが聞こえている。
この二人、分かっててやっている。
その間に、ユリは自分のグラスを持って隣りに座る。
近距離でやっと見れた、彼女。
飲み物が揃い、軽く乾杯する。
何人かが席を立ち代わり、話し、笑い、ゲームをする。
さゆりが上手く空気を回して、飽きさせない。
楽しそうな歓声、ざわめき。
だがここだけは静かだ。
俺と、ユリ。
一緒に並んでただその様子を眺める。
静寂が気持ちいい。
横で、ユリが何かを取ろうと指を伸ばす。
姿勢、その指先。
どこかで、見ている。
知っている。
思考が、そこで止まる。
なぜか掴めない。
あと一歩が、届かない。
大きく衣紋抜きした、彼女の細っそりとした白いうなじが目に入る。
背中へ続く線上に、見えるか見えないかという所に黒子を見つけた。
目が離せない。
ユリが、ようやく手にしたのは自分の栓抜き。
「チャッピー、だったか?」
嬉しそうにこちらを見上げてくる。
ウルリと見え隠れする、独特の目の色。
「覚えていてくださったんですね」
忘れる筈がない。
不器用なマスコット、チャッピー、それと。
一層煌めく、俺の宝石。
朝比奈と、さゆりがこちらを見ている。
じっと、動かない。
観察されている。
分かっている。
——ここまでだ。
これ以上は、触れられない。
触れてはいけない。
ユリから視線を、外す。
それだけで十分だ。
「……すまない」
小さく、落とす。
誰に向けたものか、自分でも分からない。
※※※
その人は私に気を使って、興味もないだろうに話かけてくれた。
「ユリさんは、昼は何をしているんだ?」
「昼、ですか……」
一番困った質問。
私は困惑して首を傾げる。
「お稽古や、ご挨拶ですね」
視線を落とす。
私は本当と嘘が混じる、花街の決まったセリフを答える。
彼が、あまりにも熱心にこちらを見るので、言わなくてもいい言葉が出てくる。
「たまに、お客さんのお供で出かけたりもします」
「へえ。昼間も?」
「えぇ。常連さんで昼間に花代を付けてくださる方がいて……」
「それはいいことを聞いた」
彼は嬉しそうに頷いた。
「花代を付ければ、旅行も行けるのか?」
「母を通してになりますし、花代に顎、足、宿泊代も込みになりますから……」
結構な金額になる。
ご贔屓頂く常連以外ではとても現実的ではない。
少しだけ、困ったように笑う。
「かなりご負担にはなりますが、可能です」
「いいな」
間を置かず、彼は軽く言う。
冗談かと思い、私は笑う。
※※※
「今度、プライベートで近場に出かけようと思っていた」
俺は今決めた事を、さも前から決まっていたように言う。
「男二人だと、どうにも締まらなくてな」
視線を、横へ流す。
「朝比奈、手配できるか?」
「はぁ〜……」
力の抜けた声。
「はい、はい」
眉間を、さゆりに揉まれている。
「どこへ行くんですかね?俺達…」
小さく、漏れる。
「私、日光に行ってみたいです」
さゆりが、すかさず手を挙げる。
どこでもいい。
ただ、頷け。
「日光?東照宮?」
ユリはさゆりを見て小首を傾げる。
「そう!姉さんに鳴き龍と眠り猫の話聞いて、興味あったんだぁ」
さゆりはユリを見て、俺に目を向ける。
「……決まりでいいか?」
あとはユリが頷くだけだ。
「はい。この子の予定もありますから、出来ればどこかの週末辺りで…」
「お兄さん達から、ウチのママに電話してね!」
軽く、話をまとめる。
次の予定が決まる。
それだけで、十分だった。
それ以上は、いらない。
帰りの車内。
ドアが閉まる。
外と内が断絶する。
「……で、」
朝比奈が、前を向いたまま口を開く。
「俺、いつ、貴方とプライベートな旅行に行くことになったんですかね?」
淡々と、感情は乗っていない。
「さあな」
短く返す。
視線は外に向ける。
「気づいたら、決まっていた」
それだけ。
「……そうですか」
朝比奈は小さく、息を吐く。
「一応確認ですが、仕事ではないんですね?」
「違うな」
「そうですか」
もう一度、同じ言葉。
今度は、わずかに重い。
「では……」
僅かに言葉を選んでいたが、
「好きにやってください」
「止めるつもりは?」
「ありません。見ていてわかりました。もう、何人ストッパーがいても止まらないでしょう?」
僅かに、朝比奈が皮肉を言う。
「……そうだな」
認める。
それで終わる。
車は、一定の速度で進む。
もう、止まらない。
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