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彼のたいせつな、…。  作者: あぐり りょう


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3/27

来ない日と呼べない理由

 今日は取引き先から招かれた。

 断れない筋だ、仕方ない。

 理由なく、箱根に行く訳ではない。

 ただ、ユリに会えるか少しだけ期待する…。

 

 開始時間に花が揃う。

 口上、そして決められた席に散らばる。

 老舗ホテルの大宴会場を使った規模の大きい宴会。


 上座のこの席には、2人の花がいた。

 右は前に見覚えがある。

 …。名前は忘れた、ジルコンだ。

 左は少し年嵩だ。

「ちはやと申します。よろしくぅ」

 甘い声、距離が近い。


 乾杯用のビールを受ける。

 先方の挨拶、乾杯。


 花は次から次へとこちらへやってくる。

 顔も、名前も何も残らない。

 ただ、通り過ぎる。


「やっぱり、あの時の人だよね!」

「噂の?」

「スッゴイ!タイプだけど、無理か…」

「隣のカオリさん、全然動かないもんね」


 裏口側で声だけ拾う、意味のない会話。

——いや。

 一つだけ、引っかかる。

「今日、はなのやさんのユリ姉さん来てないの?」

 小さな声。

「うん。見てない」

「珍しくない?」

「……さあ」

 沈む声。

 そこだけ、温度が違う。

 視線が、そちらへ向く。

 気になる会話。

 事情を知ってそうなのは…。

 少し見渡して見つけた。

 アレは、さゆりだったか。

 下座の席の辺りをウロウロとしている。

 上座に近い席が空いた。

 だが、こちらには来ない。


 もう一度、宴会場を見渡す。

 いるはずのものを、探すように。


 見つからない。

 それは運や縁がない、今後関わる事がない。

 いつもならそれで終わるはずなのに、終わらない。


 グラスの水滴が、指に残る。

 拭わないまま、次を受ける。


 視界の端で、朝比奈がようやくさゆりを捕まえた。

 その様子に、隣に座るジルコンの眉が寄る。


「キミ、この前世話になったね。先方も大変満足されていたよ」

 さっきまでは全く興味はなかった。

 だが、今の表情の動きに少しだけ引っかかる。


「ありがとうございます。覚えていただき光栄です」

「そう言えば、」

 ビール瓶を傾ける。

「前回のメンバー、全員今日も?」

「いえ、あいにくユリはいません」

 ジルコンの表情を変えずに淡々とした返答に、

「あぁ、そう」

 興味無さげに相槌を打つ。

 二人とも視線はさゆりを追っている。

 多分、考えは真逆だろう。

 丁度いい、朝比奈の席に着いた。


「この後、どうされますか?私ならどこへでもお供しますよ?」

 甘い声で誘ってくる。

 だが決して笑っていない目、俺がさゆりに興味を示したのが面白くないと語っている。


「あぁ、部下に任せているから」

 言外に興味がない、と示す。

 ジルコンは鼻白んだ様に、

「そうですか。私、少し外しますね」

 軽く頭を下げて、主催者側へ席を移す。


「マジで!地雷回収なの?ユリちゃん」

「かわいそう」

「本当はユリちゃんがこっちで、アッチがカオリさんだったんだって」

「あぁー、そうか。ご愁傷様」


 声は潜めていても、ユリという単語に惹かれる。

 そちらに目を向けると、今日のリーダー、ちはやが気づく。

「コラっ、貴女達!固まってないで、席行きなさい。後口決まったの?」

「はぁい」

 と各々散る。

「ごめんなさいね。お兄さん人気あるから、みんな群れてしまって」

 と上座に残るちはやが酌をする。

「いや。そんなに私は有名か?」

「ふふ。狭い世界ですからね。色男が来たら3秒で皆んな知ってますよ」

「そんなものか」

 軽く流す。

「ふふ。ユリちゃん、今日入るはずがちょっとありましてね…」

 彼女は、俺が誰が目当てかわかっているように話す。

 中々集まらない、ユリの情報を貰える機会だと考え、会話を続ける事にした。

「……そうか、残念だ。ユリさんは、前回の宴席で世話になったが、どんな人だ?」

 その瞬間、隣でグラスの氷が鳴る。

 朝比奈が、何も言わずに見ている。

「そうですね。一言なら、卒がない。ですね」

「そうそう、場所を選びませんし。ねぇ…」

 隣に来た花も自然に会話に入る。

「優しいですよ。困った時はいつも助けてくれる人です」

「なるほど。私の部下は印象が薄いと言っていたが?」

 軽い確認。

「不思議と評価はわかれますね」

 花たちは笑う。

「これは内緒ですが…」

 花は声を潜めて、

「この前のウチの花街のポスター、一時炎上したんですよ」

「炎上?」

「えぇ。最初はユリちゃんの芸妓姿でしたが、綺麗過ぎて生成AIだの騒がれて…」

「そうそう。あの時はカオリさん、感情の乱高下激しかったし、見てて面白かった」

「内輪の話はやめなさい」

「あっ。しまった」

「いや、面白い話だな」

 と言いながら興味がないように、返す。

 

 頭に入れる言葉。

“ポスター”

 一度見たものは、消えない。

 記憶を、なぞる。

 芸妓カフェと共に貼られていた、箱根検番のポスター。

——あれか。

 だが、騒がれるようなポスターではなかった筈だ。

 芸妓のイラストだった。


 言葉にはしない。

 ただ、脳内に置く。


 隣で、グラスが静かに置かれる。

 朝比奈は、連れてきたさゆりを席に着かせて話を聞き出そうとしていた。

 会話が途切れたところで、そちらに向かう。


 朝比奈の席の前に座るさゆりに向かい、

「やぁ、久しぶり」

 軽く笑いかける。

 すると、さゆりは首を横に振り続ける。

「無理無理無理無理!」


 困惑気味に朝比奈の顔を見る。

「さゆりちゃんの、後口が決まったって話です」

 さゆりを逃がさないと真顔で答える。

「あぁ」

 ここでは話が出来ない事を理解する。

「さゆりちゃん、お母さんに連絡してくださいね、今直ぐに」

「やだなぁ、もう!」

 笑いながら、席を外す。

 一瞬で静かになる。


「で?」

「何がです?」

「呼べるのか?」

 誰とは言わない。

 だが、通じる。

「結論から言うと、今回は諦めてください」

 朝比奈は即答する。


「理由は?」

「今後のことを考えて、ここであらゆる所に借りは作りたくない」

 淡々と答える。

「今日は、ユリさんの話が聞きたいならさゆり経由の花で我慢してください」

 一拍、視線が交わる。

 今日は朝比奈は引きそうにない。

「……そうか」

 グラスを取る。

 だが、指が止まる。

「一つだけ」

 グラスを置く。

「次は、呼べるのか?」

 すると、空気が変わる。

 朝比奈が、わずかに目を細める。

「状況次第です」

 否定しない、肯定もしない。

 それで十分だ。


 宴会も終わり、各自バラバラに群れる。

 我々も、さゆり手配の店にタクシーを使って行く。


——スナック キャッセル

 落ち着いた雰囲気だ。

 照明が低い。

 

 突き出しのほうれん草に、箸を伸ばす。

「美味い」

 素直に言葉に出る。


 さゆりがくすっと笑う。

「ユリ姉さんも、同じ事を言います」

「…。そうか」

 短く返す。

 グラスに手をかける。

「お兄さん、ユリ姉さんにハマりました?」

 軽い声。

「同志ですねー」

と、自分の水割りグラスをこちらに寄せてくる。

 軽く、鳴らす。

「ここは、今。同志ばっかりですよ!」

 店内を、軽く示す。


 視線が一瞬だけ動く。

 誰も何も言っていない。

 でも、空気は共有されている。


「……そうか」

 もう一度、同じ言葉が出る。

 意味は違う。


 さゆりはちゃめっ気たっぷりに、ウインクする。

 片目が閉じきれていない。

 笑う。

 グラスの氷が、静かに鳴る。


「ユリのポスターがあるのか?」

 先程脳裏に記憶した情報を引き出す。

「あぁ…、先にそこきます?」

「そうだな」

「誰が喋ったのかなぁ、もう!ママ、ごめん。アレまだある?」

 ママがバックヤードに消える。

 さゆりが両手を合わせて、

「ないって言って、ないって言って」

 と呟く。


 しばらくして、裏から戻ったママの手には一枚のポスター。

「残念、それ最後の一枚だから見るだけね」

 とママが釘をさす。


 受け取る。

「…、…。」

 言葉を出そうとしても上手く出てこない。

——異様だ。

 整いすぎている。


 作り物だと言われても納得できる。

 だが、違う。

 目が離れない。


「神!ですよね」

 さゆりが覗き込む。

「ライトの当たり方とか、神秘的で」

 朝比奈も覗き込んで、絶句している。

「……。いや、正直ここまで。とは思いませんでした」

 正気にかえり、頭を振る。

「これが炎上?」

「そう。一悶着あってね」

 ママが肩を竦める。

「もともと、ユリちゃんも気乗りしてなかったから。今のイラストのポスターになったのよ。さっ、もういいかい?アタシの大事なコレクションさね」

 欲しいと言い出せない。


「姉さんの唯一の欠点は、表に出たがらない事ですよ」

 さゆりが笑いながら立ち上がる。

「出てたら、こんな所でこんな事やってないでしょ?」

 納得する。

「さゆりちゃん、ほら座って…」

 横から朝比奈が、さゆりの腰を引き寄せる。

 自然に、隣へ座るように。

「何故、今日は来なかった?他の話だとユリさんは来る筈だったと聞いたが?」

「それは…」

 一瞬、さゆりは迷いながら口を閉ざす。

 それでも我慢が出来なかったように、

「カオリさんの所為です!」 

 空気が少しだけ、動く。

「本当はユリ姉さん、こちらの宴会予定で。カオリさんは別の宴会入っていて。でもお兄さん達が来るって聞いて、無理矢理コッチに来ちゃった」

「先方は、ナンバー指名だったのに。来ないから、怒って…。姉さんじゃないと収まらない話になって」

「なるほど…」

 理解できた。

「だから、地雷回収か…」

「先方とは?」

 内輪の事情は話したのに、顧客情報になると貝のように口を閉ざす。

 目線の圧をかけても、さゆりは変わらず、

「それは、言えません。言いませんからね!」

「朝比奈?」

 さゆりから朝比奈へ向け、視線だけで問う。

「借りは作りたくない所ですね」

 宴会の最中、短時間で別口でユリの宴席のメンバーを調べたのだろう。

 納得する。

——だから、か。

 大きく息を吐く。

 一度、引く。

「……そうか」

「他の話なら…。例えばユリ姉さんの面白い話とか?」

 さゆりが、にやりと笑う。

 飲みかけのグラスを置く。

「さゆりちゃん」

 ゆっくりとさゆりに視線を合わせる。


「今日は帰さないが、大丈夫か?」

 軽い声。

 それから、少しだけ距離を詰める。

「花代は心配するな」

 耳元で、低く、一言だけ。

 息がかかる距離で囁く。


「ぎゃー!お兄さんのエッチー!」

 さゆりが耳を押さえながら跳ねて、一歩離れる。

 店内に響く皆の笑い声。

 店の空気が、少しだけ緩む。

 店の空気はそのまま賑やかになり、酒が進む。

 話題はあちらこちらへ飛び、時計の針だけが静かに進んでいった。


 夜半過ぎ――


 酒も回り、言葉が軽くなる。

 ほろ酔いのさゆりが、身を乗り出しドヤ顔で言う。

「お兄さんは絶対に知らない事!ワタシは!姉さんの体の黒子の位置を知ってますから!」


 一瞬。

 店内の空気が凍る。

 

 朝比奈が、額に手を当てる。

 指先だけ、深くは覆わない。

 小さく、息を吐く。

 そして、

「……さゆり、」

 低い声で一言。

「その情報はダメだ」

 それだけ。

 説明はしない。


 さゆりが、

「あっ」

と口を押さえる。


 もう、遅い。

 グラスの氷が、一つ鳴る。


 深夜の帰京車内。


 ドアが閉まる。

 聞こえるのはエンジン音。

 それだけ。

 会話はない。


 窓の外を、流れる灯りが過ぎる。


「……」


 何も言わない。

 言う必要もない。


 頭の中で、一枚の画が残っている。

 ユリのポスター。

——あれを……。

 思考が、そこで止まる。

「……どうされますか」

 横から、朝比奈が問いかける。

「別に」

 それで終わらせる。

 沈黙の後、

「手配は可能ですが…」

 淡々と確認される。

「……必要ない」

——嘘だ。

 自分で分かる。

 だからこそ、それ以上は言わない。

 

 外の灯りが、一つ消える。

 そのまま何も言わず、進む。

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