チャッピー
一睡の夢で終わる筈だった。
だが、頭から消えないあの揺らぎの色。
再び見れば、今後こそ納得する。
そう思いあれから何度か人を使って接触を試みが、全て無駄になった。
どうやら、ユリは今箱根にいないようだ。
置き屋を借り切るか…。
いや、それは不自然だ。
他に手がない。
思考が回らない。
普段は会社では吸わないタバコが、欲しくなる。
「少し、出てくる」
部下に言い、胸ポケットを探る。
空だ。
ため息を吐き、近場のコンビニへ入る。
喫煙所で肺まで煙を吸い込み吐き出す。
指に挟んだタバコの煙を燻らせながら、人の流れを見る。
「チャッピー」
遠くからそんな声が聞こえた。
慌てて振り向く。
だが、誰もいない。
「……良いお客さんだったね。これはお裾分けだよ」
聞こえた、気がした。
確かに、聞こえた。
名前も、声も。
間違えるはずがない。
ようやく、辿り着く……
そう、思った。
だが、ゴミ箱に丸めた袋だけが揺れている。
遅かったか…。
手応えが、ない。
——おかしい。
またある日。
不意に、足りない物を思い出し、普段は使わないドラッグストアへ寄った。
必要なものを取る。
箱を、そのまま手に持つ。
隠す理由はない。
レジへ向かう途中の薬コーナーの前で、女がしゃがみ込んでいた。
片目を押さえている。
少し邪魔だと感じながら、通り過ぎる。
その時、手が伸びる。
届かない。
なんてことはない。
よくある、光景だ。
それなのに、頭の片隅にある既視感。
それがなんなのか全くわからない。
引っかかる理由が、ない。
それでも、見過ごせない。
「失礼」
「……っ」
女の手が僅かに空を掴む。
言葉に出来なずに漏れて出た女の声。
どこかで見覚えのある動き。
「取りたい薬はコレ?」
こちらを見上げる女。
手はまだ片目を覆っている。
「ありがとうございます」
手渡した薬を空いている手で受け取る。
まだうずくまったままだ。
俺はその場から離れて会計をする。
声は記憶と何故か一致する。
だが、雰囲気と特徴的な目が全く違う。
別人だ。
ただ、声が似ている。
よくある話だ。
何故か、一度期待した分なかなか処理できない。
小さくため息を吐く。
切り替えろ。
久しぶりの何もない、休日。
長らく停めたままだった愛車を、走らせる。
目的地は、ない。
ナビが、芦ノ湖方面を示す。
偶然だ……。
そのまま、従う。
気にしない。
休日の観光地は人が多い。
ファミリー、カップル、旅行者。
どれにも属さない自分に居心地が悪い。
商店街を歩く。
一枚のチラシが目に入る。
「芸妓カフェ」
箱根検番。
一瞬、立ち止まる。
——もしかすると、いるかもしれない。
それが誰かとは、考えない。
考える必要もない。
案内だけ、記憶する。
足は、そちらへ向かう。
理由は、ない。
「いらっしゃいませ」
日本髪。
白粉。
作られた、非現実。
海外の客が多い。
日本髪を結った芸妓が注文を取る。
「ドリンクは?」
「アイスで」
短く返す。
中を、一瞥する。
俺は別に誰も探していない…筈だ。
それでも、見ている。
——いない。
それだけで、十分だ。
空いている席に着く。
まもなく、注文したアイスコーヒーがきた。
カラリと氷がを立てる。
翌日、社内にて。
「珍しいですね」
朝比奈が、
コーヒーを置く。
「何がだ」
「休日に箱根」
「偶然だ」
即答する。
「そうですか……」
軽く流す。
カップをソーサーに戻す。
「何かあったんですか?」
踏み込まない。
それでも、探るようには聞いてくる。
「別に」
それで終わる。
そのはずだった。
「……そういう顔じゃないですね」
朝比奈が、笑う。
「どんな顔だ」
「暇つぶしにしては、選び方が偏ってる顔です」
外してこない。
何故、朝比奈は俺が休日に箱根にいたことを知っているのかとは、敢えて聞かない。
「たまたまだ」
もう一度、繰り返す。
「そういうことにしておきます」
否定しない。
肯定もしない。
それで、十分だ。
休憩に外に出る頻度が少し上がった。
この前、喫煙所から少し入ったところにある、公園だったか。
紫炎を燻らせながら、先日の声について考える。
一気に吸い上げ、吐き出しながら火を消す。
そのまま、公園へ歩き出す。
なんとなく呼んでみる。
「チャッピー」
……。
何をしてる?
自分でも分かっている。
ベンチへ座る。
猫はいない。
静かだ。
帰るか。
立ち上がり、歩き出す。
門を曲がる、すれ違う人、人。
俺が猫を呼ぶとは……。
面白い、滑稽だ。
内心、笑う。
「……、ササミ味。食べる?」
小さな、しかし忘れられない声がした。
足が止まる。
慌てて振り向く。
猫に足元を取られながら歩く、後ろ姿が見えた。
顔は距離があり見えない。
まさか……。
思考が、一瞬だけ走る。
次の瞬間、切る。
あり得ない、そう処理する。
喉の奥で小さく、笑う。
視線を外す。
そのまま、歩き出す。
背後で、何かが動く気配がしたが、振り返らない。
社外へ出る。
最近、なんとなく足を運ぶ公園。
ここで猫を見た事はない。
いや、俺の前に現れた事がない、か……。
いつも後ろ姿や、鳴き声のみ。
「チャッピー」
お前は存在しているのか?
今日も、
「チャッピー」
一度だけ儀式のように呼ぶ。
答えは、期待していない。
「……。ナーン」
驚いた。
足が止まる。
音の位置を探る。
いない。
——違う。
「ナ」
足元にいた。
「お前…。お前がチャッピーか?」
こちらを見上げる。
長い尻尾を一度地面に打つ。
急かすように、もう一度。
呼んだなら、対価を寄越せと言う瞳の圧がある。
「チュールか?」
もう一度パシリと地面を打つ
「すまない。持っていない…」
それだけで、充分らしい。
興味はないと足早に去って行く猫。
追わない。
追う理由が、まだない。
それでも、視線だけが残る。
——間違いない。
そう思う。
だが、証明はできない。
名前だけが、残る。
「チャッピー」
やっと見つけた、手がかり。
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