【閑話】景の両親
景の両親が本邸へやってきたのは、景と馨の二度にわたる『疲労宴』を終えた後だった。
今回ばかりは、二人にも本家から帰還命令が出ていた。
息子たちの婚姻は、鷹司家にとって正式な慶事である。
強羅の一件でも帰国しなかった両親が、揃って日本にいる。
それだけでも、景には妙な違和感があった。
今回も両親は式の後はそのまま海外へ向かうと思っていた。
景は、公の場以外で両親と顔を合わせるのが、いつ以来なのか思い出せない。
互いに忙しく、顔を合わせたとしても大抵は式典や会食の類だ。
だから、こうして家族として呼び出されるのはどこか妙に落ち着かない。
そんな景の感情などお構いなしに、部屋へ入った瞬間——
「景ちゃん」
母がぱっと顔を輝かせた。
「ママ、貴方のハニーに逢いたくて、逢いたくて、ずっと待っていたのよ?」
両手を広げ、嬉々として身を乗り出してくる。
「さぁ、紹介してちょうだい!」
呼び出し早々、これである。
景は思わず眉間を押さえた。
「……一体、誰情報だ」
「お母様♡」
最悪だ。
景の祖母は、鷹司家でも屈指の情報伝達速度を誇る。
恐らく、瑠璃の存在などとっくに一族中へ知れ渡っているのだろう。
一方、母は楽しそうだ。
完全に面白がっている。
その隣で父は、そんな妻の様子を止める事もなく、
ただ穏やかに眺めていた。
口元には、薄く笑みすら浮かんでいる。
「あなた」
母が振り返る。
「景ちゃん、ちゃんと恋愛できたのね……」
「……」
景は無言で視線を逸らした。
父は静かに茶を口へ運びながら、ぽつりと呟く。
「昔は、人に興味が無さ過ぎて心配したからな」
「本当にねぇ……」
母はしみじみ頷いた後、次の瞬間には再び目を輝かせる。
「それで?どんな子なの?可愛い?写真は?動画は?」
「落ち着け」
「無理よ」
「馨さんのパートナーにも逢えるのよね?」
母は楽しそうに身を乗り出した。
「今、呼んでいる」
景が短く答えると、母は満足そうに微笑む。
「そう。早くみんなに逢いたいわ」
そう言いながら、母は傍らに置いていた小さな箱を景へ差し出した。
「何だ?」
景は訝しげに受け取り、蓋を開く。
中には、深い青を宿したサファイアの原石が入っていた。
まだ加工されていない、自然のままの石。
光を受ける度、内部に青い火を閉じ込めたように鈍く輝く。
「スリランカ原産の天然」
母は当然のように言う。
「景ちゃんの探していたイメージに、近いかしら?」
景は数秒、無言で石を見つめた。
かなり希少な品だ。
市場へ流れる前に押さえたのだろう。
それを、まるで菓子でも渡すような気軽さで持ってくる辺り、流石というべきか。
「……よく見つけたな」
「パパが探してくれたの」
父は隣で、静かに茶を飲んでいる。
恐らく、“探してくれた”の一言で済まない手間と金が動いている。
だが本人は、何でもない事のように穏やかだった。
「綺麗でしょう?」
母は楽しそうに笑う。
「景ちゃん、昔からサファイア好きだったものね……」
景はケースを閉じ、小さく息を吐いた。
「……ああ」
その声音は、普段より少しだけ柔らかかった。
朝比奈の母に案内され、馨と葵、そして瑠璃が部屋へ入ってくる。
途端に、景の母の顔がぱっと華やいだ。
「馨さん、お疲れ様」
柔らかな声音。
だが次の瞬間、深い実感を込めて続ける。
「ホント、疲労宴は大変だったでしょう?」
それは、実際に“やった者”にしか分からない妙な重みのある労りだった。
馨は一瞬目を見開いた後、思わず真顔で頷く。
「……お母様も、あの工程を?」
「えぇ。当然!」
母は即答した。
そして、にっこり笑う。
「逃げました♡」
「……」
「……」
景と馨が、同時に沈黙する。
納得しかない。
この人が、あの異常な儀式めいた工程を、最後まで大人しく受け入れる訳がないのだ。
「途中で大騒ぎして、お義母様に簀巻きにされていたよ」
父が静かに補足する。
「あなた、余計な事言わなくていいの」
母は頬を膨らませた。
「だって重いのよ?暑いのよ?苦しいのよ?何なのあの服!!」
「お気持ちは、大変よく分かります……」
馨が遠い目で呟く。
葵は隣で、
「簀巻き……?」
と小声で繰り返していた。
一方。
瑠璃は部屋へ入った瞬間から少し緊張していた。
視線が、自然と景へ向く。
その様子を見た母は、ぱちりと目を瞬かせた後、ふわりと笑った。
「あら」
楽しそうに。
「あらまぁ」
とても楽しそうに。
景の母は、瑠璃を見た瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「あなたが、景ちゃんのハニーちゃんなのね!」
瑠璃は硬直する。
「……ハニー?」
隣で馨が、小さく吹き出した。
景は即座に眉間を押さえる。
「母さん!」
「だってそうでしょう?」
全く悪びれない。
むしろ楽しそうだ。
母はそのまま瑠璃の前まで来ると、まじまじと顔を覗き込んだ。
「まぁ、イメージぴったり!」
「え……?」
「景ちゃん、昔から綺麗なサファイアばっかり集めてたもの」
「母さん!」
「でも、本物を連れてくるとは思わなかったわ!」
楽しそうに笑う母の後ろで、父が静かに茶を飲んでいる。
止める気はないらしい。
景は深く息を吐いた。
「余計な事を言うな……」
「だって本当でしょう?」
母はころころ笑う。
「綺麗で、ちょっと危なっかしくて、放っておけない感じ」
その言葉に、景の視線が僅かに瑠璃へ向いた。
瑠璃は居心地悪そうに、そっと目を逸らす。
その様子を見て、母は確信したように頷いた。
「あぁ、なるほどねぇ……」
景の母は、瑠璃を見つめながら、どこか納得したように微笑んだ。
「聞いた伝承どおり」
「……母さん」
「でも――」
母は瑠璃の顔を覗き込み、ふっと目元を和らげた。
「伝承なんかより、ずっと綺麗な子」
楽しそうに言いながら、瑠璃の髪へそっと触れた。
「……」
瑠璃はどう反応して良いのか分からず、困ったように景を見る。
景は小さく息を吐いた。
その様子を見た母は、ますます面白そうに笑う。
「景ちゃん、昔から“青”だけは譲らなかったものね」
「余計な事を……」
「ふふっ」
父は隣で静かに茶を飲みながら、ぽつりと呟く。
「確かに、よく似ている」
「でしょう?」
母は満足げに頷いた。
「でも景ちゃん。よく捕まえられたわねぇ……」
母は瑠璃を見つめたまま、感心したように言った。
「……」
景は黙って茶を口へ運ぶ。
「伝承によると、大抵は途中で消えてお終いなのよ」
母はさらりと続けた。
「気づいたら居なくなっている。探しても見つからない。何だったのかも分からないまま終わる」
瑠璃の肩が、ぴくりと小さく揺れた。
景の視線が静かに母へ向く。
だが母は、どこか懐かしそうだった。
「それでも皆、最期まで探すのよ」
「……母さん」
「だって、忘れられないんですって……」
母が、ふふっと笑う。
「伝承だと、狂ったように探し続けた人も居たみたい」
「それは……。笑えませんね」
馨がぼそりと呟く。
「本当にねぇ」
母はあっさり頷いた。
「でも鷹司って――朝比奈も含めて、昔から執着深いのよ」
父は何も言わず、静かに茶を飲んでいる。
その言葉に、景は小さく目を伏せる。
瑠璃は、何故か少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。
一方、葵だけが小声で馨へ囁く。
「……怖い話です?」
「かなり」
馨が頷く。
「私ね……」
景の母は、ふわりと微笑んだ。
「面白い事に、目がないのよ」
その声音は軽い。
けれど、どこか寂しさも混じっていた。
「あなた達の門出に参加出来なくて、ごめんなさいね」
瑠璃と葵が、きょとんと目を瞬かせる。
母は困ったように肩を竦めた。
「でも、これが私の業なのよ……」
その言葉の意味を、景も馨も聞き返さなかった。
母は昔から、そういう人だった。
そして父もまた、そんな母の隣を離れない人だった。
だが次の瞬間には、空気を変えるようにぱっと笑う。
「だから改めて」
母は両手を広げた。
「私たちの娘。瑠璃ちゃん、葵ちゃん!」
そして自然な仕草で、二人を引き寄せる。
「歓迎します」
抱き締められた瑠璃は、僅かに目を見開いた。
葵も驚いたように固まっている。
けれど、その腕は温かかった。
鷹司の人間特有の、圧迫感のある支配ではない。
ただ、家へ迎え入れるような抱擁。
景はその様子を、静かに見つめていた。
その隣で父が、穏やかに目を細める。
「賑やかになりますね」
「えぇ。娘が二人も増えたのだもの!」
母は笑った。
「ようやく、帰ってきた気がするわ!」
そう言って二人の髪を愛しげに撫でた。




