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彼のたいせつな、…。  作者: あぐり りょう


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36/41

【閑話】彼と妻の疲労宴①

「朝比奈玲はまだ恋を知らない」

良縁のお守り とクロスオーバーしています。

 婚約が発表されて、一年後。

 4月25日、大安。


 鷹司景と、妻・馨の挙式と披露宴が盛大に執り行われた。


 これは、家同士の契約に基づく、夫婦として最初の履行。


 挙式は、京都の神社。

 披露宴は、関西と関東。

 二度に分けて行われる。


 招待客は、国内外の要人。

 政財界の主だった人々。


 宛ら、巨大な社交パーティーだった。


 その日。

 馨は、お垂髪に十二単。

 幾重にも重なる衣。

 動く度に、鈍く絹が擦れる。


 景は、束帯姿。


 普段のスーツとは違う、古い時代の貴人の装束。


 神主が、祓詞を奏上する。


 ざわり。

 ざわり。


 大幣が振られ、白い紙垂が空気を切る。


 参列者達が、一斉に頭を下げた。


 三々九度。

 盃を重ねる。


 決められた所作、決められた順番。

 そして、決められた夫婦。


 式は、それだけで終わった。


 神社の外では、観光客達がざわめいている。


 珍しい装束姿に、勝手に写真を撮る者も多かった。


「本当に芸能人みたい」

 そんな声が、どこからか聞こえる。


 人が集まり過ぎると危険な為、周囲を厳重に警護されながら二人は控室へ戻った。


 襖が閉まる。

 束の間の静寂。


 そして。


「……最悪」

 二人同時に、声が重なった。

 ため息まで重なる。

 視線をあげ、互いに顔を見合わせる。


「重い」

「暑い」

「首が痛い」

「歩きづらい」


 二人が共通の思いをそれぞれ口に出す。

 景は、珍しく心底うんざりした顔をしている。

 馨も、十二単の裾を乱暴に摘んだ。


「何でこんな格好、千年も続いてるの!」

「……伝統」

「……滅びればいい!」

 馨が、即答する。


 その瞬間。

 控室の外で待機していた側近達が、一斉に咳払いをした。

「神式は、まだいいわ」

「一般的だものね」


 馨は、重たい袖を乱暴に払いながら続ける。


「でも、この服装なんて主上か宮家くらいでしょ!」


 悪態が止まらない。

 景も、内心ほぼ同感だった。

 だが、一箇所訂正する。


「……ウチも宮家だろ」

 淡々と返す。


「非公式だが……」

「……ええ、そうね」

 馨が、遠い目をする。


「歴史から隠れたものね……」

 一度、深く息を吐く。


「でも、隠れたなら全部無くなっても良くない?」

「なんでこんな所だけ伝統守ってるのよ!」

「しんどいわ!」

 ハァ、と盛大なため息。

 景は、束帯の襟元を緩めたそうな顔で言う。


「だからだとさ……」

「何が?」


「昔の先祖が、“その日だけは子孫は苦労しろ”って記録残してる」

「なにそれ……」

 馨が真顔になる。

「笑えないわ」

 その時。

 控室の外から、タイミング良く声が掛かった。


「新郎新婦様、記念写真のお時間です!」

 二人とも、直ぐに声が出ない。

 呼吸二つ分の沈黙が落ちる。


 それから、

「はーい!」

 馨が、やけに可愛らしい声で返事をした。

 控室にいた関係者は見た。

 馨の顔は完全に般若だった。


 今日は、葵を家へ置いて来ている。

 それが、余計に機嫌を悪くしていた。


 それは、景も同じだ。

 瑠璃は、今日は連れて来ていない。


「早く帰りたい」

 また。

 二人同時に声が重なる。

「……」

「……」

 一瞬、互いを見る。

 そして、同時にため息を吐いた。


 外側から扉が開き、再び表へ出される。

 周囲からは、感嘆の声。

「まるで生きた雛人形みたい」

「絵巻物だわ」

 経済誌や娯楽雑誌、記者とカメラマンが好き勝手に感想を言いながら、記事を配信していく。

 シャッター音が、何度も鳴る。


 角度を変え。

 向きを変え。

 目線を変え。


 笑顔を求められる。


 貼り付けた笑みが、途中で痙攣しそうになる。


 もう限界だ。

 二人は何度もそう思った。


 けれど……。

 逃げられない。


 ただ、ひたすら耐える。

 それが今日の、役目だった。

※※※

 

 昼からは、場所を変える。

 今度は、最高級ホテルでの披露宴だった。


 東西の雄としての格式。

 集められた権威。

 絢爛豪華な式を支える財力。


 全てを見せつける為の、巨大な社交場。

 神社とはまた違う意味で、疲れる場所だ。


 ホテルへ到着すると同時。


 馨が最初にした事は、一つ。

「これ、早く脱がして!」

 だった。

 今日の為に集められた鳳院家の中でも凄腕の女達が、一斉に動く。

 重たい十二単の紐を解き、一枚ずつ衣を外していく。


「これ、何キロあんの!?」

「髪も!早く取って頂戴!」

 馨の悲鳴に近い声が、スイートルームに響いた。

 馨付きは慌ただしく走り回る。


「姫様、少しお静かに……!」

「無理!」

「首がもげる!」

 

 巨大なスイートルーム。

 部屋は二つ。

 バスルームも二つ。

 中央のリビングで、互いの空間が繋がっている造りだった。


 一方。


 隣室では、景も限界だった。


「……早く」

 鷹司家から来た身の回り担当へ、珍しく急かす。

「脱がせてくれ」

 重い布の束のような束帯を外されながら、深く息を吐く。

 普段から鍛えている景でも、辛い。

「腕上げて下さい」

「重い……」

「皆そう仰います」

「これを考えた先祖、本当に正気か?」

「伝統ですので」

「……滅びればいい!」

 リビング越しに、馨が即座に反応した。

「それよ!」

 完全同意だった。

 その頃にはもう、二人とも家柄も格式も投げ捨てていた。

「……ハァー」

 ようやく、頭の重みから少し解放された馨が深くソファへ沈み込む。

 長い黒髪が、どさりと背へ落ちた。


 景も、束帯を半分脱がされながら珍しくぐったりしている。


 しばらく、誰も喋らなかった。


 静かな疲労感だけが、部屋を満たす。


 やがて。

 馨が、遠い目で呟く。


「……確かに」


「共にこれを乗り越えていけば、良いパートナーには

なるのでしょうけど……」

 その言葉に。

 景が、少しだけ笑った。

「戦友ではあるな」

「同志ね」

「夫婦より先に、共犯者」

「違いない」

 乾いた笑いの後、二人とも同時に息を吐く。


 お互いに恋愛感情は無い。

 しかし、この異常な環境を理解出来る人間は限られている。


 守らなければいけない家と血。

 引き継ぐ伝統。

 自由を守るための義務。

 その重さを、互いだけは説明不要で理解していた。


 朝比奈は、そんな二人を眺めながら静かに紅茶を飲む。


「実際、離婚率は低いですよ。鷹司家系」

「そりゃそうでしょうね……」

 馨が、死んだ目で返した。

「この疲労を共有したら、大抵の事どうでも良くなるわ」

 景も、小さく頷く。


「帰りたい」

「帰りたいわね」

 また、声が揃った。

 ようやく、十二単が片付き始めた頃。


 馨は、完全に気が抜けていた。

 ソファへ深く沈み込み、片脚を投げ出している。


「もう無理。このまま寝る」

「……姫様!」

 馨付きの低い声が飛んだ。

 空気が変わる。

 衣装を片付け終えた女中頭が、恐ろしい速度で戻って来ていた。


「姫様!」

 馨が、びくっと肩を震わせる。

「また、はしたない格好で!」

「時間がございません!」

「続きは浴室で行いますよ!」

 馨は叱られながら、数人に囲まれた。


「えぇー……」

 馨が、心底嫌そうな声を出した。

 だが。

 女中頭は容赦しない。

 ぐったりしている馨の身体を、半ば強制的に引き起こす。


「立って下さい!」

「無理!」

「無理ではありません!」

「姫様、披露宴はこれからです!」

「嫌ぁ!」


 景が、横で静かに目を逸らした。

 巻き込まれたくない。

 その空気が露骨だった。


「景様もです」

「……」

 逃げられなかった。


 馨は、女中頭を筆頭にずるずる引き摺られながら、バスルームへ放り込まれる。


 浴室の扉が閉まった瞬間。

 向こう側から、盛大な声が響く。


「冷たっ!!」

「姫様、動かないで下さい!」

「髪引っ張ってる!!」

「本日は何度も申し上げております!」

「だからって雑!」

 完全に、丸洗い作業だった。

 十二単で蒸された身体。

 大量の整髪料。

 塗り重ねた化粧。

 それらを、短時間で全て落とさなければならない。


 しかも次は、洋装の披露宴が控えている。

 女達の動きは、もはや戦場だった。


「次、髪流します!」

「目閉じて下さい!」

「姫様、頭上げない!」

「……泡入った!!」

 向こう側は、阿鼻叫喚。


「……大変そうだな」

「毎回ああですよ」

 朝比奈だけは、落ち着いている。


「先方は現在、丸洗い作業中です」

「物扱いするな」

「ですが実際、工程名は“丸洗い”です」

「……最低だな」

 その時、浴室側から馨の声が聞こえた。


「景ー!!」

「……何だ」

「私だけ地獄なんだけど!」

「……知らん」

 関わりたくないと即答する。


 数秒後。

「薄情者ー!!」

 そんな叫びが、ホテルの最高級スイートへ響いていた。


 景の隣に控えていた世話係が静かに口を開いた。


「貴方様も、他人事ではございません」

「……は?」

 景が、ゆっくり振り返る。

 嫌な予感しかしない。

「何を落ち着いていらっしゃるのですか……」

「丸洗いは、貴方様もです」


 ポカリと間の空いた静寂。


「……は?」

 景、理解を拒否する。

 だが、既に数人の係が近づいて来ていた。


「行きますよ!」

「待て!」

「お時間がございません!」

「待て!」

「汗も整髪料も落としますので!」

「自分で出来る!」

「駄目です!」

「何故だ?!」

「……効率が悪いので」

 最低だった。

 景は、本気で拒否の構えをする。


 その様子を見て、朝比奈がとうとう吹き出した。


「っ……!!」

 肩が震えている。

「笑うな!」

「失礼……」

 全く反省していない。


 その時。

 浴室の向こう側から、馨の愉快そうな声が響く。


「景ー!お前も来るのよー!道連れだー!」

「……断る!」

「無理よ!」

 その直後。

 景もまた、複数人に囲まれたまま浴室方向へ連行されていった。


「離せ!」

「いけません!」

「自分で歩ける!」

「本日は信用出来ません!」

「……何をした?」

「先代は逃げようとしました」

「……」

 否定出来なかった。


 ものごころがついて以来だろうか。

 他人——しかも同性にここまで徹底的に丸洗いされたのは。


 羞恥は、もう無かった。

 そんな感情は、途中で置いてきた。


 ただ。

 大事な何かを、失った気がする。


 魂とか。

 尊厳とか。

 そういう類の何かだ。


 ようやく解放された二人は、バスローブ姿のまま一旦リビングへ戻される。


 髪は半乾き。

 完全に、高級ホテルへ連れ込まれた被害者みたいだった。


「……」

「……」

 景と馨、無言でソファへ沈む。


 その時。

 景が、ふと机を見る。


「……おい!」

 端末が無い。

「俺の端末は?」

 係が、即答する。

「金庫です」

「……は?」


「これから、無事こちらへ戻られるまでの質です!」

「は?」


 景は、本気で理解出来ない顔をする。

 馨も、ゆっくり振り返った。


「……何それ。誘拐?」

「逃走防止措置です」

 係は、実に真顔だった。


「里心が出ても行けませんので」


「……仕事の連絡とか、色々あるだろう」

 景が反論する。

 だが、

「本日は、あり得ません」

 即却下される。


「……瑠璃が困っているかもしれない」

 景が、真顔で言う。

 係達は、一瞬だけ視線を交わした。


 その後。

 一人が、静かに答える。


「本日、瑠璃様は箱根にてさゆり様と観光中です」

「……は?」


「さゆり様へ、貸切一日分の花代、宿泊、食事代込みでお支払い済みです」


「こちらは万全を期しております」

「は?」

 景は予想外の展開に完全に止まる。

 さらに追撃が加わる。


「ちなみに現在、芦ノ湖遊覧船だそうです」

「……」

 言葉にならない思いが、静寂を生む。


 その横で馨が、とうとう吹き出した。


「っ……あははは!」

「完璧に隔離されてるじゃない!」

 景は、静かに頭を抱えた。


「計画的犯行か……」

「はい」

 係は、一切悪びれなかった。


 笑っていた馨が、ふと真顔になる。

「……葵ちゃんは?」

 先程まで笑っていた空気が、少し変わる。

「どうしてる?」

「私いないと、暇なんじゃない?」

 ソファへ沈み込んだまま、ぼそぼそ呟く。


「やる事なくて、部屋ピカピカにしてるんじゃ……」


 景が、静かに視線を逸らした。

 葵の行動が容易に想像出来る。


「帰って、構ってあげなきゃ……!」

 本気の声だった。

 係達が、また視線を交わす。


 一人が、慣れた口調で報告する。


「ご安心下さい」


「葵様は、本日用に推しのコラボカフェを予約し、推し活を楽しんだ後に箱根に合流されております」


「……」

 馨が止まる。

「……は?」

「現在、芦ノ湖遊覧船にて合流済みとの事です」

「何それ……」

 馨が、じわじわ笑い始める。


「完全に、女子会じゃない!」

「はい。そのとおりです」


「誰が組んだの?」

「……朝比奈様です」


 次の瞬間。

 馨と景が同時に朝比奈を見る。


 朝比奈は、優雅に紅茶を飲んでいた。


「披露宴に集中して頂く為、最適解かと……」

「最適過ぎて怖いわ」

 馨が、心底感心したように呟く。

 景は、深くソファへ沈み込んだ。


「逃げ道が無い……」


「本日はございません」

 係達が、揃って答えた。


 その日。

 鷹司景は理解した。

 今日、一番権力を持っているのは……。


 朝比奈玲だった。

お読みくださって、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
後日譚ありがとうございます! 嬉しいです! 普通の意味とは違っても、夫婦(仮)として息が合っている景さんと馨さんが面白かったです。 瑠璃さん、小百合ちゃん、葵さんの女子会、楽しそうだなあ。 普通とは…
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