【閑話】彼のたいせつな、彼女の話(ただいま)
東京駅の構内は通勤、通学、観光客でいつでも溢れている。
乗り換えのために長い構内を私は足早に歩く。
土産物を手に取り楽しそうにはしゃぐカップルが目につく。
なぜか、口の渇きを感じた。
自動改札機を抜けて、指定されたホームで並ぶ。
定時に到着した新幹線に乗り込んだ。
暫くすると、トンネルに入る。
鏡のように窓に映る、自分。
以前の私より、顔がふっくらした。
いつもかさかさだった肌も綺麗に整っている。
隣りの席は弁当を開けている。
ビールの缶がカシュっと小さな音を立てる。
滑り込むように、新幹線が京都に入る。
日本語。
いくつもの方言。
そこに、海外の言葉が重なる。
混ざる。
記憶と、あまりにも違う賑わい。
少しだけ、目が眩む。
ただいま。
地元。
心の中で、呟く。
私は足早に連絡のあった病院へ向かった。
ナースステーションで名前を告げる。
ミーティングルームへ誘われる。
病状の説明、母の最期が近い事。
その後の相談。
全てが、近くて遠い。
投げやりだった以前の感情が、新幹線に乗った辺りからまたやってきて棲みつく。
病室で横たわる、母。
記憶にある顔と全く違う。
激しくない、凪いだ表情。
もう、終わるんだ。
と急に実感が湧く。
外される、機械類、点滴。
事務的に手順に則り進んだ。
途中で、朝比奈母さんが来た。
病院を出る前で、良かった。
あと少し遅ければ、すれ違う所だった。
彼が、頼んでくれたのだろう。
本当に……。
何処までも、私に優しい人だ。
端末が震える。
「瑠璃、どうだ。平気か?」
彼の声が鼓膜を震わせる。
「大丈夫です」
そう返す。
電話の向こう側、彼の世界が繋がる。
後ろに、人の気配がした。
仕事中なのだろう。
忙しいはずなのに、気遣ってくれる。
だからこそ……。
「大丈夫」
しか言えなかった。
もし、少しでも弱い声を出したら……。
彼は、全部投げ出して。
ここへ。
私の元へ、来てしまう。
その確信が、あった。
母の遺品整理に、少し時間が掛かった。
一人なら、もっと掛かっただろう。
そう思うと、朝比奈母さんの存在は本当に有難かった。
余計な詮索はしない。
泣けとも言わない。
ただ、必要な事を淡々と手伝ってくれる。
母の部屋には、モノが溢れていた。
足の踏み場もない。
俗に言う、『汚部屋』だった。
たくさんの服。
通販の空き箱。
使わない健康器具。
開封されていない、日用品。
空のペットボトル。
どれも、積み重なっている。
これを作る為に、私は汗水垂らして働いたのか……。
そう思うと、急に虚しくなった。
「……」
言葉が、出ない。
朝比奈母さんは、何も言わず。
静かに、ゴミ袋を開いた。
昔は、大切にしていたはずの、父から貰ったブランドバッグ。
それは。
押し入れの隅で、くしゃくしゃになりカビていた。
もう、使える状態ではなかった。
「……」
何も言わず、袋へ入れる。
貴金属。
時計。
他のブランド品。
換金出来そうなものだけ、別に分けた。
ただひたすらゴミ袋へ詰めていく。
何袋目だったか。
途中で、数えるのをやめた。
押し入れの、奥まった隙間に埋まっていた。
元は、白と黒のハチワレ猫。
今は、濁った灰色。
毛並みは潰れ。
片目の糸も、少しほつれている。
私の、最初の友達。
「チャッピー……」
思わず、声に出た。
朝比奈母さんが、こちらを振り返る。
私は小さく、首を振った。
埃まみれになりながら、作業を続ける。
一日では、終わらなかった。
翌日の昼。
ようやく、不用品回収業者へ引き渡せた。
部屋が、少しずつ空になる。
なのに、空気だけは重いままだった。
その後、不動産屋へ連絡する。
解約したいと伝えると、確認へ来た。
担当者は、露骨に嫌そうな顔をした。
「壁と床の張り替え代金は、請求します」
「あと、家賃の滞納分も……」
「……はい。すみません」
ハァーとため息を吐く担当者が
「これ、あと借り手つくかな……。とりあえず計算できたらご連絡します」
そう言って帰って行った。
母の病院代、葬儀費用、部屋などの精算は、最近ほとんど手を付けていなかった生活費の貯金でなんとかなった。
以前ならそこから母へ送っていたお金。
もう終わったのだと、静かに実感した。
連絡する親戚は、全くいない。
父とは私が物心つく前から疎遠だ。
書類も、手続きも、部屋の片付けも少しずつ終わっていく。
やっとここを、離れられる……。
そう思った時だった。
コン、コン。
扉を叩く音がした。
業者だろうか。
そう思いながら、扉を開けた。
「おばさん、大丈夫?って……瑠璃?」
「……あっ」
そこに立っていたのは……。
旧姓、三浦雅美。
中学時代までの、唯一の友達。
……私が、いなくなってからも。
ウチの母を、気に掛けてくれていた。
優しい人。
そして。
前まで、私が気に入って着ていた部屋着のジャージ。
その元の持ち主だった。
「部屋、片付けたんだ……」
ガランとした部屋を見渡し、雅美は全部を察してくれた。
「そっか。おばさん……」
「……っ。ごめんね、手伝えなくて」
そう言って、母を想って泣いてくれる唯一の人。
「大丈夫」
「……他にも手伝ってくれる人、出来たから」
私は、ちゃんと笑ってそう言えた。
「私が高校入ってから、一度だけ瑠璃が家に泊まって以来?」
「そうかな。……懐かしいね」
「……うん」
それから雅美が、少し困ったように笑う。
「瑠璃、いつもお祝いありがとう」
「私の実家宛に、届いてた」
「でもアンタ、ここの住所を使って送ってくるからお礼も言えないじゃない!」
泣き笑いしながら、そう言った。
「たまに、母が……」
「雅美、どうしてるか教えてくれたの」
「時期、合ってるか分からなかったけど……」
「そっか……。そうなんだね」
少しだけ、沈黙が落ちる。
私は、雅美を見て今まで言えなかった一言を言う。
「今の連絡先、教えてくれる?」
「もちろん、いいよ!」
雅美は私に向かって、
「今度は、私がお祝いしたいから……。瑠璃も、教えて?」
と続けて話す。
「うん……住所は、後でいい?」
「いいよ」
雅美は、携帯を操作しながら笑った。
「はい、コレ」
「今度は、ちゃんと『消えないで』、連絡しなよ?」
※※※
帰京する間も、私と朝比奈母さんは何も話さなかった。
東京駅で、朝比奈母さんが、
「私は本邸へ戻ります。坊ちゃまにお伝えください」
と言って、去って行った。
前の住んでいたアパートとは違い、夜でも明るい既に通い慣れた道を歩く。
「早く、会いたい……」
段々と早足に、なっていく。
早足が駆け足になる。
ドアの鍵を開ける事ももどかしい。
早く会って、安心したい。
鍵の開いたドアを開ける。
見えた。
愛しい人。
「……ただいま、です」
彼はすぐに迎え入れ、抱きしめてくれた。




