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彼のたいせつな、…。  作者: あぐり りょう


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煙の向こうの答え

 当てがわれた部屋でひとり。

 先程から消化しきれない、想い。


 何度も、確認した。

 家の事。

 これからの事。

 だが、瑠璃には、届いていなかったのか?


 あの舞から感じた、情念、寂しさ、嫉妬。

 会えない男への、愛しさ。


 白髪になっても、想い続ける女。


 そんな女には、させない。

 何度も、そう言い聞かせた。


 まだ、瑠璃は俺を疑っているのか?


 煮湯を呑ませているのは、俺か?


 苦しい。

 今、

 苦しい。


 煮湯を呑まされているのは、どちらだ?


 考えても、わからない。

 ロジカルに、切り離せない。

 今までにない思考。


 苦しいと感じる首元から、ネクタイを乱暴に抜く。

 続けて、首周りのボタン。

 カフスを外す。


 ようやく、一息呼吸が出来た。


 その時。

 軽い、ノック音がする。

 遠慮がちな音に、外に誰がいるのかすぐにわかる。

 反射的に、身体が動いた。

 扉を開ける。

 

 そこには、瑠璃がいた。


 顔は熱っている。

 だが、夜風に当たったのか身体は冷えていた。


 まだ濡れたままの髪。

 いつもより、緩んだ浴衣姿。


「どうした?」

「……」

「話せないのか?」


 ただ。

 駄々を捏ねる子どものように、首を振る。


「身体が冷え切っている。温まれ」

 それでも、まだ離れようとしない。


 仕方ないと、そのまま瑠璃をくっつけたまま、浴室へ入った。


 扉一枚で繋がった部屋。

 露天風呂を起点に、対照の造り。

 

 ……なるほど。

 しっかりと、聞こえる。


 隣の音。

 声。


「……なるほど」

 声に出る。

 瑠璃の様子と、隣から漏れる空気。

 それだけで、全て理解した。


 俺は、ついに頭痛がした。


 くっついている瑠璃を離し、

「肩まで浸かって出て来い」

 もう一度、瑠璃の目を見て言う。

 瑠璃は、こくりと頷いた。


「俺は、一服してくる……」

 そう言って、部屋を出る。


 瑠璃と葵が出て行ってから、馨の姿も見えないとは思っていたが……。


「やり過ぎだろう……」

 頭痛を、煙草で誤魔化す。

 

 煙草へ火を移す。

 深く吸い込むと、先端が赤く灼けた。

 チリチリと紙が燃え、静かに灰が伸びていく。

 白い煙だけが、吐き出せない感情の代わりに夜へ溶けた。


 一本、吸い切った。

 最後に大きく煙を吐き出し、残り火を消す。

「一服してくる」

 そう言って出たものの、何も解決しないまま部屋へ戻る。


 すると。

 電池が切れたように、俺のベッドで無防備に眠る、瑠璃の姿が目に入った。


 ……今日は、このまま耐えられない。

 このままだと、酷い事になる。


 踵を返す。

 そして、朝比奈の部屋をノックした。


「俺だ……」

「……はい」

 気怠そうな返事。

 しばらくして、扉が開く。


「なんですか?」

「鍵……」

「え?」

「“ユリ”用の部屋の鍵貸せ」

「何か、ありましたか?」

「……寝ているんだ」

「俺のベッドで」


「……、へえ」

 朝比奈は、感情のない相槌を打つ。

「もう、いいんじゃないですか?お互い、覚悟決まったんなら……」


「なんだと?」

 どういう意味だと、詰め寄ろうとした。


 その時。


 中から、襖が開く。

 ひょっこりと、顔を出したのは、さゆりだった。


「お兄さん、お話中すみません!」

「朝比奈さん、ここでお風呂入っていくね!」

「大浴場、面倒になったし!」

「いいよね!」

「いいですよー!」

 一人二役で返事をし、勝手に話を決めている。

 朝比奈は、ついに頭痛がするという顔になった。


 何も言わず、鍵を二本持つ。


 そして。

 無言のまま、部屋を出た。

 前を歩く朝比奈は、こちらを振り返らない。


 そのまま、喫煙ルームへ入る。

「……景さん、煙草ください」

 無言で、箱ごと渡す。

 朝比奈は、箱を軽く叩き一本取り出す。

 慣れた手つきで火を点け、軽く、吹かした。


 俺も、もう一本取り出し。

 同じように、煙を吐いた。


「さっきの。……どういう意味だ?」

「そのままですよ」

 朝比奈は、煙を吐きながら答える。


「貴方、歌舞伎も演劇も寝てますもんね……」

「……お前もな」

「俺は、ちゃんと話の筋は頭に入っていますよ。寝不足なだけで……」

 軽く笑って、紫煙を吐き出す。


 そして。


「景さんは、情念とか観念ものにそもそも興味がない」

「今までの〝クズ石”は、それでも通じたでしょう」

 

 朝比奈がゆっくりと吸う。

 一息吸うたび、先端が赤く灯る。

 紫煙をゆっくり吐きながら、仕方ないというように笑った。


「あれは、先方がこれからの覚悟を問うた」

「彼女は、あの舞でそれに応えた」

 静かな声。


「早々、見れるものじゃない……」

 ぽつりと、呟く。


「解ってないのは、貴方だけでしたよ」

「さゆりは、雰囲気に呑まれてましたけど……」

 そう言って、少し笑う。


「お年寄りたちの言葉で、承認されました」

 煙草を灰皿へ押し付ける。


「これで、わかりましたか?」

「正妻に渡して、去るのではなく?」

 そう尋ねると。

 朝比奈は、一瞬だけ目を丸くした。


「あぁ……。そのままの意味で、捉えましたか」

 少しだけ、呆れたように笑う。


「彼女は、もう逃げませんよ」

 新しい煙草を指先で回しながら、朝比奈は続けた。


「手間が一つ減って、安心です」

 そう言って、薄く笑った。


「お前の部屋に、さゆりちゃんがいたが?」


「えぇ……」

「緊急避難です」

 朝比奈は、疲れた顔のまま答える。


「大人の事情に巻き込まれるのは、流石に気の毒だ」

「そうか」

 短く返す。


 朝比奈は、煙草へ火を点ける。

「前回は、酷な事をしましたから……」

 紫煙を吐き出す。

「だから今回は、避難させました」


「……前回?」

「覚えてないんですか?」

 少しだけ、呆れたように笑う。

「あれは、ダメな大人の例ですよ」

「景さん、完全に二人の世界でしたからね……」

「さゆり、途中から死んだ目してました」

「……」

 思い当たる節が、あり過ぎた。

「お前もな」

「えぇ……」

 朝比奈は、否定しない。

「なので、今回は学習しました」

「流石に、瑠璃さんと同じ部屋は危険です」

 そして、こちらを見た。


「景さんも、今日はもう帰ってください」

「多分その方が瑠璃さん、安心して寝ますよ」

「その鍵、どうするんだ?」

 朝比奈の手の中。


 “ユリ”用の部屋の鍵。

 問い掛けると。

 朝比奈は、少しだけ考えるように視線を落とした。

「……そうですね。一応、保険です」

「保険?」


「さゆりが、急に“ユリ姉さんと寝る!”とか言い出した時用です」


「あり得るな」

「あり得ます」

 即答だった。

 朝比奈は、肩を竦める。


「なので、今日は俺が持っています」


 喫煙所を出たところで、朝比奈の父がこちらへやって来た。

「景様、玲。長老方がお呼びです」


 朝比奈の顔色が一段と悪くなった。


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― 新着の感想 ―
玲さんのほうもなんか進んでるー。そっちも気になるー。 ですがとりあえず、こちらが気になるので読み進めさせていただきます。 景さんは今まで、そもそも他人の気持ちに(もしかしたら、自分の気持ちにも)興味…
すごい。 綺麗に繋がった……。ここの裏話だったんだ。 すんごい何かパズルがハマるみたいにスッキリしています。 そしてこの時の瑠璃の様子も。 さゆりのことも。 そして朝比奈さんと景さんが一服してた経緯も…
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