記憶と記録
「お祖父様、録画!出来ました?」
「録画?」
馨は、勢いよく自分の祖父へ詰め寄る。
「当然でしょ!」
「一条!出来ているわよね?」
すぐに、祖父の秘書へ視線を向けた。
一条は、静かに一礼する。
「馨様」
「残念ながら、映像に収める事は出来ませんでした……」
馨は絶望の声を上げる。
「んマァ!!」
「役立たず!」
「あんな、歴史に残すべきシーンを!」
「何故?何故なの!」
完全に、身内へ八つ当たりし始めた。
一条氏は慣れた様子で淡々と返す。
「馨様……段取りなく始める、からでございます」
「自分の行いですよ?」
「それに……」
一条氏は静かに瑠璃を見る。
「あれは、人に見せるものではありません」
馨に諭すようにキッパリと言う。
場が、少し静かになる。
その時。
鷹司側の祖母が、ふっと笑った。
「そうやね。あれは、『残らず』こその美しさやわ」
鷹司の祖父も、静かに頷く。
「そうだな」
「記録にした瞬間、変わってしまう」
馨の祖父が、
「今この場におった者だけが、知っとればええ」
「ええもん、見たわ。あれだけ想われたら納得やわ」
と締め括った。
馨は、まだ不満そうな顔をしていた。
やがて、小さく唇を尖らせ呟いた。
「……独占映像だったのに」
「馨様。もうそろそろ、叱られますよ?」
冷えた笑顔で葵が言う。
その顔に馨は若干引き攣りながら、
「そうね……」
と納得した。
そのやり取りに、笑い声が静かに広がる。
ようやく張り詰めていた座敷へ、少し笑いが戻った。
俺の向かいに瑠璃は静かに座り直した。
もう。“ユリ”の顔へ戻っている。
だが、俺だけが戻れなかった。
黒髪。
頭の中で、さっきの唄が繰り返される。
——袖は片敷く
妻じゃというて。
妻。
胸の奥が、嫌なほどざわつく。
ひとり寝る夜。
仇枕。
待つ女。
積もる白雪。
そこまで辿り着いて……。
ようやく、理解した。
……あれは。
妻になれない女の唄だ。
息が、詰まる。
視線を上げる。
馨は、静かに酒を飲んでいる。
最初から、分かっていたのか。
だから、あれを舞わせた。
罰として。
いや、違う。
覚悟を、見たかったのだ。
瑠璃が、何を抱えてここへ立っているのか。
逃げずに、舞えるのか。
その時。
不意に、視線が合った。
瑠璃だ。
一瞬だけ、困ったように笑う。
まるで。
——今頃、気づいたんですか。
そう言われた気がした。
席を外し、手洗い場へ向かう。
冷たい水で、手を濡らす。
鏡の中の自分は、思った以上に疲れた顔をしていた。
後ろで、扉が静かに開く。
「景さん」
朝比奈だった。
隣へ立ち、同じように手を洗う。
しばらく、二人は無言だった。
俺は、水を止めた。
「朝比奈」
「はい」
「……アレ、分かったか?」
朝比奈は、一瞬だけこちらを見る。
そして。
呆れたように、小さく笑った。
「ええ」
朝比奈は、当たり前のように頷いた。
「教養ですからね」
……腹が立つ。
「もっと早く、教えろ」
「嫌ですよ……」
呆れた顔で、朝比奈はハンカチで手を拭きながら続ける。
「自分で気づかなきゃ、意味が無いでしょう」
「それに……」
少しだけ、真面目な顔になる。
「瑠璃さん、逃げませんでしたね」
その一言に、胸が重くなる。
彼女は、逃げられた方が楽だったのかもしれない。
だが。
瑠璃は、舞った。
“妻になれない女”の唄を。
俺の前で。
口の中が苦い。
気分の落ち込みを感じながら部屋へ戻ると……。
何故か、また映像鑑賞会が始まっていた。
「……」
画面の中では、幼い藤娘が小首を傾げている。
もう、隠す意味はない。
瑠璃も、先程ほど動揺していなかった。
少しだけ、諦めた顔で座っている。
「この子」
馨が、嬉しそうに画面を指差す。
「見てすぐ、調べたの。ね?お祖父様!」
馨の祖父は、懐かしそうに目を細めた。
「あぁ。あの時は、局の知り合いに頼んでな」
「出場者の名前や住所を、確認したんや。でも、見つからんかった……」
「その時に出会ったのが、葵ちゃんなの」
馨は、葵を見る。
葵も、少し笑う。
「……懐かしいですね」
馨は、思い出話を始める。
「出場者の住所に、お花持って訪ねたのよ。そしたら、お家から出てきたのが違う子で……。私、大泣きしたの。違う!この子じゃない!って」
笑う馨に場が、静まり返る。
……怖い話だ。
馨は、全く気づいていない。
「そしたらね。葵ちゃんも、つられて泣き出しちゃって……」
馨は、葵の手を握る。
「いきなり訪ねて来た子が、“違うこの子じゃない!”って大泣きするのでびっくりしました」
葵も、苦笑する。
「それが、私達の出会い」
そして、葵が静かに額を押さえた。
「今思うと、かなり迷惑でしたね……」
「……でも、葵ちゃん優しかった」
馨は、満足そうに笑う。
瑠璃だけが、少し遠い顔をしていた。
自分の知らない場所で、自分を探して、泣いた人がいた。
そんな事を考えた事も無かったのだろう。
「どうして、あの時葵ちゃんの名前で出てたの?」
馨が、不思議そうに首を傾げる。
瑠璃は、少し考えるように視線を落とした。
「多分……。踊りのお師匠さんが、同じなんです」
場が、少し静かになる。
瑠璃が珍しく自分の過去を話す。
「私は、お師匠さんから連絡を頂いて……」
「予定していた子が熱を出して、急遽代役に行ったと記憶しています。母が、そういう事が好きでしたし……。何か分からず、連れて行かれました」
淡々とした口調。
まるで、他人事みたいに話す。
「大勢の中の、ほんの一瞬でした。正直、今もお持ちとは……。驚きました」
馨は、目を輝かせたままだ。
「だって、可愛かったんだもの。忘れられる訳ないじゃない」
「私の初恋よ?」
その横で、葵が小さく息を吐く。
「葵さん、そうなの?」
鷹司の祖父が、面白そうに聞いた。
「……ええ」
葵は、静かに頷く。
「うちの母も、賞レースに熱心でした。出演の日に、高熱を出して、出られなかったんです」
「その後も、かなり言われましたね……」
「出来損ないと……」
葵はさらりと言う。
もう、終わった話みたいに……。
だが。
その場にいた誰も、軽くは聞けなかった。
馨だけが、静かに葵を見る。
そして。
当たり前みたいに、その手へ触れた。
「初めて聞いたわ。だから、泣いたのね」
葵は、少し困ったように笑う。
「馨様も、泣いていたでしょう?」
そして、二人笑いあう。
一度、宴席を締める流れとなった。
「後は、若い者達で少し遊びなさい」
そう言って、祖父達は、各々の部屋へ引き上げていく。
最後まで、どこか満足そうな顔だった。
襖が閉まり、座敷の空気が少し変わる。
緊張が、緩んだ。
その時。
瑠璃が、静かに口を開いた。
「申し訳ございません……」
「一度、中座し着替えて参ります」
確かに、ずっと芸妓姿のままだ。
馨は、素直に頷く。
「わかったわ。ゆっくり着替えなさい。葵ちゃん、手伝ってあげなさい」
「かしこまりました」
葵はスッと立ち上がり、部屋を後にする。
さゆりが、ちらりと朝比奈を見る。
朝比奈は、無言で目を逸らし首を小さく振る。
……察しているな。
瑠璃は、最後に小さくこちらを見る。
一瞬だけ、何かを言いたそうな目を向けた。
だが結局、何も言わずに頭を下げる。
襖が閉まった。
静かになった座敷で。
俺は、深く息を吐いた。
まだ。
黒髪の余韻が、頭から離れない。




