見つからない理由
梅雨に入った。
朝から、大粒の雨が窓のガラスを叩く。
止む気配はない。
今日は、外へ出ても彼女には会えない。
相変わらず、彼女の部署は特定できない。
我々が探しているのに、不自然な点が多すぎる。
一度、整理する必要がある。
情報、行動、認識。
——どこかが、ズレている。
このままでは彼女の痕跡が早々に消える。
人事の処理リストに載るまでが、タイムリミットだ。
午前中の会議は“人員整理の、最終決定“。
いよいよ、時間がない。
名簿には残る者、切られる者の名前があるが、
——どちらにも、“三浦”は、存在しない。
「……朝比奈。昼、行くぞ」
「外は無理ですからね、社食でいいでしょう」
普段は、あまり使わない。
社員食堂。
その前には——長蛇の列。
だが、食堂の誘導は、無駄がない。
決まったメニュー。
決まった導線。
人は、次々と流れていく。
「俺はA定で」
「俺も——」
「あいよ!A定、追加二つ!」
奥へ通る、大きな声。
盆を受け取る。
流れに乗って、空いている場所へ向かう。
その後ろで、
「……素うどん」
小さな声がする。
だが、二人には届かない。
空いていた席に、腰を下ろす。
定食を口に運ぶ。
可もなく、不可もない味。
後ろに、人の気配がする。
誰かが、座る。
だが——、
混雑の中では、気にも留めない。
素早く、食べ終える。
椅子を引く。
——ガツン。
幅が狭く、距離が近い。
後ろの席に、ぶつかる。
「ひゃっ」
小さく、跳ねる声。
振り向くと座っているのは、女性。
「失礼」
「いえ。大丈夫です」
女性は何事もなかったように、食事を再開する。
一瞬。
視線が、止まる。
——だが。
思い出せない。
何度も擦れ違っている相手を見る時のような違和感だけが残る
首を捻りながら、その場を離れた。
喧騒の中に響く、小さいが通る声。
「ごちそうさまでした」
聞き覚えのある声がした。
振り向くが、もう彼女はいなかった。
隣りにいる朝比奈に目をやるが、端末を気にしてこちらを見ない。
「おい」
「いや、ちょっとだけ……。これだけ送信させてください」
珍しく、俺を優先しない。
数秒、待たされる。
「失礼、行きましょうか?」
朝比奈は何事もなかったように歩き出す。
「彼女の……、声が聞こえた」
先程の鈴の音色のような声。
「……。ついに幻聴ですか、重症ですね」
「お前な……」
朝比奈の顔を見ると“機嫌が悪い”と、書いてある。
「どうか、したか?」
「聞きたいですか?」
「いや」
「貴方のせいですよ。俺の嫁(仮)の機嫌が悪くて、返事をしてくれません」
しれっと言う。
「はぁ?」
「はぁー……」
と声が重なった。
グループ本社統括部、部長。
その肩書きには、日々大量のメールが届く。
会議案内。、アジェンダ。
どうでもいい通知。
各部署からの日報。
自動的に振り分ける、優先順位を付ける。
見る価値のあるものだけを、拾う。
その中に——
一つ。
興味を引くものがあった。
管理部から、統括部宛。
CCには、営業部。
生産本部。
関係各所の上長。
定例レポート。
見出しは、いつもと変わらない。
だが——
内容が、違った。
数段、見やすい。
簡潔で的確。
今までは各国の原材料価格を、サイトから貼り付けただけの。
参考にもならない資料だった。
——はずだった。
管理部と直接やり取りのある、営業部の課長を呼ぶ。
「最近、レポートの質が上がった。何か、テコ入れしたのか?」
「……部長、気づきました?」
課長はニヤリと、笑う。
「担当、変わったんですよ」
「……だろうな」
「気になります?」
こちらを探るような目。
「派遣ですよ」
「前は、経理部にいたらしいんですが——、今回の件で」
コンと軽い音で舌打ち。
首を切るジェスチャー。
「……あぁ」
何があったかを理解する。
「経理の頃から、管理部が欲しがってましてね」
「でもそれはウチも同じで」
「雇い止めを聞いた部長同士で、彼女を取り合って罵り合ってましたよ」
自分のところまでは、上がらない情報。
「……なるほど」
「結局、総務が出張ってきましてね」
「派遣の一人だけ贔屓は出来ない。騒動が収まるまで、ウチ預かりでって。連れて行かれましたよ」
「それで?」
「もう、いいだろうって頃にウチの部長と俺が総務に迎えに行ったんですよ」
「管理部、企画部、マケ本……」
課長は指を折りながら数える。
「全部、バッティング」
手をひらいてパンと叩く
「待て。増えてないか?」
「なんでしょうね。増えてました」
他人事のように言う。
「しかも、総務も返さないとか言い出して」
「本人の前で、バチバチですよ。当の本人はオロオロしてましたけど……」
頭の痛い話だ。
「……どうなった?」
「ドラフト会議するまで、メール室預かりです」
「結果は——ご存知の通り、管理部が持って行きましたけど……」
途中から話を聞いた朝比奈も、呆気に取られた顔をしている。
「そんな話、ウチには回って来ませんでしたが?」
「そりゃ、言わんでしょ」
課長が、肩を竦める。
「そんなに優秀な人材なら不安定な派遣じゃなく、中途採用にすればいい。契約満了で辞められて、他社に取られたら損失でしょう」
朝比奈は算盤を弾くような顔で言う。
「そんなに人気なら、部内推薦条項も余裕だろ?」
社内規定を思い返す。
空気が、変わる。
「……いや、それが」
今までの軽口が、消える。
「社内に入れば——」
チラリと課長は朝比奈を見る。
「そちらや、秘書部の手の届かない所に取られる」
「……では推薦は、出さないんだな」
「はい」
一呼吸の沈黙が落ちる。
「なるほど……」
朝比奈が深く頷く。
「ウチの部署は、外部は使いませんからね」
「そうなんです」
課長も深く頷いた。
「でもね……。各部署がやっぱり、諦めきれないらしくて“相性を見たい”って。各部署、三ヶ月ごとに回されてるそうですよ」
ここだけの話ですが、と付け加える。
「ウチ、次なんで。今から楽しみです」
そう言って、課長は席へ戻っていく。
考えに耽る。
朝比奈も難しい顔をしている。
「……なぁ、どういう事だ?」
「下で、情報を止められていたとは」
朝比奈が、深く頭を下げる。
「申し訳ございません」
「社内管理を、徹底します」
「分かった」
この件は終わりだ。
「ただ——」
「この社内メールアドレス。見覚えがある」
空気を変えるように、そのまま踵を返す。
向かう先は——、
決裁済み資料が眠る、資料室。
そこは図書館のように静かだった。
少し埃の匂いがする、資料室。
新しく納められた、先日までの記録。
棚から、資料を抜く。
素早く選別する。
転換点になった、あの日。
朝比奈から渡された、“社外秘”の資料。
その中の、一つ。
——これだ。
誰も気に留めない、整い過ぎた数字の羅列。
朝比奈でさえ、一度、見落とした資料。
腐った場所。
それを知らせる、ファイル。
送信先を、見る。
完全に一致する。
r-ozawa@——
これが彼女と直接繋がっているかは——、まだ、分からない。
だが、“見つからない理由”には、納得がいった。
ひと段落ついた。
席を立ち、外へ出る。
慣れた手つきで、煙草に火を点ける。
肺に落とす。
ゆっくり吐く。
点と、線が繋がる感覚。
それは、心地よかった。
仮にこれが、“彼女”ではなかったとしても。
優秀な人材は、確保できる。
損はない。
そう整理すると——
足取りが、軽くなる。
自然と、公園へ向かっていた。
志村ー!うしろ!うしろ!と呼びかけていただけましたか?
お読みくださって、ありがとうございます。
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