第4話 窓ごしに揺れる気持ち
その夜。
宿題を広げた机の上に、昼間の雨の匂いがまだ残っている気がした。
鉛筆を持ったまま窓の方へ顔を上げると、向かいの家のカーテンの隙間から、灯りが漏れている。
――美咲も、勉強してるのかな。
ふとした好奇心でカーテンを二センチほど開けると、まるでタイミングを合わせたように、向こうの窓のカーテンも少し開いた。
そして現れたのは、美咲の影。机に頬杖をついて、本をめくっている。
僕は笑って、メモ用紙をちぎり、ペンで「勉強中?」と書いてカーテンに挟む。
少し間を置いて、美咲の窓にも紙が出てきた。
「眠い。助けて」
思わず吹き出す。
――昔から、眠気には勝てないやつだったな。昼寝中に勝手に抜け出して遊んで、保育士さんに怒られて泣いていたのを思い出す。
僕は「頑張れ。コーヒー飲め」と返す。
すぐに「インスタントは苦いから嫌」という紙が出てきた。
やりとりが楽しくて、気づけばペンが止まらなくなっていた。
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そんな時、突然、美咲のスマホが鳴った。
画面が窓ごしに一瞬だけ反射して、見知らぬ男の名前が浮かんだ気がする。
胸の奥がちくりと痛む。
美咲はカーテンを少し閉めて、しばらく姿を消した。
僕は手持ち無沙汰にノートをめくりながら、落ち着かない心臓を抑える。
――誰だよ、さっきの名前。
彼氏……じゃないよな? いや、でも。
そんな疑念が頭の中をぐるぐる回る。
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十分ほどして、また窓が開いた。美咲が顔を出す。
何事もなかったように笑いながら、紙を出してきた。
「さっきの顔、めっちゃ怖かった」
「は? なんでわかるんだよ」
思わず声が出る。
美咲は向こうの窓から口の形だけで「嫉妬?」と囁いた。
心臓が大きく跳ねる。顔が熱くなる。
必死に誤魔化そうと、紙に「違う」と殴り書きする。
すると彼女は、にやにや笑いながら新しい紙を出した。
「優斗って、ほんと嘘下手だよね」
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カーテン越しにやり取りを続ける中で、気づけば時間は流れていた。
時計の針が十一時を回った頃、美咲が「もう寝るね」と紙を出す。
最後に、少し大きめの文字。
「また明日」
その言葉を見た瞬間、胸がきゅっと締め付けられた。
―― déjà-vu。
前にも、誰かと同じ言葉を交わした。桜の下で、伸ばした手が届かず、最後に聞いた言葉がそれだった気がする。
ノートに震える字で「おやすみ」と書き、カーテンに挟む。
美咲が「おやすみ」と返すのを確認して、僕は窓を閉じた。
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ベッドに潜り込んでも、眠気はなかなか訪れなかった。
胸の奥がざわめく。
――また喧嘩して、離れてしまうのか。
そんな未来を想像して、背筋が冷たくなる。
でも同時に、彼女の「また明日」という文字が、灯りのように心に残っていた。
今度こそ、絶対に手を離さない。
そう強く思った。
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翌朝。
登校すると、美咲は友達と笑いながら教室に入ってきた。
僕に気づくと、わざとらしく手を振る。
「おはよ、優斗。昨日はありがとう。メモ楽しかったね」
「お、おう」
彼女は楽しそうに隣の女子と話し始める。
だけど時々、ちらりと僕の方を見てニヤリと笑う。
その度に顔が赤くなるのを、自分でもどうしようもなかった。
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授業中。
ふと窓の外を眺めていると、桜の花びらが風に舞った。
胸の奥でまた鐘が鳴る。
――前世で交わした約束の残響。
“次こそは、一緒に”
そんな声が、微かに耳の奥で響いた気がした。




