第3話 雨宿りと、幼い日の約束
#突然の雨
放課後、空はすっかり鉛色に変わっていた。校門を出ると同時に、雲の底が抜けたように雨が降り始める。
「わ、やばっ!」
「走る? でも──」
美咲のブレザーを見て、僕は言葉を呑み込んだ。白いブラウスが雨に濡れれば透けるに決まっている。そんなことを考えている自分に嫌悪感を抱きながらも、視線を逸らすことができない。
「どうしたの? 顔真っ赤だけど」
「な、なんでもない! とりあえず雨宿りしよう」
慌てて駆け込んだのは、通学路途中にある古い公園の東屋。屋根を叩く雨音が思いのほか大きくて、お互いの声を聞くために自然と距離が縮まる。
「びしょ濡れ……」
「お前のせいだろ。『まだ大丈夫』って言ったくせに」
「だって、天気予報は晴れだったもん」
頬に貼りついた髪をかき上げながら、美咲は悪びれもせず笑う。案の定、白いブラウスは透けて、下着のラインがくっきりと浮かんでいる。僕は必死に視線を上に向けた。
「……見たでしょ?」
「見てない!」
「嘘つき。優斗って昔から、そういう時すぐ分かる」
小悪魔的に笑う彼女に、心臓を直接掴まれているような気分になる。
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## 記憶の欠片
タオルをカバンから取り出して差し出すと、美咲は「ありがと」と受け取った。髪を拭く仕草が妙に色っぽくて、思わず見とれてしまう。
「ねえ、覚えてる?」
突然の問いかけに、僕の心臓が跳ねる。
「なにを?」
「保育園の頃、お昼寝の時間に二人で抜け出して、園庭の滑り台で『大きくなったら結婚する』って約束したこと」
その記憶は確かにある。でも、それと同時に別の映像も頭をよぎった。桜の木の下で手をつないでいる僕たち。でもそれは保育園じゃない、もっと別の時間、別の場所──
「優斗が先に言ったんだよ。『美咲ちゃんと結婚する』って」
「……そうだっけ」
「忘れちゃった?」
美咲の笑顔は楽しげなのに、その奥に一瞬、深い悲しみが宿った気がした。まるで、その約束が叶わなかった未来を知っているかのように。
「ねえ、変な話するけど」
美咲が急に真剣な表情になる。
「時々夢を見るの。私と優斗が、もっと大きくなってから、桜の木の下で喧嘩してる夢」
僕の血が凍りつく。全く同じ夢を僕も見ていた。
「そして、そのまま会えなくなっちゃうの。手を伸ばすんだけど、届かなくて……」
美咲の声が小さく震えている。僕は無意識に彼女の手を握っていた。
「そんなこと、絶対にない」
「本当?」
「約束する」
その瞬間、強い既視感が襲ってきた。前にも同じことを言った気がする。でも、その時の僕たちは今よりずっと──
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## 隠された真実
「実は、もう一つ不思議なことがあるの」
美咲が僕の手を握り返しながら続ける。
「中学の時、なんで急に話さなくなったか覚えてる?」
「……喧嘩したからじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど、何について喧嘩したか思い出せないの。すごく大切なことだった気がするんだけど」
僕も同じだった。ある日突然、美咲と話すのが気まずくなって、自然と距離を置くようになった。理由が思い出せないのに、胸の奥にずっと痛みが残っていた。
「でもね、今日は思い出した」
美咲の瞳が真剣になる。
「私たち、きっと前世でも知り合いだったのよ。そして、何かの理由で離れ離れになった。その記憶が夢になって現れてるんじゃない?」
突拍子もない話なのに、なぜか納得してしまう自分がいる。
「だから今度こそ、絶対に離れたくない」
美咲の目に涙が浮かんでいる。
「私、優斗を失うのが怖い。理由は分からないけど、すごく怖いの」
その涙を見て、僕の中で何かが決壊した。理屈じゃない、魂の奥底からの衝動。
「俺も同じだ。お前を失うくらいなら──」
言いかけて、雨が止んだ。まるで僕たちの会話を聞いていたかのように、ぴたりと。
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## 新たな約束
東屋を出ると、夕陽が雲の隙間から顔を覗かせている。濡れたアスファルトに虹が映って、まるで童話の世界みたいだった。
「きれい……」
美咲が息を呑む。その横顔を見ながら、僕は思った。この瞬間を、絶対に忘れたくない。
「ねえ優斗」
「なに?」
「今度約束するなら、もっと具体的にしない?」
美咲が振り返る。夕陽に照らされた彼女は、天使のように美しかった。
「どんな約束?」
「毎日、窓越しでもいいから必ず挨拶すること。どんなに忙しくても、どんなに疲れてても」
「それくらい簡単だよ」
「そして、もし何かで喧嘩しても、一日で仲直りすること」
「うん」
「最後に──」
美咲が一歩近づく。
「絶対に、相手を信じ続けること。どんなことがあっても」
その言葉に、深い意味が込められているのを感じた。きっと前世の僕たちは、お互いを信じきれなくて離れてしまったのだ。
「約束する」
僕が答えると、美咲が微笑んだ。その笑顔は、今まで見た中で一番美しかった。
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## 家路での決意
家に向かって歩きながら、僕たちは手をつないでいた。それが自然すぎて、誰も疑問に思わない。まるで昔からそうしていたかのように。
「ねえ、もう一つ約束して」
家の前で立ち止まった美咲が言う。
「今夜は、同じ時間に窓を開けて、星を見ましょう。きっと同じ星が見えるから」
「何時に?」
「11時。大丈夫?」
「もちろん」
玄関の前で手を離す瞬間、美咲が振り返る。
「優斗。今日のこと、忘れちゃダメよ」
「忘れるわけないだろ」
「ふふ。じゃあ、11時に」
駆けていく背中を見送りながら、僕は誓った。
今度こそ絶対に、この手を離さない。
どんな運命が待っていても、今度こそ一緒に乗り越えてみせる。
夜空には、早くも星が瞬き始めていた。
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## 約束の時間
11時。
僕は約束通り窓を開けた。向かいの窓も開いて、美咲がこちらを見ている。
二人で空を見上げると、雨上がりの夜空には満天の星が輝いていた。
美咲が何かを口の形で伝えてくる。
「愛してる」
僕も口を動かして答えた。
「こちらこそ」
星たちが、僕たちの新しい約束を祝福するように瞬いている。
物語は、ついに運命の扉を開いた。




