第十一話 輪廻更生(リイン・カーネーション)[中編⑤]
貴方という人は、リードの付いた首輪でもはめなければお分かり頂けませんか――byハルデルト
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「……バカじゃないの」
ダンッてかなり強めに本を閉じちゃったけど、許してほしい。本当は力任せに破り捨てたい気分だったんだから。だって`くらやみモフ`が【アンガット】なら、人の口に戸が立てられないなら……これは物語っぽく書き直しただけの実話だろ?
ブルギディア王族と貴族の独断で、獣人族を皆殺しにしたってことだろ!? 安らかとか誰も傷つけずに済んだとか、これ見よがしに安楽死を連想させる言葉ばっか並んでるけど……彼らが死を願ったなんて、どこにも書いてない。
「……なぁソウシ」
「ん?」
「お前書庫でコレの記録読んだんだよな?」
「読んだぞ」
「…………」
淡々としたソウシの声に振り返れば、やはり淡白な眼差しに迎えられる。でもめちゃくちゃ考えてるくせに何も考えてないように感じさせるその目が、今は逆に有難かった。それは何年前の記録だ、と尋ねる僕の声は震えてなかっただろうか。
「十三年前、両者ご存命だ」
「ちょ、なんか音したけど大丈――」
ソウシの陰から伸びてきた英斗くんの手を弾き、椅子を倒して立ち上がった僕はヒトの顔をしてただろうか。
「ひっ……」
小さな悲鳴と一緒に、盾代わりの小説本が突き出される……ヒトの範疇にはギリ入ってたみたいだけど、それでも随分と余裕がない顔してたんだろうな僕は。そんな反射的な防衛さえも、今は腹立たしく思えてしまうんだけど。
「……【暗器狩り】、絵本なんかになってたんだ」
無言でただただ責める僕の圧に泳いだ英斗くんの視線が、あの絵本を捉える。途端に戸惑いが消えたムーングレイの瞳に、今度は僕のほうが気圧された。たたらを踏むように後退れば、あいた空間に英斗くんが踏み入って絵本に手を伸ばす。パラパラとしばらくはページを捲る音が響き、やがて溜息と一緒にパタンと裏表紙が閉じられた。
「なんでまた絵本を、それもハル自らが回収に向かうんだと思ってたけど……納得がいった」
たとえ子供向けの本でも、いや話したがりな子供向けだからこそこの内容は王族にとって危険すぎる。今はまだ膨らんでは萎む泡沫みたいな感じだけど、それでも沸々と民の不満は確かに募っていて、あと一歩何かきっかけがあれば噴火する人はきっといる。
そんな人の耳に入らないように、絶対に漏れが出ないようにわざわざ勇者が芽を摘みに来るのだろう……そう語る英斗くんの目は、さっきのソウシと同じで読めなかった。でも壁を隔てた他人事とは違う、まるで湧き出る感情を見ないまま片っ端から払い落としてるみたいだ。
「……英斗くん、は」
「ん?」
「今、いくつ?」
「十八。十三年前は五歳だったよ」
はっきりと先回りした回答。やっぱり記憶が、自我があったんだ……あってほしく、なかったな。そう思ってもあからさまに落胆を見せるのは失礼だと身体ごとそっぽを向いたつもりだったけど、取りこぼしてしまったらしいそれを英斗くんは「笑ってほしくなかったんだ」と拾い上げる。
「あの時おれが意見しなかったら沢山の笑顔が見れたと思うし、こんな絵本も書かれてなかったと思う」
「あの時……意見?」
「でも、笑ってほしくなかったから」
「待って英斗くんどういう――」
「弾丸」
刹那、黒い弾道が夕日色の空気を裂いた。考えるより先に飛び出して英斗くんを押し倒し、その騒音を掻き消す勢いで[バリアモンド]を叫ぶ。重ね重ね反射的詠唱だったけど、それで正解だった……正体不明の黒弾は追尾タイプだった。結界魔法を挟んだ背中の上で弾けた漆黒の火薬は、治まった傍からまた降り注ぐ。
精度は僕らの盾のほうが断然高い、万に一つも英斗くんにダメージがいくことはないけど……縋るように下から掴まれた彼の指の、震えが止まらない。もはや当てる当てないに焦点などおかれてない、ただただ日暮英斗が呼吸をしているのが許せないという激情までは、カンストステータスでも防ぎ切れないんだ。
(……待って違う。英斗くんじゃない)
この攻撃が向かう先はエレジルフ王子だ――と寒気にも似た納得を覚えた時、唐突に黒弾が空中停止した。取り消されたわけでも失敗したわけでも、ましてや僕の[バリアモンド]に阻まれたわけでもない。とにかく凄ぇ中途半端な位置に浮いてる……の割には殺傷力盛りに盛られてるけどね! 傍から見たら地球衝突寸前の隕石だよ!?
「まぁ器用だこと」
「いや器用とかそういうレベルじゃなくね!?」
むしろタワー本に腰掛けるという行儀の悪さと着弾回避を同時に行ってるお前のほうが器用だわっ、とツッコんだ次の瞬間。あら不思議、停止中だった黒弾が後退し始めましたわ。頭の向きはそのままに、進行方向だけがグググッて磁石に引き寄せられてるみたいに……まさか裁さんの巻き戻しスキル? でもあの時みたいなグラグラ感はないし鐘の音も聞こえない、何よりソウシの`器用`って皮肉に繋がらない。
「おい。俺を基準にすんのはいいけど`皮肉`は蛇足だろ」
「蛇足っていうか根幹そのもの――」
「数値下げんぞコラ」
「冗談やめてよ下に英斗くんいんだよっ」
いや先に冗談言ったのは僕だけどさ、と口内で付け足してる間にも黒弾は斜め後ろに引っ張り上げられ、天井付近に並んでる小窓の一枚から出ていった。聞こえるはずのガラスの粉砕音は聞こえないのに、まっすぐ落ちた先の床とテーブルには破片が散らばってる……出口であると同時に侵入口でもあったのか。
「……ハル」
「ぇ、ハルデルトさん!?」
発砲者のことだと早とちりした僕の腕から抜け出しつつ、英斗くんは首を横に振る。今の吸引は[バリアモンド]と[フィッシャートラップ]の合成魔法、[アーモトラップ]の効力。前に突風に煽られて崖の向こうに放り出されそうになった時、ハルデルトさんが使って助けてくれた合成魔法だって……。
ビキッ。
「ビキ……?」
「ニ?」
「違うっ」
ビキッ、バリィイイィイイイィン!
て、天井ごと窓が全壊したぁ! 絶対違うけどなんか僕がソウシにツッコんだ声で割れたみたいになったよ! 口をパクパクさせてる間に瓦礫と一緒に、二つの影がドッと折り重なって落ちてくる。衝撃で巻き上がった砂埃を弾く赤い長髪と、その下で相反するように埃まみれになっているモスグリーンのクラゲヘア……冷たい納得が背筋を伝った。
「マリッち、さん?」
「……貴方という人は、リードの付いた首輪でもはめなければお分かり頂けませんか」
僕の呟きに対してか、英斗くんの度重なる脱走癖への呆れか。ハルデルトさんの口から、それはそれは重い溜息がこぼれる。同時に眼下の襲撃者を拘束する彼の手に力が入り、僕は反射で「やめっ……」と腰を上げたけど、
「毒」
駆け寄るより先に紫色の煙が彼女の指先から噴き出した。勢いのある毒々しい気体にハルデルトさんは目を剥くと、掴んだままだったマリッちさんの身体を後ろへ投げ飛ばし、その流れを生かしたまま僕らのほうへ跳んでくる。
驚愕する英斗くんの身体は彼に引っ張られて煙からさらに引き離され、[バリアモンド]を唱えた僕もソウシに首根っこを掴まれて同じ所まで下げられた。なんで、と振り返れば「アレは結界魔法をすり抜ける術だ」と耳打ちされる。魔法が蔓延る異世界にて暗殺を生業としてきた、アンガットならではの術だと。
「アンガット、ソウシが言ってた`生き残り`……ってハルデルトさん…?」
今度こそ此処から動くなとばかりに英斗くんの頭を強く押さえつけ、ハルデルトさんが前に出た。対峙するように煙が薄まり、ゆらりと人影が浮き上がる……やっぱりマリッちさんだ。でも僕が知ってる彼女とはまるで違う。艶々だった髪はバサバサに煤けて、服も普段の露出が多いそれにタイツを合わせたような……女性の傭兵さんが着るようなミリタリーな雰囲気に変わってる。
「貴方は、フーリガンズで王子に罵声を浴びせた方ですね。二度に渡る襲撃、勇者である私の目から見ても偶然で片付けるには度が過ぎ――」
「回りくどい」
なんの言い訳もせずその腰のモノを振るえて嬉しいですって言えばいいだろ――ハルデルトさんの最後通牒をピシャリと払い除けたマリッちさんの声は、風貌と同様に180度様変わりしていた。元気溌剌だった声はハスキーに荒んで、ギャルちっくな口調も消えて……機嫌が最悪なんてレベルじゃない。双子の別人だって言われたほうがしっくりくる。
「……それはまた、随分な言われ様ですね」
腰に帯びたレイピアに触れる手は優しいまま、ハルデルトさんの声だけが温度を失った。目にも止まらぬ速さで鞘から振り抜かれた刃。その衝撃波はまっすぐマリッちさんに迫ったけど、彼女も彼女で陽炎みたいにその輪郭を空に溶かして回避。
猫のようなしなやかさを以て棚と棚の間を移動し、着実にハルデルトさんに近づいていく。そこに存在してると言い切るには掴み所がなくて、消えたと称するには不透明さが残ってる……どっちとも受け取れる彼女の姿は、まるで箱を越えたシュレディンガーの猫だ。
「さすがは生きた暗器、ですが」
弐慈壊守からは逃れられない――そう断言したハルデルトさんがレイピアを鞘に戻した刹那、背後に庇われていた英斗くんの頭上で血飛沫が上がった。不自然に宙を彩った血の具は、そのまま英斗くんを狙って五指の爪を振りかざしてたマリッちさんの肩から全身を象って……。
「マユっ――」
「このバカ!」
宙に浮いたまま英斗くんにしな垂れかかろうとしたマリッちさんの身体に、鋭い蹴りが入る。僕は反射で「えっ、え!?」と二重に声を上げてしまった……最初のは吹っ飛んでったマリッちさんへの心配から。次のは、重い一撃とは裏腹に軽やかに下り立った逆光の人物が――リインさんだと分かったから。
「リ、ン」
「……っんとに馬鹿」
マリッちさんを抱き留めようとした体勢のまま固まってる彼を苦々しく一瞥し、リインさんは一歩前に出た。一瞬の驚愕ののちハルデルトさんも再び剣を抜いて彼女の隣に走り、英斗くんを庇う……ってそんな警戒しなくても。むしろ出血多量の危機に瀕してるのはマリッちさんのほうじゃ、と折り重なって倒れた本棚のほうへおずおずと爪先を向ければ、
ドダァン!
不要と言わんばかりに本棚が足を向けてきた、じゃない飛んできた! とりあえず僕のほうに飛んできたのは[オルタフリーション]で空気をクッションにして防ぎ、向こうはハルデルトさんがレイピアで一刀両断。それでも勢いを殺し切れなかった瓦礫はリインさんが拳で粉々にした。ボクシングを嗜んでたってのは知ってるけど……やっぱ普通にスゲッ。素手なのに[スペルスパンチ]レベルの威力だよ!
「ていうかマリッちさん怪我してるんじゃ――」
「そこか!」
「おっと」
「ぶへっ……!」
セリフ遮られたかと思いきやハルデルトさんがぐわっと鋭い眼光を向けて剣を一閃してきた、かと思いきやソウシにド突かれて強制的に伏せさせられてって忙しすぎるだろこの一幕! ブォンッ、と斬撃が頭上を通り過ぎたのをビリビリと肌で感じつつ振り返るも、もろにダメージをくらっただろう壁は何故か壁らしくしたまま。粉砕音も聞こえてこない。
(勇者の一撃がまさかの不発――)
ゴッ、ゴゴゴゴゴゴ!
(じゃなかったサイレントに三テンポ遅れただけだった)
四面の縁に沿って後ろへズレ込み、砂埃を立てて真っ平らに倒れた壁に目を点にすること暫し。外壁に一筋走る影、に見せかけた人影に色がついた。解けてボサボサに絡まったブロンドの髪に、静々と燃えるようなサファイアブルー……嘘だと思いたかったけど、
「遠距離および障害物をものともしない正確な回復魔法、加えて無詠唱かつその即効性――`破壊と再生のイリグ`氏とお見受けします」
勇者は、現実逃避を選択肢に入れる暇すら許してくれなかった。マリッちさんと対峙した時より若干丁寧さが目立つ口調だけど、レイピアの鋒はイリグさんの心臓を捕らえている。グォンと空間が不自然に駆け歪み、それに合わせて「ハッ、白々しい」とマリッちさんが鼻を鳴らす音が聞こえた。
「イリグが元国家専属治癒魔法師だから敬意表明? 今すぐにでも脱走兵として処罰する気でいるくせに」
「ぇ、脱走……処罰!?」
ちょっと待ってなんだよそれ聞いてない! 昨日の夜ソウシの口からドクター云々って出た時点でイリグさんの背中がチラついてたから、それについては驚愕半分で済んだけど……ただ行方不明ってだけじゃなかったの? もう全員集合状態が絡まり過ぎてて意味分かんないよっ、と部外者が大袈裟に反応してみせればこの敵意と殺意の渦も治まったりしないかなって試してみた僕だけど、
「私とて、この場で即斬り捨てるような早計な真似はしません。ただ行方を眩ませた理由は聖騎士として窺わなければいけませんので、城までご同行を願おうと――」
「白々しいって言ってんのが分かんないのか。どうせ城の門をくぐったら最後、出すつもりなんてないんだろ」
四つの火種は鎮まるどころか、よりバッチバチに火花を散らした。緑と赤のそれはもう燃え上がる寸前で……それでもハルデルトさんは深呼吸をして剣を鞘に戻した。あくまでも話を聞くための同行であって連行ではないという、彼なりの目に見える精一杯の意思表示だったその行為はしかし、
「オレも、おいそれと両手は差し出せませんね」
いっそ清々しいほど蒼の火種に無碍にされる。仮に自分が同行に頷いたとして、マリッちさんもまた任意同行で済ましてくれるのかと続けて問い詰めてくるサファイアブルーの眼に、ハルデルトさんが選んだ答えは鋭利な沈黙だった。イリグさんは「でしょうね」と最初から期待してなかったみたいに肩を竦ませるけど、これに僕は「ちょっ、あの!」と待ったをかける。
「そっ、こまでハルデルトさんを責めるのは横暴なんじゃ……」
「横暴?」
「っ……だって、目の前で王子が狙われたんですよ?」
現世で言うところの現行犯逮捕。勇者としても聖騎士としても厳重注意で済ませていい限度を突っ切ってると言う僕に、イリグさんの双眸が「そうだね」と薄く眇められる。睨みつけられた、にしては悲しい色が強い諦念の眼差しだった。
「彼女の連行理由が、本当に王子への襲撃だけだったならね」




