第7話「過保護な遠足準備と、水の中の静寂」
「……あの、エアハルトさん。これは一体、何の騒ぎでしょうか」
迷宮探索へ向かうと決めた、その日の午後。
侯爵邸の前庭に出た私は、目の前に広がる光景に頭を抱えていた。
馬車が、三台。それも、中がどう見ても高級ホテルのスイートルームみたいに改造された巨大な馬車だ。
その周りには、フルプレートの鎧に身を包んだ屈強な騎士たちがざっと五十人は整列している。さらにその後ろでは、ミーナさんをはじめとするメイドたちが、シルクのクッションやら、最高級の茶葉が入った木箱やら、果ては巨大なふかふかのベッドのマットレスまで馬車に積み込もうとしていた。
「なにって、迷宮へ向かう準備だが?」
私の隣で、エアハルトさんがきょとんとした顔で答えた。
「忘却の氷穴までは、馬車を飛ばしても三日はかかる。その間、君に少しでも不便な思いをさせるわけにはいかない。騎士団の精鋭五十名に護衛を任せ、君の身の回りの世話をするメイドを十名同行させる。専属の料理人も三名連れて行くから、食事の心配はいらないぞ」
「迷宮探索ですよね!? 大名行列か、お城の引越しにしか見えないんですけど!」
私のツッコミに、騎士団長らしき強面のおじ様が「侯爵様! これ以上の荷物は馬の負担が……!」と泣きそうに訴え、メイド長が「聖女様の安眠グッズを減らすなどあり得ません!」とバチバチに睨み合っている。
ああもう、見事な意見の衝突だ。
私は無意識のうちに、クラスの文化祭の準備や、厄介なグループワークをまとめる時の「調整役モード」に入っていた。
「ストップ! 一旦、全員落ち着いてください!」
私がパンッ!と手を叩いて声を張ると、五十人の騎士と十人のメイド、そして氷の侯爵様がビシッと直立不動になった。なんで侯爵様まで気をつけしてるの。
「迷宮って、トラップとか魔獣がいっぱいいる危険な場所なんですよね?」
「ああ。特に最深部は、私の魔法でも気を抜けば命取りになる」
「だったら、大人数で行くのは逆に危険じゃないですか? 足手まといになるし、目立ちます」
私が論理的に指摘すると、騎士団長が「おお……聖女様、なんという慧眼……!」と感動し始めた。いや、ふつうの判断である。
「荷物も必要最低限! ベッドなんて持っていったら、馬車が重くて野盗や魔獣から逃げ遅れます! 水と保存食と、野営用の寝袋があれば十分です」
「ね、寝袋……!? ことね、君のような華奢な少女を、あんな硬い地面で寝かせるなど、私の心が耐えられない……ッ!」
「耐えてください。私の命とマットレス、どっちが大事ですか」
「君だ」
「即答ありがとうございます。じゃあ、護衛は最小限の数名、メイドさんと料理人さんはお留守番。馬車も一台で機動力を重視。これでいきます。いいですね?」
「はいっ!」という屋敷の皆さんの元気な返事が響き渡る。
ふう、と息を吐く。目立つのは嫌いだけれど、場がカオスになっているのを放置する方がストレスなのだ。みんなが納得する落としどころを見つけると、少しだけスッキリする。
ようやく現実的な遠足……ではなく、迷宮探索の準備が整い始めた夕暮れ時。
私は屋敷の裏手にある、静かな温室のベンチで一息ついていた。
「……すまない、ことね。君に気苦労をかけてしまった」
隣に腰を下ろしたエアハルトさんが、シュンとした顔で謝ってくる。
夕日に照らされた横顔は、ため息が出るほど綺麗で、なんだか大型犬が耳をペタンと伏せているみたいに見えた。
「いえ、いいんです。みんな、エアハルトさん……と、私のことを心配してくれてただけですし」
「君は本当に強いな。魔力などなくても、その芯の強さで周りを導いていく」
そう言って、彼はためらいがちに手を伸ばし、そっと私の右手を握った。
ヒヤリとした、冷たい感触。
出発前に、彼の不安定な魔力を少しでも吸い取って安定させておくための、いわば「調整」の時間だ。
シュウウウ、と目に見えないエネルギーが、彼の手から私の中へと流れ込んでくる。
最初は驚いたこの「魔力を吸収する」という感覚にも、少し慣れてきた。
不快感はない。むしろ、少しだけプールに似ているのだ。
冷たい水の中に、ざぶんと全身で潜り込んだ時の、あの静けさ。
耳を塞ぐような余計な音が消えて、ひんやりとした水の感覚だけが肌を滑っていく。焦りも、不安も、水に溶けていくような、メンタルがふっとリラックスするあの心地よさ。
私の中に流れ込んだエアハルトさんの冷たい魔力は、そんなふうに静かに凪いで、消えていく。
「……不思議だ」
繋いだ手を見つめながら、エアハルトさんがぽつりと呟いた。
「私の魔力は、常に吹雪のように荒れ狂って、すべてを拒絶しようとする。だというのに、君に触れている時だけは、まるで春の陽射しの中にいるように穏やかになれるんだ」
「それは、私が『虚ろの聖女』だからですよね」
「……それだけじゃない。君が、君だからだ」
灰色の瞳が、夕焼けの光を反射して熱を帯びている。
見つめられると、やっぱり心臓の奥がちりちりした。プールの冷たさでリラックスしていたはずの心が、一気に急加速してしまう。
「さ、さあ! 魔力も落ち着いたみたいですし、明日は早いんですから、もう寝ましょう!」
私は慌てて立ち上がり、彼の手を振りほどいた。
照れ隠しで早口になった私を見て、エアハルトさんはふっと柔らかく微笑む。
「ああ。おやすみ、ことね。――明日からの旅路、たとえ世界を敵に回しても、君のことは私が守る」
だから、その規模感がおかしいってば。
かくして翌朝。
少数精鋭(とはいえ、重武装の凄腕騎士四名付き)のコンパクトなパーティにまとまった私たちは、元の世界に帰るための「星渡りの魔石」を求めて、忘却の氷穴へと出発したのだった。




