第6話「過保護な侯爵様は、朝から重力がすごい」
異世界生活、二日目の朝。
私は、体が半分沈み込むような極上のマットレスの上で目を覚ました。
ちゅんちゅん、と小鳥のさえずりが聞こえる。窓から差し込む朝日は柔らかく、うちの近所のカラスの鳴き声とは風情が違いすぎる。
状況が状況でなければ「最高のリゾートじゃん」とテンションが上がるところだが、ここは異世界。そして私は、拉致監禁(本人は保護だと言い張っている)されている身である。
「聖女様! おはようございます!」
もそもそと起き上がると、待ってましたとばかりにメイドのミーナさんが飛び込んできた。
「だから、聖女様って呼ぶのは……」
「さあ、お着替えです! 本日は旦那様が朝食をご一緒したいと、ダイニングでお待ちかねですよ!」
私のささやかな抵抗は、今日も華麗にスルーされた。
あっという間に顔を洗われ、昨日のシルクのワンピースとはまた違う、淡い水色の清楚なドレス(どう見てもふつうの女子高生が着る値段じゃない)に着替えさせられる。
案内されたダイニングルームは、やっぱり無駄に広かった。
長い長ーいテーブルの端に、エアハルトさんが座っている。朝の光を浴びた氷の侯爵様は、なんだか発光しているように見えた。顔面偏差値が高すぎて、直視すると目がチカチカする。
「おはよう、ことね」
私が席につく(なぜか彼のすぐ隣に椅子が用意されていた)と、エアハルトさんが蕩けるような微笑みを向けた。
「よく眠れただろうか。私は一睡もしていないが、君が無事に朝を迎えられただけで胸がいっぱいだ」
「えっ、一睡もしてないんですか?」
「ああ。君の部屋の扉の前で、一晩中立っていたからね」
サラッと怖いことを言わないでほしい。
この人、マジで一晩中ドアの前に立ってたの? ホラーじゃん。
「……王宮からの刺客が来るかもしれないと、心配でね。私の結界があるとはいえ、万が一にも君を失うわけにはいかない」
なるほど、防犯カメラ兼セコムの役割を果たしてくれていたわけだ。理由はまともだった。行動が極端すぎるだけで。
運ばれてきた朝食は、ふんわりと湯気を立てるチーズオムレツと、焼きたてのパン、それに新鮮なサラダだった。
一口食べると、卵がとろっとろで絶品だった。異世界、ごはんが美味しいのだけは本当に救いである。
「オムレツの温度は適切か? もし熱すぎるなら、私が氷魔法で適温に冷まそう」
「やめてください。温かいものは温かいうちに食べるのがふつうです」
「そうか……君の言うことは何でも正しいな」
会話のキャッチボールの軌道がおかしい。
とりあえず美味しい朝食をペロリと平らげた私は、食後の紅茶(これまた信じられないくらいいい香り)を一口飲み、意を決して本題を切り出した。
「エアハルトさん。昨日の約束、覚えていますか」
「……」
途端に、エアハルトさんの表情がスッと硬くなった。
伏せられた長いまつげが、かすかに震えている。
「私を、元の世界へ帰す方法の話です」
私がきっぱりと言うと、彼は大きなため息をつき、長い指でトントンとテーブルを叩いた。
「……もちろんだ。私が命にかけて探し出すと言った約束は、決して違えない」
彼は真剣な灰色の瞳で、まっすぐ私を見た。
「君をこの世界に引っ張り込んだのは、王宮の地下にある『大召喚陣』だ。あれは数百年の魔力を溜め込んで起動するもの。逆の術式を組むこと自体は私にもできるが、今のこの国に、君を送り返すだけの魔力源はない」
「えっ……じゃあ、帰れないってことですか?」
「王宮の設備を使えば、な。だが、一つだけ別の方法がある」
エアハルトさんは身を乗り出し、声をひそめた。
「『星渡りの魔石』。かつて、次元の壁を越えたとされる初代国王が遺したアーティファクトだ。それがあれば、召喚陣を使わずとも君を元の世界へ送り返せるはずだ」
「本当ですか!」
思わず身を乗り出すと、彼からふわりと冷たいミントのような香りがした。
「ああ。だが、問題が一つある。その魔石は現在、王都から遠く離れた『忘却の氷穴』と呼ばれる迷宮の最深部に封印されている。あそこは強力な魔獣と、古代の魔法トラップがひしめく危険地帯だ」
「迷宮……魔獣……トラップ……」
一気にファンタジーRPGみたいな単語が押し寄せてきて、頭がくらくらした。
ふつうの女子高生の辞書に、迷宮探索なんて文字はない。せいぜいショッピングモールの複雑な構造で迷うくらいだ。
「安心しろ」
エアハルトさんが、私の手をそっと握った。昨日みたいに凍えるような冷たさはなく、少しだけひんやりして心地いい。
「私が必ず、その魔石を取ってくる。何年かかろうと、この身がどうなろうと構わない。だから君は、それまでこの安全な屋敷で、私を待っていてほしい」
「……」
彼の手のひらから、無意識のうちに魔力が私のほうへ流れ込んでくる。
昨日、感情が昂って部屋を凍らせかけた彼の姿が、脳裏をよぎった。
(この人、自分の魔力を制御しきれてないんだった)
強すぎる力。王宮から目をつけられるほどの特異な存在。
そんな彼が、私を帰すためだけに危険な迷宮へ一人で向かう? もし途中で力が暴走したら? もし怪我をしたら?
——ちょっと待って。私、ただ帰りたいだけなのに、なんでこの人が命懸けになる前提なの?
「……私も行きます」
「なっ」
私の口から飛び出した言葉に、エアハルトさんが素っ頓狂な声を上げた。
完璧な美貌が、信じられないというようにポカンと口を開けている。
「ことね、何を言っているんだ。君はただの……その、魔力を持たない少女だろう? 迷宮の危険度は――」
「魔力はないですけど、魔法を吸収して無効化できるんですよね? 私」
「それは、そうだが……」
「じゃあ、魔法のトラップとか、私が触れば解除できるんじゃないですか? それに……」
私は彼の手を、ぎゅっと握り返した。
「エアハルトさんの魔力が暴走しそうになったら、私が止める係をします。一人で行かせて、もしあなたが帰ってこなかったら、私、一生ハンバーグの味に罪悪感を抱えて生きていくことになりますから」
「……ことね」
彼の灰色の瞳が、みるみるうちに潤み始めた。
え、ちょっと、泣いてる?
「……ああ、やはり君は。君という人は……!」
ガタッ!と音を立てて椅子から立ち上がったエアハルトさんは、そのまま私の前にひざまずき、握った私の手を自分の額に押し当てた。
まるで、女神に祈りを捧げる騎士のようなポーズだ。
「君が私と共に来てくれるというのなら、これ以上の喜びはない。必ずや君を護り抜き、君の願いを叶えてみせよう。私のすべてを懸けて」
「あ、はい。とりあえず過剰なスキンシップは控える方向でお願いします」
こうして、ふつうの女子高生である私の異世界生活は、「過保護な侯爵様と行く・命がけの迷宮お持ち帰りツアー」へと、強制的にシフトすることになってしまったのだった。




