第2話:地獄への招待状、あるいは最初の「お返し」
「……何を、言っている」
セオドア殿下の喉から漏れたのは、低く、湿った困惑の声だった。
当然だ。彼の頭の中にある完璧な筋書き(シナリオ)では、私は今頃、青ざめた顔で床に膝をつき、身に覚えのない罪に涙を流して許しを請うているはずだったのだから。
けれど、私の膝は一歩も引いていない。コルセットの窮屈ささえ、今は不思議と、私の背筋をまっすぐに支える一本の芯のように感じられた。
「お聞き苦しい点でもございましたか、殿下?」
私は扇で口元を隠し、ことさらに優雅な所作で首をかたむけた。
百人を超える貴族たちの視線が、まるで無数の針のように私に突き刺さっている。好奇、憐れみ、蔑み、そしてほんの少しの、異質なものを見るような警戒。
いいわ、もっと見なさい。このドレスの裾も、結い上げた髪の飾りも、今日この夜のために完璧に整えたのだから。
「アデライド、悪あがきはやめろ。お前の罪の証拠は、すでに我が近衛たちが握っている」
殿下が、私を威圧するように一歩踏み込んでくる。プラチナブロンドの髪がシャンデリアの光を浴びて冷たく輝いた。
ああ、懐かしい。一度目の人生では、この一歩に気圧されて、まともに息もできなかったっけ。
でもね、殿下。私、その『近衛たち』がどこで誰からいくら賄賂を貰って、私の偽の罪状を仕立て上げたのか、五度目の人生の時に全員分、実名と金額をノートに書き留めてあるの。
「証拠、でございますか。それは奇遇ですわね」
私は隠していた扇を、ぱちん、と小気味よい音を立てて閉じた。
その音が、静まり返った広間に驚くほど大きく響く。殿下の後ろで、リーゼルがビクッと肩を揺らし、守るように彼女の腰を抱く殿下の手に、ぐっと力がこもるのが見えた。
「わたくしの手元にも、ちょうど『証拠』が集まってしまいましたの。……ああ、リーゼル様。そんなに怯えた顔をなさらないで? あなたが私の夜会用ドレスにインクを仕込んだ、その小瓶の捨て場所についての証拠ですけれど」
「っ、な、にを……!」
リーゼルの愛らしい顔から、さっと血の気が引いていく。
そう、彼女はいつも学園の寄宿舎の裏手にある、古びた井戸の底にトドメの証拠を捨てる癖がある。一見、誰も近づかない場所。だけど、四度目の人生で暇を持て余した私が、夜中に紐をつけて井戸に潜り、全部拾い集めておいたのだ。
「でん、は……アデライド様が、ひどい言いがかりを……っ」
リーゼルが涙を浮かべて殿下の胸に顔を埋める。いつもなら、ここで殿下が激怒して私を兵に捕らえさせる合図を出す。
出してみなさい。今日の兵の隊長は、私が二日前、彼の『不倫の動かぬ証拠』を握って、すでにこちら側に引き込んである。
私がすっと右手を挙げると、大広間の重厚な扉が、ぎぃぃ、と音を立てて開いた。
入ってきたのは、ヴェルナール公爵家の家令――ではなく。
隣国の紋章を胸に刻んだ、見慣れない衣服を纏った一人の男だった。
「……ッ!? なぜ、お前がここに……!」
それを見た瞬間、セオドア殿下の碧眼が、これ以上ないほど大きく見開かれた。
完璧だった「氷の貴公子」の仮面が、初めて派手な音を立ててひび割れる。
その男は、隣国の特使。
そして、二年前の夜、殿下が王宮の東棟で密かに連絡を取り合っていた『例の件』の、まさに相手方だった。
「拝啓、セオドア殿下。八度目の卒業パーティーへ、ようこそ」
私は、七回の人生で培った、最高の、そして最も残酷な笑みを浮かべた。
「さあ――わたくしからの『お返し』、まずは第一幕ですわ」




