3話 前を向いて
朝8時、Jアラートで目を覚ますという最悪の寝覚めだった。
「自宅にとどまって避難をしてください。自宅にとどまって避難をしてください。自宅にとどまって避難をしてください。」
町にある大きな放送用マイクから妙に間延びした音声が浸透していく。
ダイチ達は朝食を食べ、大きなげんこつサイズのおにぎりを貰いおじいちゃんの家を出た。
おじいちゃんは最後まで泣き顔を見せなかった。
明るく手を振って安否を確かめたら戻ってこいとだけ言ってくれた。
自転車に乗り先へ進む。
紺色のワゴンが電柱に突っ込んで倒れている。
中には血まみれで倒れている男性。既に息はない、何故わかるかは頭が潰れているからだ。
更に先でも車が数台すし詰めになっている。
事故が起きても救急車は来ないし、警察が誘導してくれるわけでもない。
辺りにはガソリンの臭いとゴムが焼けた臭いが残っている。
車同士の合間を縫って自転車を押し進めていくと西出橋が見えてきた。あちらに渡った先は高級住宅街となっており魚住の住んでいるマンションが有る。
やっと橋が見えてきたか
そうリョウタが言った口はふさがらなかった。
橋はダンプカーが横一列に停められており完全に封鎖されていた。
都心部や駅側からの人の流入を完全に拒否している。
「おいおい、嘘だろ。拒絶する気まんまんじゃねーか」
「それよりもまずいよ。バレた」
奴らは川の音に反応しているのか川沿いに40、50体のゾンビがひしめいている。
知能があるのか川に入水はしていないようだ。
そんな奴らが振ってわいた俺たちを一斉に振り返って視線を向ける。
「どうする?でも聞くまでもないよな逃げるよな?」
「でも私の家が目の前なの」
「魚住さん他にここを渡る方法は?泳いで行けたりとかしない?」
「泳ぐって言っても500メートルくらい距離があるし、深さも4メートルはあるわよ、無茶ね」
「じゃあ、あれならどう?」
「足漕ぎボート!?」
魚住が驚く。
「でも1隻しかないわよ?」
「二手に別れよう。俺と魚住さんは川を渡って向こう側へ、リョウタは国花さんを自転車で送っていって」
「わかったが、そのあとは?」
「私に案があるわ」
そういって魚住は財布から一枚の黒いカードキーを出した。
「なんだこりゃ」
「商店街通りの裏にある個室のカラオケバーみたいな所の鍵。避難するところが無かったら此処を使って、誰もいないし少しなら食料もあるから」
「良いのかよ?ってか魚住は何でこんな鍵持ってんだ?」
「細かくは聞かないで。私たちも避難できるところがどこにもなかったらそこに行くから」
そう言って魚住さんはとっととアヒルのボートに乗ってしまった。
僕らは締まらない見た目で川を漕ぎ出していった。
川沿いの奴らはまだこちらを見ているが入水して入ってきてはいない。
ペダルを踏むたびにアヒルの尻尾がばしゃばしゃと水を蹴る音が響く。
その間抜けな音が余計に心臓に悪かった。
「ねえ、もうちょっと静かに漕げないの?」
「無理だねぇ。追われたらそれまでってことで」
「じゃあ、もっと早く漕いで」
「魚住さんが手伝ってくれれば早く着くけどね」
「なんで私がやらなきゃいけないのよ!男が頑張りなさい」
そう言った魚住の後ろにドボン!!と衝撃音が響いた。
少しして顔の皮がベロベロに剥がれたゾンビが浮き上がって此方を見ている。
「ちょ、ちょっと、なんで降ってきたのよ!」
「音に反応したんだ、橋の上に居たのが落ちてきたんだろ」
「最悪すぎ。捕まったら絶対追い払ってよね」
「はいはい」
魚住は漕がずにマンションをずっと眺めている。
その横顔には実家に戻れた安堵の表情は無く、ため息をつきながら真顔のままだ。
「うれしくないのか?」
「そりゃ人それぞれでしょ。ママが無事かどうかは心配だけど他にもいろいろあんのよ」
「父親は?」
「いないわ、別居絶縁中。なんでかわかる?娘の私に手を出そうとしたからよ。最低のクズ野郎ってこと」
「なるほどね」
気まずい、聞かなければよかった。
「ほら、見えるでしょ。あそこよ」
指さしたマンションは10階の高層マンションで地下駐車場の大きな自動ドアが見えた。
ボートから降りて坂道を登ってマンションの入口へ向かう。
マンションのエントランスの扉は二重になっており、カードキーをかざして中に入る。
冷えた空気と微かな芳香剤の匂い。大理石の床に自分の靴音が響いて、僕は思わず足を止めた。
数時間前まで校庭が地獄になっているのを見ていたのに、ここだけ世界が違う。
そういう場所が存在すること自体が、少し腹立たしかった。
天井の高い1階受付にはスーツ姿の女性が一人、立っている。
こういう人をコンシェルジュとか言うらしい。
「すみか様、ご無事でしたか。どこかお怪我などございませんか?」
「えぇ、何とかね。それよりママは?」
「お母さまなら10階に居られます。すみか様をお待ちですよ。」
「ありがと。ここに奴らは集ってきてないの?」
「早々《そうそう》に区議の方が近辺の封鎖に動いてくださいまして、暴徒は此方には来ていないようです」
「そう、彼は私の友人。一緒に上がるけど記帳は要らないわよね?」
「はい」
また、カードキーをかざしてエレベーターに乗る。
10階のボタンだけが押せるように光っていた。
10階に降りると左側にすぐドアが見えた。
ここだけは物理鍵らしい。
扉を開けると左側には小さい部屋が有り、靴を入れる棚が四方に置かれている。
靴を置く部屋なんて必要なのか?疑問を抱えながら靴を脱いで魚住についていった。
「ママ?」
「みっちゃん!無事だったのね、携帯も繋がらなくて本当に困ってたんだから!」
魚住の母親は、化粧をして胸元までかかる黒髪に薄茶色のサングラスを掛けている。
あまり地上の状況はわかってないのだろうか。
「こちらは?みっちゃんのお友達かしら」
ダイチを見て軽く会釈されこちらも返す。
「ダイチといいます。魚住さんとは成り行き上といいますか学校で知り合いまして……」
「そんなのわかるでしょ。ママ、この人が私を学校から抜け出すのに力を貸してくれた恩人よ」
「そう、ダイチさん。本当にありがとうございます。私、魚住ふみこは貴方への御恩は一生忘れませんわ。
それに二人なら何とかなるわね」
御礼の後の日本語がよくわからず首をかしげるダイチ。
「ママ、なに?何とかなるって」
「そうそう、伝えてなかったわね。今大阪からヘリコプターで迎えに来てもらってるの」
「それってアイツの?」
「そう。ひできさんがちょっとだけネットに繋がった時にメッセージをくれたの。屋上のヘリポートに誰か向かわせるから待ってろって」
「ママはそれでアイツのいるところまで行くの?」
「ええ。大阪で待ってるから、そこからは車で移動して最終的には大分にある島まで行こうって」
その提案に魚住すみかは苦い顔をする。
「私は行きたくない。ねぇママ、アイツを許せるの?」
この地獄から抜け出せるだけでも素晴らしいコトだが父親が娘に色目を使ってくる状態で暮らし続けるのも地獄だ。
「みっちゃん、貴女の為なのよ」
「おばあちゃんのいる静岡まで逃げて二人で暮らすのはダメなの?」
魚住の母は無言で首を横に振る。
「わかった。私よりもあいつが良いんだ。もしかして帰って来なかった方が良かった!?」
魚住の母は憤るすみかの頬をはたく。
「ばか!家族皆で生き残ることが大事でしょ!」
「あいつは家族なんかじゃない!もういいよ。私はダイチともう2人友達が居るから4人で何とかしてこの街から脱け出す。ママはヘリコプターで先に行ってて」
「そんなの許しません!戻りなさい!」
ドアを開けて出ていくすみか。
「あの、すみません。これ僕の連絡先です。通信が回復した際、すみかさんに繋がらない場合僕に掛けてください。」
「えっ、あぁ。ありがとう」
「僕も家族を探しにいくんです。魚住さんを付き合わせてしまいますがそれが終わったら必ず安全な場所まで送り届けます」
こうまで言って安心させないと母親まで此処から脱出できなくなる。
「ダイチさん、あの娘を頼みますね」
「はい。わかりました」
扉を開けてエレベーターを押すと中には魚住すみかが体育座りで膝に顔を着けて座り込んでいた。
「ごめんね。脱出のチャンスだったのに」
「気にしないで。だけど良いのか?お母さんとの最後の会話があれで」
「……もう話したくない」
「僕は最後の会話、夕飯食べてくるかどうかって言う超面白みのない話で後悔してるんだ。魚住さんも凄い後悔するよ」
ほら、と言って腕を掴んで引き上げる。
「僕は此処で待ってるからもう少し話してきなよ」
そう言ってダイチは魚住の背中を軽く押した。
魚住はのろのろと歩いてまた家の中に入っていく。
数十分後、目を赤くした魚住が戻ってきた。
「おかえり、わだかまりは解けた?」
「ダイチ!」
「お、おう。すみかさん」
「その……ありがと」
上着を少しだけつまんできて礼を言われた。
「良いよ。それよりヘリコプターで大阪に行かないの?僕はリョウタが待ってるから戻る気でいるけど」
「それも平気。私は静岡のおばあちゃん家に留まるって決めたから」
「っそか、じゃあ行こう」
こうして二人はマンションを後にした。
僕たちはこの選択を一生後悔することになるかもしれない。
少し考え込むだけで不安が沸いてきて背中から髪の毛を引っ張られる。
だから、前を向いた。同じ考えなのか確認も無く早足になる。
隣を歩く魚住は前だけ見ていた。泣いた跡が残ったままの横顔が、さっきより少しだけ軽くなったように見えた。気のせいかもしれないけど。
アスファルトを踏み込む音を街に刻みながら僕たちは進み続けた。
-----------------------------------------------
此処まで読んでいただきありがとうございます。
感想やブックマークお待ちしています。
次回も読んでいただけるとうれしいです。




