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2話 下校をめざして

 屋上から三階へ。

 さらに二階へ降り、自分たちの教室を横目に見ながら一階の中央玄関を目指した。


 校舎は不気味なくらい静かだった。


 ほとんどの生徒が体育館へ避難している。

 だから廊下には誰もいない。


 さっきまで授業をしていた学校とは思えない。


 下駄箱の簀の子《すのこ》を踏み、外へ出ようとした時だった。


「いる」


 僕はリョウタの肩を掴んだ。


 五人。


 制服姿の生徒と、校門から入ってきた避難者《ひなんしゃ》らしき大人。

 歩き方がおかしい。


 早歩きで体育館へ向かっている。


 顔は無表情。

 口元や制服に血がついていた。


「追うぞ」


「近づきすぎないでよ」


 僕らは距離を取りながら後を追った。


 体育館へ続く通路の前に、一人の教師が立っていた。


 園田先生。


 体育教師で、柔道部《じゅうどうぶ》の顧問。

 授業中には学生時代に地方大会まで勝ち上がった話を何度も聞かされた。


 いつもならウザイ自慢話だったが、今の彼は頼もしく見えた。


「おどれらぁ! 来るなら全員投げ飛ばすど!」


 園田が腰を落とし、両手を広げた。


 一人目が飛びかかる。


 腕を取る。


 身体が宙に舞った。


 地面へ叩きつけられる。


 受け身《うけみ》を取らない。


 鈍い音。


 腕があり得ない方向へ折れ曲がった。


「うおっ!さすが園田」


 リョウタが思わず声を上げた。


 二人目、三人目と投げ飛ばす。


「これなら全員ぶっ倒せるんじゃ――」


「いや」


 僕は園田ではなく、倒れた人間を見ていた。


「見て」


 腕が折れている。


 足も曲がっている。


 普通なら悲鳴を上げて動けない。


 なのに。


 立ち上がった。


 立てない奴は四つんばいで。


 血まみれの手で、園田へ近づいていく。


「嘘だろ」


「痛みで止まらない」


 園田の表情が変わっていく。


 最初は怒鳴っていた。


 次に焦り。


 そして恐怖。


「来るな!」


 一人を投げる。


 息が荒い。


 また一人。


「来るなぁ!」


 人間なら、投げ飛ばせば終わる。


 骨が折れれば止まる。


 痛ければ逃げる。


 でも、こいつらにはそれがない。


「頭を壊すくらいやらないと止まらないなら」


 僕は喉を鳴らした。


「最強の生物だね」


「人だった奴を……殺す覚悟がないと駄目ってことか」


 リョウタの声もいつもの軽さが消えていた。


 その時。


 背後で音がした。


 振り返る。


 男子生徒が一人。


 顎を外しそうなくらい口を開き、こっちへ迫っていた。


「じゃあ俺らが生き残るには」


 リョウタが構える。


「やるしかない」


 僕は制服の上着を脱いだ。


 両手で広げ、頭上から投げる。


 布が相手の顔を覆った。


「今!」


 リョウタの蹴りが側頭部《そくとうぶ》へ入る。


 生徒だったものの身体が横へ吹き飛び、体育館通路のフェンスへ激突した。


 ぐしゃり。


 熟れすぎた果物が潰れたような音。


 フェンスが赤く染まった。


 動かない。


「……これ、犯罪になるのかな」


「今それ考える?」


「現実逃避」


 もう一度、園田の方を見る。


 遅かった。


 倒れた身体に何人も群がっていた。


 肉を引きちぎる音。


 園田の声は、もう聞こえない。


 そして次の獲物を求めた奴らは、体育館へ入った。


 数秒後。


 学校そのものを揺らすような悲鳴が上がった。


 入口。

 横扉。

 非常口。


 あらゆる場所から生徒が飛び出す。


 逃げる生徒。

 転ぶ生徒。

 その上へ覆い被さる奴ら。


「川名ぁ! 小田ぁ!」


 リョウタが体育館へ入った。


「リョウタ!」


「川名! 小田! 返事しろ!」


 返事はない。


 悲鳴と足音と叫び声だけ。


 僕も中へ入った。


 もう、人間とそうでないものの区別がつかない。


 数十体。


 いや、もっと。


 あちこちで誰かが誰かを食っている。


「リョウタ。もうここにはいない」


「くそ……」


「出るよ」


「くそッ!」


 リョウタが扉を殴った。


「くそっ! くそっ!!」


 その音で。


 体育館にいた顔が、一斉にこっちを向いた。


「……あ」


「何」


「今気づいたけど」


「うん」


「これ、やばい?」


「馬鹿すぎる!」


 走った。


「俺に任せろ!」


 リョウタはダイチを担ぎながら跳び箱を踏み台にし、入口まで跳躍した

 

 途中、噛まれて起き上がった園田先生が前へ出てきた。


「先生すまん!」


 リョウタが飛び蹴りで突き飛ばす。


 僕らは体育館を飛び出した。


 背後から百人近い追手が来ている。


「来すぎだろ!」


「君が呼んだんだよ!」


 校舎へ逃げ込み、扉を閉める。


 直後、身体が何度もぶつかってきた。


 ガラスがきしむ。


「持たない!」


 下駄箱を二人で倒した。


 靴が床へ散らばる。


 倒れた棚へ奴らが引っかかった隙に階段を駆け上がる。


 二階。


 自分たちの教室へ飛び込む。


 誰もいない。


「鍵!」


 リョウタが扉を閉めようとした、その時。


「待ってくれ!」


 廊下を二人の男子が走ってくる。


「入れてくれ!」


「早く!」


 二人を教室へ引き込み、施錠《せじょう》した。


 その直後。


 廊下を何かが走り抜ける。


 悲鳴。


 扉を叩く音。


 一度。


 二度。


 すぐに遠ざかった。


 全員が扉から距離を取る。


「……助かった」


 男子の一人が息を切らしながら言った。


「ありがとな。俺、加藤」


 隣にいる細身の男も荒い呼吸《あらいこきゅう》を整えていた。


「加藤、この後どうすんだよ」


 歯がかたかた鳴っている。


「まずバリケードだ。避難訓練《ひなんくんれん》でやったろ、小松」


「サボってたから知らねえよ」


「お前……」


 加藤が額を押さえた。


「机を重ねる。ドアの前に四つ。その上にも載せる。最後に椅子を積む」


「待って」


 僕は口を挟む。


「運ぶ時は二人で一個。音を立てたくない。それと上に載せる机は中身を空にしておこう」


「なるほど。じゃあそれで」


 教室の隅には女子生徒が二人いた。


 一人は赤縁眼鏡に銀髪のショートカット。小柄で目つきが冷たい。


「魚住すみか」


 短く名乗る。


 隣には長い黒髪の女子。


「国花しおんです」


 肩が震えていた。


 六人で机を運ぶ。


 ゆっくり。


 音を立てず。


 ドアの向こうでは時折叫び声が聞こえた。


 僕たちは強くない。


 悲しむ余裕もなかった。


 ただ身体を動かしていた。


 バリケードが完成すると、ほんの少しだけ呼吸が楽になった。


 これで扉が破られない保証なんてない。


 それでも、何もしないよりマシだった。


「連絡手段、誰かある?」


 加藤が尋ねた。


 全員が顔を見合わせた。


「俺らも携帯死んでる」


 リョウタが床へ座り込む。


「そっか……」


「女子二人は?」


「私たちも全然だめ」


 国花が申し訳《もうしわけ》なさそうに答えた。


「体育館へ移動してたんだけど、色々あって遅れて。悲鳴が聞こえて、気づいたらここまで走ってたの」


「遅れたおかげで助かったのかもな」


 加藤がそう言った時。


「なあ」


 小松が机の中を覗いた。


「腹減ったんだけど、ここにある弁当食っていい?」


「駄目だろ」


「えぇ!?別にいいじゃん。生きてるかも分かんねえし」


 空気が変わった。


「今、うちのクラスの奴らが死んでるって言ったか?」


 リョウタが立ち上がる。


「いや、そういう意味じゃ」


「聞こえたけど」


「悪かった。考えなしだった」


 小松はすぐに目を逸らした。


「小松。最低だぞ」


 加藤も謝った。


 リョウタは舌打ちして僕の隣へ戻る。


 今は争っている場合じゃない。


「それより」


 僕は窓を指した。


「外」


 全員が見る。


 校庭は地獄だった。


 血。

 倒れた人。

 その身体へ群がる者。


 映画なら、鉄パイプ一本で無双する主人公とか、馬に乗ってショットガンを持った警官でも来そうなものだ。もちろん来ないが。


「ダイチ」


 リョウタが聞く。


「ここから助かる方法は?」


「自衛隊が助けに来るのを待つ」


「可能性は?」


「かなり低い」


「他は?」


「奴ら全員が別の獲物を探して学校から出ていく。その後に脱出」


「もっと現実的なのない?」


「無い」


「はぁ……」


 僕らはその教室で夜を待った。


 時間が異様に遅い。


 叫び声が聞こえるたび、誰かが身体を震わせる。


 そんな中、僕は教室のカーテンを外した。


「おい、それ何に使うんだ?」


「役に立たないことを祈ってて」


 数枚を結んで一本にする。


 翌朝。


 悪夢からは覚めなかった。


 僕らはまだ教室にいた。


「皆、三の法則って知ってる?」


「知らね」


 リョウタが即答した。


「人間は酸素なしで三分、水なしで三日、食料なしで三週間くらいが目安ってやつ」


「それで?」


「ここにずっと籠もっても水が尽きる」


 僕は三本指を立てた。


「選択肢は三つ。一、ここで待つ。二、体育館裏の防災備蓄倉庫《ぼうさいびちくそうこ》へ行く。三、学校から出る」


「二は?」


 加藤が聞く。


「全校生徒分の食料と水がある。でも鍵は職員室。しかも体育館が近い」


「無理だな」


「三は、あいつらのいる校内を抜けるんでしょ?」


 国花が不安そうに言う。


「校内は通らない」


 僕は束ねたカーテンを見せた。


「窓から降りる」


「……カーテンで?」


「四枚ある。ロープにする」


 リョウタがにやりと笑った。


「下は自転車置き場だろ」


「そう。僕ら二人はチャリ通だからね」


「無理だよ。そんなアクション映画みたいなの」


 国花が青い顔をする。


「運動苦手だし」


「僕とリョウタが先に降りる。最悪、下で受け止める」


「えぇ、それでも全然嫌なんだけど」


 相談の結果、降りることになった。


 僕が最初。


 次に魚住。


 意外にも彼女は身軽だった。


 リョウタは国花を背負ったまま壁を蹴り、器用に下りる。


「何でそんなことできるんだよ」


「センス」


「腹立つな」


 残るは加藤と小松。


 その時だった。


 街中から一斉に電子音が鳴った。


 スマホ。


 行政通知。

 LINE。

 メール。


 僕のスマホも震える。


 通信《つうしん》が一瞬だけ戻ったらしい。


 母とのトーク画面を見る。


 新着はない。


 代わりにニュース通知が一件。


『霞が関《かすみがせき》救出劇、失敗に終わる。米軍による武力的解決《ぶりょくてきかいけつ》も視野か』


 記事を開く。


 情報は少ない。


 分かるのは、感染が関東の広範囲に及んでいること。


 そして米軍を含む勢力が、救出ではなく感染拡大阻止を優先し始めているらしいこと。


 主要幹線道路《かんせんどうろ》の破壊案。


 封鎖《ふうさ》。


 孤立。


「……まずいな」


 その時。


「ヴァァッ」


 背後に一体のゾンビが迫っていた。


 口を大きく開いて飛びかかってくる。


 僕は反射的に傘を突き出した。


 顔の前で開く。


 血や唾液が飛ぶのを少しでも防ぐため。


「リョウタ!」


「おう!」


 横から蹴りが入る。


 頭部が地面へ叩きつけられた。


 動かない。


 上を見る。


 加藤と小松はまだ窓にいた。


「ダイチ!」


 加藤が叫ぶ。


「俺たちは残る!」


「何で!」


「通信がまた戻るかもしれない! 警察にも連絡できる。SNSに助けを求めることだってできる!」


 今の日本に、助けを送る余裕があるなら。


 そう言いかけて、やめた。


「わかった」


「大人を見つけたら、俺たちのことも伝えてくれ!」


「生きてろよ!」


 別れを告げた僕ら四人は自転車置き場へ走った。


 幸い、奴らはいない。


「どこへ行く?」


 リョウタが聞く。


「まず君の家。一番近い。その後、魚住さんと国花さんの家。最後に僕の家」


 三人が頷く。


「じゃあ乗って」


 国花が僕の自転車の後ろへ座った。


 おそるおそる腰へ腕を回してくる。


 背中に人の体温が伝わった。


 こんな青春の一ページに、少し憧れていた。


 好きな女の子を後ろに乗せて。


 桜並木を走って。


 今日の授業とか、くだらない話をして帰る。


 そんな甘ったるい夢。


 まさか世界の終わりみたいな日に、その一部だけ叶うとは思わなかった。


 僕はくだらない事を考える余裕のある自身に少し笑った。


 そして、ペダルを強く踏み込んだ。

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此処まで読んでいただきありがとうございます。


感想やブックマークお待ちしています。

次回も読んでいただけるとうれしいです。

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