12.やめてくれ
♦*♦*
頭痛が消えない。解決策を考え実行に移しても、一向に事態は好転しない。
好転しない事態は停滞のまま。このままいけば悪化していくのが目に見えている。
事態発生から何度目か知れないため息がシャルベルの口からこぼれる。
現在発生している事態だけにかかりきりになることはできない。時間は止まることはなく流れている。
何事も変化し、移りゆく。
副団長仕事部屋で書類をさばいているシャルベルは、上がってきた書類に目を通しサインをする。
それを繰り返していたとき、部屋の扉が開いてレリエラが入ってきた。
「シャルベル様。ちょっといいかしら?」
「ああ」
手に取った書類を戻し、レリエラを見る。
何かの書類を手にしたレリエラは、シャルベルの前に立つとその書類を机に置いた。シャルベルはそれを手に取り内容を確認する。
「例の丸薬の件か……」
「ええ。商人への聞き取りと騎士たちへの聞き込み。丸薬の成分の分析、製作者への聞き取り調査。以前から進めていた件なのだけど……」
建国祭の少し前から竜たちの様子に異変が見られた。古竜は騎士に怪我を負わせ、竜が乗り手を怪訝と見ることもあった。建国祭においては竜の演舞の最中に古竜が独断行動をとり、その行く先にこの丸薬を売る人物がいた。
その繋がりから少し調べていたが、緊急案件ではなかったので後回しになっていた。
シャルベルは調査結果を読む。
その一、商人は丸薬の詳しい成分を知らず、知り合いから売ってくれと頼まれただけ。
その二、相棒竜に少々異変が見られた竜使いたちはその丸薬を口にしていた。それから調子も良くなり、続けて飲んでいた者が多いとのこと。
その三、丸薬の成分の中に、判明している中で竜が嫌う植物が使用されていた。
その四、商人から聞いた製作者の居場所はもぬけの殻で、以降、足取りは掴めていない。
調査結果を読み、シャルベルは椅子の背もたれに身を預けた。
「――つまり、竜はやはりあの丸薬から嫌いな臭いをかぎ取り、反応していたというわけか」
「人間にはいい結果をくれるものでも竜にはそうでもないという証明になったわね。古竜も騎士からその臭いを嗅ぎ取って、だから風に乗って流れてきた臭いをかぎ取って警告を出した。そんなところかしら?」
「そうなるだろう」
嫌いな臭いが付いていても乗り手は乗り手。だから竜は怪訝と見ても指示には従っていた。
乗り手のいない古竜だけが、常に威嚇を発して嫌悪を表していたというわけだ。
「そうなれば、この丸薬は竜使いの間では禁止だ。とくに古竜は嫌悪から騎士を負傷させている。厳守させよう」
「ええ。団長にもそう伝えておくわ。ひとまずこの件はこれでお終いね」
「ああ」
竜が嫌う臭いであっただけで、それが犯罪行為になるわけではない。調査はこれで終わりだが、結果が出たことに心持ちは軽くなる。
報告書には丸薬についても書かれている。
丸薬は不調によく効くらしい。少し調子が悪いなと思う程度でも、それを飲めばたちまち調子が回復すると。そういう効能から人々の間ではたちまち評判となり、貴族の中でも重宝する者もいるそうだ。
(父上や母上が飲んでいるところは見たことがないが……。レオンはたまに屋敷の竜舎を覗くからな。注意しておこう)
今のところレオンにもそういった様子は見られないし、屋敷で普段とは違う威嚇をされたなどという報告も受けていない。
一応使用人たちにも気をつけておこうと考えながら、シャルベルは思い出した。
(そういえば、売っていた男はラウノアにもこれを渡したと言っていたが……ヴァフォルは平然としていた。ラウノアは口にしていないのか……?)
一緒に出かけてヴァフォルに会わせた際にヴァフォルに嫌悪の様子は見られなかった。どころか、かなり懐いて甘えていた。乗せるのは拒んでいたが、それも別の理由が推測されている。
念のため、今度会ったときか手紙で確認しておこう。簡単に訳を話せばラウノアなりに判断するだろう。いや、それを口にしようと思うほどの不調を感じたならゆっくり休んでほしいものだけれど。
もとより調査していた件にとりあえず片が付きそうなのをひと安心と思いつつも、シャルベルは現在の問題に思考を向ける。
臭い、が竜が嫌悪する一つの要素であるならば、今の古竜の周囲はどうだろうか。
区域内で異状は確認されていない。古竜だけならば古竜の竜舎をまず考え、匂いを発する食べ物を想像する。
古竜の餌は古竜の舎の世話人が用意している。食べなくなってまずすぐに確認したが、他の竜と同じ物で変わりはない。用意する方法や与え方にもなんの問題も見られていない。
この線は薄いか……と思っていると副団長仕事部屋の扉がノックされ、返事より先に開けられた。
「揃ってるな」
「団長」
いつもなら自分たちを呼び出す側であるロベルトが入室。
上官の来訪にシャルベルも腰を上げすぐにロベルトをソファへ促す。慣れたようにロベルトは腰を下ろしながらシャルベルとレリエラもソファに座らせた。
普段からロベルトは身分や立場をあまり気にしない。過度にそれらに委縮していては組織の長など務まらないし、なにより騎士団は実力主義の面が強い。
ロベルトの立場と性格からか、部下を執務室に呼びつけることも、自ら赴くこともある。なのでシャルベルもレリエラも来訪には驚かない。むしろロベルトの性格が表れている行動だと思っている。
二人の前に座ったロベルトはいつも以上のその目を真剣に、二人をまっすぐ見つめた。
それだけで、シャルベルはなんとなく予感を覚えた。
「……よくない話ですか」
「おまえには、とくにな」
そう言われるだけでシャルベルが眉根を寄せる。その隣でレリエラも普段の微笑みを消し、ロベルトを見つめた。
僅かな沈黙が落ちる。すぐさま告げることもできるのにそうしないのは、シャルベルによくないということが解っているからこその迷いなのかもしれない。
しかしロベルトはきゅっと眉を寄せると、騎士団長として厳かに告げた。
「秘密裏に、ラウノア・ベルテイッド伯爵令嬢を呼ぶことになった」
そう、ならないでくれと。そうさせたくないと。そう思っていろいろと手を打ってきた。
ヴァフォルを始めとする他の竜にも協力してもらった。餌の種類や形状を変えたりもした。古竜の様子を観察し打てる手は可能な限り試してきた。
けれど、自分一人の小さな行動などなんの意味もなかった。
ぎゅっと握り合わせた手に力がこもる。なのにどうにも指先にまで力が入らない気がする。
いつもより心臓が煩い。すっと冷えるような嫌な感覚を覚える。
(俺は、彼女の些細な望みさえ、守れないのか……)
彼女自身、気づいている。そうかもしれないと。
けれどそれを証明することは、望まないこと。
「……他に、手はないんですか?」
「おまえらもよくやってくれてると俺は知ってる。陛下にもそう伝えた。その上で、だ」
「ですが、もし仮にそれがうまくいったとすればそれは――」
「落ち着け、シャルベル」
そっと制され、シャルベルもはっと口を噤んだ。
珍しく表情に出るそんな姿をロベルトもレリエラも笑わない。まっすぐで、真剣だ。
シャルベルの動揺が収まるのを待つように沈黙を落としたロベルトは、やがて「……すみません。続けてください」と小さく聞こえた声に応じ、再び話し始めた。
「いいか? これは陛下からくれぐれもと仰せつかった、極秘行動だ」
シャルベルも顔を上げ、レリエラとともにロベルトを見る。
その言葉の意味を理解できぬような間抜けではない。シャルベルもかつてのマクライ王の言葉を思い出す。
マクライ王とてその可能性に辿り着いている。けれどその証明は必要にならねばしないと明言した。そうであると判明すればそれは、国にとっても一大事。
かつて、英雄王ハーウェンを乗せていたとさえ言われる古の竜が、その乗り手を変えることになる。
それも、一介の貴族令嬢に。
「この件は俺たちだけが知るところとする。確かな確証があってやるもんでもねえからな」
「分かりました」
それでも、思ってしまうのだ。
他に何か手はないのかと。その行動でそうだと知れたとき、マクライ王はどういう決断をするのかと。
公表するにはリスクが大きい。しかし、竜使いたちの指示よりも己の意思を優先させるという古竜の行動は、すでに建国祭でマクライ王も知っている。
それを御せる人間が出てくれば、王として、逃がすという判断を下すのだろうか。
乗り手のいない竜こそ騎士団内できちんと手綱を握るべきだと思っても、しかし現実、そうは通らないこともある。
マクライ王はどういう判断を下すのか。古竜はどう動くのか。
詳細を話し合いつつもラウノアを想い、胸が痛んだ気がした。
♦*♦*
ふと、小さな感覚が肌を刺した。
どこか慣れた気もするこの感覚。けれどなんとなく、ラウノアは自室を出てエントランスへと向かった。
「あ。ただいま、ラウノア」
「ケイリス様。おかえりなさいませ」
帰宅したのは従兄であり今は兄でもあるケイリス。軽く手を挙げる姿と彼らしい笑みにラウノアも自然と口許が綻ぶ。
「ちょうどよかった。副団長が来ててさ。ちょっと話したいって」
「シャルベル様が?」
ケイリスの言葉にラウノアは少し急いで玄関扉から外へ出た。
屋敷の前。石畳の上にいるのは婚約者のシャルベルと、相棒である竜のヴァフォル。
普段ヴァフォルを騎士団の外へ連れ出すことは珍しく、今日は共に屋敷へ帰宅するのだろうかと思いつつラウノアはシャルベルのもとへ駆け寄った。
「シャルベル様。お仕事、お疲れさまです」
「……ああ」
「どうぞ中へ」
「いや。……ここでいい」
少しだけ、違和感を覚えた。
なんとなく、これまで感じたシャルベルの空気とは少し違う気がして。
シャルベルは普段から感情を表情に出すことはあまりなく、困惑や迷いも眉根を寄せるように表現してしまうこともある。
ただ不器用で。けれどとても思いやりに溢れている。
ラウノアが知るのは、そういうシャルベルだ。
(なぜ、そんなお顔をされているの……?)
出かけたときに散々甘えていたヴァフォルも今はシャルベルの後ろで大人しく待っている。甘えてくるような様子は毛ほども見せない。
そんなヴァフォルをちらりと見て、そしてシャルベルを見る。
婚約者同士ということでなのか、ケイリスも近づいてくる様子はない。
仕事帰りに立ち寄るなど珍しい行動で、加えて、シャルベルの表情にさらに困惑が募る。
「あの……シャルベル様……?」
なんと、問えばいいのだろう。問えば答えてくれるだろうか。それに心なしか少し顔色も悪いような気がする。
迷って、なかなか口が動かないラウノアの耳に、小さくも感情の読めない押し殺したような声が届いた。
「……いきなり来て、迷惑ではなかっただろうか……?」
「いえ。そんなことは……」
「最近……少し忙しくてな」
「はい。その……あまりご無理なさらないでくださいね」
シャルベルは何を言おうとしているのだろう。
その口から出る言葉はいつものようにラウノアを気遣ってくれる優しいものだ。なのに。
なのに――……
「シャルベル様。……なぜ、そんなお顔をされるのですか……?」




