11.偶然の共通
昼間は騎士団副団長として仕事をこなし、社交期の夜は社交界に出ることもある。昼夜問わず動き回るのは疲労がたまり、とくに気が進まない社交の場で女性と関わるのは避けたい。
が、次期公爵としてそうは言っていられない。
今夜も貴族の屋敷での夜会に招待されたシャルベルは、ギ―ヴァント公爵夫妻、弟のレオンとともに出席した。
女性との関わりを避けてきたシャルベルはようやく婚約者を迎えたことで、他の貴族令嬢やら娘を薦めたい貴族夫妻やらから逃げることができるようになり、話題をすぐに変えることができるようになった。
そうした変化を喜ばしく思いつつも、ラウノアを風よけにすることにはやはり抵抗がある。それに――……
(婚約者のいる男に娘を薦めるのもどうかと思うが……。令嬢たちのほうも諦めてくれないだろうか)
今夜のこの夜会にラウノアはいない。婚約者の同伴を求められたわけでもないので、シャルベルもラウノアに同伴を求めなかった。
だからだろう。ラウノアがいない今なら……と狙ってくる人間が多くて困る。
誰もあからさまに自分を選べとは言ってこない。それでも言葉の端にそれを匂わせ、微笑みを浮かべる。親の隣で令嬢も照れくさそうに微笑んで。
ラウノアは目立たない令嬢だ。普段から控えめで、夜会では印象に残りづらい。
生家からベルテイッド伯爵家に養子に入りあまりよくない目立ち方もしてしまったのも、他貴族から見ればチャンスでもあるのだろう。
だからとは解っていても、それほどラウノアを軽視する相手に何度も腹が立った。
これほど自分が怒れるのかと、自分でも驚いたほどに。
シャルベルは騎士団内でも気が短いと言われており、自覚もある。
まだ子どもだった頃は大人しかった。こうも気が短いと思われるようになったのは、間違いなく悪友に振り回されたせいだと思っている。
それでも、本気で腹が立ったことなど数えるほどしかない。
「ラウノア……」
頭を冷やそうとバルコニーに出たシャルベルは、手すりにもたれて外を見つめる。
しかしどうにも、目の前の真っ暗な風景は頭に入ってこない。浮かぶのは、夜空に浮かぶ星々のような綺麗な銀色の髪の婚約者の姿。
いつも目を引く彼女の髪はとても綺麗で、他者に見ないほどに一本一本が美しい。
(今日は手紙が届いていたのにまだ読めていない。この夜会がなければすぐに返事を書いたのに……)
いや。おそらく何を書こうかとあまり手は動かず返事を送るのは数日先になるのだろうけれど。外出の礼を伝える手紙にも返事が遅れてしまったことを思い出す。
慣れないことは少々難しい。けれど、ラウノアの流麗な筆跡を目で追うのは楽しい。
次の手紙に書ける内容を思い浮かべつつも、頭の片隅では別の思案事がよぎる。
ここ最近、古竜何も食べない案件で忙しい。
それでもこの夜会に出席したのは、もちろん次期公爵としての役目というのもあるが、ベルテイッド伯爵邸に古竜が降り立ったことが貴族社会で広まっていないかという確認もあった。
あれからもう半月ほど経っているし、マクライ王とロベルト騎士団長が情報を操作したこと、古竜の姿が他家の者に見られていないという幸運が、事態が広まるのを防止した。
広まっていないことを最終確認し、シャルベルは解放の息を吐く。
(古竜が見られなかったのは運がよかった。……あの巨体がよく人目に触れなかったな)
黒い鱗の竜は国で一頭だけ。目を引きそうだが、朝の早めの時間だったことや古竜の降り立ち方がよかったのだろうかと推測をつける。
くるりと身を反転させ、シャルベルの目は外の風景から人々がいる広間の中へ向く。賑わう広間は静かなこの場所から見れば別世界だ。
(そういえば、ラウノアと初めてきちんと話をしたのは王城のこんな場所だったな……。あのあと彼女は呼び出されて、ベルテイッド伯爵たちも気づかぬうちに会場を出て……)
事の後で調べたことだが、会場にいた誰もがラウノアが会場を出たことに気づいていなかった。誰か一人でも見ているだろうと思ったが驚くことに誰もおらず、会場扉の外にいた警備騎士だけが知っていた。
「誰も――……」
誰も見なかった。誰にも見られなかった。
そう気づいたシャルベルは思わず口許に指をあてた。
同じだ。誰にも気づかれなかったラウノアと、誰にも見られていない古竜。
(偶然か……? そういえば、ケイリスは従妹であるラウノアのことをあまり憶えていなかったな。この偶然、古竜がラウノアを気にすることに何か関係が……。いや。思考が偏りすぎか)
最近の古竜の言動。以前感じたまさかという可能性。
そのせいか、どうにも思考が結び付けたがっているように感じられ、シャルベルは軽く頭を振った。
竜の言動は意味のあるものもあるが、多くは気ままとして処理される。竜の言葉も意思も把握できない人間には、竜が明確に伝えようとしない限りそれが伝わることはない。
逆に、竜は人間の言葉を理解している。乗り手と相棒竜という関係は、実際は竜のほうが双方の意思を把握することができているのだ。
竜は、決して人間の支配下にあるわけではない。
竜の背に乗っていても、そこには竜の意思があり、竜は人間よりも強い。
人が竜に乗るのではない。人は竜に乗せてもらうのだ。
だからこそ、乗り手を選ぶのは竜であり、人間が竜を選ぶことは決してない。
「失礼いたします」
改めて考えていたシャルベルにちょうど、どこかの貴族の侍女らしい女が声をかけた。
視線を向けたシャルベルはまた誰かの薦めかと内心辟易としながらも、表情は変えず対応する。
「何か?」
「私は、バークバロウ侯爵子息様の使いにございます。若旦那様よりお話があるとのことで」
バークバロウ侯爵家。この夜会の主催者だ。
ギ―ヴァント公爵家も到着早々に挨拶をし、侯爵たちはそれからも他家への挨拶に忙しそうにしているのを見ている。
招待した客とは話し合いたいことも多いのだろう、シャルベル自身が挨拶以降声をかけられたことはないが、父である公爵とは何かを話している様子を一度見た。
侯爵家の子息と面識はあるし、社交の場では挨拶も交わす。しかし私的な会話を楽しむほどの気安い関係とは言えないとシャルベルは思っている。個人的には関わりを薄く持ちたい相手でもあるが、個人的感情と立場は別だ。
正直に言えば、この夜会も招待状をもらったとはいえあまり出席に乗り気にはなれなかった。それでも役目と仕事上こうして出席したのだが。
主催者の子息がわざわざ公爵相手ではなく、親交深いわけでもない自分に会いたいと。
「……分かった。案内を頼む」
「こちらです」
ただの個人的な喋りか。それとも別の何かか……。
相手の行動に予測がつけづらいが、シャルベルは侍女らしい女の後に続いた。
会場を出る前に念のため、父である公爵に「少しはずれます」と一声かけておく。そうして会場を出たシャルベルは賑わいから静かな空間へ移り、さらに足を進めた。
人の行き交いが少ない廊下を侍女の先導で歩く。案内だけに務め喋るつもりはないのだろう侍女は黙々と歩いていく。
そして、ある一室の前でシャルベルを振り返った。
「こちらです。すぐ若旦那様がいらっしゃいますので、中でお待ちください」
そう言うと侍女は頭を下げ、シャルベルの脇を通り過ぎて戻っていく。
それを見送ることもなく、シャルベルは小さく息を吐くと扉を開けた。
応接用の部屋だろう。中にはローテーブルとソファ。少ない調度品と閉められた窓から射しこむ月明かり。
灯りは灯っているが呼び出した本人がいない室内。待たされることになったシャルベルは足を踏み入れた。
そして、すぐに気づいた。ほんの微かに鼻を衝く匂い。女性物の香水か、アロマか。
視線を動かし、香りの発生源を見つけた。侍女があらかじめ焚いておいたのだろうがこういったものは部屋全体に香りが漂うほどに強くはない。普段からシャルベルはこういったものをさして必要と感じないが、バークバロウ侯爵子息は普段から嗜んでいるのかもしれない。
そう思いながらシャルベルはソファに座る。
静かな室内に音はない。感覚が感じるのは微かなアロマの香りと、窓の外から聞こえる生き物の声だけ。
最近の忙しさを頭の中で整理するいい機会だと思うことにし、シャルベルは目を閉じて思考の海に入る。
……が、待てどもバークバロウ侯爵子息はやってこない。
時計がないので正確な確認はできないが、待たせるにしては待たせすぎだとシャルベルが思い始めた頃、部屋の扉がノックされた。
やっと来たかと思いながら席を立つと、扉がゆっくりと開かれる。
扉の向こうに見えたのは同じ年頃の青年……ではなく、一人の貴婦人の姿。
「……バークバロウ侯爵子息からの用件だと伺ったのだが?」
「旦那様は少々私用ができましたので、本日はお断りをお伝えにきたのです」
見えたのは、バークバロウ侯爵子息夫人の姿。シャルベルにとって見覚えのある夫人はそっけなくシャルベルを横目に見遣った。
夫人は室内に入るつもりはないのか、シャルベルを見遣るだけ。
結婚している夫人が未婚の男性と同じ部屋に二人きりなどよろしくない行動であり、シャルベルも夫人がそうした逸脱行動をとるとは思わなかった。
(貴族としてしかとした人だったな……。だが、やはり苦手だ)
バークバロウ侯爵子息はこの夜会の主催者側。シャルベルとの時間をとりたいと思ってもうまくいかないこともあるだろう。
そう結論付けシャルベルが早々に扉へ向かうと、夫人もまたさりげなく扉から離れた。
「では、またの機会にとお伝えください。私はこれで」
夫人に礼をし、シャルベルは背中を向ける。しかしその背を夫人が止めた。
「婚約者とはうまくやれているのかしら。あなたは」
ぴたりと、シャルベルの足が止まる。しかし振り返ることはない。
そんな背中になお、夫人は続けた。
「あなたのような無愛想な人も一目惚れなんてするのね。精々、大切になさって。今度は婚約を解消されないように」
どこか毒を含んだように聞こえた言葉に、シャルベルはゆっくりと振り返った。
そしてまっすぐ、夫人を見つめる。
「……」
しかし、何を言うでもなく、シャルベルは再び夫人に背を向け会場へと戻る道を歩き始めた。
その背中を、夫人が奥歯を噛んで睨んでいた。
会場に戻ったシャルベルはバークバロウ侯爵子息の姿を探したが、その姿を見つけることはできなかった。話があるなら機会をつくろうと思ったが、どうやらそれもまた持ち越しのようだ。
父や弟のもとへ戻ろうと足を進め、応接室のアロマの香りを忘れようと小さく咳ばらいをした。




