13.微笑みを交わすその時間
きゅっと胸が締めつけられるような、苦しさを感じる。
嫌な予感がする。けれどそれ以上に――そんな顔を見たくない。
見つめていれば、シャルベルが唇を噛んだのが分かった。
「ラウノア。――……すまない」
「? シャルベル様……?」
「俺は――……」
続く言葉が出てこない。
なのに、心臓だけは煩く鳴り響いている。
(ああ……聞きたくない。聞きたくない。だけど……シャルベル様のそんな顔、見たくない)
ここから去りたい。シャルベルから憂いを取り除きたい。
反する想いが湧き起こり、ラウノアはぎゅっと両の手を握り合わせた。
葛藤に胸が引き裂かれそうなラウノアの前で、シャルベルは意を決したようにひとつ息を吐き、ラウノアを見つめた。
「古竜が餌を食べない。その解決のため、君に、古竜に会ってほしい」
「っ……!」
聞きたくなかった言葉が放たれ、息を呑む。
同時に理解した。シャルベルの表情の理由も、謝罪の理由も。
シャルベルは解っているから。
ラウノアの願いも。古竜の訴えも。騎士団副団長としての役割も。
それでもやはり、ラウノアの握り合わせた手が震えた。
「そ……れは……」
「同席するのは、俺とレリエラ副団長、ロベルト騎士団長だけだ。他の目は遮り、決行も夜間にする。結果報告は陛下へのみ。内容も確定も決して公表しない。その点は俺からくれぐれもと頼んである」
震えて。驚いて。シャルベルを見た。
きゅっと眉を寄せて、辛そうな顔がそこにある。
シャルベルは問題を解決させる側の人間だ。そのためなら必要な決断を下す。
なのに今の彼は、とてもそんな顔をしていない。
(古竜が餌を……。待って。だめだわ、考えがまとまらない)
もう古竜は大きな動きなど見せないと、そう思っていた。思いたかった。
なのにラウノアの知らない場所で、古竜は動いている。
落ち着けと、自身に言い聞かせるようにラウノアは小さく意識して呼吸をする。
古竜が餌を食べない。いつからかは分からないが、シャルベルの様子から見てラウノアが出ることになる事態を抑えていたと見受けられる。しかし、それも限界がきた。
衆目の中でラウノアを古竜に会わせるには、結果次第で付いてくる問題が大きい。だからこそ秘密裏に動こうとしているのだろう。
古竜がどうしてそんな行動に出たのか、それも気にはなるがおおよその察しはつく。
(問題は、わたしの答え。わたしがここで嫌だと言えば餌を食べない古竜に打つ手はなく、生存のために陛下は王命としてわたしを呼ぶことができる。……そうなれば)
望まない波紋が広がる。
秘密はどこまで守られるのか。それは分からないが、否を返すよりはずっと平穏だ。
「――……すまない」
考えるラウノアの耳に、力ない声が届いた。
思わず視線を向ければ、目の前に立つシャルベルからのものだと分かった。その手は強く拳をつくり、震えている。
「俺は……君の小さな望みさえ、叶えてやることができない」
返す言葉を、見つけられなかった。
力なく項垂れる姿を見つめても、かける言葉も取るべき行動も分からない。
シャルベルはラウノアが竜に懐かれるのだと信じている。ラウノアは目立つことには慣れていないから、平穏を望んでいると。
本当は懐かれているわけではない。気にされているだけだ。
平穏を望んでいるのは目立つことに慣れていないからではない。ただ自分を守るために目立ちたくないだけだ。
シャルベルは何も知らない。ラウノアだけが知っている。
シャルベルの誤解を解くつもりもなく、都合よくそれを利用している。
シャルベルをないがしろにしてはいけない。すでに気づいていることだ。
それでも――……
(わたしは、これからもずっとシャルベル様を――……)
理解していた。覚悟していた。
これを背負っていくのだと理解して、受け入れたそのときに。
なのに後から後から――甘いと、未熟者だと、解っていないと、突きつけられる。
解き放たれることは、一生ない。
これからずっと、誰と婚約し結婚しても。なにも変わらない事実。
「俺は、君のために……なにもできない。すまない」
懺悔の声音はその一色に染まる。
返す言葉のないラウノアには、シャルベルが何を想っているかなど分からない。
けれど――その言葉にきゅっと唇を引き結び、シャルベルの手を掴んだ。
思わぬラウノアの動きにシャルベルの顔が上がり、驚いたようにラウノアを見る。
「なにも、など、おっしゃらないでください。わたしが……懐かれやすいという推測も、シャルベル様は自分の胸にだけ留めてくださいました。いつもわたしのことを考えてくださいました。今回のことも、シャルベル様はきっと、自らいろいろと動かれたのでしょう?」
「……なにもできなかったことに変わりはない」
「いいえ。一緒にお出かけできたこと、とても楽しかったのです。これまで、あんなにも楽しい外出はありませんでした。シャルベル様がわたしにくださったものです。文箱も。便箋も。シャルベル様はいつもわたしを尊重して、心を砕いてくださって。知りたい気持ちを、向き合う時間を、くださったのはシャルベル様です」
特別なんて、しなくていい。特別は嬉しいものだとは限らない。
それは必ず、重さがついてくるものだから。
目立たず、平穏に、平凡に。
心がけるのはそれだから、ただ、笑い合える時間があれば、それがなによりで――……。
「謝らないでください。わたしのために尽力してくださったことまで否定しないでください。わたしは感謝しています。ありがとうございます。シャルベル様」
「……」
いつもとは違う、少し揺れる瞳がラウノアを見つめる。
ラウノアも胸のさざ波を感じながらも、それでも、ぎこちなくならないよう微笑む。
欺いている。利用している。
それが必要なことであっても。その重みに自身が苦しんでも。
(それでも――この方の想いを、大切にしたい)
都合のいい考えと我儘な自分に、ラウノアは内心で笑った。
だから、言えないことがある代わりに、今は、確かな言葉を贈りたい。
「わたしは確かに……目立つことは不慣れで、好まず、望みません。――だからこそ、シャルベル様と過ごすささやかな時間が、わたしにはなによりも輝くものなのです」
自然と言葉がこぼれて、理解した。
特別なんてなにもない。平凡な屋敷で、家族で、ささやかな時間を共に過ごして。
だから母はいつも、夫と娘と一緒の時間に幸せそうに嬉しそうに微笑んでいたのだ。
(苦しくて。重たくて。それに潰されそうになっても。それでも……それ以上の光を、喜びを、くれる人がいたから……)
シャルベルを見て思う。
背負う秘密が重くて、突きつけられる現実が苦しい。けれど――共に出かけたあの時間を思い出して、その光を胸に抱いて、守っていきたいと思うのだ。
秘密は漏れる危険がある。もしもそのときが来れば――……。
ラウノアはもうすべて覚悟しているようだと、シャルベルはその目を見て感じ取った。
そういう目をこれまでも何度か見た。控えめなただの令嬢とはどこか違う、強さを感じさせる眼差し。
平穏を望むラウノアの、決断と覚悟。
それを感じたシャルベルはそれ以上を紡ぐことはできず、少し眉間にしわを寄せた。
ラウノアが言ってくれたことは、どこまでが本当だろうか。なにもできなかった自分への世辞かもしれない。
けれど、そうとは思えないほどにラウノアの目はまっすぐだ。
(ただ共に過ごすささやかな時間、か……)
騎士ならば、古竜の乗り手になれるかもしれない事態を拒否する者は少ないだろう。しかし、ラウノアは貴族令嬢。
古の竜の乗り手などより、望むのは、選ぶのは、日常の平穏。
欲がないと言える。そういう選択はラウノアらしいと思う。
ここで諸手を上げて喜び飛びつくような令嬢ならば自分は婚約していないだろうなと、頭の片隅で思う。
ラウノアのささやかな願いを叶えられない自分の無力が腹立たしい。不甲斐ない。
けれど同時に、ラウノアが望む時間を与えられたと知ることができて、嬉しく思う。
「ありがとう。ラウノア」
「いいえ。それに……シャルベル様は古竜に会うにあたって手を打ってくださいました。ありがとうございます」
「当然のことをしただけだ」
シャルベルの表情が変わった。まだ普段見るような鋭さや力が完全に戻っているとは見えないが、それでも、ラウノアはほっと息を吐いた。




