11.仕事の話
ラウノアとシャルベルが書物を手に言葉を交わす。そんな様子を、書庫の入り口に控えながらイザナとアレクは見つめていた。
カチェット伯爵家にいた頃なら、きっと、公爵家の子息と婚約することはなかった。どこかの家の次男か三男かを婿に迎えて、爵位を継いで――そういう未来をラウノアも描いていただろう。
けれど現実はいつも、突如として変わる。それでもラウノアは弱音も負担も見せない。
控えめに微笑んで。目立たない位置を保つ。
(今後を不安に思っているのは、お嬢様なのに……)
深く関わることを望まない公爵家や竜が相手でも、ラウノアは相手に不審を抱かせないように動こうとする。
全てを避け、近づかないのは難しい。逆に不審を与えてしまう。だからラウノアは、控えめに行動する。
(それでも、もし――……)
万が一が起こったら。その時は――……。
「ねえ、アレク」
イザナが隣へそっと呼びかければ、その薄紫の瞳がイザナに向いた。
イザナは見返すことはなく、楽しそうに笑うラウノアを見つめて、瞼を震わせた。
「お嬢様を、絶対に守りましょう。――今、すごく楽しそうだから。ああして、ずっと、ラウノアお嬢様が笑っていられるように」
背負うものを大事にして。だから目立たないようにして。
それでもラウノアが選んだ――自分の幸せ。
イザナの隣で、アレクもまた力強く頷いた。
ラウノアとシャルベルが書庫で交流を始めてしばらく。イザナとアレクが控えていた傍で扉が開かれ、屋敷の住人が姿を見せた。
書庫に入室したケイリスはまずイザナとアレクを認め、近づく。
「ラウノアと副団長がここだって聞いたんだけど、いる?」
「はい。お二人で本をお読みになられています。ご用でしたらお探ししますが?」
「ありがとう。お願い」
それまで誰も入ってこなかった書庫。やってきたケイリスは帰宅そのままの隊服姿だ。それを見て、イザナはアレクとともに動いた。
三人の視線が書庫内のあちこちへ向けられる。
壁一面に埋まる書物。書棚にも多くの本が並べられ、各分野でまとまっている。その本棚の合間を抜けながら歩き、書棚の合間に二人の姿を見つけた。
二人を見つけてイザナとアレクは足を止める。そんな二人に礼を告げたケイリスは、先にいる二人に駆け寄った。
「ラウノア。副団長」
「ケイリス様。おかえりなさいませ」
「ただいま、ラウノア」
ラウノアの隣でシャルベルもケイリスへ一瞥を向ける。それに目礼を返し、ケイリスは二人の傍で足を止めた。
「よかったあ。副団長が屋敷にいるかもって予想が当たってて。お茶でもしてるかと思ったけど書庫にいるなんて。副団長ですか? 誘ったの」
「冷やかしならいらん。何か用か?」
「あー……」
さきほどまで話していたものとは違う淡々とした声音。それを傍で聞きながら違いを感じるラウノアは、らしくなく少し口籠ったケイリスを見た。
ケイリスの視線もちらりとラウノアを見る。それを受け、ラウノアはシャルベルを見て小さく頭を下げた。
「シャルベル様。わたしは少々失礼します」
「ああ。すまない」
ラウノアとの時間に入った横やりに内心でため息を吐きつつ、シャルベルは背を向けて去っていくラウノアを見送った。行先には侍女であるイザナと護衛であるアレクがおり、ラウノアは二人と揃って書棚の向こうに消えていった。
三人の姿が見えなくなり、その視線をケイリスに向ける。
本日シャルベルは休暇日だ。ケイリスは出勤だが、ラウノアと出かける予定であったことは知っていてもおかしくない。天候のせいでその予定は狂ったが、もしかして……と屋敷に来ている可能性が浮かんだとしても、隊服姿でわざわざ挨拶に来るような堅苦しいことはしない。シャルベルは私的な用件で来訪しており、ここではケイリスも婚約者の兄である。
「何があった?」
そんなケイリスが来たということは、つまり、報告を急いだ方がいいと判断されることがあったということ。
ラウノアに向けたことのないシャルベルの鋭い視線が向き、ケイリスも表情を引き締めた。
「騎士が一人、古竜に近づいて負傷しました」
飛び出した報告に眉根が寄るのが分かった。
無言で続きを促すシャルベルの目に、ケイリスは続ける。
「数人の竜使いで建国祭での古竜について話し合いが行われたんです。場所は古竜の竜舎だったんですが、そのとき、近づいた騎士に古竜がいきなり激怒したそうです。幸い、怪我はかすり傷程度だったんですが、檻の外の安全地帯に爪を振り下ろしてきたんで檻が一部損壊しました。危うく第二撃が……ってところで、ルインが騎士を助けたそうです。安全のためすぐに退避。今は古竜の舎には誰も近づけないよう、レリエラ副団長から指示が出てます」
出てきた報告の詳細に、思わず、前髪を掻き上げた。
古竜はいつも不機嫌だ。舎に入ろうという者がいれば、必ず唸り声をあげて威嚇する。
それ自体はなにも古竜に限ったことではない。他の竜でも、乗り手が見つかるまではそういう竜も多い。
古竜は文字どおり、古の時代から存在する竜だ。今生きている竜の中で、最も長命で、最も強いと言っても過言ではない。
その矜持があるのだろうと、騎士たちは噂する。
だが、そのままでいいわけではない。建国祭のように古竜が表に出ることもある。そういうとき、乗り手がいない古竜が起こす不測の事態に備える必要がある。
だから、竜の扱いに慣れている竜使いが集まって、古竜の扱いを協議する。簡単な指示は聞くようにと刷り込みがされているが、それでも、乗り手がいない竜はそれすら無視する可能性もある。
古竜が建国祭に出るときには、指示を出す者を決め、その人物を古竜にも認識させる必要がある。
(普段なら、威嚇しても攻撃してくることはない。なにか気に障ることでもあったのか……?)
が、考えても竜の思考は分からない。相棒の思考ですら乗り手たちには不可解なこともあるのだから。
「何か要因は分かったか?」
「いえ。さっぱり」
お手上げという仕草で両手を上げるケイリスに、そうだろうなとも思う。
竜の生態は、正直にいって、いくら年月が経とうと不明な点が多い。分かれば苦労はしない。
ケイリスからの報告にシャルベルはため息を吐いた。
「分かった。他には?」
「いえ。ただ、建国祭が近づくにつれ町でいろいろ問題は起こってます。だいたいは喧嘩騒ぎみたいですけど、混じって違法な販売とか窃盗がちょいちょい増えてます」
「想定済みだ」
だからこそ、町の警備はあらかじめ入念に話し合われている。人員を割き、警備時間を増やす。その人員確保のため、警備強化のため、シャルベルとて警備に加わっている。
それがまた、ラウノアとの時間が取れなくなっている要因でもある。が、疎かにはできない重要な仕事だ。
「騎士の怪我は、建国祭には間に合うか?」
「はい。大丈夫みたいです。本人も演舞は出るって意気込んでるんで」
「分かった。明日には俺も加わろう」
さてと……と、思考が急速に仕事に切り替わる。
古竜の件は一人では不可能だ。複数の騎士と連携し、その中で指示を出す者を決めなければいけない。これには、竜の扱いに慣れ咄嗟の事態にも動ける者である必要がある。
頭の中で候補者を出すシャルベルを、ケイリスはじーっと見つめた。そんな部下の視線にはすぐに気がつく。
「なんだ」
「いえ……。こんな報告した俺が言うのもなんですけど。副団長、今ラウノアと親睦深めてるって分かってます? 今から仕事のことばっか考えてラウノアをおざなりにしないですよね?」
「するわけがないだろう」
今何をしているのかくらい分かっている。部下の視線と言葉に当然だという表情を動かさない上司にケイリスもほっと一安心。
騎士団長であるロベルトがシャルベルにも報告をしておこうと言ったのを聞いて、ベルテイッド伯爵邸にいるかもしれないと思い報告役を買って出た。ラウノアと出かける予定だったのは昨夜ラウノアと話をして聞いていたし、ラウノアとシャルベルが会う時間を取れないのはケイリスも知っている。
合っててよかったと思いながら、シャルベルとラウノアの進展には興味が出てしまうのも事実。
「さすが、モテる副団長。女性慣れしてる副団長ならラウノアが婚約解消なんて言うことも――んぐっ!」
「よく喋る口だな。閉じてやろうか?」
書庫とは静かな空間である。なので、会話の声量を下げるのは癖のようなものであり、静かに読書を楽しみたい人にとっては妨げとなる音を小さくさせるのは思いやりでもある。
それは、いち屋敷の書庫でも同じ。現在、書庫にいるのはシャルベルとケイリスだけではないのだ。
ラウノアが近くにはいないとしても、ケイリスの余計な一言は耳に入れたくない。入るかもしれない危険はすぐさま取り除く。
片手で両頬を潰すという物理的手段に出たシャルベルに、ケイリスはふがふがと抗議の言葉にならない音を出す。
「ケイリス。当初も注意したが、騎士団で私的な会話は慎むことだ。それから、余計な詮索もな」
「ふぉうふぁいれす」
手を離せば自分の頬を擦すケイリスの抗議の視線も黙殺し、シャルベルは身を翻す。
これ以上お喋りな部下にかまう必要はない。すぐにラウノアのもとへ急ぐ。
書棚の間を抜け、ラウノアを探す。
と、読書席の近くでイザナとアレクの姿を見つけ、シャルベルはすぐに足を向けた。
「――のを、読むのか? 引き裂かれて偶然再会とはまた、笑うな」
「どきどきするというところがいいみたいです。本だからこそ、ですので」
「なるほど。おまえもこういうものは好きなのか?」
「はい」
書棚に隠れて見えなかったラウノアの姿が見えた。その隣に座るベルテイッド伯爵家長男、クラウも一緒に。
どうやら二人で本の話をしていたらしい。クラウは本をぱらぱらと捲り、その内容についてラウノアと話をしている。
鼻で笑うクラウにも、ラウノアは普段どおり微笑んでいる。
ぴたりと足が止まってしまったシャルベルにはすぐにアレクが気づき、イザナも気づいた。
アレクはシャルベルからすぐにラウノアに視線を戻すが、イザナはそっとラウノアに近づき耳打ちする。と、ラウノアもシャルベルに視線を向け、立ち上がった。
「シャルベル様。お話はもうよろしいのですか?」
「……ああ。クラウ殿も本を読みに?」
「いえ。帰宅早々書庫へ入ったという弟を引っ張り戻しに」
立ち上がるクラウの視線の先、シャルベルの後方からやってきたケイリス。互いの目が互いを認めるとケイリスは不満げに頬を膨らませ、クラウは息を吐いた。
「俺は副団長に報告があったの! 二人の邪魔なんてしてません!」
「何も言ってないだろう。言いたいことは母上に言え」
「助けてぇ~!」
言いながら、クラウはケイリスの腕を掴んで書庫を出ていく。ケイリスの情けのない声が書庫内に響くが、クラウは問答無用だ。
ばたんと書庫の扉が閉まり、再び、書庫内は静かになった。
「……お助けしたほうが、よかったでしょうか?」
「必要ないだろう。用件はもう終わった」
さらりと見捨てたシャルベルと似たように、ラウノアも小さく笑った。
ああした兄弟のやり取りは何度も見ているし、早々に立ち去ったクラウの思いやりも感じられるから、決して嫌ではない。




