10.君の手を引いて
シャルベルがベルテイッド伯爵邸を訪れ、ラウノアはそんな彼を出迎えた。
雨が降っている中だったが、濡れないようにと気をつけながら屋敷の扉をくぐったシャルベルは濡れておらず、ラウノアもほっと息を吐いた。
「ベルテイッド伯爵。このような日に申し訳ありません」
「いえいえ。シャルベル様がラウノアとの時間を望んでくれたのですから、嬉しいことです」
シャルベルの多忙さを聞き知っているベルテイッド伯爵は、シャルベルの来訪を快く出迎えた。
心なしかベルテイッド伯爵邸の使用人たちもどこか緊張したように、けれど、目を輝かせているメイドもおり、ラウノアはイザナの言葉を思い出して苦笑いが浮かぶ。
ベルテイッド伯爵はシャルベルとの挨拶を済ませると、ラウノアに後を任せる。
「ラウノア。後はお願いする」
「はい」
シャルベルに礼をし、ベルテイッド伯爵は場を後にする。それを見てから、ラウノアはシャルベルを応接室へ案内した。
ベルテイッド伯爵邸の応接室は、ラウノアとシャルベル、そして二人を見てにこにこと笑顔なメイドたちの空間となった。
メイドははしゃぎ声をあげることもなくにこにこと控えているだけなので、それを気にしなければ、お喋りではないラウノアとシャルベルの間には静かだが落ち着いた空気が流れている。
出された茶を一口飲み、シャルベルは向かい合うラウノアを見た。屋敷で過ごす普段用のドレスは、堅苦しくなくかといって砕けすぎてもおらず来客を相手にするにも問題ない。夜会で見るようなものと同じ控えめな印象を受ける。
「今日は、迷惑ではなかったか?」
「はい。天気がこのようになってしまったので……お会いできないと思っておりました」
「迷ったんだが……少しでも時間が取れればと。そう言ってもらえてよかった」
少しだけ安堵したような表情を見せるシャルベルに、ラウノアも頬を緩めた。……メイドたちから小さく声が上がったのは気にしないでおこう。
建国祭まで会えないのは少し寂しい気もする。けれど仕方がない事情だ。それでもシャルベルはこうして自分のことを考えて、来てくれた。
(嬉しい)
歩み寄るというのは、なかなか難しい。それでも小さな一歩を踏み出したいのは、きっと互いに同じ。
そうなのだろう。シャルベルは適度に寛いだ様子でソファに座ったまま、ちらりと視線だけを動かした。
「ケイリスは、今日は勤務だったな?」
「はい。朝から城に。ケイリス様にご用でしたか?」
「いや……」
否定しつつも、その表情はなぜか僅か渋面に見える。
それを認め、ラウノアは少し考え、シャルベルをちらりと見た。
「……もしやとは思いますが、シャルベル様の婚約者であるわたしがケイリス様の妹であるから、でしょうか?」
「……」
否定は出てこない。
それもそうだろうと、ラウノアも内心苦笑いが浮かんだ。
貴族社会でもすでに、ラウノアのことは、元カチェット伯爵令嬢であるベルテイッド伯爵令嬢、と広まっている。当然、騎士団の騎士たちはケイリスがベルテイッド伯爵子息だと知っている。だからこそ、聞けば鉄拳制裁が下るシャルベルを避け、ケイリスを通じて上司のあれこれを知りたがる物好きもいる。
シャルベルもそこを解っている。だからこそケイリスには早々に注意し、今もその動きを気にするのだ。
「すまない。……あいつには喋りすぎるなと言ってあるんだが、どうにも……」
「騎士の皆さまは、シャルベル様のことを慕っているのですね」
興味本位、というのもあるのだろうが、無関心であればここまでシャルベルは困らない。
若くして騎士団副団長にまで上り詰めたからこそ妬みや嫉妬も多いだろうが、同時に尊敬もまた集める。それだけの実力がある。
「だといいが、あまりそういう感じはしない。鍛錬を課しても不満が返ってくる方が多い」
「そうなのですか?」
「ああ。だが、周りにいる者を大切に想えるのはいいことだ。ないがしろにする者には、誰も助けになってはくれない」
「シャルベル様も騎士の皆さまを大切に想っていらっしゃるのですね」
今、自分が立っているということには、必ず、誰かの助けがある。己の力のみで立っていると勘違いしては、誰も助けにはなってくれない。
周りを見る目をシャルベルは幼い頃から養ってきた。
公爵家に仕える者たちには感謝しているし、生活を預かっている責任がある。騎士たちには仲間という想いも、時には命を預かり、率いるという責任もある。
どちらも、一人では成り立たない。
それになにより、若くして騎士団副団長になれたのは、自分の実力を認めてくれた上司の後押しがある。
それは同じように若い副団長であるレリエラも同じ。だからこそ、騎士団長を支えようと、強く心に誓っている。
気づいているラウノアの柔らかな声音に、シャルベルは微かに口角を上げた。
「もちろんだ。普段から厳しいだなんだと言われるが――……これでは、また仕事の話になってしまうな」
屋敷できっと、にこにこと成り行きを想像して待っているだろう両親の顔が浮かび、シャルベルは続きを止めた。
なにせ、一度ラウノアとの時間に仕事の話をしてしまっている。あれは後々自分も反省したのだ。
シャルベルの反省顔を見て小さく笑ってしまったラウノアは、では……と話を変えることにした。
「今日は、個人的なお話をしませんか?」
「そうだな。……こういう日、ラウノアは何をして過ごしている?」
「おじい様やクラウ様とお話をしたり、書庫で本を読んだりしています。クラウ様が本を勧めてくださったり、流行りの本を読んだり」
「流行り……今はどういうものが?」
流行にはあまり頓着しないシャルベルに、ラウノアは使用人たちから仕入れた情報を伝えた。時には控えるメイドたちからも情報をもらい、些細な会話がほどよいリズムで進む。
窓の外でしている雨音も気にならなくなり、ラウノアも時折笑みをこぼしながらシャルベルとの会話を楽しみ、シャルベルもまた、仕事や家族との会話とは違う心地よい空気に身を委ねた。
シャルベルが思う以上にラウノアは読書を楽しんでいるようで、歴史書から旅行記、巷の小説までいろいろと話題にする。それを聞き、シャルベルはふと思ったことを尋ねた。
「王立図書館に行ったことはあるだろうか?」
「はい。何度か」
王都には王立の学園があり、その近くには王立図書館がある。学園の生徒もよく利用し、図書を始め多くの蔵書を抱えている。誰でも利用できる知識の宝庫だ。
ラウノアもカチェット伯爵家にいた頃から王都に来たときには何度か利用していた。もともと書物を読むのは嫌いではないし、次期領主として施策などは頭に入れておきたかった。なにより、静かな時間を過ごすことができた。
ラウノアの頷きを見て、シャルベルは僅か思案する様子を見せた後、再び口を開いた。
「王宮書庫室には?」
「いえ。わたしは王宮にお仕えする身ではありませんので」
王城内にある書庫室は、王立図書館よりさらに深く、専門的な書物や貴重な書物が多いと聞く。国にとっても大切な書物であり、歴史や専門分野を研究する者にとっては重宝する書物も多い。
管理者がおり、利用できる者も限られる。城に勤める者か王宮に勤める者でなければ利用することは難しく、貴族令嬢といっても気軽には立ち入ることはできない場所だ。
(読んでみたい本はあるけれど、わたしにそれはできない)
伝手がない。ベルテイッド伯爵かケイリスに頼めば立ち入り許可はもらえるかもしれないが、無理を言う理由もない。
答えを聞きシャルベルは僅か視線を下げると、すぐにラウノアを見た。
「なら、建国祭まで出入りできるように頼んでみようか? 本には興味があるんだろう?」
「! それはシャルベル様にご迷惑がかかります。そのような――」
「建国祭まで時間がとれない詫びだと思ってくれ。それに、そうして出入りする者は少なくない」
貴族が伝手を使って出入りすることは少なくない。令嬢の中でそういう者は多くはないが、子息の中にはそうして出入りする者もいる。代わりに願い出る者はいわば、出入りする者の後ろ盾でもある。
そうと決めればと、シャルベルは席を立つ。ラウノアの視線がシャルベルを追って上がった。
「ラウノアが読む本を教えてくれないか?」
「あ、はいっ」
つられるようにラウノアも立ち上がった。あまり見ない驚いたような呆然としたような様子を見て、シャルベルは微かに笑みを浮かべた。
ベルテイッド伯爵邸にも書庫がある。さして大きいわけではないがさまざまな分野の書物が揃っているその部屋に、ラウノアとシャルベル、そしてイザナとアレクが付き従った。
入室し、書庫室を見回したシャルベルは、案内のため隣を歩くラウノアに続く。
(少し、強引すぎただろうか……?)
王宮書庫室への出入りの話から、ラウノアはずっと驚いて困っているように見える。それでも通してしまった自覚はあるが、ラウノアは遠慮するだろうと思ったからこそ進めてしまったところもある。
しかしやはり、それでは不快にさせたかもしれない。
ラウノアは賢いと、ケイリスが以前自慢していた。次期領主として教育を受けたからこそ、知識を得ることに楽しさを感じているのかもしれない。跡取り娘としてしかと学びを深めていたんだろう。今ならそれが分かる。
(だからこそ、王宮書庫室への出入りは悪くないと思ったんだが…)
何かを明示すれば、必ずといっていいほど一度は断るのがラウノアだ。だからこそ、それを遮って約束した。
目立つことを好まず、控えめなラウノアらしいといえばそうだが、自分の望みを言ってもいいと、思ってしまう。
『副団長ならラウノアを上手くリードしてくれるでしょうし、俺も安心です。ラウノアってほら、遠慮がちで控えめな子なんで。よろしくお願いします!』
『安心安心。副団長はきっと女性に慣れてるって。な、ケイリス?』
『だよなあ。――あ。浮気したら許しませんから!』
ラウノアとの婚約が決まって早々、ケイリスから言われた言葉が思い出される。ついでに言えば、便乗していたルインの余計な一言まで思い出されてしまう。
ケイリスとルインはどこか似ているところがあるせいか、二人揃うと頭痛を生じさせるので、シャルベルは思い出して内心で頭を抱えた。
ルインは冗談なのか本気なのか分からない。ケイリスが快くラウノアを託してくれたのはひとつ安心だったが、私生活を他の騎士に漏らされるのはよろしくない。
が、それは注意すれば済む話なので今は頭の隅へ追いやる。問題は……、
(俺はさして女性相手は得意ではないんだが……)
女性との付き合いなど、過去にない。あっても、レリエラのような気を許せる友人程度の付き合いだ。
社交界では女性に囲まれることも多いが、どれもその場限りの愛想をなんとか浮かべて接する程度。周囲の者が思うほど女性に慣れているわけではないし、遊んでもいない。……悪友に付き合わされたことはあるのだが。
昔のことは頭を振り払って忘れ、今に意識を戻す。
(俺が率先して動くべきかと思ったが……。なにか、間違えたか?)
少しは知っているラウノアの性格を考えてしたことだったが、ラウノアを不快にさせたのならば失敗だ。
シャルベルはなにも、ラウノアの意思を無視したいわけでも、黙ってついてこいと言いたいわけでもないのだから。
「――さま。シャルベル様?」
「!」
思案の海で聞こえた声に、急速に現実に引き戻される。はっとして隣を見れば、一冊の書物を手にしたラウノアが自分を見上げ、すぐにその視線を僅か下げる。
「申し訳ありません。退屈でしたでしょうか……?」
「あ、いやっ、違う。……すまない。少し考え事をしていた。せっかく話してくれていたのに疎かになってしまい、申し訳ない」
謝罪したラウノアの隣で、シャルベルがそれ以上に真剣に謝罪した。
そんなシャルベルに少しだけ驚いて、けれどすぐ、ラウノアは安堵したように微笑んだ。
「いいえ。それならよかったです」
「すまない……。それは、エビツェナーの旅行記だな。本人が旅を好み、定住しない人物だと聞いている」
「はい。ウィンドル国にとどまらず大陸中を旅し、その記録を本にしていると聞いています。この本を読んでいるとまるでその地を旅しているように感じることができて、楽しくなるのです」
「そうだな。……今度、ギ―ヴァント公爵家が治める一帯に行ってみないか? 仕事を休めればだが……」
少し躊躇いがちにそう提案してくれるシャルベルを見て、ラウノアは頬を緩ませた。
彼はいつもそう。簡単に約束を取り付けて、自分を後ろに侍らせてずんずんと歩いていくこともできるのに、そうしない。
必ず、振り返ってくれる。躊躇いがちに、手を差し出してくれる。
きっと、騎士団の騎士たちは、こういう彼を知らないのだろう。ケイリスから聞く話とは、驚くほどに違う印象を受けるから。
だけど、はっきりと分かる。
(仕事には真剣に、真面目に取り組んで。だけど不器用で、思いやりのある、誠実な人)
嘘を吐かない人だ。――自分とは、違って。
「はい。機会があればぜひ」
だから、精一杯、返せる言葉で応える。それしか、できないのだから。




