12.心の世界
いつの間にかラウノアの隣に立ったシャルベルは、その視線を置かれた本に向けた。
さきほどラウノアがクラウと内容を話していた本だ。無意識に、その本を手に取る。
「あっ。それは――」
「これはどういう本なんだ?」
「……それは、幼馴染同士である騎士と女性の、恋愛小説です」
「読んだのか?」
ぱらぱらとページを捲りながらラウノアに問うと、小さな声で「はい」と返ってきた。それを受けて思わず隣のラウノアを見る。
ラウノアがさまざまな本を読むことはこの数時間で知った。だから、こういう本を読んでいてもおかしくはないと思う。
が、それまでの反応とは少し違うことに違和感を覚えた。
隣のラウノアは少し視線を下げていて、両手の指を絡めている。まるで、見られたくなかったものを、見られてしまったように。
(なぜ、そんな反応を……? 俺との婚約を気にしているのだろうか?)
女性が小説のような恋愛に憧れたり、はしゃいだり、そういう反応をすることくらいは知っている。なにせ、同じ副団長であるレリエラが、騎士という男性が多い隊内でも女性として臆することも隠すこともなくそういう面を見せるから。
女性にはあまり近づきたくないシャルベルだが、女性のことは嫌でも知るか、もしくは、レリエラを見て知った部分が大きい。なので、女性のことが解らないわけではない。
――実際に付き合うとなると、少し迷ったり戸惑ったりするだけで。
「ラウノアも、こういう内容に憧れが?」
「それは……その……」
「遠慮せず言ってくれ」
「……そう思うことは、あります。貴族はとかく、心が想うようにはいきませんので」
「それもそうだな」
誰かと出逢い、好き合い、末永くその心を持って生きていく。二人の心は何があろうと決して変わることはない。
そんなことができれば。そんな未来があれば。掴めれば――
(心のままに、在れるのに……)
秘密も、嘘も、きっとない。
そして同時に、知っている。
(想い合っても、結ばれるとは限らない。どうしようもない運命で離ればなれになることもある)
だから余計に、本の中に憧れてしまうのだ。
なりたい、ではなく、そういう未来があればと、思ってしまうから。
下がったラウノアの視線を見つめ、シャルベルはもう一度、ページを捲った。
ぱらぱらと捲る中でわかるこの小説の男性は、まっすぐな想いを伝え、言葉も滑らかな様子。
「……俺は、この本の男のようにさして口が上手いわけではないが……」
「……?」
「ラウノアの憧れを現実にできるよう、努力する」
視線がページに向いたまま出てきた言葉に、ラウノアはぱちりぱちりと瞬いてシャルベルを見た。が、視線が合わない。
まるで学ぼうとしているかのように、シャルベルは少し真剣に本のページを捲っている。
軽い言葉ではない。ずっと感じているとおり。
嬉しくて、胸があたたかくなって、思わずシャルベルを見つめてしまう。
言葉が出ず沈黙を返すラウノアの様子に気づき、シャルベルははたと視線を少し泳がせた。
「あ、いや、その……すまない。今のは忘れてくれ」
「……忘れて、よろしいのですか?」
確認すると、なんとも言い難い表情が返ってくる。
冗談ではなかったのだ。その想いが心にあるからこそ、出てきた言葉。
(シャルベル様は分かっていらっしゃる。ベルテイッド伯爵家のためなら婚約に頷くと、見破っていた方だもの)
ギ―ヴァント公爵夫妻は、長く婚約者を探さなかったシャルベルが選んだ待望の婚約者を喜び、この関係が続くことを望んでいる。ベルテイッド伯爵夫妻もラウノアを想っているからこそ、心は同じだろう。
けれど、シャルベルは積極的にそう動こうとは見せていない。投げやりではない。婚約がこのまま進むことを望んでいることは、シャルベルからの打診で分かる。
ただ、その決定権を持つのはラウノアだと、その尊重が常にある。
ラウノアのことを多少なりと知ったからこそ、ラウノアの重荷に、邪魔にならないように、言葉を選んでいる。
そこに不満などない。シャルベルの優しさを感じる。
だからラウノアも、ゆっくり、今後を考えることができるのだ。
(他者想いの、優しい人)
きっと、本当に努力してくれるのだろう。自分はそれに見合う人物であれるだろうか。
シャルベルのために、どれだけの努力ができるだろうか。
そう考えて、胸が痛んだ。
なんと言おうかと眉根を寄せるシャルベルを見て、ラウノアは心の底からの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、シャルベル様。とても、嬉しいです」
「そうか……。なら、よかった」
少しほっとしたようなシャルベルにまた笑みが深まる。
そんなラウノアをちらりと見て、シャルベルは本を机に置いた。
「他にも君が読む本を教えてくれないだろうか……?」
「はい。シャルベル様がお読みになる本も、教えてくださいますか? わたしも読んでみます」
「ああ。もちろん」
二人でそろって書棚に向かう。
そんな様子を、イザナは微笑ましそうに、アレクは普段どおり変わらない表情で見つめていた。
♦*♦*
ラウノアとの時間を過ごしたシャルベルは、それから数日、建国祭やそれによって起こる問題に忙殺されることとなった。
予定していなかった剣術試合への参加のための自己鍛錬、竜の演舞の練習、他の竜使いとの打ち合わせ、古竜への対処、町で起こる問題への対処、部下への指導などなど、騎士団に泊まり込むことも増え、屋敷へ帰る時刻も遅れることが多い。休日があっても竜の演舞のためヴァフォルとの時間を取り、時には竜使いとして未熟な部下の指導に向かうこともある。さらには急ぎと呼び出されることもあり、ラウノアと会う時間はとれていない。
忙しいことは事前に分かっていたことだ。なにせ今回の建国祭は節目の年であり、規模が大きい。
シャルベルは騎士団棟にある副団長用仕事部屋で、ため息を吐いた。
「あら。何か悩み事?」
耳聡く、そしてにこりと笑みを向けてくるのは、同じく騎士団副団長であるレリエラだ。
騎士団には二人、副団長がいる。両名が揃って二十代という若すぎる身で重責を担う立場にあるが、両名にはそれだけの実力があるので、騎士団内で表立って不満を露にする者はいない。
そんな副団長の仕事部屋は同じ部屋である。二人の机が置かれ、書棚やローテーブル、ソファ、いくつかの調度品が置かれても狭く感じない広い部屋。各騎士からの報告書や、隊内の風紀問題、騎士団長に通す案件や問題の報告、事前のある程度の決定など、副団長室に回ってくる仕事は決して少なくない。
そして、いちいち別の部屋を行き来して決定や決裁を下すのも手間なので、副団長の部屋は二人で一人部屋、となっていた。
しかし、レリエラが副団長に就任すると決定したとき、シャルベルは別室をつくることを提案した。仕事の効率は大事だが、まだ若くともに婚約者もいない身。高位貴族としても副団長としても、隊の士気に関わるような噂を流されでもしたら互いに困る。
そう思っての提案だったが、レリエラは首を横に振った。
『面倒ですね。両手が塞がっていると扉を蹴り開けなければいけませんし。修理費は騎士団で負担してくれるのかしら? ありもしないことを言う子にはお仕置きをすれば、きっと分かってくれるわ』
にこりと微笑んで出てきた言葉に、シャルベルも騎士団長であるロベルトも返す言葉を失った。
なので、今の状態は二人の決定といっていい。
レリエラは会話を楽しむ人だが、余計なお喋りではない。それでいてさっぱりきっぱり言うところもあって、付き合いやすい人物だ。シャルベルにとっても、同僚であり、数少ない友人でもある。
少し離れた隣の机からこちらを見るレリエラに視線を向けることはなく、シャルベルは書類に名を書きながら答えた。
「いや。古竜をどうするべきか考えていた」
「そうね……。あれからもいつもどおり。だけど、何人かの竜使いはいつも以上に警戒されていて……。何かあるのかしら?」
「俺たちで分かる異変はない。体調も挙動も。それ以外となると……」
竜にしか分からない。それが現状だ。
古竜に怪我をさせられた竜使いは、あれからも古竜に近づけば通常以上に威嚇されるという状況が続いている。そして、そういう竜使いが数人増えている。
そんな竜使いたちだが、相棒である竜からは威嚇されていない。が――……
「だけど、相棒である竜たちも少し変だったのよ」
「と、いうと?」
「たまたま竜舎で見たのだけど。騎士が近づいたときに竜が一歩下がって、様子をうかがうように騎士を見たの。一度だけだったけれど、初対面のような光景で変だなと思って」
「それは……」
己の相棒であるヴァフォルを思い浮かべる。
初対面のとき、じっとその目で自分たち候補生を見ていた竜。相手を見定めるように、うかがうように見たのは、記憶にあるかぎりそのときだけだろう。それはおそらく、他の竜使いでも同じ。
そんな竜が、相棒である竜使いを見て――……。
「それはいつ?」
「古竜についての話し合いが行われた二日後。そのあと古竜の元へ行って、その騎士が古竜にいつも以上に威嚇されたの。その前はいつもどおりだったのに」
「――つまり、古竜だけでなく他の竜たちも何か感じている、ということか」
が、それを人間が感じられない。
このままではマズイ。他の竜まで古竜のようになってしまえば、建国祭の式典どころではない。竜使いが竜を扱えない、などという笑えない事態になってしまう。
「レリエラ殿の竜は?」
「私の子はいつもどおりよ。そちらは?」
「同じく」
ヴァフォルにそんな様子はない。シャルベルにも普段どおりであり、唯一の予想外があったとすれば、それはラウノアだけ。
そこまで考え、シャルベルの瞼が僅か震えた。
騎士団で唯一竜に懐かれている騎士ルインですら、古竜は扱えないと言う。だからこそ孤高で、騎士団の騎士ですら憧れるのが古竜なのだが、現実は簡単ではない。
「古竜に威嚇された騎士から話を聞き、共通点がないか調べよう。何か浮かべば儲けものだ」
「ええ。私もあたってみるわ」
増えた仕事にレリエラは肩を竦めるが、シャルベルの提案に否は言わない。早速シャルベルは席を立ち、仕事部屋を出た。
副団長仕事部屋を出た足で、そのまま竜舎へ向かう。
騎士団の敷地の一番奥に、竜が住まう区域がある。
竜の生活区域として、そして部外者が立ち入らないように、その区域は壁に覆われている。その中に、竜が過ごす広場と、竜の家である竜舎がある。そこに出入りするのは、騎士、竜舎の世話人、竜の体を診る竜医などだ。
シャルベルもその壁を越え、竜の区域に立ち入った。
緑の豊かな草原が広がる中、大きく頑丈な造りである竜舎がいくつも並び、相棒である騎士や竜舎の世話人が行き交う。その中、古竜に威嚇された騎士を捜し、話を聞く。
その仕事を進めていたシャルベルは、竜たちの過ごす広場に視線を向けた。
各竜舎には竜が出入りする大扉があり、竜たちはそこから外に出ることができる。そこに広がるのは竜の広場だ。
竜使いとの訓練がないときの竜や相棒がいない竜は、日中その広場で過ごすことが多い。相棒がいない竜は飛行防止のため鎖で繋がれたりもするが、簡単な指示は聞くように幼い頃に刷り込むので、よほどのやんちゃでなければそういう対処が取られることは少ない。
シャルベルも、好きに過ごす竜たちへ視線を向けた。
日向で眠るもの、日陰で欠伸をするもの、飛ぶ蝶を追いかけるもの、他の竜とじゃれ合うもの。竜は自由で、けれど縛られた存在だ。
その中、シャルベルは同じように過ごしているだろう己の相棒を探した。
(あそこか)
自分の相棒は、他に同じ色の鱗の竜がいても見分けがつく。共に過ごす時間が長いと、自然と分かるようになる。
見つけた白い鱗の相棒の傍には、鱗の色が違う竜がいた。それを見てシャルベルは僅か眉根を寄せる。
ヴァフォルは、何かを伝えるように小さく鳴いているように見える。声は聞こえないが、それを受けた傍の竜は、応えるように口を開けているのが見えた。
(……問題はなさそうだが)
人と竜は別種族だ。しかし、竜と竜は同種族。人を傷つけることも稀な竜は、竜同士で傷つけ合うことはない。
ヴァフォルを見てシャルベルは僅か思案したが、危ない様子は見えないので、竜の広場に背を向けた。




