後日談 グレイシアの婚約者 その2
♦*♦*
「お、おはよう。ガドナン。レオン」
「おはようございます。殿下」
「おはようございます」
翌朝。
朝食の席へ向かう前に護衛騎士にいつもの挨拶。……だけれどちょっとガドナンの顔を見ることができない。ちらっと見てみたけれど普段と一切変わらない。
(まだ聞いていない……? いえ。だけどもう社交期が始まってしばらくなのだし。ガドナンだって公爵家に顔は出してるはずだし。公爵閣下から話はすぐ通っているはずだし……)
なのに、ガドナンは変わらない。もしかしてやはり断るつもりでいるのだろうか?
朝食の待つ間まで歩いて向かうが、思考のせいかどんどん足取りが重くなっていく。
「殿下。どうかされましたか? 体調が優れないのであればすぐにお部屋に。私が事情を説明してまいりますので」
グレイシアの様子に気づいて隣から声をかけてくれるのは、やはりガドナンだ。後ろではレオンもどこか気づかわし気な様子なのが分かった。
熊のように大柄な体躯からは想像できないくらい温和なガドナンの表情はとても心配気だ。
言いたいけどここでは言えないから、グレイシアは「なんでもないの」と誤魔化した。
午前。なんとかあれこれやりくりして時間を捻出し、急いで竜の区域へ走った。
竜の話が心置きなくできる友を探して古竜の竜舎へ向かいながら周りを見る。新人たちも忙しそうだが、先輩たちもうまくフォローしているようだ。竜の世話にも以前のようなゆとりを持てるようになってきたと、以前世話人たちが言っていたからほっとする。
それにより、ラウノアは今も意見を求められるが、以前のように慌ただしく他竜舎の世話に駆り出されることはなくなったと聞いている。
彼女は竜使いであり世話人ではない。しかし頼まれれば竜の世話は拒まないのが彼女のいいところ。
古竜の竜舎が見えてきた。舎の前には滅多と見ることのない黒い竜がいる。
足が止まってほぉっと感嘆の息がこぼれた。何度見ても美しい姿だ。現存最古の竜は雄々しさと荘厳さを失わない。
古竜が瞼を細く開いてグレイシアたちを一瞥した。そして、喉の奥を鳴らす。
まるで合図のようなそれを聞いていると、竜舎の中から人が出てきた。
「! グレイシア殿下」
「ラウノアさん!」
えさえさと、けれど古竜との安全域をちゃんと保ってラウノアの元へ向かう。ラウノアも世話の途中だったのだろう、慌てて埃を払ってやってきた。
「どうかされましたか?」
「あ、あのね、話があるの。少し時間をもらえないかしら? あっ。世話の後でいいわ。まだやることがあるのでしょう?」
「分かりました。……では、すぐに掃除が終わりますので、少々お待ちいただいてもよろしいですか?」
「もちろんよ」
待つことは苦ではない。なぜならば、じっと見ていても飽きない存在が近くにいるのだから。
ラウノアが一礼して急ぎ足で竜舎に戻る。それを見送ってから、グレイシアは古竜の観察を始めた。
ラウノアはそれからすぐに来てくれた。竜舎と広場の間で少し離れた場所に古竜がいるという贅沢な空間を作ってくれたラウノアに感謝し、グレイシアは護衛たちに離れるよう頼んだ。
安全域を保っているといっても古竜が近い。ガドナンを始め護衛騎士は了承し難いという顔をしたが、乗り手たるラウノアが傍にいることで渋々頷いた。
張り上げなければ護衛騎士たちに会話が聞こえることはない。距離を保っていることを確認して、グレイシアはそそっとラウノアに身を寄せた。
いつもより近い距離にラウノアは瞬く。
「あ、あのね、ラウノアさん」
「はい」
「少し相談があるの。……誰にも言わないでもらえるかしら?」
「承知しました。他言せぬと誓いましょう」
ラウノアは噂にさして興味を抱かない人だと、これまでの社交の場での彼女の立ち位置から解っている。目立たず控えめに、自分から他者を貶めることはせず、悪意を口にすることもない。
騎士団には守秘義務が存在する。その重要性を解っているラウノアだからこそ、こうして秘密の話ができる。
どうしたのかと問うてくるラウノアの目に、グレイシアは思い切って口を開いた。
「その……ラウノアさんはシャルベル様と屋敷でも騎士団でもお会いするでしょう? そういう公私の区別はどうつけているの?」
「……あまり意識したことがないかもしれません。シャルベル様は騎士のお役目にはそれに真摯にお勤めになられるので、わたしもお邪魔にならないようにと。それにお仕事中であっても心配なことや気遣ってくださることは口にしてくださるので」
お互いに気遣い合っていることが分かる。けれど、過度にそれを意識しすぎていないのだろうなとも感じとれた。
思うことは言葉にする。シャルベルがラウノアと竜の区域で話をしているのも時折見る光景だ。互いの柔らかな表情も楽し気な笑みも。シャルベルもラウノアも長々とお喋りする人ではないし、仕事における二人の真面目さはよく聞き知っている。
想い合う。そんな話は友人たちから聞いたこともある。
うまくいくこともあればいかないこともある。それぞれだ。ラウノアは前者であり、その姿をグレイシア自身も目にすることがある。
「……公私の顔って難しいわよね。子どもの頃からだから慣れちゃってるけど、素の私を知っている人じゃそれも効かないもの」
「……公私を知るどなたかとなにかありましたか?」
躊躇いがちに聞いてくるラウノア。そんな彼女に向けてではなく、前の広場を見たまま寂し気な笑みが浮かんだ。
少しだけ揺れるグレイシアの瞳。それを見て、ラウノアも視線を広場に向けた。広場では暖かな陽射しの下で竜が遊んでいる。
(ガドナン様との婚約についてかな……。護衛である彼との婚約に戸惑っていらっしゃるのかも)
グレイシアの婚約者についてはギルヴァが決めた。それはマクライ王もライネル王子も了承したと聞いている。
けれどそれはまだ公表されていない話。だから、知らないふりをする。
「……私の想いなんて、届かないと思うの。だってこんなの都合が良すぎるもの。私だけが想っても、彼にとってそうじゃないなら虚しいだけだわ」
見ない。見ないけれど、くぐもった声から顔を覆ってしまったのだろうと想像できた。
どこか寂し気な声音。少しだけ驚いて、ラウノアは微かに口端を上げた。
(これじゃあまるで、いつかの逆だわ)
ならば今度は、自分の番だ。
「好きな人に好きだと言える、それは素敵なことではないですか?」
「!」
「殿下が好きと言えることはわたしにとっても嬉しいことです」
ラウノアがそう言うと、グレイシアは弾かれるように顔を上げてラウノアを見つめた。その視線にラウノアもグレイシアを見つめる。
穏やかな微笑みが目の前にある。見つめるグレイシアにラウノアは続けた。
「殿下はお立場上、ご友人方から話を聞くことが多かったのでしょう。政略的に結ばれる相手となると、相手が決まれば少し怖くも感じます。踏み出す一歩は怖いものです。でも殿下、存外悪くないかもしれません」
「……」
「どのようなお相手かは存じません。ですが殿下。どうするかは殿下がお決めになれるのです」
「わたしが……」
「はい。わたしもそうでした。殿下にご助言いただいたおかげで、シャルベル様に思い切ってお話することができたのですから」
――だから、あなたもあなた次第。
そう言われているようだった。ラウノアを見つめて、視線を前へ戻して、考える。
いつか政略的な理由で婚姻相手を決められる。それは覚悟の上であり、立場上仕方がないことだった。
どうなるか分からない未来は少しだけ怖かった。でも、悪いことばかりではないだろうと心を奮い立たせた。
好きの話を聞くことが好きだった。わくわくどきどきして心躍らせて。自分にはできないだろうことを想像した。
なのに今、ないはずのものが巡ってきた。
(ハウンド公爵家は国にとっても重要な存在。家督を継ぐ長男はすでに妻子ある身だから、お父様はガドナンを選んだのかしら……。公爵家との関係上ありえるとは思うけれど、ガドナンの選択次第ではハウンドの家名は名乗らなくなるかもしれないし……。どうしてガドナンなのかしら? もしかして本当に信頼だけが理由?)
まさかそんなはずはないだろう。しかしそう考えて、ライネルと縁談の進むレリエラを思い出す。
あちらも謎だ。しかし両親にもなにか考えあってのことだろう。それに従うしかない。
(だけど、どういう未来を掴むかは私次第)
そう思えると、心が少し前を向けた。
立ち上がってラウノアを見ると、嬉しそうな安心したような顔をしていた。
「ありがとう、ラウノアさん! なんだかすっきりしたわ」
「それはようございました。わたしでよろしければ、いつでもご相談を」
「ええ。ラウノアさんもね」
手を振って去っていくグレイシアにラウノアも礼をして見送った。
グレイシアがガドナンとうまくいくといいなと心から願う。去っていく小さな姿を見送っていると、後ろから古竜が顔を見せにきた。「終わった?」とでも問う目に頷きを返す。
「今日はゆっくりお昼寝の約束でしたね。広場へ行きましょう、ラーファン」
番外編を拝読くださりありがとうございます。
新作の連載を始めました。
周囲から蔑まれる若き公爵と、その公爵に父を殺され挙句には結婚することになった他国の姫……の体に転生した、自由気ままでやると決めたら手段は選ばない魔法使いのお話です。
それまでの姫君とは全く違う空気と振る舞いに振り回されつつもその姿に視線が向いて仕方ない公爵と、やると決めたことをひたすらにまっすぐ手段を選ばず突き進む姫との、波乱万丈な生活の幕開けです。
『落ちこぼれ公爵の守り獣』URL……https://ncode.syosetu.com/n4631lc/




