元気で・・・
馬車の事故より三日が経ち、昏々と眠っていたミリアムが目を覚ました、と、ミリアム付きの侍女カトリンが伯爵夫妻に知らせに行った。
マウラは大喜びで、呼びに来たオスカルと城内を駆けるようにして姉の私室へと急いだ。
「もう姉さまは大丈夫なのよね、オスカル?」
オスカルは沈痛な面持ちのまま、すぐに返事をしなかったので、マウラは捲くし立てるように聞いた。
「なに、その顔?どうして?目が覚めたんでしょう?」
「医師によれば、脈はとても弱いとのことです。意識は戻っておられますが、今夜が峠かも知れないと・・・」
マウラは長衣の裾を托し上げ、走った。
部屋に着くと、伯爵夫妻がミリアムの寝台に寄り添っていた。傍らに医師、そしてパトリックとカトリンが寝台より離れて側に仕えていた。どの顔も暗い。
「ミリアム、マウラが来ましたよ」
ミリアムは目を開けていた。ゆっくりと視線がマウラに移る。蒼白の顔に、目が落ち窪み、姉の美しさは何処へ行ってしまったのか、と、マウラは思う。
「姉さま!」
「来たのね、マウラ」
小さくて聞き取りにくい声のためマウラは寝台まで駆け寄り、姉の顔に自分の顔を近づけた。
「姉さま、しっかりして!まだ一緒にやってないことがたくさんあるでしょう?クリストルに会いにロンドンへ行きましょう。大陸にも行ってないじゃない。
パリに行って、服を何着も買って、砂糖菓子を食べに行かなきゃ。姉さまの好きな本だって、ダブリンよりたくさんあるはずよ」
「わたしたち、まだこの国から、出たことがないものね」
「そうよ、ミリアム。母も共に参ります。欲しいものはすべて購いますし、貴女の願いはすべて、この母が叶えてみせます」
夫人は娘の手を握った。夫妻も憔悴しきっている。
「わたしの願いはすべて・・・、本当に・・・?」
ミリアムがそう呟いて、天井を見た。
「疲れました。少し休みます」
ミリアムはそう言って、目を閉じた。ひっ、と、マウラが悲鳴を上げると、医師がすかさず脈をとった。
「大丈夫です」
誰もがため息をつく。
その晩、夜更けとなった頃。
医師は隣室で休み、マウラ達は交代で、予断を許さない状態のミリアムを見ることとなった。マウラは片時も姉から離れたくない、と、寝台の横に腰掛け、うつらうつらしていた。部屋に控えているのはオスカルとカトリン。二人は起きていて、一言も話さずにいた。
「―カトリン、いるかしら?」
ミリアムの声がしたので、オスカルとカトリンは寝台に走った。
「はい、お嬢様!ここに!」
「喉が渇いたわ」
オスカルの行動が素早く、近くに置いてあった水差しの水を布に浸しミリアムの口にふくませた。薔薇の花びらのようだった唇がかさかさに乾ききっているのを見て、オスカルはいたたまれない気持ちになった。
「ありがとう、オスカル。やっぱり、いてくれたのね」
オスカルは微笑んでみせる。そして、そっと夜具の中の手を取った。指まで細くなっているようだった。
「灯りをもっと近くへ」
カトリンが燭台を持ってきた。目をこすりながら、マウラも目を覚ました。
「姉さま、起きたの?」
ミリアムは儚く笑った。
「ええ。最後に少し話したかったから」
「カトリン、旦那様と奥方様をお連れするんだ!」
オスカルがカトリンに言った。そして自分は医師の元へ脱兎のごとく走る。
「ねえ、マウラ。わたしの頼みを聞いてくれる?」
ミリアムは声を絞り出すように続けた。
「もちろんよ、なあに?何をして欲しいの?」
「わたしが天に召された後、あの方に、マルクに、あなたが報せに行ってくれる?」
きっ、と表情を険しくし、首を横にぶんぶんと振りながら、マウラは、
「嫌よ!それは絶対に嫌!だって、姉さまは死なないし、石畳の君もそんな報せは受けたくないに決まっているじゃないの!」
「そんなこと、言わないで。あの方はきっと悲しまれる、と思うけれど、でも、ちゃんと乗り越えて、前に進んで行って欲しいのよ」
「だめ、だめ!元気になって、これから父さまを説得すればいいじゃない!父さまだって、いつかはあの方との結婚を許してくれるかも知れないでしょう?」
「もういいのよ、それは・・・」
オスカルが医師を連れて戻って来た。医師はミリアムの脈をとる。
「父さまに伝えて。わたしはよい娘でいられず、ごめんなさい、と」
マウラは泣きじゃくっていた。ミリアムの視線が定まらなくなってきたようだった。医師が眼球を診るのをそのままにしている。
「姉さま、お願い!行ってはだめよ!」
「ミリアムお嬢様!」
「オスカル?どこ?」
オスカルはマウラの反対側に回り、ミリアムの手を今度はしっかりと握った。
「ここにおります、お嬢様!」
「お前にもいろいろ、世話をかけたわね。最後に、あの方に会わせてくれたこと、わたし、本当に、本当に嬉しかったわ」
「何をおっしゃいます!お嬢様がお生まれの頃よりお仕えしております我が身です。己の命に代えましても、お守りする所存です!後生でございます、ミリアム姫様!」
「お前の、美しい笑みが、見られなくなるのは、淋しいわね・・・。それとね、わたしは空と海が見えるあの丘で眠りたいの。きらめきの丘ね。お前もよく連れて行ってくれたでしょう?」
「姉さま!姉さま!」
「ああ、行かなくては・・・。最期に、もう一目、お会いしたかった・・・、我が君・・・」
医師が診察をとりやめた。ミリアムの美しい瞳はもうどこも見ていない。
「ありがとう・・・。元気で・・・」
終の言葉をそう残し、ミリアムは息を引き取った。享年十七歳。城内にマウラの悲痛の叫びが響き渡った。
◆◇◆◇◆
「あなた、こんな、こんなことになるのなら、あの子の好きにさせてやればよかった。たった十七年の短い生で、小さな頃からずっと聞き分けの良かったあの子が、初めてわたくしたちに反発してまで、彼の者と一緒になりたいという、その願いを叶えてやればよかったのです。生きる気力を与えていれば、あの子は、あの子は・・・・」
夫人はそう言って泣き崩れた。同じく瞳に涙をためた伯爵は、夫人の背を擦り、もう片方の手を夫人の手にそっと重ね、
「人の一生に『もし』や『~たら、~れば』は、ないと思うがな。これがあの子の寿命、そして宿命だったのであろうよ。二人の背負うたものが違った今世では一諸になることができなかった。我々もそれを許すことができなんだ。
だが、二人の想いが強ければ、来世でその想いを遂げることができよう。そして、それは我々の力が及ぶ範囲のことではあるまいよ。奥、神はすべてご存じだ。お任せしよう。召される前に誰かを愛したというだけでも、あの子にとっては本望であったと、儂は信じたい」




