霹靂 かむとけ
日々の暮らしは、起こる出来事やそこに生まれる感情が逐一取沙汰されずかの如く単調に過ぎていく。
ミリアムは我が身の中にある雑多の感情とどう向き合えばよいのかわからず、ただ少しでも心が軽くなるよう、目の前のことをこなしていくことで、なんとか折り合いをつけていく日が続いた。
このところずっとマウラ一人で受けていた講義や指南も再開し、教会での奉仕活動にも定期的に通っている。
毎日を忙しくすると、余計なことは考えずに済む。ただ、暮夜に寝台へ一人入ると、蓋を閉じて触れないようにしている感情が一気に溢れてきて、涙したり、昂ぶり過ぎたりして眠れなくなるということがあった。
そうなると決まって、情けない自分を責めてしまう。諦めて前に進まねばならぬというのに、心がついていかない。
「姫様、オスカル殿、中食のご用意ができましたので、どうぞ食堂へ」
明日の礼拝の準備をしていた二人を修道士が呼びに来た。
「ありがとうございます。こちらが済みましたら、参ります」
オスカルが答えると、若い修道士は笑って、
「お二人が来て下さるようになって、我々はとても助かっています。本当にありがとうございます」
「お役に立っているとは光栄です」
「この先もずっと、とはいかないでしょうが、姫様がいらっしゃるだけで、この場が華やかになりますし、オスカル殿の有能振りは聞きしに勝るものでした。わたしも見倣わなければ」
「そんなに褒めていただけるとは、どうにも困ってしまいますね、ミリアム様」
修道士は声を立てて笑ってから、いなくなった。このように、教会の人々と話す時はオスカルが殆ど受け答えをし、ミリアムは滅多に口を開かない。司祭とシスター・フィヌーラが相手の時を除いては。
「お嬢様、もう少し愛想良くなさってはいかがですか?」
ミリアムはオスカルの忠告にじっとりした目つきで答えた。
「人と話すのが煩わしいのよ」
「わたくしにはそのようにお話になるではないですか」
「お前はうちの使用人でしょう」
「このところのお嬢様は、何やらマウラ様に似て来られましたね」
オスカルがそう言うと、ミリアムは小さく頬を膨らませた。
「文句でも嫌味でも、八つ当たりでも構いませんよ。それが言えるようになったということは、それだけお嬢様がお元気になられているということなので、わたくしには喜ばしい限りです」
「罵詈雑言を発してもいいの?」
「ええ、どうぞ、どうぞ」
「お前は変ね」
「何とでもおっしゃって下さい。溜め込まずに吐き出して、はい、罵詈雑言でもなんでも喜んでお受け致します」
「やっぱりお前はかなり変だわ」
ミリアムは呆れ顔になったが、それをものともせずに破顔したオスカルを見て、ぷっと吹き出した。久々に見るミリアムの明るい様子にオスカルは胸を撫で下ろした。
「そうやって、いつも笑顔でいて下さいませ、お嬢様。ですが、急ぐ必要はございませんよ。ゆっくりで良いのです」
「そんな悠長なことは言ってられないのが現状だと思うけれど、ま、いいわ。お前の言い分を受け入れてあげる」
「恐悦至極に存じます」
祭壇に敷く布を畳み終わってから、ミリアムは椅子から立ち上がった。
「さぁ、終わった。食事をいただきに馳せ参じるぞよ、我が従者よ」
「承知仕りましてござりまする、我が姫君様」
主従、一緒に部屋を出て食堂へと向かった。オスカルは少し前を歩くミリアムにあらためて、
「お嬢様、わたくしはお嬢様の御為ならば、身命を賭してお仕え致しますことをお忘れなく」
と、告げた。ミリアムは後ろを向きながら笑みを作って、
「それはわかってるわ、オスカル。そしてわたしはお前自身と、その忠誠心に感謝しているわ」
オスカルは右手を胸に充て、頭を下げた。
中食をとった後、ミリアムは司祭にラテン語の書物を書き写す作業を頼まれたので、部屋に籠ることとなった。その間、オスカルは一旦城へと戻り、仕事を終わらせてから迎えに来るとのことで、
「では、後でね、オスカル」
「はい、また後程お迎えに上がります」
と、双方笑顔で別れた。しかしながら、オスカルがミリアムを迎えに行くことは叶わなかった。
◆◇◆◇◆
城の門扉に早馬が着いた。
「一大事にございます!開門を!」
数刻前、ミリアムとオスカルに中食を知らせに来た修道士が馬に乗って伝達に現れたのだ。
「何事ですか?」
「オスカル殿!姫様が・・・、姫様が事故に遭われました」
「何ですと?して、容態は?」
「頭を強く打たれたご様子で、意識はありません。わたくし共の医員の見立てでは、動かさない方がいいとのことでしたが、伯爵家の専属医に診てもらった方が、と、急ぎ、司祭様、フィヌーラ様とご一緒に只今こちらへ向かわれております」
オスカルと共に玄関へ来ていたパトリックは、伯爵の元へと走った。
「何故、事故などに・・・」
「写本作業が思いの外早く終わったので、姫様は辻馬車を使われたのです。その馬車の車輪が外れ、車は横転しました。御者も重体で、意識が戻らず、何が原因だったのかわからぬ状態でございます」
この時代、街中以外の道路は舗装されておらず、馬車の事故は頻繁に起きていた。伯爵は一家が遣う有蓋馬車の安全管理と点検については怠ることがないよう厳重な命令を出していたが、よもや辻馬車でこのような目に遭うとは、
「わたしが付いておれば・・・」
オスカルの美しい顔が歪んだ。
程なくして、一行が到着した。司祭、シスター・フィヌーラ、城下にて診療所を営むと同時に一家の専属医である医師、この他、知らせを受けて飛んできたであろう馬車屋の棟梁と配下の者。
「姫様の部屋には奥方様と侍女の他は入ってはなりませぬぞ」
と、医師は言い、男手数人でミリアムを部屋の寝台へ移動させた。頭や腕に包帯が巻いてあり、目は閉じられたままだ。
「姉さま、大丈夫よね?だって、朝は普通に挨拶して、一緒に卓について食事したし」
「はい、わたくしも教会にて同じく作業や食事をご一緒しました。本日はわたくしの軽口に応えられ、笑っておいででした。ほんの数刻前まで、いつも、という状態ではありませんが、至って正常な、あのような変わり果てたお姿ではありませんでした・・・」
マウラとオスカルがそうした言葉を交わす一方、伯爵は到着した面々の話を聞いた。事故が起こったことを聞いてから棟梁たちは事故現場にすぐさま向かい、原因を調査した。車輪が引っ掛かるような石の類は見つからず、馬車の点検も定期的に行っているという。御者はそれなりの熟達者であり、何度かミリアムを乗せて城まで来たことのある男だった。その男もミリアム同様意識が戻っていない。
「伯爵殿、何と申し上げたらよいか・・・。責は儂にある。何とでもおっしゃって下され」
司祭が艱苦の面持ちで伯爵に言った。
「それには及びませぬ、司祭殿。今は娘が目を覚ますことを共に祈っては下さらんか」
「無論、我が全身全霊を込め神に願おう」
突如襲ってきた不運に誰しもが唖然とするばかりであった。




